第90話 世界は偽りに彩られ 2
「すまない。少しだけ一人にしてくれないか?」
何一つ音のしない神の霊安室で興奮して収拾のつかなくなった自分が、これ以上シェルシドラの前で醜態を見せないようになるべく声を抑えて告げる。
「ああ。」
シェルシドラはさすがに付き合いが長いだけあって、それだけで俺のことを分かってくれたのかその一言で簡単に引き下がってくれた。
そして、部屋から出る間際に
「俺もお前を責めるような事を言って悪かった。俺が言うことでもないが、自分を追いつめるなよ?これは『俺たち』の問題なんだから、考えるなら俺も一緒だ。」
そう優しげな声を残していった。
シェルシドラの気遣いが分かった。昔からあいつはこんな俺にも優しかった。
だけれど、その優しさが今は余計に俺の心を重くする。
確かに現状は天使全体の問題かもしれないが・・・
「でも、全部『俺』のせいだ。」
しかして、一人になったと油断して思わずついて出た自嘲じみた独り言に、誰かが声を被せる。
「そうですね。でも、それを受け入れたのも、貴方の罪を利用してのも、また天使たちではないのですか?」
「誰だっ!?」
気配も何も感じていなかったため、驚きと警戒を織り交ぜて俺は薄暗い部屋を見渡した。
すると部屋の奥の方、薄暗いを通り越して完全な闇の中からぼんやりと白い影が動く。
「立ち聞きするつもりはなかったんですが、出ていくタイミングを逸しました。言っておきますが、私の方が貴方達より先に神の霊安室にいたんですよ?」
穏やかな口調で紡がれる女の声。
そして、天使ですらほとんど入ることを許されなかったこの部屋にいたのは、翼を持たない女。
しかし、立ち姿は至って普通の人間の女だが、その穏やかな声を発しているだろう顔はその全てを黒塗りの鉄製の仮面で覆われていて表情は見えない。
仮装舞踏会でもあるまいし、ましてや何の装飾も施されていない仮面をつけているなどどうみても異様だとしか言いようがない。
だが、俺は彼女を認めても驚くことも、彼女を捕えることもしようとはしなかった。
「マルー・ドシャ、どうしてここに?」
しかして、シェルシドラとの会話だけでなく、聞かれたくなかった独り言を聞かれたのだ。
俺の声が咎めるものになり、彼女を睨みつけたことも仕方ないというものだろう。
「ご挨拶ですね。私はただ貴方のために予言を伝えに来たのですよ?だから、貴方が来るだろうこの場所で貴方を待っていた。」
仮面越しに聞こえるくぐもった声、仮面に空いた二つの穴からギョロギョロと動く深い光を湛えた瞳。
果たしてその瞳は世界の未来をも見通す。
―――そう、彼女は予言者
「えらく上からの物言いだが、それがお前の本来の役目だ。予言は告げて当然だろ?ここ最近、それを怠っていた方が異常だ。」
彼女は未来を見通すことができる存在である故に、この天近き城に住まうことを許された人間・・・いや、人間ともまた違うか。
「それは申し訳なかったと思っています。」
謝る声にはそんな様子は微塵も感じられない。
「でも、私もまさかヴィスが裏切るなんて思ってなかったんです。」
「いい訳はよせ。」
そして、続けられた言葉に元々イライラしていた心が喰いついていく。
ぐらぐら揺れる天使たちのというか、俺の危機的状況を嘲笑っているに違いないエンシッダ。
そもそもあいつがここまで俺たちの裏をかき、全てを思い通りにしているのはマルー・ドシャと同じ能力を持つヴィ・ヴィスターチャの存在が大きいだろう。
だが、それに対して俺たちの元に残った予言者であるマルーが、その力を俺たちに全く貸そうとしなかったのだ。
俺が彼女の役割を怠ったといったもの、その辺りに含みを持たせている。
「大体、彼女がエンシッダに肩入れしていることはお前も知っていたはずだ。何より未来を見通す力を持つお前がどうしてそれを予知できなかった?」
それに未来を知ることができる存在が『思っていなかった』という言葉一つで、この現状を逃れられるなど思ってもらっては困る。
何より予言の力を手に入れて、この最悪の現状を避けるために俺たちは彼女たちを身の内に入れるという、ある意味賭けに近い危険を犯したのだ。
「それは何度も言っているはずです。未来とは一瞬一瞬で揺らぐ不安定なもの。いくら私たちが未来を見通せるといってもそれは曖昧で小さなことですぐに変化するものなのです。それにあの子は人間に味方しただけではなく、私の能力を封印までしていったのです。それはやっと解除できましたが、正直、ここ最近の私の力はほとんど皆無と言ってよかった。」
―――だから、それがいい訳だというんだ
繰り返される言葉に強い負の感情が湧くが、そういう俺だっていい訳ばかりだ。
それを棚にあげて彼女だけを責めるのは些か気が咎めた。だから、話を変える。
「・・・話は分かった。なら、今は力が戻ったということなんだな?」
マルーの力が戻れば、エンシッダの率いる人間たちに簡単に出し抜かれるということもあるまい。
そして、きっと、彼女もエンシッダ達の次の手でも予言したのだろうと思っていた俺だが、かくして不気味な仮面を被った予言者は俺の思惑を大きく超えた次の一手を繰り出した。
「ええ、だから貴方に予言を告げに来たのです。エヴァンシェッド、私が以前告げた『運命の歌』を覚えていますか?」
「?ああ」
それは千年前、いや、それよりも昔、神がこの世界に降り立つ前から刻まれていたという世界の運命を告げた歌だという話。
確か・・・とその内容を思い出すより先に、静かなるマルーの歌が神の霊安室に紡がれる。
白き光より堕ちた翼は 黒き寝台で眠る
千の夜 千の朝の果て
其を白き光より 引き千切りし
黒の血が 其を永き眠りから 目覚めさす
目覚めし翼は 契約という名の楔を身に刺し
白き光に還るのだ
しかして 翼の永い旅は終わを告げ
世界の胎動が 全ての始まりを告げる
静かで穏やかなその歌はまるで目覚めることのない、だが、それでも死ぬことも許されぬ聖櫃に納められた神々たちへの子守唄のような鎮魂歌のような不思議な歌声。
千年前、白き神にマルーたち未来を見る者と引きあわされた時に聞かされたその歌。
その時はその歌の意味どころか、難しい言葉の言い回しさえ理解できなかった。
だが、その美しい調べが千年経っても胸に焼き付いている。
―――ああ、だけど初めて聞いたこの歌を歌っていたのはマルーではなく、今は『柱』となった彼女だった
「だけど、この歌には続きがあったのです。いいえ、『運命の歌』の通り世界が胎動が全ての始まりと告げたことにより続きが生まれたのです。」
千年前に思いをはせていた俺だったが、マルーの落とした爆弾に思考を止める。
「『運命』に続きが生まれた?」
「ええ。私も長きにわたり世界を見つめ続けてきましたがこんなことは初めてです。だから、ヴィスが私を裏切るまで気がつかなかった。『運命』に続きが生まれたことも、それに私よりも先に気がついたヴィスがそれを隠していたことも。」
言いきったマルーからは何の感情も読み取れない。
不気味で無機質な仮面の奥に見える爛々とした瞳に、ユラリと憎悪の揺らぎが瞬く。
その瞬間に神の霊安室の静かな空気が乱れた気がした。
「私はずっとこの歌が貴方を、白き光をその体に宿す生命の主を中心とした世界の始まりの歌だと思っていました。そして、千年前に悪魔によって遠のいた完全なる白き力の解放が、いつしか片翼が戻ることで元に戻るための歌だと。だからこそ、私たち『――』は天使に貴方に従うことに決めたのです。」
最近、戻った片翼がぴくりと震えるのを感じた。
「ですが、それは違ったのですね?私たちが知り得る未来とは所詮は断片的なものにすぎず、事実とは異なる場合が多いもの。私は先ほど貴方が白き力を完全に我がものとすることで、世界が生まれ変わり、新たなる歴史を作り出すのだと思っていましたし、実際、この千年間の東方の楽園がその新しい世界なのだと思っていました。」
―――千年前に手に入れた全ての生命を司りし白き力は、確かに世界を変えるほどの力を持っている。だが・・・
「でも、それは違いました。ここは新しい世界じゃない、千年前に死にかけた世界のまま。終焉の宣告を発動させたことで騙されていましたが、貴方は決してその白き力の全てを手中に収めているわけではないのですね。」
「騙していたわけじゃない。」
確かに白き神の力を、俺は千年前に得た。
だが、他の神とは違い白き神の力は天使という、元は人間の姿をした俺にはあまりに大きすぎる。
「ええ、分かっています。貴方は言わなかっただけで、力を持っているという虚勢を張ったにすぎません。ですが、その虚勢は貴方が終焉の宣告という絶対的な神の力を見せつけたことで全てを騙す結果となりました。そして、今、私の予言はそれを虚勢から真実へと変えることができすのです。」
―――虚勢を真実へ?
その言葉に心が揺れた。
だが、次の瞬間にはそれもまた真実に偽りを重ねるだけなのだと自分を戒める。
そうして、俺は、俺たちは罪を重ねてきたんじゃないか?
そう思えば、このままマルーの言葉に流される自分を留めることができた。
だけど、俺の耳元であの人が呟く。
『貴方は何も心配しなくていいの。』
千年前に俺に偽りと罪を犯させたあの人と目の前のマールが重なる。
そうして、マルーは新たなる偽りの歌を紡ぎ出す。
しかして 世界の胎動は 汚れた神の目覚めを促す
全ての始まりは 破滅の階段を 転がり落つ
翼の帰還
其は 始りにして終わりを 告げるもの
東方の楽園の 封印を解くもの
しかして 始まりと終わり 再生と破滅を 決めるは
目覚めし翼が 白き力に 刺したる 契約という名の楔
世界の全てを 握りし鍵
世界は楔の存在に 全てを委ね
楔は 全ての始りにして終わりなるものと 相成りなん
マルーは過去の運命の歌が俺という『白き光』が新しい世界を始めることを予言したものだと告げた。
それには完全なる白き神の力を俺のものにしなければならず、そのために悪魔に切り落とされた翼が必要だった。
翼は神との契約の証故に、片翼のままでは魔力も半減する。(まあ、白き神の魔力は大きいので半分でも十二分な力を持っていたのだが)
だから、マルーは運命の歌の続きを知る前は、その翼が戻ること=白き神の完全なる力と思い、それにより千年前に神々がいなくなった新しい世界がさらに進化を遂げるのだと思っていた。
だが、続きが始まったことにより、それは単なる始まりではなく更なる問題の発生だと彼女も気がついたのだ。
その意味は歌を聞いただけでは、まだ分からない。
だが、その言葉の意味だけを考えればどうにも楽しい話じゃなさそうだと混乱する思考の中で、どういうことか俺は確かな確信を抱いていた。
生まれた歌を聴いた瞬間に熱くなる戻った片翼と、頭の中に過る見たことのない情景。
『翼よ!私の願いを聞いてくれっ!!』
そこには泣きそうに顔を歪めた、血みどろのヒロの姿。
そして、彼は枯れた不浄の大地で舞落ちる翼の中、彼は俺にいや翼に向かって叫んでいた。
瞬間に歌の中で『落ちた翼』を貫いた『楔』はヒロだと思った。
何一つ根拠はない。だが、俺の中の翼が俺にそれを教えてくれた。
『お前とヒロは一緒にいてはいけない。』
そして、次の瞬間に何故だか罪人の巡礼地でヒロをのっとった悪魔の言葉が蘇った。
いやいや、この物語も90話まで到達!100話を目前にして、なんと近々連載を始めて1年を迎えようとしています!
これも一重に拙い作品ながらも温かい目で見守ってくださっている読者の皆様のおかげでごさいます。本当にありがとうございます!!さて、100話を迎えたあたりで何か企画でもしようかな?とただ今、色々考えている最中ですのでお楽しみに!(まあ、このペースでは2・3か月先の話になりそうですが、何かリクエストなどがありましたら遠慮くなくいってくださいませ)
さて、話の方は些か急展開を見せておりますが、次からは天使側の話なのは変わりないんですが、エヴァンシェッドから視点は変わります。さて、次は誰の視点でしょう?