第六十四話 白と黒、混じり合いしは異端の色 其の五
「黒の剣には力が眠っている。」
それは、私の幼い記憶。
父親は言葉の意味を分かっていない私に、それでも言い聞かせるように語りかける。
「いいか?その力を決して解放してはいけない。それは人が手にするには大きすぎる力。そして、もし力を手に入れようとすれば、お前は対価として大切な存在を差し出さなければならない。・・・ヒロ、お前は大切なものを無くしたいか?」
当時の私はその言葉の意味の半分も理解していなかったが、父親の物言いが何だか恐ろしくて力いっぱい首を横に振った。
でも、今なら父親の言葉の字面だけでなく本当の意味も理解した上で、私はその言葉を首が千切れてもいいというくらいに首を横に振る。
あの頃より強く、鮮烈な気持ちを抱えながら。
・・・しかし、そんな感情を抱えた所で、何よりも大切なものを失ってしまった今となっては全てが遅い。
第六十四話 白と黒、混じり合いしは異端の色 其の四
罪人の処刑台という名こそあれ、そう呼ばれている土地はほとんど何もないただの荒地に近い。
不浄の大地では見慣れた風景である荒地に、いくつかの建物の残骸らしき壁や柱がぽつぽつと点在しているだけで、目につくものなど何もありはしない。
名や由来を知らなければ、普通に通り過ぎてしまいそうな場所なのだ。
しかして、そんな何の変哲のない荒地で、偶然にも地面のひび割れの隙間から地下室への入口を見つけたことは、ある意味奇跡に近かったのかも知れない。
だが、この時の私はそれを見つけたことは父親の導きであり、何としても『異端の扉』の先に進まなければという使命感を余計に燃えさせる結果となった。
そんな感情を後に死ぬほど、いや死んだ方がましなほどに悔いることになるとも知らずに。
「何か気付いたことはないか?」
昨日、私はそれこそこの『異端の扉』のある狭く暗い部屋をはいずり回り、隠し通路やスイッチでもないかと探したが、結局は何一つ見つけることはできなった。
だが、この地に長く息づき、私にあの伝承を教えてくれたユイアであるならば、もしかしたら何か気がつくことがあるかもしれない。
そんな一縷の望みを抱いて私は、松明の赤い光で揺れる部屋の中をきょろきょろとするユイアに言葉をかけた。
「えっ?!ああ、うん・・・、そうね・・・えっと。」
しかし、この地下室に来て十数分は経っているが、ユイアの方はどうにも上の空だったようで、私の問いに口を濁す。
それを見て私は外には出さなかったが落胆を感じずにはいられない。(だが、ここで感情のままにため息なんてつこうものなら、ユイアが傷つくのは目に見えているので、口の中でため息を押し殺すのだ)
さて、頼みの綱のユイアがこんな様子ではどうしたものか。
ハンマーもわざわざ重い思いをして(ギャグじゃない)持ってきたものの、改めて重厚で頑丈そうな石の扉を目の当たりにしてみると、どうにもブチ破れそうな気がしない。
しかして、父親の研究を知る上で恐らく大きな手掛かりになるであろう扉を前に、再び私は八方塞状態になってしまったわけで、私の中にここからどうしたものかという自分への問いが思い浮かぶ。
どうしたものかというのは、すなわち父親の研究を調べることを続けるか、やめるか。
正直、父親の研究を調べることは必要に迫られて始めたことではない。
はじめは父親のいなくなってできた空虚な気持を紛らわすために父親の研究を追い求めていたし、そういった部分はユイアと出会ったことによって相殺という訳ではないが(こういうものは誰かが誰かの代わりになるというものではないだろう)、ある程度自分の中で消化できてきていた。
父親の研究を調べる理由は現在、正直ないに等しいのかも知れない。
しかし、ここまで調べたのだ。
最後までやれるところまではやってしまわないと、どうにも後味が悪い出ないか。それに・・・
親父・・・、貴方は何のために、何を求めていた?
調べれば、調べるほどに分からなくなってくる、父親の研究の意味とそれを調べていた動機。
故人のことをあれこれと調べ回るのは、あまり褒められたことではないのかも知れない。
だが、ずっと一緒にいたにも関わらず、父親が生涯をかけて調べていたことを息子である自分が知らないというのは、子供な考えだと言われてもいいなんとなく嫌なのだ。
そう思いながら、ふいに腰に差したまましばらくその存在を忘れていたそれを私は取りだした。
父親が私に残してくれたたった一つの遺産である、黒の剣。
私はそれを握りしめて自分に対する問いを提示しながらも、結局は自分の決意を新たにするのである。
やはり、どうしても『異端の扉』の先を見てみたい、父親の研究が何であったか知りたい・・・と、一人で黙ってそんなことをあれこれ考えていると、ユイアがまじまじとこちらを見ていることに気がつく。
「どうかしたか?」
私は尋ねる。だが、私の方を見ているのに、声も発せずにこちらを見つめたまま固まってしまっている。
やはり、様子がおかしい。
私は本格的にユイアの心配をし、彼女を家に帰そうと思ったのだが、その前にユイアが口を開いた。
「ヒロ・・・、その剣をいつも大事にしているわよね?」
脈絡のない、唐突な問いだった。
しかも、別に黒の剣をさほど大事にしているという認識は私にはない。だが、とりあえず彼女に肯定の意を示す。
「?あ、ああ。まあ、先祖代々受け継がれてきた剣だからな。」
言いながら気がくつ、ユイアに黒の剣の話はしていない。というか、本当にこの頃の黒の剣は何処にでもある剣にすぎなかったので、とりたてて説明うする必要を感じていなかったのだと思う。
だから、ユイアが急に黒の剣を気にする理由がさっぱり分からなかった。
ここに来るまでの『翼に対するお願い』の話といい、ユイアが私に何かを言いたいとしか見えない態度。だが、彼女が何を言いたいのか分からない。
分からないから不安になる。
「・・・そう。素敵な剣ね。」
ともかく、街に一度帰ろう。
「そうか?」
そう思って、それを伝えようと思うのに、ユイアが話を振ってくるので中々それを話すきっかけができない。
「うん。・・・ねえ、ちょっと見せて貰ってもいい?」
更にこんなことを言い出す始末だ。
断る理由はないだろう。
しかし、早く帰った方がいいという思いと、何故だか嫌な予感がして私はユイアの申し出に躊躇いを感じた。
だが、黒の剣を見せた所で彼女が何をする訳でもないし、拒否するのも変な話なので、持っていた黒の剣を手渡した。
「思ったより重いのね。」
ユイアは両手で黒の剣を持つ。
「そうだな。見た目より重い感じがするかも知れないな。」
「ヒロは重いとは思ってないの?」
「父親が死んでからずっと肌身離さずって感じだからな。もう、私の体の一部だ。」
「ずっと?」
「あたりまえだ。こいつは私の命を守るものだからな。なければ、生きることも私はできない。」
自身を守るものがなければ生きることはできない厳しい世界であるのが、不浄の大地だ。
「・・・そうなんだ。ヒロとずっと一緒かぁ。」
何気なく言われた言葉だったが、発したユイアが一瞬だけ見せたうっとりとしたような、何かに浮かされたような表情に、どきりと心臓が鳴った。
それは彼女に見とれたとか、そんな生易しいものではない。何か冷たい、痛いものが胸を叩いたような感じがした。
・・・何だ?
そして、その正体が分からないままにユイアがおもむろに黒の剣の鞘から刀身を取り出す。
そのゆったりとした動作、剣など触ったことのないような危なっかしい手つき、もしかしたらそれに対して私は動揺しているのかもしれない。
だが、本当にそれだけか?
そんな妙に不安で、いたたまれない様な気持ちで私はユイアを見つめていた。
ともかく、何でもいい早くここを出よう。そう思って、私は今度こそ街に帰ろうとユイアに言おうとした。しかし・・・、
ギ・・・ギギギギィ・・・・
『え?』
何が鍵になったのか、はたまた何も鍵にもなっていないのかも知れない。
しかし、それはあまりにできすぎのタイミングで起こった。
まるで黒の剣の刀身の出現に呼応するかのごとく、私の動揺に、ここから早く出たいという気持ちに呼応するかのごとく、固く閉じられていた『異端の扉』は開いたのだ。
両開きの重たそうな石の扉の開く乾いた音。
同時にヒンヤリとした、何か外の空気とは明らかに違う何かが混じった匂い、そして気配が広がっていく。
そして、開いた先に広がる松明の光が届かない闇・・・いや、闇じゃない。
はじめは真っ黒な闇、黒だったはずのそれに白い色がぐるぐると混じり、そして次第に白と黒が混じり合っていく。
その二つが、溶け合うようにしてできた灰の色。
何が起こっている?
突然すぎる展開に、私は驚きを隠せない。
だが、それはその灰色から瞬時に伸びてきた黒い腕のようなものがユイアを掴んだことで吹っ飛んだ。
「きゃぁっ!!!!」
ユイアの悲鳴が短く上がり、灰色の世界の先に彼女の声も姿も全てが消えた。
「ユイアァ!!!!」
その時の私に躊躇いの言葉など思う浮かびもせず、私は自分を守る武器すらユイアとともに攫われて手元にないことにも気付かずして、ただユイアを追って灰色の世界に飛び込んだのだ。
飛び込んだ瞬間に水中に入ったように、鼻や口に何かが入ってくる息苦しさ。だが、それはすぐに絶ち消える。
そして、私は何もない灰色だけが広がる空間にいた。
「ユイア!?ユイア・・・っ!」
だが、私はそんな異様ともいえる景色に気を取られる余裕もなく、黒い手に攫われた彼女の名を叫んだ。
辺りを見回してみても彼女と黒い手の影は、私からは見えない。気持ちが焦った。
『落ち付け。』
「誰だっ!?」
私の近くに気配はないはずなのに、誰かが私に話かけてきた。
『誰でもいいだろ?俺はお前を助けてやる。お前は俺の言うとおりにするんだ。』
傲慢で、妙に偉そうな物言いだ。
「急に現れた奴の言うとおりにすると思うのかっ!?」
そんなことよりも、今はユイアだ。
頭に響くように語りかけてくる男の声など、無視して私は駈け出しす。
『俺の言うことを聞かず、この封印されし異端から生きて帰れると思うなよ。』
「じゃかぁしいっ!」
走ってもついてくる纏わりつく声に苛々して怒鳴る。
自分の生き死により、ユイアの安全確認の方が先だ。
私のその気持ちを察したのか、はたまた元々そのつもりだったのか男の声が私の求める言葉に代わる。
『・・・女の行方も知っている。』
「それを先に言え!!」
『だから、言うことを聞け。』
右も左も分からない空間。ユイアの声も姿もつかめない中、頼れるのは怪しげなこの男の声だけしかない。
無論、男を信頼するわけではないが、今の私に他に手段はなかったのだ。
しかして、突如放り込まれた灰色の空間で私はユイアを求め、聞き覚えのない声しか聞こえない男に導かれることとなる。
様子のおかしいユイア。開いた『異端の扉』。そして、その先に広がる封印された異端。ついに、ヒロ過去回想編も佳境に近づきつつあります。(第三部はもっと続きますが)