第70話 神と天使、そして悪魔 2
黒き神 ウ・ダイ
その名を聞いた瞬間に、その黒い魔力を肌で感じた瞬間に、私の体の下の方から何かが湧き上がってくるような感じがした。
それが、もう口や鼻、耳など、私の体にある穴のすべてからあふれ出るような感じ。
だけれど、それを私の中から出してくなくて、私はそれを飲み込んだ。押さえこんだ。
そして、その名の実を知ったのは三大天使・サンタマリアの話の中。知られざる千年戦争の真相を聞かされた時。
蓋し黒き神 ウ・ダイ、それは世界全てに復讐を誓った神殺しの神の名。
聞くところによれば、人間を煽り、私の先祖である黒の一族とともに千年前には多く存在していたという神々を殺して回り、結果、黒き神を討伐するために天使たちは終焉の宣告を発動させ、東方の楽園は死の世界へと姿を変えた。
私のご先祖様と関係があるようだが、正直、この話だけを聞いていれば私を含め後世の人間たちからすれば、ただただはた迷惑な・・・なんて軽い言葉ではいけないかもしれないが、この神さえいなければ、この世の中もっと平和で穏やかでなかったのかと思うような存在だ。
それにしても、サンタマリアの話では終焉の先刻の発動で死に瀕した黒き神は、天使たちによって捕えられ、最後は白き神に封印されたと聞いていた。
それがどうしてここに、私の前に立っていられる?
偽物か?しかし、そんな嘘をつく理由はないな。
「その顔、ちゃんと俺が誰だかは分かっているようだな。しかも、どんだけ俺の悪口ばっかり聞かせられたんだか。俺を思いっきり不信がってるだろ?」
そんなことを言われても、自分でどんな顔をしているかなど分かるはずもないが、言われた通りの顔をしているんだろう。大体そんな感情でいるし。
だから、ずばり思い切って聞いてみる。
「本物なのか?」
そういうと、長い前髪の奥にある黒い瞳が、一瞬大きくなってから面白そうに細められた。
「はは、おもしれーこと聞くなぁ。おう、見ろよ。この黒としか言い表しようのない魔力。お前だって感じてるだろ?黒の武器と同じ色の魔力だ。これを持つのは、黒の武器とその魔力の根源である俺様、黒き神だけだ。」
纏う魔力を私に見せ付けるように、男は手をかざして魔力の固まりを作り出してみせた。
確かに黒の剣の魔力と、男の黒い魔力は色だけじゃない、その感触のようなものも似ているように思う。それに男が魔力を発し出してから、より一層黒の剣が熱く反応を示している。
まるで、共鳴しているようだ。
今までも黒き神の名を耳にしただけで黒の剣が反応する場面があったが、この反応の仕方はそれの比ではない。
それどころか、私の体にも変化がある。この吐き気のような、何かを吐きだしたいような感じ。・・・気分が悪い。
そうなると、本当の本当にこの男こそが黒き神ウ・ダイということだろう。(神にしちゃあ、威厳どうこうという前に、その身なみからして信じられないが)
「まあ、あんたが誰だろうが私はどうでもいい。」
男の正体が分かったところで、私の態度は変わらない。男に聞かなければならないことは、それではないから。
「それより、あんな趣味の悪いやり方で私をこんな場所に呼び出して、どういうつもりだ?」
ユイアのことを知っているというのは、灰色の空間での出来事を知っているということでとりあえず納得しておこう。(だからって、どうして黒き神が私に干渉してきたかは謎のままだが)
しかし、当たり前だがユイアの幻を使ってまるで誘き出すよう真似をされて、私が黙っていられるわけがない。
「なんだ、あれが気に入らなかったのか?お前も愛した女に会いたいかと思ってわざわざ用意してやったのに?」
「当たり前だろう!」
私の感情をかき乱すようなことをしたことで怒っているんじゃない。彼女はもはや、私にとっては罪の象徴であり、聖域なのだ。
それを、そんな風に扱われて誰が喜ぶと思う?
「感情的だな。お前は今も昔も変わらねぇな。」
「?」
懐かしむように言われたが、昔と言われて思い当たる節もない。
あの時、灰色の空間のことで言われているのか?あんな僅かな時の間で、そんなことを言われる筋合いはない。
黒き神の物言いに違和感を感じた。
「まあ、その話は後だ。それより、俺はお前と話がしたくてここに呼んだ。俺は封印されたままだからな、ある一定の条件下でないと現実世界に姿を現わせれない。今の俺は幻に近い存在だぁ。・・・さて、時間もないんでさっさと本題に入らせてもらうぞ。」
やはり、封印されているというのは本当らしい。だが、幻というには存在感は確かであるし、それに一定の条件とは何だ?
しかし、私と話をしたいと言った割には、黒き神は自分の話だけを一方的に話し始める。(それにしても白き神もそうだったが、神ってやつは自分のことしか考えられんのか?)
「単刀直入にいえば、お前は俺の封印を解くためにここにいる。」
更に偉そうというか、その明らかな命令口調な言葉にカチンときた。
確かに私のご先祖様はこの神の僕か何かだったかもしれないが、だからって千年も前の話を私にまで適用しないでいただきたい。
「何で私がお前の言うことを聞く必要がある?」
当然の物言いだ。普通、誰だってそう思う。
だが、その物言いに対して返ってきた言葉は思いもよらないもの・・・いや、それどころか私に対して大きな大きな衝撃を与えることになる。
もしかしたら、それは私が一生知りたくもなかった事実だったのかもしれない。
「黒の武器は俺の魔力の一部。それに生贄を捧げたということは、俺に忠誠を誓ったつぅ『契約』になるんだよ。だから、あの女がお前のために死に黒の剣の力を得た時点で、お前は俺に忠誠を誓ったという『契約』をしたことになる。俺様の思惑どおりに、どっちかが死ぬまで破棄されねぇ『契約』をなぁ。」
その、言葉尻が上がる聞いていて不快な言葉を最後まで理解した瞬間に、身体が沸騰したような感覚を覚えた。
そして、吐き気が強くなった。
「・・・あんたは私に忠誠を誓わせるために、ユイアを死に追い込んだのか?」
なのに、現実の自分は恐ろしいくらいに冷静な声だった。頭は身体とは正反対なほどに冷たくあった。
「おお?怒らねぇの?お前が声を上げて怒るリアクションを楽しみにしてたんだがなぁ。お前は過去のことは、あまり引きずらねぇ性質か?思ったより冷てーやつだな。」
「・・・ユイアを殺したのは私だ。それについて、例えそれにあんたが干渉していたとしても、それはユイアを守れなかった私の罪だと思っている。それより、私の質問には答えないのか?」
物言いも黒き神がこれから話そうとしている推測される事柄にも、事実として、怒鳴り散らしたいような、腸が煮えくりかえる気分である。
だが、そうであっても私の言ったことは、私の中の変わらぬ事実なのだ。それは、例え何があっても変わりはしない。
きっと、だからこんなに私は冷静でいられる。
「・・・ちぇ。つまんねー。」
そんな私の様子に、黒き神も調子が外れたのか小さく悪態をつくと仕方なく私の問いに答え始めた。
「まあ、大体がお前の思ってる通りだと思うぜ?そうだ、お前を従わせるために俺はお前の女を死に追い込んだ。」
グワリ、グワリと視界が歪む。
せり上がってくるものが強く大きくなる。それは、今まで私の中にあるとは知らなかった何か。
「どうやって、ユイアを死に追いやった?」
『ヒロを守るために私は命を捧げるの。』
そうだ。
ずっとずっと不思議に思っていた。
結果、黒の剣の力を解放させたユイアの自殺に近い行為。
だが、黒の剣の真実を知らなければ現実になるはずのない行為。そして、私はその話をユイアに教えてはいなかった。
私を助けるためという理由は立てど、その行為につながる情報を彼女は持ち得なかったはずなのだ。ならば・・・、
「簡単だ。お前の女に話してやったのさ。黒の剣を渡してやって、それで胸を貫けばお前の命と引き換えにヒロは命は助かることができるって・・・な。黒の剣の話を耳元で一から十まで話してやったのさ。そしたら、女は躊躇いなく自分の胸を刺したよ。想われてたなぁ、お前は。」
ユイアの死に顔がフラッシュバックする。
辛い、悲しい思いとととに、その言葉の端々から黒き神への憎しみも怒りも膨らみ、それと一緒に先ほどからせり上がってくる何かがもう溢れそうになる。
そして、一緒に思い出されたユイアに黒の剣を渡していた、顔の思い出せないあの灰色の天使。
「ユイアに黒の剣を渡したのはあんたか?」
「・・・ふーん。お前、もしかしてあいつを見たのか?まあ、そうだ。それをしたのは、俺じゃねぇよ。計画を立てたのは俺だけどな。」
私の言葉で何を言わんとしているかを理解した黒き神は、あっさりと私の疑問を肯定した。
やはり、あの天使は幻ではなく現実だったのだ。
だが、黒き神の計画にどうして天使が協力していたのかという疑問は残る。
「では、あの天使は一体?」
私がその問いを発したと同時に、幻とは思えないほど圧倒的な存在感を持って、黒き神は自分より一回り大きな魔力を纏い私を威嚇した。
「お前には関係ない。」
静かだが、これ以上こちらにものを申させぬほど強い拒絶だった。
不思議に思ったが、他に聞きたいことがあった。だから、私はとりあえずその質問をそれ以上言葉にはしなかった。
それに、私の中の何かがもう溢れんばかりになっている。きっと、もう我慢できなくなる。
だから、問いの紡ぐ言葉は早くなり、私は急いだ。
「では、もう一つ。どうして、私だった?」
「んん?」
そう、これが一番聞きたかった。
「封印を解くために僕が必要だったんだろう?」
感情の乱れのあまりに忘れそうになるが、黒き神は私に封印を解けと言った。
だから、恐らくそれこそがこの神が私をここに呼んだ理由。黒の剣を解放させた理由。
そして、ユイアを死なせた理由に繋がる。
ユイアを殺したのは私だという意識は、黒き神の言葉を聞いてなお変わりはしない。きっと、どんな事実が出てきてもそれは変わりはしないだろう。
だが、その根底にあった理由は知りたいと思った。結果は変わらないとも、私とユイアが、どうしてこんな目にあったのかその理由は。
「どうして、それが私だった?黒の武器が必要だったのか?だが、他にもそれを持つ黒の一族はいただろう?」
その問いには、先ほどとは打って変わって黒き神は晴れやかな表情になる。私の表情は色々なものを我慢するあまりに怖いくらいに固まり、強張っているというのに。
「それは簡単だ。黒の武器は必要でないが、黒の剣が必要なんだぁ。そして、黒の一族は必要でないが」
ああ、もう我慢できない。
口までせり上がってきた何か。
悲しみも、怒りも、憎悪も、絶望も、慟哭も人間が持つ全ての感情があふれてくるような、そうあのユイアを失った時と同じような名のつけられぬような感情が、その何かとともに、もう私の中では抑えきれないものになった。
「天使の翼を切り落とした悪魔であるお前が必要なんだぁ。」
黒き神の言葉癖だろう。時々、こちらを不快にさせるほどに言葉尻が上がる。この時も上がった。
そして、その言葉尻が上がった言葉を聞いた瞬間に、我慢していたものがついに爆発した。
灰色の世界に一つあった黒い存在である神を、私から溢れだした灰色が襲いかかった。いや、灰色が襲ったんじゃない。
灰色の魔力を纏った私が黒き神に襲いかかっていた。
黒き神なんて、大分前の説明になると思うのでお忘れの方も多いことでしょうが、詳しくは第二一話あたりを読んでいただければ、ヒロが言うところのサンタマリアの話があります。
さて、ユイアの死の真相にまつわる話とともに、ヒロについても何かが分かりそうな展開となってまいりましたね。次回は、予告どおり一週間後くらいの更新になりそうです。