第75話 お前に流れる血は何色だ 2
灰色の花園から出た瞬間に感じたのは、燃え盛る炎の熱さと何処かでドンパチしているだろう爆音や破壊音。
灰色の花園に入ってからどれくらい時間がったのか曖昧だし、現在の戦況は定かじゃないけど、それらを感じただけで私にも女神の十字軍と天使の戦いがまだ終わってはいないらしいことと、人間たちの最後の都だったろう罪人の巡礼地が完全に炎に包まれてしまうのが時間の問題だということくらいは分かった。
「げほ、げほっ。」
そんな冷静だか、混乱だか分らないような思考の中で、煙たい空気を吸い込んだのか、ケルヴェロッカが咳きこむ音が私の耳に届いたことで、私は自分が何をしなければいけないのかを思い出す。
どうやら、あんまりに現実味がない光景に一瞬だけ茫然としていたみたい。私もまだまだね。
「何か布を口に当てて煙を吸いこまないようにしとくのよ?ロッソも元のサイズに戻して懐にでも入れておきなさい。この煙は鼻のいい彼には辛いでしょう。」
ケルヴェロッカがその通りにするのを横目で見ながら、白き神を肩に担いでいる不安定な体制のままに、自分も洋服の裾の部分を適当に切り裂いて顔にその布を巻きつける。
「さっさと逃げるわよ。白き神は私が運ぶから、ケルヴェロッカは炎を魔力で消して逃げ道を作って頂戴。後、この炎じゃ天使たちと出くわすことも、そうあるとは思えないけど、周りの気配には注意してね。」
「おうっ!」
これほど火の回りが早くては、もう火を避けながら逃げるのは無理だろうし、ドンパチしている気配こそあるが、それはここから遙か遠い。きっと、これだけの炎だし、罪人の巡礼地から離れながら戦いは続いているんだと思う。
だからこそ、普通なら天使が周りにいないことだし魔術を使って一気に銀月の都に飛ぶことも考える所だけど、何かに邪魔されているようで上手く魔術が発動しない。
理由は知ったことじゃないけど、とりあえず、自分の足で逃げるしかない・・・ということなんだろう。
という訳で、私は炎の海に飛び込み、ケルヴェロッカが出す大きな魔力で一時的に炎を退けながら走り抜けるという方法をとった訳だ。
そして、しばらくは順調に走り続けた私たちは思っていた通りに天使に出くわすこともなく、このまま白き神を守りきって立ち上がる煙の向こうに見える銀月の都に戻れそうだと思った。
でも、人生そうは上手くいかないのよ。
「止まってもらおうか、人間たち。」
辺り一帯の炎の壁をわざわざ圧倒的な魔力とともに吹き飛ばして現れたのは、見たくもなかった天使の姿。
それも、その辺りにいる天使たちとはそのプレッシャーも全く違う強い力を秘めているだろと、その魔力をひしひしと感じるような天使。
そういえば、ハレが天空騎士団の隊長格も出張ってきているとか言っていたわね。
目の前に現れた5人の男女の天使を前に私は、ついさっきのことなのに、どうにも遠い昔のことのように思えるハレの言葉を思い出して、その面倒さに目を細める。
「なんだよっ!」
「落ち付きなさいっ、ケルヴェロッカ。」
そして、咄嗟に彼らに食いかかる彼を止めた。
万象の天使に食ってかかった時も思ったけど、本当に子供って言うのは怖いものを知らなくて困るのよ。
臆病よりはいいかもしれないけど、だからって誰かれ構わず噛みついては、いつかしっぺ返しを食らうのは彼自身。
この状況で甘いことを思っている自覚はあるけど、子供が傷つくのはできれば見たくないわ。(私もヒロのことを怒れないなぁ)
そんな私とケルヴェロッカのやり取りを一瞥するだけの天使たちからは、5対2という数の上の有利な状況以上に、彼ら自身の強さからくる余裕みたいなものを感じる。
状況は・・・最悪。
「女。お前が肩に担いでいるのは白き神だな?渡してもらおう。」
そうして、疑問形で聞くくせに否定することを許さないような威圧的な物言いをするのは、男のくせに綺麗な金のサラサラ長髪を靡かせる男の天使。
「白き神?彼女は違いますけど?」
「とぼけるんじゃないわよっ!こっちは、白き神の魔力を辿ってきているのよっ!」
『サラサラ』(←以下、『』内は私が勝手につけた天使たちのあだ名ってことで)を挑発するための言葉だったのに、それに反応したのはやたらと肌の露出の激しい女の天使。
ほとんど下着にといっていいその服装は教育上あんまり良くないだろうと、私はケルヴェロッカの視界を遮るように前に動いた。
「あらあら、シャオン。お宅の副師団長さんが、この人間たちに手酷くやられたからって、そんな風に八つ当たりで怒ると皺が増えましてよ?」
「何ですって?!」
と、『下着』にあからさまな嫌味を言い放つのは、つんとしたキツネ顔の冷たい印象を受ける女天使。
こっちはきっちりと暑苦しいくらいに服を着こんでいて、その肌は顔くらいしか見えていないくらいだ。(何とも、両極端な二人だなぁ)
「二人ともやめろ。」
そうして、『下着』と『キツネ』を止めるべく静かに声を挟んだのは、やたらとガタイのいい大きな天使。(この大きさは多分、うちのアラシと張るわね)
なのに・・・?
「わたくしは、本当のことを言ったまでですわ?」
「何が本当のことよ!私のことはともかく、エンリッヒのことを悪く言わないで!!彼は人間なんかにやられて、ここに来れないんじゃなくて、サンタマリア様の警護のために来れないだけなんだから!!」
「言い訳は見苦しくてよ?」
「き―――!」
と、まあ『デカ』が止めに入っているのに、女天使の争いは一向に止まる気配もない。
「ティア、俺達、忘れられてない?」
「そうね。」
その喧嘩の凄まじさは、私たちが思わずそんな会話を漏らしてしまうほど。
でも、『デカ』ではなくて、最後の天使が口を開くことで終わらないように見えた女たちの喧嘩は呆気なく終わってしまう。
「シャオン、マリアーナ。二人とも喧嘩するなよ。」
それは『デカ』の無骨な声より、華やかで軽い声。
そして、その声の主はそれに相応しいキラキラと眩しい金の短髪に大きな青い瞳を持った天使。
この『キラキラ』を、私は見たことがあった。
「・・・蒼穹の天使・シェルシドラ。」
「えっ?」
その名前を口にした私にケルヴェロッカが聞き返すような声を発し、そして、まさかと言うように驚きの表情で『キラキラ』の顔を改めてまじまじと見る。
「あれ?人間の女性に名前を知ってもらっているなんて光栄だな。君の名前も教えてよ?」
「三大天使様に人間の卑しい名前なんて、お教えできませんよ。」
軽口に軽口で返しながら、想像していなかった大物の登場に忌々しい感情で舌打ちでもしたい気分がした。
でも、さっき万象の天使に会ったくらいなんだし、三大天使がここにいたとしても何の不思議なことはないということに気付かされる。そして、
―――でも、まさか天使の中で最強の強さを持つを謳われるこの天使と、こんな場面で出くわすなんて、誰も考えないし考えたくもないわっ!
と冷静に装いつつも、私は心の中で絶叫した。(失礼)
だが、軽口すらも三大天使様には許されないらしく。
「あんた、シェルシドラ様にまでなんて口の利き方をする訳?!」
「本当ですね。人間のくせに身の程を知りませんわ。」
さっきまで喧嘩をしてきた『下着』と『キツネ』(本名はシャオンとマリアーナらしい)が、蒼穹の天使の鶴の一声で喧嘩をやめたかと思えば、今度は一斉に私に牙をむいてくる。
その顔は、相当に怖い。ケルヴェロッカもそれに恐れをなして、私の背中にしがみつく。
「まあ、そう怒るなよ。」
『はい!シェルシドラ様!!』
しかし、それも蒼穹の天使の取り成しで、二人で声をハモらせてころりと笑顔に変わる。
そんなやり取りを見て明らかに無視された『デカ』が肩を落として、『サラサラ』がそれを慰める。
・・・この天使たちは何かのコント集団かしら?
だけど、そんな暢気な考えも、コント集団のリーダーであろう蒼穹の天使によって吹っ飛んでしまう。
「別に君の名前に興味はない。言いたくなければ、言わなければいい。だけど、君に担がれている白き神は俺達に返して貰う。それに君たち二人にも同行してもらうよ?」
その声は華やかで軽い声だけれど、それだけじゃない重く冷たい何かが含まれている。
「白き神を奪い返すために、灰色の花園で待ち伏せをしていた万象の天使の気配が消えた。そして、その灰色の花園から出てきた白き神を抱えた君たち。灰色の花園には増援を送っておいたけど、君たちからも話を聞かせて貰わないと。まったくラインディルトといい、君ら人間が反抗的なってから神と契約せし天使がバラバラになって困るよ。まあ、元々大してチームワークが良かった訳でもないけど。」
―――ラインディルトって、大地の天使のこと?
「私たちからお話しすることはないと思います。万象の天使は勝手にどっかに行ったし、大地の天使・ラインディルトのことなど、私たちは関知していませんから。」
ちなみにこれは軽口じゃなくて本当のこと。
万象の天使のことは知らないこともないけど、大地の天使の話など私は本当に知らない。
「言い訳はよせ。ラインディルト様はお前らが天使の領域を襲った夜から一切の消息を絶った。シェルシドラが監視をしていたにも関わらず・・・だ。更に万象の天使から伺ったエンシッダの発言から、あの男とラインディルトが何らかの形で繋がっていることは証明されているのだ。状況証拠からして、お前らがあの方に何かしたといしか思えん。ラインディルト様をどうした?」
だが、私の言うことなんて信用していない『デカ』が、女たちの仕打ちから立ち直ったのか、怖い顔をして聞いてくる。
「何と言われても私は大地の天使にはノータッチですから、私に何を聞いても無駄よ。それにこの女性も何と言われても渡すわけにはいかない。」
「ふんっ!そんなこと、この状況で通るとでも思っているの?!」
嫌味なくらに高飛車に笑いながら言い放つ『下着』。
それは、三大天使である『キラキラ』のご加護ゆえか、それとも自分の力に自信があるからか知らないけど、こっちだって半端な覚悟じゃ天使に楯つこうなんて思いはしない。
―――渡さないっていったら、死んでも渡さない。
「通す気がないというのなら、力づくで通るまでよ。ケルヴェロッカ、やっちゃって!!」
その声にケルヴェロッカが素早く反応して、大きな黄色の魔力を前方の天使たちに向かってぶっぱなす。
同時に私たちを囲んでいた炎の海へ、再びダイブ。いや、今回は逃げ込んだという方が正しいわね。
あの天使たちと戦うくらいなら例え炎の海だろうが、白き神を守り抜くという点に重点を置けば、こちらの方が余程任務の成功率が高い。
自分と白き神の周りに魔力のバリアを張って、まあそれでも熱さは感じるけど、同時に少し遅れて追ってくる天使たちの気配も感じる。
どうやら、ケルヴェロッカの意表を突いた不意打ちも天使たちに大打撃を与えるには至らなかったみたいだ。
―――仕方ない。本当なら、こんなことさせたくなかったんだけど。
「ケルヴェロッカ、神の血の解放を許可します。倒す必要はない。天使たちを足止めして。」
前方を走るケルヴェロッカが驚いたような、戸惑ったような顔をした。
「でも、あれはアオイがまだ研究段階だって!」
「エンシッダ様に許可はもらっているわ。私が本気になっても片手が塞がっていちゃ、天使たち5人を相手にするのは無理なの。ここは、貴方に頑張ってもらうしかないのよ!」
「でも、俺はあれは嫌だっ!」
分かってる。だから、私だって出来ることなら貴方にそんなことさせたくないの。だけど・・・
『異常事態が起こったら、白き神を連れて罪人の巡礼地を君たちはただ走って逃げればいい。そして、しばらくすると君たちの前には大きな障害物が現れる。』
―――障害物・・・ですか?私はそれを排除すれば?(ああ、それがきっとあのコント集団みたいな天使たち)
『いいや。君の力はまだ見せてはいけない。だから、ケルヴェロッカを連れて行くんだ。彼に神の血を使わせて。そっちは、別に見せても構わない。』
―――それも、予言ですか?決まっていることなんですか?
『いや。これは別に予言じゃない。単なる俺の策略さ。』
―――・・・。(ごめんなさい。ごめんなさい。ケルヴェロッカ)
エンシッダ様とのやり取りを思い出し心の中で謝りながら、冷酷な顔をして私は炎の中で彼を追い詰める言葉を告げるしかない。
駒である私が、エンシッダ様の命令を覆すことはできないから。
「今更、人間でなくなるのが嫌なの?」
彼が息を飲む音が聞こえた。
「でも、残念ね。貴方はすでに人間ではない。そうでしょ?神の血が流れている神の子?」
愛らしい子供顔が悲しそうに辛そうに歪む。
「・・・わかったよ、ティア。」
―――ううん、違う。人間じゃないのは私なのに・・・ごめんなさい。
状況は緊迫しているんですが、久々に重々しくない話を書いた気がします。第三部は過去回想編が長かったせいでヒロの暗い話ばっかりでしたから(笑)
シェルシドラとシャオンは前で少し出てきたキャラですが、他の3人の天使は初登場。でも、実は他の三人も名前だけは既に登場してたりします。分かりますか?