閑話 何一つ持たない者
昔物語で神の子を宿した人間が天使に受胎告知を受けたというのはよくある話かもしれない。
でも、美しい天使様どころか髪の毛ボッサボッサの無精ひげを生やした見るからに汚らしい男に、
『お前の腹の子は悪魔だぞぉ。』
なんて、言われることは昔話でもありえない。
【何一つ持たない者】
私の名はササラ。
ほそっこい体に疲れた表情をした何処にでもいるごく一般的なアーシアンの女。(あ、でも腕っ節には少しばかり自信があるかも?そこいらの男ぐらいなら、束になってかかってきても伸してやる実力はある)
だけど、ちょっと他のアーシアンと違うところがあるとすれば、それは私の愛しい旦那様がそれに当てはまるかもしれない―――て、ちょっと、何よ?そのあからさまに嫌そうな顔っ!私が貴方の事を愛しているっていって何が悪いわけ??
・・・と、失礼。横にいるその旦那が(もう様なんてつけてやるもんか)、変なちょっかいをかけてきたもので、オホホホ。
ともかく、話を元に戻すとうちの旦那はちょっとごく一般的なアーシアンとは違うの。
旦那は流離人とかいう、この死の世界ともいえる不浄の大地を旅している、何とも物好きな一族の血をひいていて生まれた時からどこか一所に定住をした経験がないという変わり者。
正直、旦那に会うまでは生まれた町から出ることなんて考えたことがなかった私は(これはごく一般的なアーシアンの感覚)、旦那と一緒に旅をしているのが普通となった今となっては何も感じないけど、初めて彼と会ったときはもんのすごい驚いたものだ。
でも、旦那は流離人という以外は至って普通の人間で、意外なことに体を動かすよりは本を読んでいることが好きという不浄の大地を旅しているという割には非常に軟弱で、私より全然弱く、今までどうやって生きてきたか不思議なくらい。(あ、でも、逃げ脚だけは異常に速い)
最近は私が鍛えてあげているから体つきも大分良くなってきたけど、以前は本当にもやしみたいに白くて細かった―――何よ、本当のことでしょ?
そして、その旦那との間にできたのが我が息子・ヒロ。現在、満7歳。
今、私と旦那の間でぶらぶらと手にぶら下がってご機嫌な彼は、まあ、誰が見ても旦那の子だと一目でわかるくらい彼に似ている。
でも、旦那にはない子供特有の愛らしさや私に向けてくれる笑顔は本当に目に入れても痛くないほど可愛らしくて、私は気がつくといつも息子を思いっきり抱きしめて彼を窒息させかけたことも数回。(愛しさが溢れて力加減ができなくなっちゃうのよねぇ)
おかげで最近はめっきり旦那のほうにヒロは懐いてしまい、私にくっついてこないのが最近の悩み。
―――だけど、そんなものは彼が生まれてくる前の悩みに比べれば本当に小さなものだ
不意によぎった思いに、ヒロの手を握る手に力がこもる。
「おかーさん?」
それに気がついたヒロは舌っ足らずの甘い声で私を呼ぶ。
円らな黒々とした瞳には一点の曇りもない。私は思わず無防備に私を見上げる息子を抱きしめた。
「ぎゃぁーっ!」(ごきごきと骨の鳴る音が聞こえたようなきがしたけど、錯覚よね?)
「ば・・・、サララ、やめろ!ヒロが窒息する!!!」
そして、必要以上に喚く男どもの声は無視して、私はだた自分の中に一瞬去来した不安をぬぐい去るように、ヒロの柔らかい体を自分の体から少しでも離さないように抱きしめた。
―――この子は私の大事な子供よっ
そんな言葉にならない叫びを、心の中だけで大声で叫びながら。
旦那がいて、子供がいて、何の当てもない旅を続けて、・・・苦しいこともあるけれど本当に幸せだと胸を張って言える毎日の中、私のたった一つの不安。
それはヒロがまだ私のお腹にいた頃のこと。
臨月が近くなって、さすがの私たちも旅を続けることが困難だったから旦那の研究がてら(旦那は放浪を続けながら、過去の人間の文明を調べることを私と出会う前から趣味にしている)、とある亡国の廃墟を訪れた。
そして、名の忘れられたそのかつての文明の名残のある建物の中、私と旦那は不思議な空間に迷い込んだの。
それは建物の中なのに、どうしてか外にいるようなぽっかり開いた空間。何もかもが灰色に彩られた、くすんだ世界。
そして、何も誰も存在していないように見えたその空間に突如として現われたひどくガラの悪い汚らしい男。
彼は名乗りも、挨拶もなしに出し抜けに私たちに告げたのだ。
『お前の腹の子は悪魔だぞぉ。だから、俺に渡せぇ。』
意味が分からなかった。
しかして、言われた言葉の意味を理解した瞬間に、頭に血が上った私はその男をグーでぶん殴った。
『サ・・・ササラッ』
温厚・実直が服を着た様な旦那は、そんないきなりの私の暴挙に腹の大きい私への心配と戸惑いの滲んだ声を上げる。
だけど、そんなこと今は気にしている余裕は私にはない。
出会ってすぐの男だが、こんな明らかに異常な状態で異常な事をいうような男だ。
直感的に、私はこの男が危険だと感じていた。
だけれど、旦那をはじめ大抵の男なら一撃でノックアウトしてしまう私のパンチがは、その男には全く通じている気配がない。
むしろ、殴られたまま私と視線を合わせて、男はニヤリと面白そうに笑ったくらいだ。
その顔をみて私はぎくりと心臓がはねるのを感じ、すぐさま男から離れた。
『気のつえ―女は嫌いじゃねぇ。だが、理由も聞かずに人を殴るなんて、ちょっとひどかねえか?』
私が殴った方の頬をさすりながら、どこか笑いの含んだ喋り方が気持ち悪かった。
『いきなり人の子を悪魔という方が、よほどひどいと思うけど?この子は私の子よ!!誰にも渡さないわ!!!!』
大きな腹を抱えて私は叫んだ。
どうしてこんなに自分が興奮しているか分からない。
ただ、怖かった。
いきなり現われたこの男に何か月も私の中にいる赤ちゃんを取られてしまうんじゃないかという、ありえない想像がよぎった。
『言ったろ?そいつは悪魔だ。元々は俺様の下僕。俺は俺のものを返してくれと言っているだけだぁ。』
『あく・・・ま?』
旦那の掠れた声に私は一喝する。
『あなたっ!!』
妙に確信めいた男の言葉に旦那がたじろぐのが許せなった。男の言葉に怒りを覚えるならともかく、その言葉に気持ちが揺らぐなんて信じられなかった。
だから、今度は旦那をぶん殴った。男と違って旦那は思いっきり吹っ飛ぶ。
『悪魔だから、なんだっていうのよ!!たとえ、悪魔だってこの子は私とあなたの子よ!?』
『す・・・すまん。』
『すまんじゃないわっ!』
妊婦の私に呆気なくやられた旦那は、呆然と私を見上げている。死ぬほど情けないと思った。
しかして、そんな私たちを黙ってみてた男は腹を抱えて笑いだす。
『おもしれー夫婦だなぁ。まあ、いい。どうせ腹からでてこなきゃ、俺もその悪魔をどうこうできるわけじゃねえ。今日は挨拶に来ただけだぁ。だが、覚えておけ?その悪魔はいずれ俺様のもとに必ず下る運命だ。千年前と同じようになぁ。』
『千年前?』
尻もちをついたままに呆然としていた旦那が、その言葉に反応した。
『おうよ。そいつは千年前に万象の天使の翼を切り落とした伝説の悪魔ヴォルツィッタの生まれ変わり。この世界で異端とされた魔力を持つ最悪の悪魔だぁ。』
『?』
そして、何を言っているかさっぱり意味は不明だったが、言いたいことは全部言ったのか男は高笑いを残したままに直後に灰色に溶け込むように、まるでそれまでのことが幻だったかのように忽然と消えた。
瞬間に灰色だった空間も消え、後には私たちと廃墟だけが取り残された。
「――ぁーさんっ!ぎぶ・・・ギブだって!!!」
しかして、過去の回想に浸っていた私は息子の悲鳴のような叫びで我に帰った。
「あ・・・ごめん。」
「ごめんじゃないだろっ!息子を殺す気かよぉ!?」
顔を真っ赤にして、涙目になっている様子を見れば本気で苦しかったらしいことがわかる。
「あははっ、あんたが可愛いからつい力がはいちゃって・・」
「だからって、限度つーもんがあるだろ!」
へへと笑うと、倍くらいの勢いで文句が返ってくる。(まあ、子供の怒鳴り声など可愛らしいものだけど)
「まあ、ヒロ。いつものことだろ?」
そして、フォローになっているようで、全くフォローになっていない旦那の言葉。
姿かたちは旦那そっくりなのに、そんなのらりくらりとした旦那に対して怒りを露わにしている息子はどっちかというと私に似ている。
そうして、私はあれから7年もたっているのに全く変わった様子もない旦那を見て、再び過去の記憶が蘇るのを感じた。
『ササラ、体は大丈夫か?』
男が消えて力が抜けた私に旦那は気遣わしげな様子を見せる。
『・・・大丈夫じゃないっ!』
訳が分からなかった。
ものの数分。いや数十秒くらいの出来事に、これほど自分が動揺しているのが嫌だった。
それに、そんな自分に対してあんなことがあった後なのに、いやに冷静な旦那も気に入らない。
こいつは本当に私たちの子供のことをどう思っているんだと、そんな苛立たしい気持ちのままに私は声を荒らげた。
だけど、旦那はそんな私と一緒には興奮しないで、そっと肩を優しく優しく抱いて私を落ち着かせようとしてくれる。
『すまない。君一人に頑張らせてしまったな。私は君の夫失格だ。』
『・・・っふ』
どうせ、どんなに彼が情けなくても、興奮のあまり涙が止まらなくても私は旦那を拒めないのだ。
だって、こんな優しげで、愛おしい声を拒否できるはずがないでしょ?
『でも、君に殴られてよかったよ。おかげで目が覚めた。いきなり、この子が悪魔だなんて言われて私も驚いたんだなぁ。』
そういって、どこか笑い声を滲ませながら、私がずっと守るようにしてお腹を抱えいた腕にそっと旦那が手を添える。
『そうだよな?たとえ悪魔だろうが、この子が私たちの子供であることには変わりはない。大事な大事な私たちの子供だ。私たちが守ってやらないといけないんだよな?それなのに、私は本当に情けない・・・ごめんな。許してくれるか?』
『ばかっ・・・』
夫の言葉に涙がさらに増える。私はそれを気がつかれないように旦那の胸に顔を埋めた。
そう、この子が、ヒロが悪魔だろうが、悪魔じゃなかろうが私たちがヒロの親であるということに変わりはない。
この子が愛しい愛しい我が子である事実は消えないのよ。
現実に帰ってきた私は、私に向って頬を膨らます息子をそう思いながら見下ろす。
そして、そもそもこんなに愛らしい悪魔がいるわけがないじゃない―――そう自分に言い聞かせて、無理矢理に自分を納得させる。
ヒロが悪魔だという、何の根拠もない思い出すだけで胃がムカムカするような男の言葉。
何度あれを夢か幻にしてしまおうと思ったことか・・・でも、何もないことにするにしては、あの男の存在は私たちにとってあまりに強烈なだった。
だから、私たちはあの男の言った僅かな手がかりを元に、悪魔という存在やあの男について調べることにしたのだ。
もちろん、それは男のことを知りたいわけじゃなくて、次に男が現れてヒロを攫おうとしたときの対処法を考えるためだ。(まあ、学のない私にはさっぱり分からないことなのでその辺りは旦那にまかせっきりだけど)
だけど、それを調べていることはヒロに教えていないし、ヒロには悪魔や男にまつわることには何一つ関わってほしくなくて、何もかも内緒にしてる。
そして、そんな努力が功を奏したかはわからないけどヒロが生まれて7年が経つけれど、あの男が再び現れる気配はない。
だけど、時々こうやってふいに思い出してしまうの。
振り返れば、男がヒロを連れて行ってしまいそうな気がして怖くて怖くて仕方がない瞬間がある。
だから、こうして時々ヒロがいることを私は体全体で確かめずにはいられない。
「おかーさん?」
そうして、黙り込んでしまった私をヒロが気遣わしげに見上げてくるのに笑顔を返す。
私に似て怒りっぽい割には旦那と同じようにやさしいのか、単に気が小さいだけなのか周囲の変化に敏感な我が息子。
彼が悪魔なのかどうか私たちには確かめようがない。
ただ、一つはっきりしているのは、あの見ているだけで気分が悪くなるような男の下僕になる人生などを、この愛し子に背負わせたくないということ。
「何でもないわ、ヒロ」
だから、私たちは彼から全てを隠し、遠ざ、祈り続けるしかない。
古い言葉で『何一つ持たない者』という意味を持つその名前の如く、ヒロには何の束縛も柵もない人生を送ってほしいと私たちには願うことしかできないのだ。
少しペース早めの更新でお送りするヒロの母親視点の閑話。いかがだったでしょうか?ヒロの母親ササラさんですが、この話だけでは表現しきれないんですがかなり気の強い女性です。多分、ヒロが気の強い女性が苦手なのは彼女の影響があるんでしょうね(笑)さて、次はヒロの恋人ユイア視点の閑話ですが、思ったより長くなりそうなので前後編に分ける予定です。これもできるだけ早く更新できたらいいなと思っております。
そして、その後が少し悩んでいるところで第四部に入ってもいいし、ここはいつかすると言っていた全然進んでいない加筆修正を進めるべきか、はたまたずっと温めてきた千年前の戦いを描いた番外編を始めようか・・・と選択肢がいくつかありまして・・・。作者は優柔不断で中々方向が定まらないので、何かご意見を是非ともお聞かせください!そして、最後に4月に入ったら、少し忙しくなるので更新ペースは遅くなると思いますが、どうか見捨てずにいてください。ご意見・ご感想もお待ちしております!それだけが、執筆を続ける私の心の支えなので(笑)