第五十話 掌の上のヒロ 其の一
エンシッダに誘われ、光る扉の向こうには私の知らない街が広がっていた。
街の名前は、銀月の都。
私はこの街が空を飛んでいるということ以外、何も知らない。
しかし街から見える空は信じられないほど青く、高く、吸い込まれそうになるほど澄み切っている。
そんな空を、ただただ眺めて思うのだ。
ああ、全部夢だったらいいのに・・・と。
第五十話 掌の上のヒロ 其の一
銀月の都は、その名の通り夜になると、街全体が銀色の月のように冷たい光を放ち、本物の月に似た姿で空を飛ぶ。
それは、街全体を形成する見たこともないような特殊な銀色の鉱物のせいらしいのだが、実際はよく分からない。
また、その特殊な鉱物によってこの街は空を飛ぶことができるらしいということを聞き及んだが、その話も噂半分で信憑性のほどは確かではない。
まあ、広い世界、私が知らないことなど五万とある。
この街もまた、その一つであるというだけの話なのだ。
街は半球の土台の上に形成されており、上半分は透明なシールドみたいなものに覆われ、綺麗な球状をしているらしい。
らしいというのは、魔法の扉みたいなものを使って、この街に入ってから私はエンシッダ達によって、この街の外に出ることを禁じられているため、この街の全体像は掴めていないのだ。
まあ、禁止されているといっても、監禁されているわけでもないから、さしたる不自由を感じてはいない。
さて、話を街の様子に戻そう。
街は先の銀色の鉱物だけで造られていて、緑一つなく、無機質で、鋭く、高く聳え立つような建物しかなく、傍から街並みを眺めるとまるで針山のようになっているのだろうと簡単に想像できる。
そんな冷たく、鋭い街の雰囲気を私は好きになれそうにもなかった。
まあ、まだ街の大きさに反して街の人間が少ないためにそう感じるだけかも知れないが、今の閑散として、静寂が街を支配している感じは、まるでゴーストタウンにでも迷い込んだような錯覚を覚えるのだ。
そして私は今、その銀月の都の街外れにいる。
街の外の景色を見るための場所なのか(外の景色と言っても空をかなりの高さで飛んでいるため、空しか見えないが)、ひらけた場所でベンチや噴水や、オブジェなどがあり公園のような場所だ。
そこからは、迫ってくるような青空と、今はかなりの上空を飛んでいるために眼下に白い雲海が広がっているのが見え、色のない、冷たい街の雰囲気の中、空の青さや、雲の白さだけが私の心を和ませた。
強いて言うなら、更に外の風を感じることでもできれば良かったのだが、空を飛ぶ街の風など感じようものなら、あまりの強風に私など吹っ飛んでしまうだろう。
その風は幸いに、街を覆う透明なシールドによって遮られていた。
しかして、あんな衝撃と混乱の末に天使の領域から出てきたはずの私が、こんなのんびりとモノローグ風に語れているのにはわけがある。
実のところ、この街に来て数日が経つのだが、私はリンズに撃たれた左足の傷を理由に療養を言い渡され、先に言ったようにエンシッダをはじめとする天使に宣戦布告をした人間たちの集まりに(長い集まりの名前だが、私は彼らについては本当に何も知らないのだから仕方ない)、銀月の都から出ることさえ許されず、何の情報も与えられずにいるのだ。
街の中に部屋も用意され、私の面倒を見てくれる人もいるし、ある程度の自由も許されてはいる。
だが、今の私にできるのは、精々日長一日この場所でベンチに座り過ごしているぐらいでで、いい加減、尻に苔でも生えてきそうな気さえしてきた。
そんな流れゆく空を口をあけながら眺めていた私(さぞ、阿呆な顔をしていることと思う)の目の前に、やっとこさ、新たなる展開が訪れようとしていた。
「あ、ここにいたの。」
「ティア。」
現れたのは、生体兵器研究所から扉を抜けて銀月の都に来て以来、姿を見ていなかった彼女である。
「部屋にいないから心配したわよ。傷はもういいの?」
「これくらい、大した傷じゃない。それに、部屋に閉じこもっている方が体に悪いからな。」
「それも、そうか。でも、良かったわね。」
ティアは笑いながら、私の横に座った。
今日の彼女の装いは、別れた時と同じ黒いワンピースだが、デザインは若干違うように思われる。(女性の服装など、あまり詳しくないので何処が違うといわれると困るのだが)
「お陰様でな。それで、何か用か?」
わざわざ私にあてがわれた部屋にまで行ったのだ。
何か用があったのだろうと思って聞くと、ニヤリとティアが笑う。
女性がするにしては些か物騒な笑い方だが、どうしてかティアにはそれがよく似合った。
「んん?傷が大丈夫かな?っていうのと、後はそろそろヒロが煮詰まっているんじゃないかな?と思ったから。」
「そりゃ、何も分からぬままにこんな場所に放り込まれて、更に人に何を聞いても、知らぬ存ぜぬで通されては煮詰まるのも当然だろ。」
そうなのだ。
あれだけ私を巻き込んでおいて、銀月の都に来て数日、どいつもこいつも私に何の事情も知らせないどころか、アラシもティアも私の目の前に現れもしなかった。(見舞いくらい来ても、罰は当たらないと思う)
更に私の世話をしてくれる人や、周りに多くのアーシアンもいるのだが、誰も本当に知らないのか、知らないふりをしているのか分からないが、私の知りたいことを何一つ教えてくれなかったのだ。
まあ、エンシッダらの集まり(長いので以下略)は、街のどこかに缶詰状態らしく、実際私の近くにいるのは贖罪の街から解放されてきた非戦闘員の女子供ばかりで、正直、情報を知っているという方が可能性は低いかもしれない。
だがしかし、何も知らされず、何処に行くこともできず、何もすることがない、これほどまでに緊張感のない生活を送っていれば、そりゃあ、誰だって煮詰まるというものだ。(暴れ出さなかったことを感謝してほしいものである)
私がそういった数日の欝憤も込めてティアを睨むと、ティアは口を開けて大笑いする。(女が口を開けて、笑うなよ)
「あはははっ。そりゃそうよねぇ。ごめんごめん。でも、こっちも色々バタバタしててさ、やっとこさ落ち着いたから、こうしてヒロの所にきたのよ?」
「バタバタ・・・というと、やはり天使の追手か?街の中にいるだけでは、よく分からなかったが。」
あれだけの大立ち回りをして、万象の天使相手にあれだけの宣戦布告をしたのだ。(自分のことを棚に上げるわけではないが)
更に周りのアーシアンたちの話を聞けば彼らは、贖罪の街のアーシアンや、断罪の牢獄の囚人をはじめとして、天使の領域のエンディミアンや、懺悔の街のアーシアンなどから、天使から解放されて、ここに来たというではないか。(そういえば、生体兵器研究所でエンシッダがその様なことを言ってきたような気がする)
すなわち、私たちは天使の周りにいる人間たちを全てをかっさらってきたという形になるのだ。
聖櫃があの楽園を成り立たせるものであるというならば、天使にとってどれほどの打撃になったか、また、人間相手にここまでやりこまれては天使の面目も丸つぶれというものだろう。
以上のことを考えれば、銀月の都で空を逃げているとはいえ、天使が躍起になって私たちというかエンシッダ達を探し回るかは見当がつくし、追手がかかっても当然というものだ。
にも関わらず、ここ数日毎日静かな空を眺めるだけの生活を私は送れているわけで(好きで送っていたわけではないが)、そんな気配が微塵もなかったのだ。
でも、今のティアの物言いからすれば、やはり天使の追手の一つもあったのだろうかと思ったのだ。
「うーん、まあね。私たちも追手を警戒して、ずっと戦闘配備で身動きが取れなかったのは確かなんだけど、結局ここ数日追手どころか、天使の影すらないのよ。」
「追手がない?」
私もだが、ティアもそれについては不思議そうな顔だ。
「そう。まあ、あの夜天使の領域を襲撃して、かなりの打撃を与えたのは確かなんだけど、でもだからって、それは決して天使たちの動きを完全に止めるほどのものじゃなかったはずなのよ。」
「エンシッダが言っていた人間の軍隊というやつか。・・・ティアも、その一員なのか?」
私は数日前の、生体兵器研究所での記憶を呼び起した。
エンシッダは黒の雷やアーシアン達を助けるために、天使の力に匹敵するという人間の軍隊を向かわせたと言っていたはずだ。
「良く覚えてるわね。そう、天使に対抗するための人間の軍隊、その名も女神の十字軍。でも、私はその一員ではないの。あれには、神の子ではないと入れないから。」
「?」
色々と私が知らない事情が出てきて、?マークを出していると、ティアがいけない、いけないと苦笑する。
「彼らには後で紹介したげるわ。ヒロだって、いまや人間軍の貴重な戦力だもの。」
「・・・その割には、放って置かれたような気がするのだが。」
「もう、いい大人が拗ねないでよっ!」
私は嫌味で言ったつもりなのだが、ティアは大口をあけながら私の背中をバンバンと叩いて、けらけら笑う。(・・・やはり、こういう女性は苦手である)
「まだ、戦力が整わない中で、天使たちの攻撃を受けたら大変だもの。持ち場を離れられなかったのよ。状況説明ができなかったことは悪かったと思うけど、優先順位ってものがあるじゃない?何事も。」
まあ、それは理解できるが。
「では、ティアが此処にいるということは、もう天使たちの脅威は去ったということか?これから、どうするつもりだ?」
これは私だけではない、天使から解放されるためとはいえ、よく分からない街にいきなり連れられて、空を飛んで何処に向かうかもわからない中、何の情報も与えられない銀月の都にいる人間たちが、皆感じている疑問である。
「まさか、そんなわけないでしょ?もはや天使を敵に回した私たちに東方の楽園に安住の地はないわ。」
安住の地はない・・・か。
その言葉を彼女は本当に意味が分かって使っているのだろうか。
私は、その言葉の意味に恐怖に震えあがる心地さえした。
もちろん、天使に敵対を表明したのだ。
天使が支配する世界である東方の楽園で、その天使に仇をなすものに安住の地がないのは当然といえば、当然なのだろう。
天使に刃を向けた時点で、それは当然覚悟して然るべきことなのかもしれない。
だが、それが想像でなく現実のものとなった時、私の様に震えあがるような恐れを感じることもまた、然るべき人間の姿ではなかろうか。
相手は人間にとって絶対的存在であると教えられてきた天使なのだ。
その天使と戦う、戦うと声高に叫んだところで、この先が見えない現実の中で戦いを挑み、自分が、人間がどうなるのか、ここにいる誰しもが、どれほどに虚勢を張ったところで不安を感じているはずだ。
そんなものは感じないと言っているのは、余程の鈍感な人間か、それとも未来を知る術を持っているのもだけに違いない。
ちなみに私はそのどちらでもない。
だからこそ、天使と戦うことに大きな不安や恐怖を感じてることを、私は全く恥じてはいない。
そして、ティアの言葉に恐れすら抱いているとはっきりと言うことができる。(いや、こんなことばかり、断言できても仕方ないが)
私は、この世界に生まれ、この世界に生き、この世界のルールに従ってきた。
そして、この世界の全てを定めてきたのは、天使たちなのだ。
すなわち、天使に反旗を翻すということは、世界にそれをするのと同意義であり、そして、それをすることを決めたのは私だ。
だったら、潔く腹を決めたらどうだという話かもしれないが、だからといって、今まで生きてきたこの世界を否定することに恐怖を抱いて何が悪いというのだ。
先の見えない、今に不安を覚えて何が悪い。
私は、そんな逆切れにも似た思いを隠すことなくティアを見た。
彼女がそんな私の臆病な部分を察したかどうかわからない、だが、ティアは一つ頷くと私を促した。
「場所を移してもいい?ヒロを案内したい場所があるの。そこで、ゆっくりと話しましょう。」
この街での私の行動範囲は、当てがわれた部屋とこの公園くらい。
後は、入るなとエンシッダらに言われてる故、他のアーシアンたちとじっとしていたのだ。
案内してもらえるというのであれば、願ったり叶ったりといったものだ。
「ああ。」
そうして僅かに左足を引きずりながら、先ほどまで見上げていた空に背を向けて私はティアに続いた。
空は怖いくらいに晴れ渡っていたが、私にはその蒼さが何かの憂いすら湛えているように見えていた。
それはきっと、私の心を映しているからかもしれない。
後から、そんなことを思った。
プロローグはあんなにシリアス色満点なのに、どうにも締まりのないヒロですいません。まあ、でもこれがヒロなので(笑)
そして、第三部の舞台が明らかに!第三部は第二部の閉鎖された雰囲気から一変、空中都市を舞台に東方の楽園全体を駆け巡れたら・・・と思っております。ちなみに、この空中都市・銀月の都のイメージは、メタリックで近未来な『天空の城ラ○ュタ』(笑)(←私が好きな映画の一つです)