第五十六話 観客なき舞台が幕を開ける
舞台が始まる。
人間と天使。
それは二人の役者が舞台の上にいながらも、千年という永きに渡り視線すら合わせずに沈黙を守り続けたために始まることのなかった喜びも、悲しみ、怒りも嘆きすらも凍りついてしまった舞台。
しかし、舞台は人間が天使に反旗を翻したことによって、その凍てついた封印を解かれた。
東方の楽園という名の舞台に照明が灯り、その上で時と止められた役者たちが、それぞれの思惑を抱えて動き出す。
そして、誰も知らないその舞台の結末に震えながら、私もまたその舞台に上がる。
言っておくが、私は主人公じゃない。
私など一向にやってくることのない出番を舞台袖で待ち続ける、ほんの脇役で十分だ。(それどころか、エキストラくらいでも私は構わない。基本、目立つのは好きくないのだ)
そして、そのほこり臭い舞台袖で私はふと思うのだ。
私が脇役ならば、あの男・エンシッダはさながらこの舞台の主役であろうか?
そう思って舞台の上に目を凝らすが、たくさんの人影の中にあの男はいなかった。
それから、少し考えて一つの推測に至る。
ああ、あの男は私のように舞台には上がっていないのだ。だって、あの男はこの舞台の結末を知っている。
だから、観客席から愚かにも彼らの書いたシナリオのままに芝居を続ける私たちを見ている。そうに違いない。
そう思って私は、舞台袖から観客席をそっと覗いた。
しかしそこにあるのは、暗闇にぽっかりと浮かぶ誰も座っていない椅子だけ。
始まりし舞台の観客席は、未だ空席。
そして、エンシッダはこの舞台の何処にも存在していなかった。
では、やつは何処にいる?
そう考えている間に、幕開けのベルが鳴った。
第五十六話 観客なき舞台が幕を開ける
私とティアをはじめ天使に襲撃されているという村を助けに行く者たちは、月見の塔の大広間のような場所に召集され、状況についての説明を聞いていた。
広間には灰色の制服をきた女神の十字軍が、それ以外は恐らく黒の雷だろう私が見たことのある顔もいくつかあった。
皆、戦い前の興奮と不安の入り混じった複雑そうな表情を浮かべている。
そして私が彼らの様子を観察している中で気がついたことが一つ、それは全体的にここに集まった人々が、妙に若いということ。
まあ、年寄りよりは若い方がいいのだが、それにしても少なくとも半数が私より年若い20代にも満たないだろう少年、そして少女の姿もちらほらと見える。
そして、その少年少女たちの殆どが灰色の女神の十字軍、あのエンシッダが作った軍隊の構成員であるということが、頭の片隅に引っかかった。
「襲撃されているのは罪人の巡礼地。先行している偵察の報告によれば、街には天使が溢れ、火の手もあがっているとのことだ。」
この作戦の指揮を執るらしい男が声高に叫ぶ。
それはよく見れば、エンシッダに会う前にティアに噛みついていた男。名前は確かハレといったはずだ。
彼の言葉に一斉にざわめく広間。中には悲鳴や絶叫も交じる。
「騒ぐな、落ち付け!」
ハレがそれを鎮めようとするが、誰もその言葉には耳を貸さずにざわめきは大きくなる一方だ。
そもそも、この事実を告げているハレ自身が動揺を隠せていないようでは、それも仕方ないであろう。
だが、心情は分からないでもない。
「罪人の巡礼地をいきなり襲うなんて、噛みついた犬には天使たちも容赦ないわね。」
ざわめく人々の中、それとは対照的にティアが私の横で静かだが忌々しそうに吐き捨てる。
「アーシアンの心の拠り所のような街だからな。そこを襲えば天使にとっては、いい見せしめになるだろうな。確かに。」
私も動揺を隠せるよう低い声でティアに答えたが、もしかしたら声が震えていたかもしれない。
それがどうしてかと言えば、私はエンシッダの元に報告にきた男から『天使が村を襲撃している』としか聞いていなかった。
『村』などと言われれば、普通は不浄の大地では一般的な十数人の住人しかいないような小さくて、寂れた村を想像する。
それくらいならば、天使たちから人間を守ることも大して難しくないように感じていた。
だが、それが罪人の巡礼地となると状況は大きく変わる。
そもそも、ここに集まっている人数の多さからそれを察しても良かったのかも知れない。
広間に集まっている人数は目算でも200人は下らない。十数人の村を救うには大げさすぎる人数といっていいだろう。
だが、それが罪人の巡礼地となれば、それも納得だ。
実際の現状を確認しないことには定かには言えないだろうが、村を・・・、というよりはその都市を救援することは、この人数をもってしも難しいことなのは目に見えていた。
何故なら、罪人の巡礼地はいつくかある不浄の大地の中でも大都市といってもいい大きな街の中でも最も大きな街であるから、そしてその名の通りその街がアーシアンたちの信仰の対象である場所であるから。
故に寂れた、生きていくのもやっとの村ばかりが点在する不浄の大地の中で罪人の巡礼地だけは、色々な点で別格といってよかった。
その元は、この銀月の都と同じく亡国の廃墟。
だが、その存在は昔から多くのアーシアンの目に触れ、その希望となっていた。
というのも、あの街だけには何も育たないといわれる死の荒地たる不浄の大地にあって植物や作物が芽を息吹き、天使の領域には劣るだろうが、それなりに人間らしい生活を営むことができる唯一のアーシアンの場所であったからだ。
それは、神に見放され、死の荒れ地で絶望の中で苦しみ抜いて生き続けることを運命づけられたアーシアン達にとって、まるで神が許してくれた唯一の希望のように感じられるのは当然の流れであろう。
生命の息吹は決して罪人の巡礼地を越えて広がることはなかったが、それでもアーシアン達はその場所をたった一つ、神が与えた希望のように崇め奉ったのだ。
故に旅をするのも命がけの不浄の大地であっても、アーシアンたちは人生に一度は、その場所に出かけようと決死の覚悟で巡礼を決行する。(私も一度だけ、父親に連れられてその場所に行ったことがある)
その場所を、アーシアンの最後の希望を天使が襲撃している。
まるで、天使に反旗を翻したことへの罰のように、私たちから唯一の希望すら奪おうというのだ。
実際のところ罪人の巡礼地自体はさして大きな場所ではないのだが、街の近くにはいつくもの街が隣接していて、正確には分からないが千・万という単位のアーシアンがいるはずだ。
それを全て救出するということが大変だというのはもちろんだが、それよりも天使がそこを襲ったということは、天使が本気で人間を潰しにかかっているという事実に他ならないのだ。
戦うか、それとも天使に隷属して生きていくか。私たちにはその二つの道しか残っていない。
ああ、本当に引き返せない所まで来たのだと、改めて実感して、動揺してしまったのは気の小さな私としては致し方ない状況であろう。
また、ここに集まった人間たちも皆が、私と似たような感想をもっているのかもしれない。
「作戦の説明をする!」
しばらくしてざわめきがひと段落すると、ハレは厳しい表情で壇上から私たちを見回した。
人々は我こそがアーシアンの希望を守るのだと息巻いている様子が、私に伝わってくる。
だが、ハレの作戦はその気持ちを踏みにじるものであった。
「この作戦の一番の目的は人命救助である!住民たちのこの銀月の都へ避難させ、それ以外は極力戦闘も避けること。詳しい役割分担については、それぞれ隊長格より聞くこと。以上だ!」
『その作戦はなんだ!』
『住民を避難させて、罪人の巡礼地はどうする?!』
広間が怒気を含んで、沸き立った。
アーシアンの心情としては、希望たる罪人の巡礼地を死守したいと思うのは当然の感情だ。
だが、ハレの下した命令は人命の優先。そして、罪人の巡礼地の放棄であった。
だが、それが単に臆病風に吹かれた作戦ではなく、事態の切迫を意味していることは明らかだった。
無論、彼とて人々を助けることができ、且罪人の巡礼地を守ることができれば、それに勝ることはないと考えているだろう。
だが、それをしないということは、その両方を成り立たせることが現状では難しいということだ。
そして、人命と罪人の巡礼地を天秤にかけた時、作戦は人命を優先した。
この戦力では、人命を助けるだけで精一杯。
それは、天使たちがそれほどの戦力を持って罪人の巡礼地を襲撃しているという、頭が痛くなるような事実を私たちに付きつけていた。
「状況は切迫している。天使たちのは二個師団。第一師団と第二師団が出てきている。その中には、師団長・副師団長クラスも含まれているとのことだ。いいか。このクラスの天使出会ったらまず戦おうとはするなっ!」
殺気だった広間の中で、以上と締めくくりながらもハレの言葉は続いていた。
第一師団というのは、記憶によればエンリッヒやシャオンがいるはずだ。
さらに言えば、エンリッヒは副師団長だったはず。
あいつは確かに強かった。人命を優先させる状況下では、極力戦闘を避けるのは正しい選択だろう。
『馬鹿を言え!俺は戦うぞっ!!』
『天使を前に逃げろというのか!!』
だが、上がるのは強いブーイング。
興奮ぎみの一同の神経を、敵前逃亡しろという命令はより逆なでしたらしい。
しかし、その人々をハレは一喝する。
「黙れ!いいか、この戦いは先に言ったように人命の救出が優先なのだ。この戦いで、来るべき最終決戦で使うべき我らの戦力が削がれることなどないように、戦いは極力避けよ!!」
それから、彼は息を一つ吸って、殊更に声を張り上げた。
「これは、我らが主導者・エンシッダ様のご命令であるっ!!!」
・・・じゃあ、本人がこの場に立って説明しろよ。
それを聞いて妙に白けた気分になったのは、たぶん私だけだ。
しかし、エンシッダの名を出ただけで、それまで反抗的だった一同がぴたりとブーイングをやめて、歓喜の雄たけびを上げ始めたのだ。
『やるぞぉ!!』
『エンシッダ様のご命令なら、神は我らの味方だぁ!!』
と、えらい変わりようである。(まるでエンシッダを崇める狂信者の集まりだ)
それを聞いて、更にげんなりとする私。
多分、これも彼のシナリオの一つということが、やる気を削ぐのだろう。
何しろどうころんでも、ヴィスの予知能力を使って、この作戦は成功するようになっているに違いないのだから。
そう思って、ふと気がつく。
・・・ならば、どうして罪人の巡礼地を放棄するのだろう?
その意味はハレに聞いたとて恐らく何も分からないのだろうが、気になるのは確かだった。
そんな風に、色めき立つ周囲とは裏腹にやる気をなくしつつある私の肩をティアがポンと叩いた。
「心配しなくても、私とヒロには、これとは別の特別任務があるのよ?」
そう言われて、ぎょっとした。(特別任務なんて、聞いただけで面倒そうだ)
「・・・わ、私は人命救助で十ぶ・・ん------」
「はいはい。じゃ、行くわよぉ!」
しかして私の話など聞こうとしないティアは、私の首根っこをひっつかむとずるずると引っ張っていったのである。(私は動物かっ。)
次なる舞台への序章って感じでしょうか?それか舞台設定?新たなる敵が出てくるとか言いながら、その影もまだ出てきてませんね。すいません(笑)