第6話 天使は悪魔の如く笑う 2
私が生まれて初めて見た天使は、神の僕というにはあまりに似つかわしくない悪魔のような姿をしていたなぁと、後に私は振り返る。
しかして、悪魔と表現したのは別に彼の容貌が醜いとか恐ろしいとかではない。
容貌という点では、天使はハクアリティスに負けず劣らず美しい。
ただ、一見儚げな彼女の美しさと比べると、男らしい鋭さを持った美しさをその天使は持っていた。
また、天使の翼は大きく光の加減で何とも表現しにくい色をしていたが、私には青がくすんだような色に見え、翼はにょっきりとその背中から生えていた。(服にはそれ用に穴が開けられているようだ)
人間にしてみれば翼が生えているなど異形としか思えないが、まあ天使ならば翼が生えていて当然なわけで、問題はその天使の服装についてだったりする。
驚くべきことにその天使は全身黒のぴったりしたレザーで身を固め、動きやすそうではあったが、正直、私は着たいとは思わない格好だった。
更に髪の色は翼の色と同じような色で、つんつんと至る所がはねているハリネズミのようで、耳にはピアス、指には指輪、首には首輪をし、ジャラジャラと金属同士がぶつかる音がして、ブーツは明らかに不必要なほどヒールが高い。
女でもないのに、顔に濃い化粧もしている。
―――キモイ
天使を見た瞬間にそんな感想を抱いた。
私のあの神々しいまでの天使に対するイメージを返して欲しい。私はそんな天使を見上げながらそう思った。
「やっと、見つけましたわぁ。花嫁さん?」
そして、こちらが突然の天使の登場に混乱している中、笑顔を向けながら天使は第一声そう言った。
その声は厭らしく私の耳元をくすぐる。
しゃべり方もイントネーションがおかしく、どこか含むところがあるようで気に入らない。
そして、何よりその笑顔が誰が見ても笑顔だと思えるのに少しも嬉しそうにも、楽しそうにも見えない感情のない笑顔だった。
―――そう、そののっぺりと張り付いただけの笑顔が、私にはどうにも悪魔の笑みのように思えたのだ
そして、天使は花嫁を迎えに来たと私たちに告げた。
それはすなわち、天使が彼女を連れ戻しに来たということな訳で、街まで後一歩という状況もあいなって『ちきしょう』と思わず私は心の中で悪態をついて、ハクアリティスを振り返った。
「ハクアリティス。あれが君の夫か?」
「いやっ・・、こないでっ」
連れ戻しに来た相手で男であることからハクアリティスの夫なのかもしれないと声をかけるが、返ってくるのは要領を得ない言葉だけ。
彼女は天使から身を守るように体を自分で抱きしめ怯えきったまま泣いて、全く使い物にならなそうだった。
しかし、その代わりに上空の天使が口を開き私の問いに答えてくれた。
「いやいやぁ。ハクアリティス様の夫なんてそんな身の程知らずのことは言えまへんわぁ。わいは通りがかりの普通の天使ですわ。」
そして、ふふふと笑いながら私とエヴァを見下ろして天使が問う。
「それにしても、あんさんたちは誰でっか?ハクアリティス様はお一人で逃げはった・・・と聞いとりましたが、まさか愛人さんでっか?」
「・・・」
唐突な問いになんと答えたものかと私が言葉に詰まると、天使は質問しておいてまた自分で話し始める。
「いやいや、分かってまっせ?あんたらを見たらアーシアンっちゅう事は一目瞭然でっからな。偶々ハクアリティス様をお助け頂いたって所でっしゃろ?あははは、ちょっとした冗談ですわ?そんな怖い顔をしなさんな。」
分かっているなら、いちいち質問をしてくるなっつー話である。
しかし、心では悪態をつきながらもそれを全く口にできないほど、緊張し小さくなっている自分がいることにも気が付いている。
何故なら天使は笑っているのに、身が切れそうなほどの殺気を纏い、こちらにプレッシャーをかけ続けているのだから。
私はただ立っているだけなのに嫌な汗をかき唾を飲み、エヴァはすでに戦意すら喪失している。
―――殺される
根拠もなく何をされたでもないのに、私はそう直感していた。
私も不浄の大地のならず者を数多く相手にしてきたつもりだったが、こんな予感めいた直感は今まで感じたこともなかった。
さすが、人間たちを断罪し続ける存在といったところであろう。
だが、だからといって怯えているだけでは何も始まらない。私は気を引き締めると、天使を見据えて口を開いた。
「それは失礼した。怖い顔をしたつもりはなかったんだが、なにしろ天使様など見たことがなかったもので、思わず凝視してしまった。」
そうして、私が軽口をたたいて言い返すと、天使は意外そうに切れ長の瞳を丸めて如何にもおかしそうに目を細めた。
「ほぉ。まあ、アーシアンが天使を見るなんて普通は一生ないでっしゃろからなぁ。でも、わいは割りとアーシアンが好きなほうなんよ?たまに不浄の大地の街にも立ち寄ったりしますんや。」
「不浄の大地に?それは、神の掟に逆らうことではないのか?」
話の内容など頭半分で言葉を発しながら私は天使から目を離さずにハクアリティスを抱えて、じりじりとエヴァの方へ足を進める。
天使はそんな私の動きを認めながら、それでも悠然と構えている。
私たちが何も仕掛けないと踏んでいるのか、それとも自分の力に絶対的な自信があるのか。
「あれはエンディミアンへの掟でっから、天使は関係おまへんのや。まあ、あんまり褒められた行動とはいえまへんがな。」
私の言葉にご丁寧に返答までしてくれる余裕が非常に癪に触る。
「屁理屈だな。自分たちが守らない法を人間に押し付けるとは。」
「あはは。正論ですなぁ。わいもそう思いますわぁ。」
そして、少しでも隙が見えたら攻撃の一撃でも食らわせてやるものを、私の言葉を楽しむかのように天使はその悪魔らしい笑みを深めるだけ。
私は剣の柄を握る手にも、背中にも、全身から嫌な汗が吹き出ていることを感じた。
そうして、戦ってもいないただ話しているだけなのにひどく自分が消耗していることを感じながら、私はやっとエヴァの傍らまで移動することに成功した。
「・・・・エヴァ、ハクアリティスを頼む。」
エヴァのほうは見ず、天使に視線を置いたまま私は言う。
「ヒロちゃん・・・。」
振り返らずともエヴァの泣きそうな声から、天使の殺気に飲まれているのが分かった。
だが、それでは困るのだ。
「エヴァ。」
だから、私はエヴァの名を呼ぶ。
「大丈夫だ。私を信じろ。」
そして、エヴァを振り返りその少し震える指輪を嵌めている右手を握った。
ハクアリティスを助けた時に岩で切った掌の血がエヴァの手を濡らし、それを見てエヴァが悲鳴に似た声を上げる。
「ヒロちゃんっ」
私はそれを振り切るように告げた。
「頼んだぞ。」
エヴァにハクアリティスを渡すと、私は天使に改めて向き合う。
―――さあて、これからが本番だ
「お二人はヒロさんにエヴァさんとおっしゃるんでっか。では、わいも自己紹介させていただきましょか。」
しかして、天使は私たちのやり取りなど気にしないように、再び話始め上空から翼をはためかせて、ゆっくりと降りてくる。
「お初にお目にかかりますわ。わいは天空騎士団、第一師団副団長エンリッヒと申します。以後、よろしゅうお願いしますわ。」
不浄の大地に降り立った天使・エンリッヒはそういって凶悪な笑みを深める。
ぞわぞわとした不愉快さが増した。
「天空騎士団?それはそれは・・・、遠路はるばるこんな辺鄙なところまでご苦労様だな。」
天空騎士団とは詳しくは知らないが、神に戦うことを禁じられた世界で唯一認められた天使たちの武装集団。
天使の領域を守り人間を罰する役目を持つ天使・・・そう語り継がれている。
要はただの天使ではなく、戦うことを生業とする天使様ということだ。
―――厄介な事に巻き込まれたもんだなぁ
他人事ではないが、あまりの急展開に心の中で一つぼやく。
そして、そんな私の心を逆撫でするようにエンリッヒは慇懃無礼にお辞儀をすると、殊更ゆっくりと体を起こし手をかざし、その手に瞬時に大鎌を出現させる。
―――どうやら、武器まで天使らしからぬもののようだ
そして、武器を手にした天使の瞳の金色が私を射抜いく。
底冷えする瞳の光は殺気が満ち溢れ、彼がこちらを攻撃してくると本能的に私が思ったその時だった。
ガンッ
金属がぶつかる音と、剣を持つ腕に衝撃。
瞬きをする間に、エンリッヒは10メートルはあった距離を一気に飛んでいた。
スピードはかなり速い。
私は紙一重で大鎌の鋭い攻撃を防御したが、一瞬でも反応が遅れていたら首が切れていた。
エンリッヒの大鎌は私の首から1センチのところで、私の剣に遮られて止まっていたのだ。
正に命からがらである。
ギリギリと金属同士がきしみ合う音が耳元でする。
「あらぁ。結構やりますなぁ。」
軽くて暗い声が近くでする。
「そ・・・れはっ、どうもぉっ!!」
私は言いながら、腕に力を入れて大鎌をはじいた。
そのまま後ろに飛び体勢を立て直そうとしたが、その暇も与えられる間もなくエンリッヒの次の攻撃が左から振り下ろされる。
「ちっ・・・!」
崩れた体制のまま私はなんとか大鎌を剣で再び受ける。これまた、自分の首元ギリギリだ。
この悪魔のような天使は、どうしても私の首を胴体から切り離したいらしい。
鋭い大鎌は綺麗に磨かれていて、私のみすぼらしい姿が鏡のように映る。
鏡など持ち歩いていない私は、こんな形で久しぶりに自分の姿を見た。相変わらず、ボロボロな姿である。
その私と対照的な美しくもキモいエンリッヒの姿も私の剣に映り、また笑みを深めた。
「細っこいわりには大した腕力やねぇ。」
崩れた体制で膝を突いている私は、エンリッヒが上からかけてくる力に歯を食いしばり耐えるしかない。
しかし、それでも刃がだんだんとと首元に近づいてくる。
「ヒロちゃんっ!!」
エヴァが叫ぶ。
ハクアリティスを放って、私を助けようと向かってこようとするのが視界の端に映った。
「来るなっ!」
私はそのエヴァの行動を遮るように怒鳴った。
エヴァはこちらを心配そうに見ている。
私はエンリッヒに押されながらも、エヴァを見つめながら首を振った。
「・・・っ」
エヴァが小さく息を呑む。
「エヴァ。」
私は彼の名を呼んだ。
「・・・逃げろ。」
そして、笑って告げた。
多分、あまり見れたものじゃない笑顔だったろうがエヴァを心配させたくなかった。
エヴァがかつて私とした約束を覚えているのかは分からないが、私の言葉に意を決したような表情をしてエヴァは頷き私を助けることなく背を向けた。
それを見てエンリッヒは驚いたような声を上げた。
「あらぁ?」
エヴァに意識を向けたエンリッヒの力が、一瞬だけ緩む。
私はそのエンリッヒの隙を見逃さず、エンリッヒを押し返しす。
そして、そのままエンリッヒの体に馬乗りになり、彼の動きを抑え込みその首元に今度は私が剣を突きつけた。
形勢逆転。
状況は私に圧倒的に有利と見えるだろうが、私にはそんな余裕はみじんもなかった。
ただ一刻も早く二人をこの場から逃げさせたかった。その感情のままに叫ぶ。
「エヴァっ!早く行けっ!!」
「・・・うんっ」
私のただならぬ様子に、一瞬呆けた様子だったエヴァが急いでハクアリティスを抱えて駆け出す。
「動くなよ。」
そして、私は一瞬も油断することなくエンリッヒに剣を突きつけていたはずだった。
しかし、何かが光ったと私が認識してすぐ、私はエンリッヒの上から吹っ飛ばされていた。
「ガッ・・・」
何が起きたか瞬間、理解できなかった。
見えない力に体を吹っ飛ばされて岩に叩き付けられた私は、背中に強い衝撃を感じ一瞬息ができず気が遠くなる。
それでも痛む体を省みず、私はすぐエンリッヒの攻撃に備えようとした。
しかし、天使の声は私から離れた場所から聞えた。
「だから、わいは花嫁さんをお迎えにあがったと言ってまっしゃろ?どうして、逃げるんかなぁ?」
私の目にエヴァを見下ろす長身の天使、いや悪魔の姿が映った。
「・・・・エヴァっ!」
エヴァは言葉もなくハクアリティスを抱えて固まっている。
エンリッヒは笑みを殺気で歪ませる。
「ちょっと、それは見逃せませんわぁ・・・。」
大鎌がエヴァの血を啜ろうと高々と振り上げられる。
「エヴァアッ!!!」
私は叫びを上げた。
この距離では私の助けは間に合わない。
大鎌が私の叫びをあざ笑うかのように振り下ろされた。
エヴァの恐怖に満ちた瞳が、その大鎌が振り下ろされる様をじっと見つめている。
「やめろぉっ!!!!」
慟哭が、晴れ渡る不浄の大地の空を突き抜けた。
加筆・修正 08・4・23