第7話 天使は悪魔の如く笑う 3
注意書き
この話は戦闘場面があり、ぬるいですが流血表現や暴力表現等があります。
お嫌いな方はご注意くださいませ。
千年前、神と天使よって東方の楽園に追い詰められた人間たちが行き着いたのは、大地と大地の狭間にあるといわれる最果ての渓谷という場所。
そこではかつてないほど激しい戦いが繰り広げられ多くの人間が天使によって殺された。
天使は神に逆らった人間たちに与えられし大いなる力を見せることにより、人間たちに戦うことを無意味さを知らしめようとしたのだ。
しかし、天使の勝利による短期決戦で決着がつくかと思われた最果ての渓谷の戦いは予想外に泥沼の様相を呈することとなる。
―――何故ならば、人間に天使の力に匹敵する能力を持つ一族の存在があったためである
言い伝えによると彼らは強大な悪の力を持ち、人間たちに神から大地の奪取をすることを唆し扇動したというのだ。
しかして、その一族の存在により神の目論見は外れ、戦いは天使にも多大な犠牲を出す熾烈なものへと変わり、世界の果てにあるといわれる最果ての渓谷は地獄の戦場と化した。
そして、戦いは両軍とも決着がつかないままに、終焉の宣告の発動が天使を勝利へと導き人間を地獄へと突き落とした。
結果、東方の楽園は神の教えのもと天使たちに導かれかつての楽園に還る日を待ち続け、人間は神に懺悔と祈りを捧げ続けるエンディミアンと、未来永劫罪を償い続けるアーシアンに別れ、現在まで天使たちに支配され続けている。
しかし、悪の力を持つ一族についての記述は終焉の宣告後、一切途切れており彼らがどうなったかについては後世に生きる私たちには何一つ分かっていない。
彼らが歴史上に登場したのは、この最果ての渓谷の戦いにおける神話の記述しかなくその一族については名すら分かっていないのだ。
それでも、語り継がれる物語の中で、その一族の末裔ではないかと言われている一族がある。
その一族は自らを流離人と名乗る流浪を続ける民・・・すなわち私の一族だというのだ。
正直言って、自分がそんな大それたことをしでかした一族の末裔などということは聞いたこともなかったのだが(それに例えそうだったとしても千年前もの話で私には何の関係もないだろう)、それでも一つだけ私には普通に人間とは違うかもということに思い当たる節があった。
それは・・・
「あらぁ?」
エンリッヒの妙に気の抜けた声が、私の悲鳴に似た叫びの名残が残る大地に響く。
「エヴァさんとハクアリティス様が、わいの前から消えてなくなったように見えるんやけど、ヒロさんどう思わります?」
悪魔の大鎌が振り下ろされた先に、エヴァの惨殺死体は存在しない。
私の目の前で大鎌が振り下ろされるその瞬間、エヴァとハクアリティスは忽然と魔法のようにその場から姿を消していた。
―――エンリッヒも見ているのであれば、これは幻でも私の願望でもないらしい
私は安心で体から力が抜けるのを感じた。
「・・・よかった。」
思わず安堵の溜息と共についた言葉。
実はエヴァたちがこの場から消えたのは奇跡や偶然などではないく、私の使った『魔法』のおかげ。
故にもちろん実はエヴァたちが消えることは想定内の事態であった。
ただ、エンリッヒの行動が思いのほか早かったため、『魔法』がギリギリまで発動しなくて心臓が止まるほど驚いたのだ。
まあ、何はともあれ『魔法』は間に合ったのだから、エヴァとハクアリティスは今はもう安全な場所にいるはずだ。
安心したのもあるが、このいけ好かない天使を出し抜くことができて非常に愉快で、思わず口元に笑みを浮かぶ。
「ちょいとヒロさん?その妙に人の悪そうな笑顔は何ですの?」
しかして、私が笑っていることに何かを感じ取ったのかエンリッヒがジトリと私を見据えた。
同時にエンリッヒの声の調子や雰囲気は変わらないが、彼を取り巻く空気の温度が下がったのを感じた。
さっきまで、やられてばかりだったので実に気分がいい。うん。
私は更に笑みを深め、
「さあ?別に?」
と嫌味ったらしく言ってやる。
わざわざ敵に素直に教えてやるわけはないだろうが、この笑顔を見れば私が何かを知っているのは明らかであろう。
エンリッヒがあからさまに溜息をつく。
「全くアーシアンちゅうのは、どうしてそんなに死にたがりなんかねぇ?天使を挑発するなんて神への冒涜でっせ?何の得にもならしまへんがな。」
そして、寧ろハクアリティスがいなくなろうとも自分の優位を疑わず私を挑発してくる。
確かに二人がいなくなったところで、私とエンリッヒの力関係は変化があるわけではなく、私の天使を相手にするという絶望的状況は変わっていないのだ。
―――だが、それがどうした?
「どうせ生まれながらの罪人だからな、今更冒涜の一つや二つ大したこともないだろう。それに何の得にもならなくても私は気分が良い。」
どうせアーシアンは何処までいっても天使たちにとって罪人なのだ。
そう思えば、自分でも呆れるほどに開き直って啖呵をきれた。
そんな私にエンリッヒは戸惑ったような表情を浮かべる。
「こんな風に正面から喧嘩売られるんは久しぶりですわ。言っときますが、わいは向こうてくる相手にはどなたさんであれ容赦しまへんでぇ。あんさん、まさか天使に勝てるとでも思ってるんでっか?」
言っている言葉は冗談半分だったが、その声は殺気が篭った威圧するような低い声だった。
「だから、さっさと言ってしまいなはれ。ハクアリティス様さえ渡してくだはれば、あんさんとエヴァさんは見逃しましたりますから。」
はなから自分に敵うはずもないのだから、ハクアリティスの居場所さえ教えてくれれば逃がしてやろう・・・ということらしい。
どうやら、ハクアリティスはそれほどまでに彼らにとって重要人物ということのようだ。
―――本当に厄介なことに巻き込まれたもんだ
そう改めて思いながら、天使の提案にさてどうしたものかと考える。
まあ、普通なら昨日会ったばかりのあんな傲慢な女のために私もエヴァも命を張る必要などない。だったら、さっさと自分たちが助かる選択を選べばいいだけだ。
しかし、その反面で天使の物言いに私は酷く馬鹿にされた気がした。
確かに人間は天使から見たら非力だろう。それでも、人間にだってプライドってものがある。
だから、ほどんと無意識に言っていた。
「馬鹿にしないで貰おう。そんなみっともない真似ができるか。」
「何でや?あんさん、ほんまにハクアリティス様の愛人かぁ?たかが女子一人のために自分と仲間の命、差し出すといわはりますのか?」
そんな私に私の理性を代弁してくれるエンリッヒ。
だが、私はその理性を振り切った。
「そんな訳あるか。人間と言うのは天使ほど高尚にはできていない。誰かのために自分を犠牲にするなんて、綺麗事は言うわけないだろう。」
「じゃあ、どうしてでっか?」
「まず、一つはお前の言うことが信じられない。」
見逃すと言われて、二人の居場所を言ったらすぐに殺される可能性だって十二分に考えられる。
「あははっ。なるほど!一応誠心誠意言うたつもりでしたが、わいは中々人に信用されんのですわぁ。別にあんさんたちのことは命令されてるわけじゃないんでっから、元々抵抗さえなかったら見逃すつもりだったんでっせ?」
だから、そのしゃべり方が不審すぎて信用ならんのだ。
この男の様子では、男を信用しようとする人物のほうが稀であろう。
「一つってことは、それだけじゃないんでっしゃろ?」
私の心中など知らないエンリッヒが促す。
「まあ、大したことじゃないさ。もう一つって言うのは、単にこれで私が二人のことを話して助かったところで、後味が悪いからってだけのことだ。」
「そ・・・れだけ、でっか?」
私が鼻息荒く言い切ると、エンリッヒは驚いたような顔をした。
「そうだ。人間って言うのは天使と比べれば短い人生なんだ。だからこそ私は後悔や後味の悪い生き方だけはしたくない。自分の命は自分の思うように使う。」
天使相手に何を演説しているのか分からないが、天使相手だったからこそだったのかもしれない。
人は時として自分でも理解できない行動をしてしまうものである。
しかし、話もここまでだ。
「それに私もこっからが本気だ。心配されなくても、簡単に殺されてやる気はない。人間を舐めんなよ。」
そう言って笑うと、エンリッヒも笑った。
「あんさんには言葉で言ってもわからんようや。天使を甘く見とるとえらい目におうてしまいますよ?」
「上等だ。」
それ以上の語る言葉は無用だった。
―――ガンッ
剣と大鎌を交じらわせ、私と天使・エンリッヒの本気の戦いの幕が切って落ちた。
戦いは一応の均衡を保って、想像通りしばしエンリッヒ優位で停滞した。
何故なら互いに剣と大鎌による攻撃は互角といってよかったのだが、如何せんエンリッヒにはあの翼がある。
私が追い詰めるとひらりと上空に逃げられるのに対して、私には何処にも逃げ場はない。
「はぁ、はぁ」
おかげで一方的に私ばかりが消耗をする。
そして、私の劣勢を更に助長する要因がもう一つ。
「蒼の風」
私との剣戟を避けて上空に逃げていたエンリッヒが言霊を口にすると、彼の翼が淡く蒼い光を発し上空に無数の風の刃が私目掛けて放たれる。
これぞ天使の力。
人間がもちえない『魔力』、人智を超えた力というやつである。
その自分の真上にある無数の風の刃を、避けることも叩き落すことも不可能だと判断した私は、すぐさま腕で体を抱え込み防御の姿勢をとった。
「・・・っ」
痛みに思わず呻く。
風の刃は致命傷に至るほどの威力はないが、私を容赦なく切り刻んだ。
そして、その傷を確認するまもなく今度はエンリッヒ自身が大鎌を振り下ろしてくる。
「グッ・・・」
辛うじてエンリッヒの大鎌を剣で受け止めるものの、その受け止めている腕にも、踏ん張っている足にも無数の風の刃が刺さっていたり切り傷ができたりしている。
エンリッヒの攻撃を受けたその傷口から血が滲みでた。
「見ているこっちが痛そうでっせ。さっさと居場所を吐いたらどうですの?」
耳元で天使の囁き・・・いや、悪魔の戯言。
「誰がっ・・・!」
血が出ようが構わない。私はエンリッヒを押し返し、そのまま彼の体に切り込んだ。
剣の切っ先がわずかにエンリッヒの胸元を掠るが、大した傷は負わすことができない。
エンリッヒは再び上空へ逃げる。
「はあ、はあ、はあ」
息が上がる。痛みが全身に走る。
急速に血が抜けていくのがリアルに感じられて眩暈がした。
見れば私は全身血まみれになっていた。
もう一度、同じ技を喰らったら危ないかもしれない。
しかし、私の願いも虚しく、エンリッヒは再び技を使おうとまた翼を光り輝かせる。
「どうしまっか?もう一度この技を喰らいまっっか?その怪我でもう一度これを喰らったら、ただじゃすみまへんで?さあ、話してしまいなはれ。」
そんなこと言われずとも、本人のほうがよく分かっている。
風の刃はエンリッヒの号令を待つ犬のように、従順に上空で整列している。
エンリッヒが攻撃を命令すれば、刃は寸分狙いを外すことなく私を貫くことだろう。
「さあ。」
「・・・」
「さあ。」
「・・・」
私が押し黙ると、勝ち誇った笑みでエンリッヒが声を高らかに上げる。
絶体絶命のこの状況で話さないはずはないという自信が見て取れた。
「さあっ!」
二人の居場所を話すと言うことはエンリッヒに命乞いをするということ。命欲しさに強い相手に屈することだ。
命は無論大事であるから、人間がそういう行動に出ることに私は恥ずべき感情は抱かない。
しかし、それは同時に戦う者としてはあまりに屈辱的な選択であるのは確かなのだ。
だから・・・
「誰が言うか。」
私は最後まで意地を張り通す。
「な・・?!」
「誰がお前などに屈するか。」
エンリッヒに色々演説したくせに、そんなこととうに忘れていた。
戦っているうちにエヴァのこととか、ハクアリティスのことは私の頭から消えうせている。
誰がこのいけ好かない男に逃がしてくれと許しなど請うものかと、今の私を突き動かしているのはその思いだけだった。
それがなければこの怪我で気を失っていたかもしれないし、エンリッヒに許しを請うていたかもしれない。
人間、意地になる時というのはあまりに単純な動機のせいだったりする。
「わかっているんでっか?これは脅しじゃあらへんのですよ。わいは・・・」
何故だかエンリッヒのほうが動揺している。
この男、元々関係ない私を攻撃するのにためらいでもあるのだろうか。さすが、天使様はお優しいことだが、何とも甘い。
私は鼻で笑ってやった。
「ごちゃごちゃ、うるさい。やるんなら、やれ。受けて立つ。」
そんな私にやけくそになったのかエンリッヒが、腕を振り下ろし風の刃に号令をかけた。
「・・・っ!死んでも、しらへんからなっ!」
先ほどよりも多いのではないかと思われる風のの刃が、上空から私目掛けて降り注ぐ。
―――誰がこんなところで、死んでたまるものかっ!
降り注ぐ風の刃がスローモーションのように、ゆっくりと落ちてくるのを見上げながら私は決断を下す。
―――『あれ』を使うしかない
私は流れ出た血がべったりとついた手で、剣の刃の部分をつかむと言霊と一つ口にした。
「目覚めよ、黒の剣。」
銀の刀身が、私の血からじわりと黒く侵食する。
―――私が唯一自分が他の人間と違うと思う力、黒き力の目覚めである
加筆・修正 08.4.29