第71話 神と天使、そして悪魔 3
ガンと、金属同士が激しくぶつかりあう音が鼓膜を激しく振るわせる。
それは黒の剣と黒き神が何処からか取り出してきた剣が、ぶつかり合った音。
幻だという割には、神は確実なる実体をもって存在している。
私はそれを確認しながら、黒き神と剣を合わせたと思うとすぐに身を離し、地面を蹴って再び飛びかかり、剣を振り上げた。
そこには、何の計算も作戦もない。
純然たる、破壊衝動だけで私は黒き神に剣を振り上げていたのだから。
そして、その破壊衝動に呼応するかのように、息苦しいまでに熱い身体からは灰色の魔力が吹き出してくる。
自分の中から湧き上がるその灰色の魔力が、私を制御無きまでに凶暴な破壊衝動だけの獣にしてしまっていた。
でも、どうしてだ?
どうして、私はこんな風になっているのだろう?
下らない理由のためにユイアを死なせた黒き神への怒りで、私は我を忘れている?
それとも、ユイアを守りきれなかった不甲斐無き自分への憤りのための八つ当たり?
だが、これはそんな生易しい感情とは一線を画しているような気がしてならない。
何だろう、本当にまるで獣にでもなったみたいに、全ての人間性を捨てた私は人間ならば誰もができるような正常な思考すら出来そうもないのだ。
いや、そんなことはない・・・?
だって、こうして今も妙に自身を冷静に分析している私がいるじゃないか。
だが、それはまるで心と身体が分裂してしまったかのように、黒き神に向って牙をむいている自分を他人のように見つめている私だ。
戦っている自分は自分ではないような、そんなおかしな錯覚さえ私は覚えている。
黒き神に戦いを挑んだ所で、ユイアが返ってくるわけでも、私の無念が消えるわけでもないことを私は理解しているのに、剣を振り上げ続ける私は全く理解しようとしていない。
もはや、何のために振り上げられる剣なのかも、きっと私は分かっていない。
ただただ、何の目的のない破壊衝動に身を任せたその姿はあまりに醜く、見ているだけで不快になる。
これが、私だろうか?
いや、これも私?
それとも、これこそが私の本当の姿なのか?
こんな、まるで悪魔のようなに醜悪で、人間味のない私が?
悪魔?
私が悪魔?
「真の姿を現したようなだ。悪魔・ヴォルツィッタ。」
そんな私の思考とシンクロしたように告げられた言葉。
身体の私と剣を交わらせたまま黒き神が、にやりと笑った。前髪の奥から覗くその瞳は、間近で見ると怖いくらいに真っ黒だ。
そして、笑みを湛えたままに黒き神は、身体の私を力押しで地面に薙ぎ倒してきた。
「・・・っぐぁ!」
無論、ただ倒されただけなので大きなダメージがない身体の私はすぐに起き上がろうとしたのだが、上から頭を足で踏みつけられて私は再び地面に倒される。と同時に体に声を出すほどの激痛が走ったのだ。
「痛いだろう?ご主人様に逆らった罰だ。忘れてもらっては、困るがよぉ。お前は俺と契約を交わしているんだ。契約に基づきお前の身体は俺に逆らえないようになっているんだぁよ。ヴォルツィッタ?今も昔も、お前は俺様の下僕なんだ。」
言いながら、頭を踏みつけた足がぐりぐりされる。
更に私を踏みつけながら、黒き神の話は続く。だんだん、神も興奮しているのか、声はだん次第に大きく張りあげられゆく。
「そう!千年前、お前はあの忌々しい天使の翼を切り落とした、我が下僕の悪魔・ヴォルツィッタの転生した姿。懐かしいぞぉ、お前は前世の姿と瓜二つだからな。それどころか、お前は昔の記憶すらも見ているはずだ。昔もお前の武器だった黒の剣を通してな。」
あくま?
アクマ?
・・・・悪魔。
言葉は私にまで届いても、あまりに考えもつかない話に、その意味を自分の中で形あるものにするのに時間がかかる。
だが、理解してしまえば、もうその言葉は聞かなかったことにできない。
黒き神は、私を悪魔だと告げた。
私がエヴァンシェッドの翼を切り落とした悪魔だと。
ユイアが死んだ罪人の処刑台で処刑された悪魔だと。
では、あの身に覚えのない走馬灯はいわゆる前世の記憶?
・・・そんなこと、急に言われても信じられるわけがない。
自分という存在を根底から覆すようなその事実は、結果、心の私のキャパシティーを大きくオーバーして、私を完全にフリーズさせた。
しかして、心の私はそんな状態なのに、身体の私は依然として破壊衝動を抑えられず、体は激痛に蝕まれているというのに、それでもなお黒き神に逆らおうとしている。
そして、そんな両方の私など無視して黒き神の独壇場は続いている。
「それにしても、痛いだろぉ?どうしてだか、わかるか?それはなぁ、その灰色の魔力のせいなんだぞ?」
言いながら、黒き神は私の頭から足をどかすと、すぐに私の後ろで一つに結ばれている髪を掴で私の顔を覗き込んだ。
「その灰色の魔力は異端の証。そしてお前が悪魔と呼ばれた所以。黒の一族、いやその昔、『異端の一族』と呼ばしめたのが、その灰色の魔力。それは、一族に人間が持つには大きすぎるほどの力を与えたが、代わりに耐えがたいほどの苦痛を与えた。それこそ、夜も眠れないほどの痛みだった。」
『異端の一族』。
それは、私が見た父親のメモにあった言葉の一つ。
「だから、お前らは俺様にその痛みを取り除いてくれと泣いて頼んできた。優しい俺はその望みを叶えてやった。おかげで一族は皆痛みから解放された。感謝しろよぉ?それから、お前たちは俺に泣くほど感謝をして、子々孫々に渡り俺の下僕なるという契約を交わした。」
身体の私が髪を掴まれようとも暴れているのを、どこか面白そうに黒き神は見ている。
「だが、俺様は結構用心深くてな?痛みがなくなったから・・・と、すぐにお前らが俺に対する感謝の心を忘れ、その灰色の魔力を使って神に歯向う・・・なんつーことがないように、お前たちに鎖を付けた。」
黒き神が髪を掴んでいる逆の手で、私が握りしめていた剣を抜き取る。
「それが、この黒の武器だ。」
ペシペシと、神が私の頬をそれで撫でた。
「一つ、灰色の魔力は黒の武器と契約を交わしたものしか使うことを禁ずる。一つ、黒の武器と契約を交わすためには大切な人間を生贄に捧げなくてはならない。一つ、黒の武器を俺様の意に沿わぬ使い方をした場合は、封印した痛みを全てその身に受けることとなる。これが、俺とお前たち一族が交わした契約だぁ。」
すなわち、『異端の一族』と呼ばれていた私の祖先は、魔力による痛みから解放されるために、このガラの悪い神の下僕となる契約として、神の一存がなくては力も使えず、神の意に沿わなくなれば命すら握られているという、自分たちの魔力も命も全てを委ねてしまったということ。
そして、私もまたその契約を結んだということなのだ。
自分が悪魔どうこうという事実より、そのことに気が遠くなるような気がした。
「そうだ。事のついでだぁ。もう一つ、面白いことを教えてやるよぉ。お前の親、ずっと何かを調べていただろ?」
そして、黒き神は急に話をガラリと変えてきた。
それにしても、父親のことまで知っているとは・・・こいつは私のストーカーか?
「何を調べていたと思う?」
心の私が身体の私を制御できていないと分かっているはずで、答えが返ってくるはずもないと分かっているはずなのに、黒き神は一々私に問いかけてくる。(すぐに自分で勝手に答えを言うくせに)
「それはなぁ、お前のことを調べてたんだよ。」
違う。父親が調べていたのは翼の伝説だと、心の私はすぐにそれを拒否した。
だから、私は罪人の処刑台に訪れることになったし、結果エヴァの封印を解くことになったではないか。
それは、父親が調べていたのが翼のことだったから、そうなったんだ。
「話は一端かわるがな?俺は一定条件下でしか地上に姿を現わせねぇ。姿を現わせなければ、封印されている今の状況じゃあ、そうそうお前にコンタクトもとれねぇのよ。その一定条件つうのが、大まかにいえば異端のある場所なんだ。ここでいう、異端ってのは罪人の処刑台やこの灰色の花園みてえに、異端の魔力、灰色の魔力に満ちた場所のことだ。だがよぉ、そんな場所、そうそう多くある訳じゃねぇだろ?それに、お前が例え俺様の下僕であっても、封印された俺がお前にここに来るように強制はできねぇ。ってことはよ?お前が異端の場所に来る可能性ってのは、本来そうは多くねえんだ。」
確かに、それはその通りだ。
でも、その少ない可能性を私は引き当ててしまった。
ああ、異端の場所に行きさえしなければ、もしかしたら私とユイアは未だに二人で生きていたかもしれないのに。
私はなんて運のない男だろう、とそこまで考えて、ふと思った。
そういえば、どうして私はそんな場所に行くことになったんだっけ?
「だから、俺はその可能性を上げるために、確実にするために、お前の親にお前が生まれる前に、たまたま異端に近づいた時に言ってやったのよぉ。将来、お前たちから生まれる子供は呪われた『悪魔』だとな。」
―――悪魔
「言っとくが、告げたのはそれだけだ。だが、親ともそんなことを言われたら心配になるだろう?自分の子供が悪魔だとは思いたくないだろう?それに、悪魔とは何だ・・・とか?結果、お前の親が前世のお前の足跡を辿ることは目に見えていてた。お前の足跡、それこそ異端だからな。だから、親がその調べる過程できっとお前を異端に連れてくると、俺は踏んでた訳よぉ。」
―――本当に、親父は翼ではなく、悪魔について調べていたのか?
「結果、俺の思惑どおり親は一生をかけて悪魔について調べるようになった。まあ、大きな誤算だったのが、親が調べてるのに、悪魔って言葉を怖がりすぎちまったのか、お前を悪魔の関わる地から遠ざけちまったことだな。おかげで、お前との接触は遅くなっちまった。でも、お前は親の意志を継いで、異端の一つである罪人の巡礼地に辿りついてくれた。まあ、結果オーライだぁ。」
私に何を調べているか決して教えてくれなかった父親。
それは、私が悪魔かどうか、確かめるためだったのか?
ひょっとして、両親は私を悪魔だと思っていた?
いや、そんなことはない。
父も母も、私のことをとても大切にしてくれた。両親に関して言えば、私には幸せな記憶しかないんだ。
悪魔だと思っていたなら、私にきっとこんな両親の記憶は残らないはずだ。
それを、私に教えてくれなかったのは父親の愛情だ。私が悪魔であるなど、信じていなかった。いや、信じたくなかった。
そう、私は信じたい。
でも、それでもそんなことを言われて怖かったから、きっと私を異端の場所には、悪魔の纏わる場所には連れて行かなかったし、それに何を調べているかも教えてくれなかった。
なのに、私はわざわざ自分から異端の場所へ行った。悪魔について調べ始めたのだ。
その事実に愕然とした。
ああ、悪魔という存在から、できるだけ遠ざけて育ててくれた両親の思いなど知らずに、私は自ら悪魔へと近づいて、そして、ユイアを殺したのだ。
絶望が私は支配する。
そして、その絶望に呼応するように、私の中の灰色の魔力が音を立てて沸騰し出した。
詰め込み過ぎた感もありますが、色々分かってきた感じですよね。ヒロにも、こんな隠された事実があったわけですよ。
でも、黒き神との場面は、これがメインではありません。当分、このガラの悪い神様とお付き合い頂く形となりますが、皆さまどうか見捨てずにお付き合いください。