第88話 鎖は解かれることはなく、ただ絡みつくのみにて 3
アオイの自己嫌悪だらけの懺悔に対してもはや言葉もない私、そして、それを神妙に聞くアラシ。
部屋の中はアオイの言葉が途切れたことにより重苦しい沈黙が落ち、しかして彼はまだ何か言い足りなさそうだったが、最後に小さく息を吐いて私に提案をした。
「俺が一方的に話すと結局、話が脱線しそうだ。それじゃあ、ティアがわざわざ俺に話し手を譲ってくれたことが無駄になるし、これからはヒロが質問したことに俺が答えるって風でどうだ?」
それに対して異議を唱える理由はない。私は言葉なく頷くと、さっそく疑問の口を開く。
何故だかこの部屋に入ってから感じている妙な違和感や視線が嫌で、私はさっさとこの部屋から出たいという気持ちがあり、そして、不思議なことにあれほど傷んだ体が驚くほど回復しているのを感じ、それがもしかすると自分の中に芽生えた、いや、本当は元々あったのに気がつかなかった悪魔の存在のせいかと思うと気分が更に滅入って話をさっさと進めたかった。
「では、まず最初の質問だ。今までの話を整理すると血に含まれた生命力を魔力に変換するには神との契約が必要になるとお前は言った。だが、黒き神のことはとりあえず置いておいて、この世界にはもはや白き神しか存在しないはずだ。だが、神の子たちが使う魔力は黄色。彼らは誰と契約したっていうんだ?」
答えは半分は分かっている。
目の前で箱に納まる黄色の神は神の子たちと繋がっている。
普通に考えて神の子たちが契約を交わしたのは、十中八九この女神であろう。
だが、この神は一体いつから箱の中にいる?そもそも彼女は生きているのか?神が死んでいても契約とはなされるものなのか?
その事実一つとっても様々な憶測が私の中に脳裏を過った。
「もちろん、彼らが繋がっているこの黄色の神ディアルナだよ。彼女は聖櫃の中で生き続けている。神は決して白き神だけじゃない、彼女を始め何人かの神は未だに世界に生き続けているんだよ。神の消滅はすなわち契約の消滅、神との契約の破棄になるからね。そんなこと神を殺した彼らも望んではいなかった。」
白き神以外の神が生きている事実は信じられない思いがする。
だが、魔力の成り立ちを考えれば、今も多くの魔力の存在からそれを理解することはできた。それにしても、
―――神を殺した『彼ら』?
神を殺したのは黒き神。
それを複数形で現すのは黒の一族を含めているということか?だが、それならば魔力の消滅は神を殺さない理由にはならないよな?(黒き神がいれば一族は魔力を使えるのだし、神自身は自分がいれば魔力は使えるはずだ)
不意にわいた疑問であったが、アオイの続く話に私の疑問は一瞬で消えた。
「まあ、聖櫃の話は後で詳しくするとして、確かにこの中に入れられれば彼女に意識はない。生きながらに死んでいるようなものだ。そして、神の子たちが契約したのは彼女が聖櫃に納まってから。でも、契約はそれでも交わすことができる。何故なら、契約は神が行うものではなく世界の理によってなされるものだからだ。」
―――世界の理
そういえば、この部屋に入ってから何度も耳にしたそれ。
アオイが重々しく口にするその実を私は深くは知らない。
「古の過去にこの世界に平和と命を与えたのは白と黒の二神であり、彼らこそこの世界の支配者と言っていい。だけど、それ以前に混沌と虚無に満たされていた名もなき世界の原型をつくった存在がいた。その存在が定めたのが『世界の理』。神でさえも覆すことができない絶対の法だ。」
あまりの大きな話にどうにも現実味がない話。
「契約はその世界の理によって成り立ち、魔力を差し出した者が世界の理の管理者・3人の古の魔女たちにその願いを申し出ることで交わされる。だから、契約を結ばされた方は魔力を問答無用で受け取り、同時に契約は無事に成立ということになるんだ。」
「おいおい、どんな悪徳商法だよ。」
しかして、思わずついた言葉にアオイが苦笑する。(でも、相手の意思を無視した契約なんて・・・誰だってそう思うだろ?)
「そうは言われても、世界がそう決めているんだ。俺にはどうにもできないよ。さて、これで最初の問いには答えることができたかな?」
契約については些か納得がいくところではないが、とりあえず問いには答えてもらったので私は小さく頷く。
「じゃあ、次の問いは聖櫃のことかな?」
そして、それも正しいので同じく頷く。
思い出されるのは数分前のティアの言葉。
『彼らは魔力を得るための『契約』を交わした。でもね、その対価を人間が支払おうとすれば本来、人間の寿命は全て尽きてしまうの。』
契約は血に含まれる生命力を対価に使う。
しかし、魔力を使うために神と契約をするには人間が持つ全ての生命力が必要になるという。
それでは契約を交わした瞬間に人間は死に、ことは正に本末転倒。だから、
「人間に無限の魔力を与えるためには神の血を与るしかない。だが、それをすれば人間の体はその大きさに壊れる。だが、アオイ、お前は聖櫃を使いそれを可能にしたんだろ?それは一体、どいうことだ?」
自分で自分の頭を整理しながら問いを口にする。
この中で知った情報はもはや私の許容範囲を超えていて、一つ一つ確認しないと混乱しそうだった。
「聖櫃とは、何もかもが一つになる箱。」
――― 一つになる
「君は贖罪の街で聖櫃を見ているだろう?あれを使ってどうして白き神の御許だけが楽園を保つこと出来るか、その理由は知っているかい?」
人間の命を犠牲にして成り立っていた天使の領域。
想い返すだけで吐き気がするような事実とむせかえる血の匂いに眉を顰めながら私は答える。
「いいや。」
詳しい理由まではアラシも贖罪の街の住人たちも知らなかった。
「聖櫃とは中に入った者の魔力・生命力を搾り取り、それを繋がった全てのものに分け与えることができる箱。人から神、人から大地、天使と神・・・きっと悪魔と天使だってそれは可能だろう。だから、聖櫃を通して天使たちは人から血の中の魔力として都に送り、そしてあそこだけ楽園を築くことができた訳だ。」
「さっきの神の血の話では違う生物同士の交わりは世界の理に反するということだったが、魔力にそれは関係ないのか?」
神すらも超越するという世界の理を無視することなんてできるんだろうか?
「もちろん、通常は不可能だよ。だけど、千年前、それを覆す存在が契約によって発明されたそれが聖櫃なんだ。聖櫃とは世界の理によって許された世界の歪み。そして、それを利用したのが俺の罪。」
―――やりたい放題だなぁ、本当
それはアオイへの言葉じゃなく、世界の法だとして神すらも覆すことができないことが契約を介せば、いとも簡単に成立してしまうことに対しての感想。
その不条理さというか、どうにも釈然としない説明にそんな感情が湧いた。
「ただね、契約は完全ではない。世界の理を曲げるほどの契約、これを発明した人物の命を賭しても決定的な欠陥を残すこととなった。」
「欠陥?」
「そう。魔力を供給するという意味ではこの発明は画期的といっていい。だが、この中に入ったが最後、その人物は死ぬまで魔力を全て吸い取られるまで出ることは不可能。そして、この聖櫃によって繋がれた命は全てこの聖櫃の中の命に集約されることとなる。すなわち、神の子たちの命は黄色の神の命となり、贖罪の街の聖櫃が常に人間の血で満たされていたのも、それが理由だったのさ。入った人間が死んで、すぐに新たな生贄を入れなければ天使の領域は滅ぶ。だから、天使は人間を絶やすことを絶対にしない。」
―――聖櫃に集約された命、それはすなわち個でなく一つになった箱に納められた神の子たちの命
ああ、彼らは皆一つなんだとアオイの言葉を聞いて直観的に理解した。
そして、その言葉を理解した瞬間に急にこの部屋にいることが怖くなり、私は聖櫃の中の黄色の神を見上げた。
閉じられた瞳、唇、動くとのない表情が僅かに笑みを描いたような気がして、そして、誰かが私の頭の中で何かが蠢く。
「人間が神になったんじゃない。神が人間の命を自分のしたのか・・・」
出ることの叶わない箱、だが、その中にいるだけで神は多くの人間たちの命をその手に収めた。
神の力と寿命を手に入れた人間と人間たちの命を握った神。
それはどっちが幸せ?どっちが不幸?
「気持ち悪い。」
そして、気がつけば呟いていた。
「ヒロ?」
「どうして、繋がらなければならない?」
―――ヒトツニナロウ
頭の中で蠢く誰かが呟く。
「どうして、誰かのものにならないといけないんだ?」
―――アナタハボクノモノ、ズットズットイッショダヨ
しかして、私は蠢く何かを振り払うように頭を振る。
突如として自分でない誰かの思考が私の邪魔をする。
そう、これはあの灰色の花園で感じたそれ。その正体も私は知った。
これは私じゃない、悪魔の名残。
だから、私には関係のない。だから、私はそれを振り切らなければならない。
私は私の考えで私の人生を生きたいから、私の言葉を口にしたいから。
―――私は誰かと一つになどなりたくないっ!
そして、強い思いで自分を取り戻す。
神の子と私が同じ原理で魔力を用いているというならば、私は誰かと命を繋いでいるということ。
そんな事実、信じたくない。
何故だかわからないが、そのことに私は強烈な拒否感を抱いた。
だから、逃げだと分かっていても私は独り言に似た問いを無理やりなかったことにすると、別の疑問を口にする。
そうすることで自分が保たれるような気がした。
そして、その逃げるようについて出た言葉が思わぬ波紋を呼ぶとも知らず。
「お前は天使が神の子と同じだといったよな?」
アオイもアラシもそんな私の態度を不思議そうだったが、私の有無を言わせない物言いにアオイは問いに再び答えてくれる。
「ああ、気がついたかい?そう、天使も元は人間なのさ。」
何でもないことのように告げたアオイだったが、それはアラシも知らなかったらしく目を丸くしていた。
私だって自分で疑問を振っといて何だが、正直こう返されると思ってなくて驚いた。(せいぜい、天使という生き物が神の子と同じ原理で魔力を使っているくらいにしか思ってなかった)
―――天使が人間?
「あれ?そこまでは気がついてなかった?」
アラシと同じように目を丸くしているんだろう私に対して、アオイがこの部屋に入って初めてあの少女のような可憐な笑みを浮かべる。
「天使はこの神の子たちと同じ条件で魔力を持ち、永遠の命を得た人間なんだよ。ただ、一つ違うのは天使は神々によって無理やり彼らの所有物になったということ。」
「所有物?」
思わず聞き返す私。(アラシはもはや口を開けて、言葉もない)
話は私の想像していない方向へ向かおうとしていた。
「そうさ。天使は神の僕だっていうだろ?それはそのままだったのさ、天使とは神の僕にされた人間たちの名称。」
天使の実態を知るまで『天使』という名称にに神々しいイメージすら私は持っていたというのに、それが奴隷と同義語だと?
「そして、ここまで聞けば君も捻じ曲げられた千年前の事実を何となく察しているだろ?」
神の奴隷だったという天使
白き神以外が存在しないとされた天使の支配する世界
そして、先ほどアオイが告げた神を殺した者たちが神を魔力のために生かしているという話
「まさ・か・・天使が?」
「そう、千年前、神を殺したのは天使たち。人間の反乱に乗じ、彼らは神から自由を得るために神を殺したんだ。」
驚きに思考が停止した。
天使が人間で、天使が神を殺して・・・、全ては私には関係のない話かもしれないが、誰だって何の心の準備もなしに自分の中にある当たり前のことを覆されては思考も停止する。
だが、その停止した思考の隅っこで私は思った。
―――アオイはどうして千年前のことをこれほどよく知っているんだろう?
全てを知っていそうなエンシッダにでも聞いたのかもしれないという憶測もあったが、何故だかそれは違うなと私は直観的に思った。
かくして疑問に対するアオイの問いは、更に私の中に疑問と驚愕の嵐を巻き起こしたのである。
エヴァとエヴァンシェッドや、ユイアと黒の剣の間の契約もここで説明している『契約』です。まあ、世界の理とか深まる謎はともかくとして、ここまでで色々新しい事実が分かってきたのではないかと思います。
さて、その事実の一つ天使が人間だったという話が分かったところで、次からは天使側に視点が移る予定です。ただ、一区切りついたのでしばらくは加筆修正の方に力を注ぎたいと思います。次は6月に入ってからの更新の予定です。