第六十七話 白と黒、混じり合いしは異端の色 其の八
【注意】
この話には、流血表現があります。苦手な方はご注意ください。
「ヒロ、愛しているわ。」
ユイアは笑ってそう言った。
私もだ・・・と伝えたかった。
だけれど、それは永遠に叶わない。
私はユイアさえ生きていてくれれば、それ以上に望むことなどなかったのに。
ユイアに恨まれても、忘れられてもいい。彼女が笑って生きていてくれるなら、私はそれで本望だった。
しかして、私を一人残して彼女は消えてしまうのだ。永遠に。
愛の言葉とであると同時に、解けることのない呪いとなる言葉を呟いて―――
第六十七話 白と黒、混じり合いしは異端の色 其の八
どれほど、私が逃げろと声を張り上げても、ユイアは逃げ出すどころか足が大地に根付いたかのように頑なに動こうとしなかった。
・・・仕方がない。
このままでは、ユイアが逃げるより私の方が先に巨人にやられてしまう。私はユイアが逃げぬのならば、自分が巨人を連れて彼女から離れることに決めた。
だが、巨人の息をつかせぬ攻撃を避けながら、巨人の開けた穴から外に飛び出すのも難しい。
更に吐く荒い息遣い、大きく叩く心臓の早い音、何度も叩きつけられた痛む体。精神的にも体力的にも私は限界に近づいていた。
それでも、ユイアの命を守るためだと気力をふり絞り、私は穴のあいた壁から勢いをつけて外へと転がり出ようとした。
そして、最後にもう一目だけでもユイアを見ておきたいと、振り向きざまに彼女を見やったのだ。しかし、私はユイアだけでなく思いもよらぬものを目にすることになる。
それは、ユイアの他にもう一人の見慣れぬ女。
もしかしたら、幻か見間違いかもしれない。しかし、その時の私の眼には、十数メートル先のユイアの横に灰色のドレスを着た翼をもった女が見えていたのだ。
そう、それは天使だった。
一瞬思ったのは、これが死ぬ間際に見えるという天からの遣いではないかということ。だが、それならどうして私ではなくユイアの傍に天使がいる?
更に天使は、いつの間にか巨人の手の中から消えていた(多分、私を攻撃している間に落したのだろう)黒の剣をユイアに手渡しているではないか。
いやいや、これも渡すなら私だろうと、俄然それは幻でなければ、どんな意味を持つ光景だか分らない。
しかし、私の眼には天使が現れた意味よりも何よりも、焼き付いているものがある。それがあるから、私はあれを幻だとは思えない。
あのユイアがうっとりとしたような、いや、何かに魅せられた如き狂気に触れたあの表情、異端の扉で見たあの表情が。
ユイアはその幻というには、どうにも現実味を帯びすぎた表情をしたままに、天使から黒の剣を受け取っていた。
その意味を、私はユイアのあの表情の意味を知りたかった。いや、私は知らなくてはならなかったはずだ。
しかし、私は巨人の攻撃を避けるために再びユイアから視線を外さなければならならず。その意味を問いただすどころか、劇場の外に出たたため彼女の姿は全く見えなくなる。
だが、ユイアと天使の二人の姿が瓦礫の影で見えなくなる最後の一瞬、私の角度からは見えなかった灰色の服を着た天使の顔がこちらを見て、私と目が合った。
そう、私は確かにその天使の顔を見たはずなのだ。
なのに、五年たった今でも私はその顔をどうにも思い出せない。
その天使が幻であろうとも、私は確かにその姿を覚えているはずなのに、顔を思い出そうとすると不思議に霞がかかったような記憶になる。
一瞬だったからか、それともそれこそが天使が幻であるという証拠なのかもしれない。だが、今となってはそれを確かめるすべもない。
・・・気にはなるが、今は話を本題に戻そう。
巨人の攻撃を必死で避け続けユイアが逃げないのであれば、私が巨人を連れてユイアから離れるだけだ・・・という作戦を実行にうつした私であったが、それは結局巨人の攻撃をより猛攻にした結果となった。
逃げる場所は広くなったのだが、だだっ広い不浄の大地は隠れる場所が少なく、また巨人の大きな体の長いリーチを存分に発揮されることとなったのだ。
右に左に大きく走り動き、背中に巨人の気配が私の真後ろから離れることもないという極度の緊張状態。
しかして、私はただただひたすらに逃げ続け・・・というか、もうそれしか考えられなくなっていく。
「はぁっ、はぁ・・・っ!」
そして、劇場からどれくらい離れたか自分でも定かではなくなるくらいに訳が分からなくなった頃、それは来た。
体力と気力の限界がきて、私はみっともなく足を縺れさせ荒地に倒れこんだのだ。
それを私を殺すことしか頭にない巨人が逃すわけもなく、すぐに恐ろしいくらいに早い腕の攻撃が倒れこんだ私の体を貫こうとする。
しかし、ただひたすらに往生際の悪い私は、それを倒れこんだまま地面を転がってぎりぎりで避ける・・・が、転がり続けて仰向けになった私は、巨人を見上げる格好となり、それまで逃げるだけで精一杯で振り向けなかった巨人の姿が視界に飛び込む。
「っ!」
だが、一撃を避けて安心していた私の目の前には、既にもう片方の腕の攻撃が迫っていたりして・・・、瞬間に感じたのは逃げられないという諦めだけ。
しかして、人間は死ぬ気になればなんとかなるもので、私は再び大地を勢いよく転がってぎりぎりの所で逃げた。
これで、巨人の両手が地面にのめりこんだ形となり数十秒は猛攻の隙間ができると、私はすぐさま立ち上がり逃げようとした。
だが、私の考えは甘かった。
なんと巨人は両手をめり込んだ地面から抜くこともなく、そのまま隙など私に与えぬように体ごとぶつけてくるような勢いで首を伸ばし、砲弾のように私に降りかかろうとしていたのだ。
・・・まあ、要は頭突き。
まさか、この状況で巨人の頭突きがくるなど考えてもいなかった私は、頭が真っ白になり、今度こそ攻撃を避けるどころか、一歩もそこから動けなり自分の死を覚悟した。
迫りくる巨人の顔。死の間際だからか、スローモーションで私に近づいてくる。
あんな世にも恐ろしい顔にぺちゃんこにされて死ぬくらいだったら、腕に貫かれてたほうがましだったかもしれないなんて、のんびり考えれる余裕すらあったのだから。
でも、そんな下らない考えはすぐに私の中から消え去って、最期に私の脳裏に浮かんだのは、ただひたすらに愛おしいユイアの笑顔。
・・・さようなら、ユイア。
その笑顔に向って心の中で最後にそう呟いて、迫りくる最期の時を意識して私は瞼を瞑った。
すると、様々な映像が瞑った瞼の裏に映し出されてくる。きっと、死に際に見るという走馬灯に違いない。
見たこともないような美しい子供の笑顔。
髪を振り乱しヒステリックに叫ぶ女。
剣を向け、殺意をむき出しにした髭を生やした男。
―――どれも、私が今まで見たこともない映像だった。・・・これが、走馬灯?
そして、様々な見覚えのない人間たちが全てブラックアウトして、次に現れたのは鮮やかな赤と白。
切り落とされた翼。
白い背中、吹き出る血潮。
そして、穢れを知らない純白の羽と血にまみれた紅の羽が舞い散っていく。
―――何だ?これは?
そうして走馬灯とは言えない映像が次々に映し出されていく中、赤と白も消え去って私は再び灰色の空間の中にいた。
しかし、どういうことだと私が疑問に思う前に、現れたのは宙に浮かんだぎょろりと私を見つめる一つの大きな瞳。
―――ドクン
それと目があった瞬間に、大きく胸が高鳴った。いや、そんな言葉は生ぬるいほど、私の心臓は破裂しそうなほどに大きく動いた。
そして、割れそうなほどの頭痛とともに声が響いた。
―――ニガサナイ
その声を耳にしたと私の頭が理解する前に、私はここにいてはいけないと本能が呟いた。
瞬間に、私は無理やり夢から覚めるように走馬灯を中断させて、瞑った瞳を開ける。
「・・・・はぁ、・・・はぁ、・・・はぁ。」
息を乱しながら、私の開いた瞳孔に映っているのは、瞳を閉じる前と同じ巨人の世にも恐ろしい形相のアップ。
悪夢から覚めたかのようなぼんやりとした思考。だが、それを見て私は巨人に殺される寸前だったことを思い出す。
・・・どうして、私はまだ死んでいないのだろう?
フリーズした頭で色々に思考をめぐらせ、視線を動かす。
そして、数秒後、私はフリーズしたのは私の頭ではなく、巨人自体であったことを理解した。
そう。私を潰してしまうあと一歩の所で巨人はその動きを完全に止めていたのだ。
早い息遣いと鼓動が静まるのを待つように、ただただその事実を知っても茫然とその場に立ち尽くす私。
巨人は石のように固まり、息すらしていなかった。そして、巨人はそれこそ本当に灰色の彫刻にでもなってしまったかのように、両手を地面に突き刺したままに絶命している。
正直、訳が分からなかった。
自分の危機が去った・・・という感覚は、絶命した巨人を目の前にしても湧いてこなかった。それは、いつまでたっても収まろうとしない早い息遣いと鼓動のせい。
だが、それは次に私が目の当たりにする最悪の光景を予感していたからだったのだと私は思う。
ともかく、巨人がどうして動かなくなったのかは定かではないが、ここに突っ立ったままでいても仕方ないので、私はユイアの元に駆けつけようとしたのだ。
麻痺したように動かしにくい体に鞭を打ち、ともかく劇場に戻ろうとした私だったが、体を動かしたことでそれまで見えていなかった巨人の先ほどと違う部分に気がつく。
それは、ぽっかりと空いた巨人の左胸。
血もでておらず、まるで心臓だけがくりぬかれたように、真ん丸な穴が巨人の体を貫通して、穴を通して向こう側の景色まで見え・・・
「ユイアッ!!!」
体が動けないとか、痛むとか、そんなものは頭の中から消え去った。
だって、だって、巨人の左胸の穴を通して見えた景色の中にユイアがいたのだ。
左胸を血で真っ赤に染めたユイアが・・・っ!
私は混乱する思考のままに、血まみれで立ち尽くすユイアに駆け寄った。
ユイアは私に死を目の前にした人間の濁った瞳で視線を合わせると、にこりとかすかに笑ってその場に力なく崩れる。
私はユイアが不浄の大地に倒れる前に、それを抱きとめる。
「ユイア?!ユイア?!」
「・・・ヒロ。」
まだ意識はある。
「大丈夫だ!すぐに私が傷を治してやるからな?・・・・っ!」
ともかく、今はユイアの命を繋ぎ止めるための処置をしなければと、血に染まった彼女の左胸を見て私は何度目になるか分からない衝撃を受ける。
何故なら、ユイアの胸を貫いていたのは自分の愛剣・黒の剣だったのだから。
どうして?どうしてだっ!
ただただ混乱するばかりの私だが、ともかくユイアの左胸を貫くものが何であろうが、今はそれを抜くことから始めなければ、どうしようもない。
考えることは後でもできると、私は黒の剣に手をかけて、その柄が火傷しそうに熱いことを知った。
一瞬、驚いて手を放すが、すぐに再びその柄を握りユイアから引き抜こうとする。
だが、それを止めるものがあった。
「や・・・めて。このままで・・・。」
力ない細いユイアの声。だけれど、出血量の割には彼女の意識も声もしっかりとしていた。そして、それとともに、黒の剣に手をかけた私の手にユイアの自身の血に濡れた手が重なる。
「・・・何を言ってる?」
「これは、私が望んだことだから。」
言っている意味が分からなかった。
望んだ?ユイアが?何を?
「ヒロを助けるためにできるたった一つのことを・・・私はしたの。」
口の端から血を流しながら、血の気の失せた白い顔なのに、ユイアはまるで幸せの絶頂とでも言わんばかりの蕩けた笑顔を私に見せる。
いつもなら、それを見て私も幸せになれるはずなのに、今はそんな彼女の顔すら怖かった。
「ヒロを愛している。」
―――ああ、やめてくれ。
「だから、私は貴方のために自分の命を捧げるの。」
―――これ以上は、聞きたくない。
「そして、私は黒の剣の中で永遠に生き続けてヒロの力になる。ヒロを守る力になる。」
―――嫌だ・・・嫌だ、嫌だ!
「そうすれば、ヒロは私を永遠に忘れない。そうすれば、彼女に勝てるでしょ?」
・・・新年早々、辛気臭い話ですいません。でもまあ、ヒロとユイアの話は9割方終わりました。あと、ほんの少しです。次は回想編クライマックスと話を現在に戻す形となります。