第72話 神と天使、そして悪魔 4
とにもかくにも、人生の中でこれほど自分に腹がたったことはない。
そして、これほどに誰かを憎んだこともない。
「いいぞぉ、ヒロ!!もっと、怒れ、悲しめぇ!そうすれば、もっと魔力が満ちる!俺様の封印を解くための魔力が満ちるぞぉっ。」
しかも、それほど憎い相手が神様などと、普通はたちの悪い冗談にしか聞こえない。
しかして、全て、そう私と私の愛すべき人たちの悲劇のその全てが私のせいであり、この黒き神のためだというのだ。
それを知った私がこの黒き神を許せるはずはない。
愛したユイアの笑顔が、父と母の優しい面影が悔し涙のたまった瞳に滲んだ。
そして、断続的に続く激痛とともに、彼に対する純然たる殺意はムクムクと膨らんでゆく。
「俺がどうして、こんなに喜んでいるか聞きたいかぁ?聞きたいだろう??」
耳障りの悪い声に、絶望、不甲斐無さ、後悔、全ての負の感情が交差して、私は思いつく限りの罵詈雑言を吐きながら地団駄を踏みたい様な、そんな最悪な気分だった。
「いいかぁ?良く聞けよ?全ての灰色の魔力は、俺と共に千年前に封印されたんだよぉ。なのに、俺様の封印を解くにはその灰色の魔力が必要だぁ。まあ、ここをはじめとして異端と言われる場所には確かに灰色の魔力がある。だが、そりゃあ所詮残りカスにすぎん!世界のどこにも俺様の封印を解くのに必要な分だけの魔力はねえの!!このままじゃ、俺様は自由になれん!!」
声を聞けば聞くほどに不快感とともに次第に身の内で大きくなる何か。そして、それが再び溢れだぞうとしているのを私は感じている。
それに共鳴するかのように、私を蝕む激痛が増していく。
きっと、私の中の灰色の魔力が大きくなってきている。先よりも強い魔力が私から溢れようとしているのだ。
魔力を持たぬ人間から、どうしてこんなに魔力が溢れてくる?
これは、いよいよ私が悪魔だという話に信憑性が出てきたってもんだろう。
そして、その事が私の愛すべき人々を悲劇に導いた。
だが、それもこれも、今は忘れようと思う。
今はただ全てをこの灰色の魔力に、溢れくる破壊衝動に身を任せ、この先ほどから耳元でうるさい黒き神へ、この言いようのない苦しみと悲しみを叩きつけてやりたいのだ。
なのに、溢れる灰色はもはや身体の私だけに留まらず、黒き神を憎む心の私すらも侵食し始めており、私の願いにも似た感情すらも朧げにしようとしている。
恐らく私の全てが私ではなくなるのも時間の問題だろう。
「だが、俺は思い出したぁ!俺を解放できるたった一つの存在を!!」
もし、このまま私が私でなくなったらどうなるのだろう?
灰色の魔力に支配された私は本当に悪魔にでもなってしまうのだろうか?
そして、二度と人間に戻ることはなく、この神を殺し、私は世界の全てを破壊する。消えかかる意識の中で、そんな倒錯した考えが浮かんでは消える。
だが、この黒き神を消し去ることができるなら、それでもいいと思った。
たとえ、私の命を賭けたとしても、世界の全てを失っても、黒き神が私の眼の前から消えてくれるなら私は何を失っても構わない。全てを私の中の悪魔に捧げよう。
黒き神がいなくなっても、何も帰ってはこない。誰も喜びはしない。それは分かっている。
そして、全ての悲劇が私のせいだという想いも変わりはしない。
だけれど、どんなにその感情が強かろうとも、もはやこの黒き神を許すことはできないのだ。
私を愛してくれたユイアを死に追いやり、私を愛してくれた父を嘲笑ったこの神を、彼らに愛された私が許さないなどと、例え誰が許そうとも私自身が許せない。
全ては私が愛した人たちのために、私を愛してくれた人たちのために、私はその愛に報いるために全てをかけてこの神を殺さなくてはいけないのだ。
そして、そんな想いすら満足に訴えることもできない制御不能の身体の私だが、溢れてこようとする灰色の魔力に歓喜を示し、膨れ上がる殺意に同調して、獣のような叫び声を上げて再び黒き神に牙をむく。
掴まれた黒き神の手を払い、黒の剣をその手から奪い返すと神に向って灰色の魔力の塊を放つ。
黒き神はそれをふわりと軽い足取りで交わした。だが、それをすぐに身体の私が追う。
ガガンッ!!
そして、再び合わさる剣と剣、ぶつかりあう力と力。
二色の魔力が黒き神と私の間で剣と同じ様にぶつかり合い、黒混じりの灰色の魔力が生まれ出でては、火花のように一瞬で消える。
そして、黒き神は剣を合わせながら、私の顔に唾を吐きかけるほど近くで叫ぶ。
「それが!俺様をこの世でたった一人解放できる存在こそ、悪魔・ヴォルツィッタ。お前だよ、ヒロォ!」
声の大きさに比例するように黒き神の魔力が剣を通して大きく爆発し、私を吹っ飛ばし大地に叩きつけた。
身体が軋むような激痛はなおもまだ続き、それを更に痛めつける衝撃が背中に走った。
「それが、どうしてだか分かるか?思い返せば千年前、俺が黒の魔力によって封印したお前ら異端の一族の持つ灰色の魔力!俺はそれを、俺の許しがなくては黒の武器があったとしても使えないようにしたっ!だが、オメーだけは今みてえに感情を昂らせるとその魔力を出しやがるっ!」
怒っているのか喜んでいるのか分からない怒鳴り声、そして神は笑う。
それから一瞬で別人にでもなったかのように、瞬時に能面のよう顔で私を見ると、それまでの興奮した様子とは一転して、妙に短く冷めた声で言ったのだ。
「だから、光栄に思え?お前だけが、俺様を解放できる役割を与えられるんだ。」
声がだんだんと遠くなる。
聞こえてくる言葉に怒りも悲しみも憎しみも感じているはずなのに、次第にそれは私という存在とともにゆらゆらと消えようとしている。
嫌だった。
悪魔に魂を売り渡してもいい。だが、この神だけは私の意識のあるうちに殺したかった。
その想いに応えるように、身体の私が痛みを振り払い再び黒き神に向ってゆく。
「おいおい、あんまり暴れるなよ?せっかくの花園が台無しだろ?ここは、前世のお前も知っている女が愛した場所だぞ?」
そして、その湧き上がる破壊衝動に身を任せたまま、本能の赴くままに黒の剣と溢れる魔力をふるい続ける私に、軽口ばかりをたたき油断していたのか一瞬だけ黒き神がよろめき、体制を崩した。
絶好のチャンスを見逃すことなく、すかさず身体の私は剣に常である黒の魔力ではなく、灰色の魔力を込めると体勢を崩した黒き神に向って叩きこむ。
「グッ・・・」
僅かに掠った感触と、上がった小さな呻き声で私の攻撃が黒き神に当ったことは分かったが、体制を崩しながらも黒の剣を地面を転がるように黒き神はそれを避けた。
そして、神は存在を忘れていた聖櫃の辺りまで転がると、その花園の中央部の台座の上に鎮座されている聖櫃に手をかけて立ち上がった。
だが、悪魔に近づきつつある私は体力すらも無尽蔵になったのか、痛む身体も上がる息も関係なく、一気に走り抜けながら神が体勢を整え直す前に黒の剣を思いっきり振りかぶった。
「ダアァァ!!!」
「ば―――」
黒き神にとって、ただただ剣を振り上げているだけの私の攻撃など避けることも容易かったはずだ。
だが、背後にある聖櫃のことを気にかけるような素振りを見せた黒き神は、逃げることなく黒の剣を受け止めるように自らの剣を構えたのだ。
それならば・・・と、制御不能の身体の私がそこまでの状況を把握していたかは定かではないが、まあ、その辺りは本能で感じ取ったのだろう。
身体の私は黒き神が逃げないことを確認すると、それまでとは比べ物にならないくらいの魔力を剣に込めた。
それにより、身体の全てが激痛に悲鳴を上げる。
黒き神が言うように、確かにこの灰色の魔力は人間の身体には耐えがたいものだろうだろう。正直、このまま体がバラバラになってしまうような気さえしていた。
そして、私と黒き神の力が、灰色と黒の魔力が高まりをもってぶつかり合う。
びりびりと腕が痺れるほどの衝撃が剣に伝わり、灰と黒の火花が弾けた。
剣を上から振りおろした私と、それを下から受けた黒き神。
両者の力は今のところ互角。ぎりぎりと剣を合わせたままに私たちは力の押し合いになった。
少しでも力を抜こうものならば、間違いなく吹っ飛ばされる。
それも、先ほどとは比べ物にならないほど、それは強い衝撃となるのは目に見えている。
私も黒き神も、ここは一歩も引けなかった。
そして、溢れる魔力を纏った私と神の力の押し合いは魔力の渦を作り出し、次第にそれは大きな竜巻のようになり上空に向ってうねりを上げた。
更に、その魔力の竜巻は本物のそれのように凄まじき風を巻き起こし、私と黒き神を中心にして灰色の葉がものすごいスピードで飛ばされる。
そして、その強い風という名の衝撃波は、黒き神に守られるようにしてその後ろにある聖櫃にまで影響を及ぼし始めた。
見るからに重いその石の箱が、私たちから放たれる衝撃波にガタガタと音を鳴らしながら台座から追いやられるように動き始めたのだ。
そして、ガタンッと風の音が凄まじい中に木霊する重いものが落下した音。
灰色の大地に落ちた聖櫃
箱が割れはしていないがその蓋は外れてしまったようで、黒き神越しに私は、その忌まわしき箱から何かが転がり落ちてくるのを見た。
そして、その転がり落ちたものと目があう。
―――ドクン
大きくなる心臓。ぐらりと視界が揺れた。
そして、それまで何とか耐えていたぎりぎりの自分がぷつりと切れるような感覚。
抑えていた身体の中の、灰色の魔力が決壊した。
―――全てが灰色に染まる
しかして、私という全てが灰色に塗りつぶされて消えゆく意識の中、私の目があったそれは天使だった。
そう、それはとても美しい女性の天使。
もしかしたら、人形かもしれない。
転がり落ちても目を見開いたままにぴくりとも動かないそれは、おそらく人形か死体に違いない。
だが、それは遠目に見るだけには、どちらとも私には言えなかった。
死体にしては美しすぎ、人形にしては妙に生々しい、その
―――灰色の衣を纏いし天使
そして、その異形なる天使には私は見覚えがあった。
そう、どうして今まで忘れていたのか分からないが、その天使を見た瞬間に私は思い出したのだ。
それはあの時、ユイアに黒の剣を手渡していた、私に微笑みかけた灰色の天使だ・・・と。
そして、それだけではない。
異形なる天使のその顔を私はつい最近も見ていたのだ。
―――ハクアリティス
そう、その異形なる天使は、エンディミアンであり今は恐らく銀月の都にいるはずの、あの天使の花嫁である彼女と瓜二つの姿形をしていた。
これは、どういうことだ?
しかして、その答えには至らず私の意識は完全に灰色に覆われ、記憶はそこでぷっつりと切れた。
気になる所でヒロの意識が完全に切れました。果たして、ヒロは本当に悪魔になってしまったのか?聖櫃から出てきた天使の正体は?黒き神の封印は解かれるのか?
・・・と、まあ、色々気になる所ではなりますが、ヒロの意識が完全に切れた形となるので彼の話とは、しばしお別れです(笑)次からは、お忘れの方も多いかとは思いますがヒロに置いて行かれた人々が、どうなったかエヴァンシェッド視点でお送りしたいと思っています。