第8話 天使は悪魔の如く笑う 4
注意書き
第八話には、戦闘場面があり、ぬるくはありますが流血表現・暴力表現があります。
嫌いな方・苦手な方はご注意ください。
『あれ』を使うことに、一抹の不安があったのは事実だ。
『あれ』は私に大きな力を与えるが、その大きさは私が使いこなせるほど容易なものじゃない。
力とは自分で使いこなせてこそ力なのだ。
使用者が振り回される力など、自分の身まで危なくする諸刃の剣でしかない。
だから、私は余程のことがない限り『あれ』を使ったことはないし、使ったことも本当のところ両手に余るほどの回数しかない。
しかし、この天使との戦いというのはその余程の事態であることは確かであり、そうである以上、不安があったとしても私は力を使うことに躊躇いは微塵も感じてはいけないのだ。
―――何故なら生き続けること、生き延びること、私はその事に対しては酷く貪欲でなければならないと定められているのだから
「目覚めよ、黒の剣。」
言霊を呟くと、剣の刀身が黒く侵食されていく。
―――ドクン
その様を瞳に映し私は胸が痛いほど高鳴るのを感じ、体温が上昇し妙な高揚感に包まれる。
そして、その高揚感に身を任せるように私は剣を腰辺りで構えると、迫りくる風の刃に向かい思いっきり振りぬいた。
すると剣から黒い衝撃波が生まれ、迫っていた風の刃を根こそぎ弾き返した。
そして、衝撃波は威力が削がれることなく、そのままエンリッヒに目掛けて襲いかかる。
エンリッヒも突然のことに反応が一瞬遅れ、衝撃波が彼の肩口から腰辺りまでをばっさりと切り裂いた。
エンリッヒの表情に苦悶の色が走り、鉄壁だった彼に隙が生まれる。
それを逃す手はなく、私はそのまま一気に勝負を決めるべく、次の一撃を剣を振りぬいて放つ。
「いっっけえぇ!!」
しかし、最悪なことに衝撃波は天使を掠ることもなく、見当違いのところに飛んでいった。
攻撃のモーションに入って足を踏み込んだときに血で足がすべり手元が狂ったのだ。
舌打ちをしながら私はすぐさま二撃目を放つ体勢に入るも、今度はひらりとエンリッヒに交わされてしまう。
そして、私が三撃目を放とうとした瞬間、最後にはエンリッヒを見失った。
「?!」
―――何処だ?
辺りを見回したが、何処にも天使の姿も気配も感じない。
どこかの岩陰に潜んでいるのだろうかと、私は気配を探すために神経を集中させる。
そして、その瞬間に殺気だった気配が突如として現われた。
―――私の背後に!
「いきなりで驚きましたわ。でもやられっぱなしは、性に合わないんですわ。」
後ろから耳に息を吹きかけられ、寒気が背中に走る。
反射的に振り返った先には、私に大鎌を振り下ろすエンリッヒがいた。
「これでしまいやぁっ!」
エンリッヒが吠える。
この距離では逃げられないと感じた瞬間に、襲いくる痛みに備え私は瞼を強くつむる。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
しかし、どれほど待っても大鎌の刃の冷たさも、大鎌に切られた痛みも私を襲うことはなかった。
「・・・?」
不思議に思い私は恐る恐る瞼を開く。
「!」
そして、どういうことか大鎌を振り上げたまま時を止めたように固まったエンリッヒがそこにいた。
大鎌は私の頭までわずか数センチのところで止まり、エンリッヒは驚愕で目を見開いたまま固まっている。
私は何が起こったか分からずエンリッヒに触ろうとして、手に持っている黒の剣に引っ張られるような違和感を感じた。
「?」
何かに引っ掛けたかと思い、剣を見下ろすと剣から足元の血溜りに血が滴り落ちるのが見えた。
―――ポタリ
血が不浄の大地に血溜りをつくる。
血の流れを視線で辿り、剣の先に目をやって私は驚いた。
―――そこにはエンリッヒの腹部を貫いた黒の剣があった
「ガハッ・・・」
呆然と私が目の前の状況を見ていると、エンリッヒが苦痛に顔を歪めて吐血した。
私はありえない状況に混乱した。
だって、自分の前方に向けて剣を構えていたし、それに対しエンリッヒは真逆である背後ろから私を襲ったはずなのだ。
―――現状を整理してみれば、黒の剣がエンリッヒを貫けるはずがない
だが、現実として剣は間違いなくエンリッヒを貫いている。
ありえない状況を現実にしたのは、黒の剣がまっすぐ前を向いていたはずの自身を伸ばし、まるでゴムか何かのようにグニャリと曲げ180度反転を果たしていたという事実。
―――どうして、こんなことになっている?
状況として私は私の手によってエンリッヒを倒した・・・ということになるのだろう。
だが、現状は何一つ私の手によるものではないのだ。
そもそも私は黒の剣にこんな能力があることさえ知らない。
知らない能力をどうして私はこうして使っているのだろう?
考えられるのは黒の剣が私の意志とは関係なく、独りでに勝手に動いたという可能性。
―――だから、この力は使いたくなかったのだ
後悔をするつもりはないが、血とは別の苦いものが広がるのを感じた。
自身で制御できない力。
それに翻弄されている自分が腹立たしく、同時に何処となく恐ろしかった。
そして、柄を握る手にわずかに力を入れると、黒の剣はまるで生きているかのようにエンリッヒから離れすぐさまいつものまっすぐな刀身にもどる。
少しだけ振ってみたがグニャリと曲がるどころか、確りとした硬い金属の感触があり、今となっては私の意志でどうにも曲がるようにすることはできないようだ。
しかして、私がそんな風に現状の確認に浸っていると、貫いていた剣が抜けてエンリッヒが力尽きたように地面に崩れ落ち傷口を押さえながら呻く。
「あ・・・おいっ!」
思わず駆け寄って、その肩をつかもうとしたら思いのほか強い力で払われた。
「あんさん、何者や?・・・アー・・シアンが何で、そないな攻撃を・・・。」
言葉は痛みのためか途切れ途切れだが、意識は確りしているようだ。
出血さえ止めれば命に別状はないだろう。
逆に言えば、止血をしなければこの天使は恐らく死ぬ。
そう考えて私の頭に浮かんだのは、勝ったことや命を奪われなかったことに対する喜びではなかった。
―――むしろ感じたのは妙な後味の悪さ
「・・・」
だから、私はしばし考えるように黙り込んだ後、倒れるエンリッヒのそばに膝をついて彼の怪我を見ようと彼を覗き込んだ。
こんな私としても不本意な戦いの中で死なれては目覚めが悪いことこの上ない。
「な・・にを?」
エンリッヒの意識は遠のいてきているようで焦点が合っていない。
「まあ、お前は不本意かもしれないが大人しく止血だけでもさせろ。」
腰にかかる鞄には、薬品や包帯なども入っている。
「ははっ・・自分で・・・怪我させおって、その手当てをしてれ・・ば世話はありませんなぁ。なんや、やっと色々肩の荷が下りるかとおもったん・・のに。」
呻くエンリッヒの言葉は、最後は誰にいうともなしに独り言のようだった。
だが、血だらで化粧も剥げかけている顔は見られたものではないが、それでもそんな天使の表情が酷く私の中では人間じみているような気がした。
「もう、しゃべるな傷に響くぞ。」
エンリッヒの傷は剣自体が細身だったこともあり、さほど大きな傷口ではない。
縫い合わさずとも、止血剤と包帯だけで応急処置はできそうである。
「なあ、あんさん・・・は、ほんま・・・なんなん・・や?」
「・・・」
私は弱弱しく問われたエンリッヒの疑問に、答えることができなかった。
沈黙したまま私は横たわるエンリッヒを見下ろしながら黒の剣を見た。
気がつけば黒から銀にに戻っていたが、私とエンリッヒの血がこびりついた刀身は赤黒い。
それを見ながら私はエンリッヒの問いを今度は自問自答する。
アーシアンである私が、本来こんな力、天使の力にも似た力を持っているはずもないのだ。
―――これはまさか本当に千年前の悪の力・・・だとでもいうのか?
今更だとは分かっていたが、それでも私は自身にそう問わずにはいられなかった。
しかし、どれほどに考えたところでその剣については最悪の思い出は限りなくあるが、殆ど何も知らない私はエンリッヒの問いに答える言葉を持たない。
私は沈黙を守り、彼の手当てに専念した。
エンリッヒも私が答えるつもりはないと思ったのか、それとももう何かを言うのも億劫なのか、それ以上は何も口にしなかった。
「・・・天使っていうのは不老不死だと聞いていたが、怪我をすれば動けなくなるものなんだな。致命傷だったら、死んだりもするのか?」
手当てをしながら、私は思ったことを口にした。
「あたりま・・・えでっせ、天使かて生き物やからね。歳老いることはあらへんが、心臓をとめられれば死ぬし・・・・首を絞められても死にますわ。・・・あの、もうちょっと、包帯ゆるめて・・くだはいません?」
「締め付けないと止血の意味がないだろう。」
エンリッヒの願いを即答で却下し、私はなるほどと妙なことに感心していた。
てっきり不老不死だというので例え息絶えてもまた復活したりするんじゃないかと途中で思い至り手当てを中断しようかと思ったのだが、そういう事なら今やっている手当ても無駄にならなそうだ。(要は天使は不老というだけで、不死というわけではないのだ)
そして、エンリッヒの怪我の程度を見るに、私のほうが遥かに軽傷であり、これならば自分の手当てが終ったら彼をここに置いて、エヴァたちと合流するのも難しくはないだろう。
エンリッヒならば勝手に一人で帰るだろうと、働かない頭で先のことを予定していた。
―――そんなことばかり考えていたから気が付かなかったのである
「動かないでもらおうか、アーシアンよ。」
気配に気が付いたときは遅かった。
十数人の天使に囲まれ、私は剣を突きつけられていた。
「・・・天使?」
油断していた私は、エンリッヒの仲間が近くにいるという可能性を思い至らなかった。
恐らく彼らはエンリッヒの仲間であろう、そうでなければ不浄の大地にこんなにたくさん天使がいるはずもない。
「くそ・・・仲間を呼んだのかっ。」
どんな手段かはしらないがエンリッヒは、自身一人で動けなくなったために私に気が付かれぬように仲間に助けを求めたのであろう。
そんなことにも気が付かず、わざわざ手当てまでしてやるなど馬鹿だった。さっさと逃げ出せばよかった。
本気で私は後悔し唇をかんだ。
「無駄な抵抗はしないことだ。」
私を囲む天使たちはエンリッヒとは違い、全身を鎧に身を包んでいるがその翼は皆赤っぽい色をしている。
しかし、髪や瞳のように個人差があるらしく、色合いは様々だった。
私は剣を突きつけられたまま、天使に両腕を拘束された。
「・・・あなたらは・・・第三師団のお方ですか?ど・・・うして、ここに?」
「それはこちらの台詞ですよ、エンリッヒ第一師団副団長殿。我々はただハクアリティス様の探索の命を受け、ここにいるだけです。そのハクアリティス様を追っていたら、偶々あなたが倒れていた所に鉢合わせたのです。」
会話の様子からどうやらエンリッヒが助けを求めた訳ではないらしい。
しかし、偶然にしてはできすぎであろう。
「あははは。・・・いやぁ、ちょっと色々ありましてねぇ・・」
「まあ、その話は後です。先にこのアーシアンを始末します。どんな手を使ったかは知らないが、天使を傷つけたアーシアンは死あるのみですから。」
首もとに突きつけられていた剣が更に迫った。
エンリッヒにやられた傷は痛むし、血は出て行く一方で私の意識もぼんやりし始めている。 更に体の自由は天使にがっちりと固められて、身動き一つできない。
―――正に万事休す
私は一体今日何度死を覚悟すればいいのだろう。
そんなことを考えながら、それでも天使たちに屈することだけは最後までするまいと閉じそうになる目を見開いて天使たちを睨み続ける。
すると、他の天使に肩を貸してもらっているエンリッヒと目が合った。
彼は笑顔でもなく、また戦っていたときの殺気に満ちた目でもない、妙に静かな瞳でこちらを見ていた。
私も何故だか彼から目が離せないままでいたら、エンリッヒがあのいけ好かない笑みで私を見た。
ただ、先ほどまであった殺気だけは消えていたが、やはり生理的に受け付けない笑みだと思った。
そのエンリッヒが私から視線をはずすと、口を開いた。
「ああ、その人は殺さんどいたほうがいいでっせ?第三師団さん。今のところハクアリティス様の行方の手がかりを知る、唯一のお人ですからなぁ。」
「何?それは本当ですか?」
天使がエンリッヒを振り返る。
「ええ。わいも偶々そのお人とハクアリティス様が一緒にいるところを発見した・・・までは良かったんやけど、あははこの通りですわ。・・・イタタ」
明らかに嘘っぽそうな叫びを上げるエンリッヒが、天使に支えられて私に背を向ける。
そうしてエンリッヒは去っていったのであるが、次に天使たちは私を更に狭い円で囲むと、私に凄んだ。
「アーシアン!さっさとハクアリティス様の居所を吐けっ!!!」
私は大地に顔を押し付けられて痛みに呻いた。
乱暴な物言いに所業。私が描いていた天使とは程遠い。
「・・・誰がいうか・・それに、私は一端彼女を別の場所に移したに過ぎない。彼女はもう私の仲間と別の場所に逃げたろう。」
私とエンリッヒが戦っている間、逃げる時間はあったはずである。
「それを信じるとでも思うのか?!あとでゆっくり吐かせてやるっ!おい!このアーシアンも連れて行けっ!」
そう言って乱暴に引っ立てられる。
とりあえず殺されずにはすみそうだが、先行きは非常に不安である。
しかし、次第に気が遠くなり始めていた私には、それ以上先ののことなど何も考えられず、重たくなる瞼に身を任せたのである。
『天使は悪魔の如く笑う』終了です!ハクアリティスを狙う天使の登場、エヴァたちとの別離、ヒロの謎の力などなど、色々と急展開でしたが如何でしたでしょうか?
次からは天使に捕まったヒロではなくエヴァ視点で物語が展開する予定です。
加筆・修正 08.4.29