第五十二話 掌の上のヒロ 其の三
吹き抜けの開放的な場所から、細く長い廊下に入り、足早に歩くティアを追いかけた。
こちらを振り向こうともしない背中は、何処にでもある普通の女性の背中に見える。
しかし、その背中に背負っているものは、もしかしたら私などよりも重く、苦しいものなのかもしれない。
特にそう思ったことに理由はない。
これは、私の野生の勘というやつである。(注・当てにはなりません)
第五十二話 掌の上のヒロ 其の三
「なあ。」
歩きながら私はティアに聞いた。
「なあに?」
ティアは背中を向けたまま、私に応える。
「『ヒノウ』という黒の一族の黒の武器は、もしかしたら槍・・・ではないか?」
もしそうであるならば、7つの黒の武器の内で槍が二つないのであれば、それは間違いなく天近き城で私を襲った黒の一族のはずだ。
確証があるわけではない。
だが、私はティアの背中に聞かずにはいられなかった。
そんな私に、ティアが立ち止まって振り返った。
その瞳に宿る光に、彼女が何を考えているか探る手がかりは何もない。
だが、その瞳は私がたじろぐくらいに強いと感じた。
「そうよ。因みにその槍の名前は黒の槍というの。ご想像通り、貴方を殺そうとした黒一族。それがヒノウよ。」
私はティアが肯定の意を示したことに、やはりと思う一方で、湧いて出てきた新たな疑問に眉を顰めた。
「なら、どうして嘘を言う?彼は自害じゃない、ころ------。」
天近き城で聞いたエンリッヒの話によれば、私を襲った黒の一族は何者かに殺されており、自害をしたわけではなかったはずだ。
更に言えば、その黒の槍という名前の黒の武器がなくなっていたという話だし、監視していた天使も殺されたと聞く。
以上の事柄を踏まえれば、エンリッヒがこの事で私に嘘をつく理由もないし、ティアの自害という話より、エンリッヒの殺害されたという話の方が信じるに足る話だと私は思う。
ということは、ティアの話は情報が間違っているか、・・・嘘ということになる。
どちらにしても、ヒノウが死んだということには変わりはないが、先ほどのハレという男はヒノウの関係者のように見えたし、真実を知りたいと思うだろうと、先ほどのヒノウのことを声を荒らげてティアに突っかかっていた様子を思い出しながら考えた。
だからこそ、まずはティアにそのことを話そうとしたのだが、言葉がいい終わる前に私はティアに腕を引っ張られて、廊下から部屋に連れ込まれた。(扉は手で開けなくても、その前に立っただけで自動で開いた)
「お・・・おいっ!」
「今の話、あまり大きな声で言わないでもらえる?」
その声には、こちらを咎めるような色がある。
「?」
どういうことだよと私が彼女がとっている腕を振り払うと、ティアが僅かに嘆息した。いかにも面倒だと言わんばかりに。
ティアは、私を無視して、まずは入った部屋に誰もいないかどうか確認した。
部屋は物置か何からしく色々な物が積まれており、窓もない、カビ臭く、薄暗い部屋で、どうみても誰かがいるという気配はない。
「・・・他の誰にも言わないでよ?」
別に誰かに言いふらすために聞いた訳じゃないので、私は気軽に頷いた。
それを確認して、ティアが誰もいないはずななのに、心持ち声を顰めるようにして話し始める。
「確かにヒノウは、ヒロが言うように自害じゃないわ。他殺よ。」
やはり、エンリッヒに聞いていた話の方が正しいようだ。
しかも、こうして他殺だと断言する以上、ティアはそれを知らない訳ではなく、知っていて先ほど嘘を言ったということになる。
では、どうしてそんな嘘をついたのかという話になるが、私がそれを聞く前に、ティアの言葉に絶句することとなる。
「いいえ、殺した・・・という方が、言い方としては正しいのかしら?」
私は驚いてティアの顔を見た。
聞き間違いかと思ったが、ティアのこちらを見る硬い表情を見て、聞き間違いなどではないと分かった。
「殺した・・・とは、どういう意味だ?その作戦のために彼の命が失われたという意味か?それとも------」
「私たちが、彼を殺したってこと。比喩でも、嘘でもないわ。ヒノウが天使たちに余計な情報を話す前に、私たちの手で彼を殺したという意味よ。まあ、手を下したのは私じゃないけど。」
私が言いたいことなど分かっているとも言わんばかりに、ティアが私の言葉を遮って言葉を重ねる。
その何の躊躇いも、後悔もない言葉に私は嫌なものを感じた。
「どうして?彼は仲間だったんだろう?」
確かに天使に捕まって情報が漏れることは問題だろう。
だが、だからといってそんな簡単に殺したなどと言われることに違和感を感じるのは私だけなのか?
しかし、ティアはそんな私の問いに意外そうな顔をした。
「ヒロって、案外お人好しね。ヒノウのことを気にしているみたいだけど、自分のことはいいの?彼は元々貴方を殺そうとしていたじゃない。その彼が私たちの仲間だったのよ?」
そのこちらのことなど全てお見通しのような、茶化すような物言いが、妙に癪に障るが、今はその挑発に乗るわけにはいかなかった。
私はティアに苛立ち始めている自分を押さえこんだ。
「そんなこと、別に今さら驚くことでもないだろう。そもそも、あんただって私を殺そうとしたじゃないか。それについては、黒の武器を天使に渡さないためだと、あんたも、それにヒノウも言っていた。」
その理由も納得はしていない部分もあるが、一応の折り合いは自分の中で付けているのだ(でなきゃ、大人しくここにいるものか)。
「それより、話を逸らすな。ヒノウは仲間だったのだろう?それをそんな簡単に殺すだの言うような奴らに、私は力を貸す気はない。」
今私が聞きたいのは、それなのだ。
「別に簡単じゃないわよ。」
「では、どうして仲間には自害だと嘘を言う?」
何か疚しい部分があるから本当のことを言わないとしか、普通は考えられない。
そんな大した理由もなく、簡単に仲間を殺したり、仲間に嘘を言うような人間たちに、力を貸すつもりなど毛頭ない。
信用できそうもない相手に、仲間として命は預けられないだろう?
それに、もうすでに私は彼らに殺されかけているのだ。
その辺り、私が敏感になるのも仕方がないというものだろう。(何しろ、私は気が小さいからな)
「ヒロなら、言わなくても分かってくれると思ったけど?」
「茶化すなと言っている。」
ティアは大きく一つため息をつく。
だが、彼女が何と言おうと、このことを有耶無耶にする気はなかった。(もしかしたら、私だって彼と同じ状況になるかもしれないからな)
「もちろん、天使たちに勝つためよ。そのために情報は漏らすわけにはいかないでしょ?でも彼を逃がすなんて、天使たちに捕まっているんだから無理に決まっているわ。だから、殺したの。」
ティアも平然としているように見えるが、興奮しているのか、話しながら身振り手振りがつき、彼女の瞳の赤色が濃くなり、強くなっているように見えた。
「自害だと言ったのだって、殺したといえば、貴方みたいに感情的になる人が出るでしょ?だから、自害ということにしたのよ。そうすれば、彼のためにとか言って頑張る人も出てくるかもしれないじゃない。どうせ、死んだということには変わりないのよ?」
だから、せめて聞こえのいいものを選ぶというのか。真実を曲げてまで・・・。
ティアの言い分は理解できた。
だが、それは私がはいそうですかと、納得がいくものではなかった。
「あんたの力があれば、天使に捕まろうが、牢屋の中だって彼を救うこともできたんじゃないか?現にあんたは私の牢屋まで来たじゃないか。」
本当に彼を殺すしかなかったのだろうか?
仲間だったら、色々な手を使ってでも助けようとするものではないのか?
少なくとも、それがエヴァだったら、私はどんな手を使っても、あいつを助けたいと思うはずだ。
それが、ともにある仲間というものだろう。
少なくとも、無論、天使の悪行に怒りを覚えたということもあるが、それ以上に贖罪の街の人々をどんな手を使っても守りたいと思うアラシの気持ち、黒の雷の気持ちに打たれて、私はここにいるのだ。
私はここにいる理由を見失いたくはなかった。
「まさか、黒の雷の牢屋とは訳が違うのよ?天近き城なんて天使の結界が張り巡らされているし、貴方の時みたいに瞬間移動の魔法なんて無理に決まっているわ。殺すのだって、わざわざエンシッダ様が自ら危険を冒したくらいだったのよ?私たちだって、できることなら彼を殺したくはなかったわよ。それはエンシッダ様だって同じよ。仕方がないじゃない。」
その言葉を、言葉どおりに受け取れないのは、私が彼女たちを信用していないからだ。
こんな話を聞いた後では、それも一入というものだ。
だが、躊躇いのないティアの言葉に、私がこれ以上何を言っても彼女が私の言い分を理解することはないと思ったし、その逆もまたないと思った。
それに、再び私の前に出てきた『エンシッダ』という名前。
その名前を聞いただけで、何故だかザワリと胸が騒ぐ。
私は一端、言葉を閉ざした。
「それにしても、やっぱりヒロがそんなこと言うなんて思ってもみなかったわ。」
それでもどうにも納得いっていないというような顔を隠していない私の顔を見て、ティアは心底不思議そうだった。
私はどういう意味だと、彼女に表情だけで問うた。
それに、やっぱり不思議そうな顔をしてティアが言う。
「だって、仲間の命を簡単に殺すような奴らに力は貸せないというけど、貴方のその黒の武器だって、似たようなものじゃない。」
ドクンっ
心臓が気持ち悪いくらいに大きく鳴る。
臆病な私は、自分の罪を突き付けられるだけで、未だに心臓が縮むような思いがする。(自分でも自分が嫌になる)
「黒の武器の力を使うためには、それこそ大切な人の命が必要なのでしょう?貴方は、自分の力を、生き残る力を得るために、その人を犠牲にしたのではないの?今回のことも同じよ。天使たちに情報が漏れるということは、私たちにとって死活問題だった。皆が生きるために、彼を犠牲にしたのよ。決して、無駄なことじゃないわ。」
彼女は黒の武器が、所有者の大切な人の命を犠牲にして力を解放することができることを知っているようだ。
なるほど、と思った。
だからティアは私なら分かると言ったのだ。
要は、不浄の大地で生き残るため、黒の剣の力を得るために彼女を、大切な人すら殺してしまう私なら、赤の他人のヒノウを殺したという事実など、とるに足りないことだと思うに違いないと彼女は考えていたのだ。
確かに筋が通った論理だと思った。
そう思われても、私は仕方ないとも思う。でも、
「分かっていないな。」
そう思い至って呟いた私の言葉に、ティアがどういう意味よと言わんばかりに、眉を上げた。
「確かに戦いに、生きるのに犠牲はつきものだと思う。」
私だって、多くのものを犠牲にしてきた。
「だが、それと人の命をどう扱うかとは話が違うだろう。人の命は、たった一つだ、そしてどんな命だろうが、それはきっと誰かの大切な人の命だ。少なくとも私は誰かの命を、あんたの様に簡単に切り捨てることなどできない。」
だからこそ、私はここにいる。
誰であろうが、他人だろうが、生きたいと思う人々の命を見捨てることなどできないのだ。
だが、そう言った私の言葉を聞いた途端に、ガラリとティアの様子が変わる。
「貴方、言っていることがめちゃくちゃだって分かっている?貴方は、その命を、しかも大切な人を自分で殺したんでしょっ!?自分が生きるために、自分の力にしたんじゃないっ!なのに、命を簡単に切り捨てることができないっ?じゃあ、どうして殺したのよ?!」
私の耳の鼓膜を痛いほどに振るわせる声は、私にイライラしているのか、それとも話の内容に腹を立てているのか、はたまたその両方なのかもしれない。
「大切な人を殺しといて、他人の命の心配なんかしないでよっ!今更、そんな偽善を振りかざして、貴方に殺された大切な人はどうなるのっ?!・・・はぁっ、はぁ・・・。」
息切れをするまで、感情のままに叫ぶティア。
急に激昂したティアに驚いてはいたが私は妙に落ち着いていた。
それは彼女に言われたことなど私がいつも考えていることだし、加えて、彼女の言葉に私に対しての怒りだけでなく、別の感情も見ることができたから。
それは多分私に対してだけではなく、彼女自身に対しする怒り。
それを見た瞬間、妙に冷静になる自分がいた。
「あんたの言う通りだ。」
ティアが彼女の叫びを肯定する私を見て、はっとしたような顔をした。
「でも、それが人間だろう?」
「え?」
「生きるために誰を殺していても、剣を誰かに向けるときは恐怖が先立つし、誰かが自分の目の前で殺されようとしていれば、どんなに恐怖が先立っていても助けたいと私は思う。人間なんて、そんな矛盾だらけの生き物だ。」
私はそれだけ言って(彼女というよりは、自分に言い聞かせているに近かったかも知れない)、一つ笑うと妙に冷静な私に毒気を抜かれた様な、ぽかんとしているティアの肩を叩いて先を促した。
「そういえば、私はエンシッダ様に呼ばれているんだろ?途中で足止めさせて悪かったな、さあ、行こうか?」
「え・・・、ええ。」
急に態度を変えた私を明らかに怪訝そうな表情で見るティアだが、笑う私にためらいがちに頷いた。
別に態度を変えたわけではないが、ここから先はティアにではなく、どうやら彼女たちのリーダー格であろうエンシッダ、その人に聞きたいと思ったのだ。
聞きたいことは、山ほどあるのだ。
ヒロVSティア。ヒロは本当にいろいろな人と言い合ってますね。小心者のくせに頑固なのが悪いんですね。多分(笑)(まあ、話している内容は、笑いごとではないんですが)
さて、そこから分かった情報。ヒノウを殺したのは、エンシッダ。(何となくお気づきの方もいらっしゃいましたかね?)第二十五話は実はエンシッダ視点だった訳です。その事実が分かったところで、次はついにエンシッダとヒロの直接対決(?)です。