第9話 あの約束を覚えていますか? 1
<SIDE エヴァ>
―――約束をしてくれ
貴方はそう言って笑っているはずなのにとても悲しそうな顔をしたね。
―――私が逃げろと言ったら必ず逃げると・・・、決して私を助けるために自分を犠牲にするようなことだけはしてくれるな
優しい貴方らしい言葉だと思ったけど、そう約束をかわしながらも貴方の目に決して僕が映っていないことを僕は知っていた。
貴方の中に僕じゃない大切な誰かがいることを僕は知っている。
でも、それでも僕はいいんだ。
代わりに僕は貴方と約束を交わしたんだから・・・
―――ねえ、僕との約束を覚えているよね?ヒロちゃん
【あの約束を覚えていますか?】
「―――う」
意識が浮上する感覚と同時に背中に痛みを感じて僕は呻いた。
―――あれ、僕どうしたんだっけ?
どうして背中が痛いのかも分からなくて、ただ頭がぐるぐる回って少しの間自分がどんな状況にいるのか把握できなかったけど、すぐに僕を殺そうとする天使の大鎌の映像が頭の中でフラッシュバックして、僕は飛び起きてとりあえず自分の首と体が繋がっているか確認した。
そして、自分がどうやら生きているらしいことを確かめたところで、僕はやっと辺りを見回す余裕ができる。
あたりは人気のない寂れた建物がポツリポツリとある町外れのようだけど、ヒロちゃんもあのエンリッヒとか言う天使も見当たらない。
それを見てヒロちゃんの思惑通り、僕はちゃんとあの場から逃げ出すことに成功したことが分かる。
―――ヒロちゃんは無事かな?
あんなに切羽詰ったヒロちゃんを今まで見たことがなかったし、何より相手は天使なんだ。
ヒロちゃんは無事だと信じる気持ちはあるけど、だからって彼を心配する自分を止めることなんかできない。
―――もし、ヒロちゃんに何かあったら僕は・・・
そう思うと涙が溢れそうになる。
でも、逃げ出した僕にはここでヒロちゃんの無事を祈ることしかできないし、あそこにいたところで僕に何かができたとも思えない。
それに『逃げろ』と言われたら何であろうと必ず逃げなきゃいけない約束を僕はヒロちゃんと交わしているし、泣いたところでヒロちゃんのピンチが変わるわけでもない。
だから、僕は涙を流すまいと顔を振り、そして、横に誰かいるのに気が付いた。
そこには涙に顔を濡らしたまま気を失っている女・ハクアリティスがいた。
―――この女のせいで・・・
思わず僕は心の中で毒づく。
本人に自覚はないかもしれないけど、ヒロちゃんは綺麗な人や女子供にに弱い。
だから、こんな見ず知らずの女をほいほいと助けちゃうけちゃうんだ。
まあ、弱い者を放っておけないそんな所がヒロちゃんの良いところで、そんなヒロちゃんだから僕も大好きなんだけど。
でも、だからって女を一人逃がすために、天使を敵にしようなんて子供の僕から見たって馬鹿としか言いようがないよ。
「これで本当に死んじゃってたら、ただのバカなんだから。絶対に約束は守ってよね、ヒロちゃん・・・」
そして、僕は全ての不安に蓋をして精一杯の強がりを言って、僕は右手の人差し指にしている血に濡れている足跡の指輪を見て、これを貰った時のことを思い出す。
「ほれ、受け取れ。」
3年くらい前、ヒロちゃんが無造作に投げたものを受け取って、僕が手を開いてみるとそれは古ぼけた指輪だった。
「うわっ!もしかしてプロポーズ?」
そんなことがある訳はないと分かっているけど、冗談で左手の薬指に嵌めようとしして殴られる。
「馬鹿者。そんな訳あるか。」
「いったぁ!」
ヒロちゃんはしゃべり方同様性格も堅いから、時々冗談が通じないときがある。
そんな時のヒロちゃんの一撃は、しょちゅう僕を叩くときのそれより五倍くら痛いんだ。
ヒロちゃんが当然の制裁だというばかりに鼻息を荒くして、僕がそれを恨みがましい目で見上げる。
でも、この頃の僕はそうやってヒロちゃんに怒られることで自己認識をしていたのかもしれない。(言っとくけど、マゾじゃないよ?)
何しろヒロちゃんと出会ったばかりだったこの頃は、彼と会う前のことは何一つ記憶がなかった僕には自我というものが酷く不安定な時期だった。(『エヴァ』という名前もヒロちゃんがつけてくれた名前なんだ)
僕の覚えている初めての記憶は、僕に剣を突きつけて怖い顔をしていたヒロちゃんの顔。
ちなみにヒロちゃんと出会って3年くらい経つけど、記憶は未だに何も思い出せていない。
ヒロちゃんは僕に剣を突きつけてたし、僕が記憶を失う前のことを知っているんじゃないかと思うんだけど、
「自分で思い出さないと、意味がないだろう。」
と言って何一つ教えてくれようとはしない。
そんなこと言われても、当たり前だけど僕は納得できない。
でも、僕が記憶のことを聞くとロちゃんが困ったような顔をするから、いつしか僕からはその話をしなくなった。
まあ、記憶がなくて困ることは何にもないし、それよりもヒロちゃんが困ることはしたくなかった。
記憶がなくなった雛鳥みたいな僕とって、ヒロちゃんは親鳥みたいなもので何よりも大切で大好きなたった一人の人。
―――だから、もしかしたらこんな事を思う僕は異常なのかもしれないけど、思い出せない記憶より僕にはヒロちゃんさえいればそれでいいと・・・そう、思えたんだ
で話は元に戻るけど、僕は頭を抱えながら改めて渡された指輪をしげしげと眺めた。
確かにエンゲージリングにしては、その指輪は酷くぼろい。
所々赤黒い汚れが目立つ銀の太めな指輪で、中心には片足をデフォルメした足跡が黒色で刻印されていて、まるでおもちゃの指輪みたいだ。
そして、僕から何も言わないと、ヒロちゃんが指輪について説明し始めた。
「それは我が一族に伝わる『足跡の指輪』。驚け。なんと、こいつは使用者が今まで行ったことのある場所なら、願えば何処でもワープできるという素敵アイテだ。」
『驚け』って、『素敵アイテム』って・・・、微妙にヒロちゃんのキャラとは違う物言いと、突拍子もない指輪の説明に僕は吹き出した。
「あははっ!うそぉ!」
だけど、すぐにヒロちゃんに睨みつけられて、僕の笑顔は引っ込む。(もう一度、殴られるのはゴメンだもん)
「嘘じゃない。」
「絶対嘘だよ。ありえないって!」
でも、殴られるのが怖いからって信じられないもんは信じられない。
そして、頑固に反論する僕にいつものようにヒロちゃんがため息交じりに折れてくれる。
「・・・まあ、信じられないのも当然か。じゃあ、私が今ここで実践してやるから、よく見ておけよ。」
それに頷いては見るけど、ワープなんてそんな魔法みたいなことできるわけがない。
指輪を返しながら僕はかなり胡散臭そうな顔でヒロちゃんを見ていたんだろう。
ヒロちゃんはちょっとだけむっとした顔をしたまま、僕の思いもしなかった行動に出る。
「ヒロちゃん?」
なんとナイフを取り出すと掌を少しだけ切って、溢れてきた血を指輪に垂らしたんだ。
「誘え、足跡の指輪。」
そして、ヒロちゃんが小さく呟く声が聞えた次の瞬間に、本当に僕の目の前から影も形も消えてしまった。
「・・・ヒロちゃん?」
一瞬手品か悪戯かと思って、荒地をせわしなく見回すがヒロちゃんは何処にもいない。
「う、嘘?・・・どこ?」
まさか本当にいなくなるなんて思っても見なかった僕は急に怖くなった。
走り回って探してみてもヒロちゃんは何処にもいない。
指輪のことなど僕の頭にはもうなくて、ただヒロちゃんを求めて僕は探し続けた。
「ヒロちゃん!ヒロちゃん!」
僕はもう泣き出して半狂乱で探し回った。
「エヴァ?!」
それからどれくらい経ったか分からないけど、ヒロちゃんが肩で息をしながら僕を呼ぶ。
「う〜っ。ヒロちゃぁん!」
僕は安心したやら気が抜けたやらで恥ずかしながら、大泣きしてヒロちゃんに抱きついてしまった。
「エヴァ、どうして動いたんだ?元の場所に戻っても、いないから探し回ったじゃないか。しかも泣き声聞えてくるし。」
「ばかぁっ!」
抱きついて離れようとしない僕に、ヒロちゃんは目を白黒させて驚いている。
僕は急に一人されて不安になったなんて恥ずかしくていえなくて、ただ泣くことしたできない。
そんな僕に途方にくれながらも、それでもヒロちゃんは僕の好きなようにさせてくれる。
ぽんぽんと肩を叩かれれば、一人じゃないと思えて安心できた。
そして、僕が泣き止むとヒロちゃんはものすごい自慢げに言った。
「ほら、ちゃんと私が消えたのを見たろ?あれがワープだ。」
僕のほうはすっかり忘れてたのに、未だに拘っている様子のヒロちゃんが面白くて僕は思わず笑ってしまった。
そう、僕があの場から忽然と消えたのにはこんな種があったわけで、その証拠に指輪には僕の手を握ったときについたヒロちゃんの血がついている。
ヒロちゃん本人もどういう原理で足跡の指輪がワープを発動させているのか理解していないらしいが、そのためには誰でもというわけではなくてヒロちゃんの一族の血が必要らしいことだけは分かっていた。
だから、血のついた手で僕の手を握ったのだって、本当は僕を安心させるためなんかじゃなくて、こうして僕が足跡の指輪で逃げれるようにするためだったんだ。
「それにしても、ここはどこ?」
僕の手を握ったとき、小さくヒロちゃんは呟いた。
『サビラ街で合流する。』
足跡の指輪は使用者が行った事のある場所にしかワープできない。
だから、僕が行ったことがあって、あそこから場所的に近いサビラ街をヒロちゃんは指定したし、僕はヒロちゃんに教えてもらった言霊を呟いて、サビラ街のことばかりを考えていたつもりなんだけど・・・
「サビラ街じゃないし。」
記憶にあるサビラ街は小さな街だったけど、目の前にある街は僕が今まで見た街の中で一番大きい。
不浄の大地にある街は、だいたいどれもが小さな街ばかりで自給自足で何とか生きているだけなのに、この街は広大で街自体も発展している様子が外からも窺えたし、街の向こうには白壁の大きな影も見えた。
「・・・どこ?」
何一つ見覚えのあるものがなくて僕は途方に暮れる。
ヒロちゃんに言われたとおりにサビラ街のことばかり考えたつもりだったけど、何か違ったのかな?
何回か足跡の指輪を使うことがあったけど、一度も失敗をしたことなかったのに。
そして、どうしようと一人で頭を抱えた瞬間、背中にぞくりと冷たいものを感じ、僕の耳元に誰かが囁きかけた。
―――おかえり
はっとして振り返った先には誰もおらず辺りを見回してみると、ぐにゃりと視界が歪んで頭に頭痛が走った。
そして、同時に頭の中に様々な映像が映し出された。
その映し出されるスピードが速すぎてそれが何なのか僕には理解できない。
だけど、頭痛が治まって視界も元も戻った後にもう一度見覚えがない街を見たとき、僕にはそれがとても懐かしく感じられた。
―――僕はここに来たことがある?
疑問形で自分に問いかけてみたけれど、それは僕の中では確信に近い問いかけだった。
そして、そう思った瞬間に自分が自分でなくなるような気がして怖くなる。
「ヒロちゃん・・・」
―――ヒロちゃんにはやく会わなくちゃ、ヒロちゃんに会えさえすれば、こんな怖さはすぐになくなるに決まってる
とりあえずここがどこか確認してサビラ街に行かなくてはならない。
僕は不安になる自分を叱咤して勢いよく立ち上がる。
そして、嫌だったけどヒロちゃんにも任されているからハクアリティスを起こす。(本当ならもうここにほかっておきたいところだけど)
「・・・ねえ。おきてよ。」
彼女の肩をゆすると、苦悶の表情を浮かべてハクアリティスが暴れした。
「いやっ!私は帰らない!!!もう私のことは放っておいてよ!!!」
「ちょ・・・、確りしてよ!」
いい加減に目を覚ましてくれと、僕はハクアリティスを叩いた。
「っ!わ・・・たし・・・。」
とハクアリティスは正気に戻ってくれたらしい。
「・・・ったく。面倒かけないでよね。」
僕は大げさにため息をついた。
状況を把握しきれていないハクアリティスは呆然と僕を見上げている。
でも、説明するのも面倒だったから、何も言わずにハクアリティスをまず立たせた。
「行くよ。」
「・・・行くって、ヒロは?」
ヒロちゃんの名を呼ぶハクアリティスを僕は睨まずにいられなかった。
僕の視線にハクアリティスが怯えたような表情をする。
「ヒロちゃんはあんたを助けるために天使のいるあの場所に残った。僕たちはヒロちゃんのおかげで、ここまで逃げれた。ちなみにここがどこかは分からないけど。」
ハクアリティスが僕の言葉に蒼白になる。
せいぜい罪の意識を深くするがいいんだ。
考えたくないことだけどヒロちゃんに何かあったらりしたら、この女を僕はどうにかしてしまいそうだ。
「ここ・・・」
しかし、そんな風に僕が物騒なことを考えていると、蒼白になりながらもハクアリティスが見覚えがあるのか街を見回している。
「ハクアリティス。ここがどこか知ってるのか?」
「・・・・ここは、懺悔の街よ。」
「懺悔の街?」
やっぱり街に聞き覚えはないけど、どうしてか名前のつけられないような感情が胸を過る。
もしかして、記憶を失う前に僕はここに来たことがあった?
だから、何かの拍子にここにワープしてしまったの?
不思議に思ったけど、それより今はハクアリティスが更に蒼白なる様子にただならぬものを感じた。
「ちょっと・・・、どうしたんだよ?」
ハクアリティスは唇を震えさせながら口を開く。
「ここは・・・、天使の領域が支配しているのアーシアンの街。アーシアンが自分の罪を懺悔するための街・・・なの。」
そして、街の向こう側に見える白壁を震えをそのままに指差した。
「・・・そ・して、あれが天使の領域よ!折角、逃げ出してきたのにまた振り出しなのっ!?」
―――あれが天使の領域?
「もういやっ!どうしてよ!!」
ハクアリティスは、一人で何かを叫んでいるが僕は無視した。
色々なことが急に襲ってきて、もはや僕の許容量をゆうに超えている。
ただそんな動きの鈍くなった思考でぼんやりと、天使の領域は確かサビラ街からかなり離れているはずだとか、歩いて一ヶ月はかかる距離だったとか考える。
もう、何も考えてたくなくて僕はただひたすらにヒロちゃんの元へ戻ることだけを願った。
加筆・修正 08.5.10