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東方の天使 西方の旅人  作者: あしなが犬
第一部 流離う翼
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第5話 天使は悪魔の如く笑う 1

 幼い頃、一生見ることも叶わない天使の姿を思い描いたことがあった。

 天使とは不老不死にして、人智を超えた力で人間を殲滅せんめつするために創られた神のしもべ

 その背中には大空を羽ばたく翼があるという。


―――ああ、空を飛ぶとはどんな気持ちなのだろう?


 地べたを這いずり回り、毎日生きることで精一杯な私は想像した。

 翼は大きいのだろうか?

 それとも小さいのだろうか?

 色は何色だろう?

 翼は鳥と同じように左右一対なのだろうか?

 そんな風に天使の持つ翼のことを思い描いては、自分にも翼があれば良いと思った。

 この不浄の大地ディス・エンガッドから飛び立つ自分を幾度となく想像していた。

 天使にあこがれるというよりは、翼にあこがれたんだろう。

 翼さえあれば、贖罪という名の永遠なる牢獄から逃げれるような、まだ見ぬ空の先に楽園があるような気がしていたのだ。


―――そんなもの世界のどこにもあるはずもないのに・・・


 ふとそんな幼い頃のことを思い出して苦笑いをした私の耳に聞こえてくる耳障りな音。

「?」

 何の音だろうと思って振り返った先に翼を羽ばたかせた天使がいた。


―――ヴァサヴァサッ


 しかして、突如の天使が現れたことへの疑問などは私の中にはなく、ただその翼が激しく羽ばたく音が酷く耳触りで私は顔をしかめる。

 そして、気がつく。


―――ああこれは夢なのだ。繰り返し見る翼に憧れをもつ愚かな幼い私の夢なのだ・・・と


 だけれど、いつも見る夢のように天使は優しさをたたえた表情を私には向けてくれず、私に向って歯をむき出しにして笑う。


―――これじゃ、まるで悪魔みたいだな


 夢の中で私はそう思った。



【天使は悪魔の如く笑う】



「ええ〜!?」

 エヴァの非難の叫びが不浄の大地ディス・エンガッドの早朝の空気に響く。

 ハクアリティスは疲れていたのか、私との話がひと段落つくとすぐに眠りに落ちた。しかし、私は結局一睡もすることなくエヴァが起きるのを待った。

 眠りにつくには中途半端な時間だったし、エヴァに彼女との会話を話す前に色々考えを整理しておきたかった。

 エンディミアンとのはじめての遭遇そうぐうに、話を聞いてもどうにも要領を得ないハクアリティスの事情。

 それらは自分で考えるよりも私を混乱させていて、どうにも考えが上手くまとまらないのだ。


 とりあえず話さなくてはいけないことは、ハクアリティスの身の上話。

 女性の事情をあれこれ話すのは良くないことだとわかっていても、天使から逃げてきたという彼女の事情はあまりに大きすぎる気がする。

 ハクアリティス自身は天使が追ってくることなどないと言っているが、それはあくまで彼女の勝手な思い込みであってそれが確かとは言い難い。

 もし、彼女を連れていくことによって私やエヴァまでそれに巻き込まれる可能性というのは必ずしもゼロとは言えないのだ。

 そうである以上、エヴァにもそれを伝えないのはアンフェアであるし、それを伝えた後に想像できるエヴァの不満げな顔が脳裏のうりに浮かんだ。(あいつは元々ハクアリティスを同行させるのを嫌がっていたしな)

 それでも、同行者としてエヴァに確認と了承は得なくてはならない。それが共に旅をする仲間に対する礼儀というものだろう。

 だから、ハクアリティスが寝ているのを横目に私はエヴァが起きだしてすぐ、彼が不貞寝ふてねをしてしまった後のことをい摘んで話したのだ。

 それを受けての冒頭の叫びな訳で・・・やはり、そう簡単には了承してくれないらしい。


「なんだ。不満があるのか?」

「別に、そんなんじゃないけどさ。」

 という顔には到底見えない。明らかに不満ですと声高に叫んでいる表情だ。(エヴァと長い付き合いの私が見間違うはずもない)

 しかし、普段から自分の感情については我慢というものをしないエヴァであるが、理由なく困っている人を助けないような人間ではない。

 なのに、ことハクアリティスに関してはどうもこの煮え切らない態度が不思議だった。

「何かあるなら、はっきり言え。」

 そうは思いつつも昨晩一睡もしておらず、私も段々とイライラしてくる。

「・・・」

 エヴァはそんな私を前にだんまりを決め込む。

 私の機嫌が悪いのを分かっているはずなのに、いい度胸である。

 実を言うとこの『だんまり』は気に入らないことがある時の彼の常套手段じょうとうしゅだんで、これでいつも私が折れると思っている。

 確かに大抵のことならエヴァに甘いという自覚が私にもあるが、今回は人命に関わる事だ。エヴァの我儘を聞く気はなかった。

 なので私はこうなったエヴァを相手にするのも正直億劫おっくうだし、話をさっさと進めることにした。

 たまには、大人の威厳を見せてやらなければならない。

「黙ってるなら、了承したことにするからな。後での文句は聞き入れんぞ。」

「じゃあ、言わせてもらうけど。」

 すぐに言葉が返ってきた。


―――文句があるなら、さっさと言えよ


 そう悪態あくたいをついた私であったが、睨むように見るエヴァの瞳はひどく真剣で、私は少しだけ及び腰になる。

「僕はあの女と一緒にいるのはやだ。」

 何をまくしたてられるかと思ったが、それはあまりに短い言葉。だが、強い拒否の言葉だった。

 いつも我儘わがままではあるが、優しい気性のエヴァがこんなに誰かを拒否するなど本当に珍しい。

 初めは単にハクアリティスと気が合わないから意固地になっているからだと思っていたのだが、そこで私はエヴァのそんな態度に違和感を感じた。

「エヴァ、どうかしたのか?昨日も言ったが私の考えとしては、不浄の大地ディス・エンガッドの真ん中で女性一人を放り出すのは目覚めが悪い。助けた以上、人がいる場所に連れていくくらいしないと、助けた意味がないと思っている。」

 エヴァは何も言ってこない。

「別に私は彼女とずっと旅をするといっているわけじゃない。この不浄の大地を流離さすらうことが大変なのはお前も分かってるだろ?男のお前はともかく、エンディミアンで女性のハクアリティスにはこの大地はあまりに厳しい。正直、私たちを会うまで五体満足だったのが奇跡だ。」

 腹は死ぬほどに空いていたようだが、怪我ひとつもなかったハクアリティスは本当に奇跡だと思う。

「ただ、不浄の大地ディス・エンガッドについて右も左を分からない彼女だ。このまま放り出せば遅かれ早かれ、彼女は死ぬ。それじゃ、楽園に住む権利を捨ててまで逃げて来た彼女の心意気も無駄になる。」

「・・・うん。」

 そこでやっと、エヴァが反応らしいものを示す。

天使の領域フィリアラディアスから自分で馬まで奪って脱出してきた。ただ、その馬も途中で倒れ、後はずっと飲まず食わずで歩いていたらしい。街にもたどり着けず、私たちが不浄の大地ディス・エンガッドで初めての人間だそうだ。それが、どれだけの覚悟かお前も想像がつくだろう?」

 死を覚悟していたかまでは分からないが、何にしろそんな無謀ともいえる脱出劇を聞かされれば、ハクアリティスの覚悟というものが誰だって分かる。

天使の領域フィリアラディアスから離れることしか頭になかったらしい。それだけ追い詰められていたということだろう。ともかく、不浄の大地ディス・エンガッドについて、なんの知識もない彼女をこのまま見捨てるってことは、彼女を見殺しにするってことだ。お前にもそれはわかるだろう?」

 エヴァは頷いた。

「でも・・・っ。」

 それでもと、彼は何かを私に訴えようとする。

「エヴァ?」

 やはり、どうもおかしい。私はエヴァの心の内を覗こうとした。

「・・・なんでもない。ヒロちゃんの言いたいことは分かったよ。我儘言ってごめん。次の街までって話でしょ?それなら、今日一日歩けば着くもんね。我慢するよ。」

 なのにエヴァは何かを飲み込んで代わりに妙に聞き分けのいい返事をして、視線を逸らすと私から何かを隠した。

 その隠したものが気にならないわけはない。無理やりにそれを聞き出そうとする方法もあったかもしれない。

 ・・・だが、色々と疲れた私はそれをする気力もなく、おかしいと思いながらもそのエヴァの言葉を信じた。

 いや、信じようとしてエヴァが隠した何をかを知ろうとしなかった。

「ああ・・・。勝手に決めて悪かったな。」

「ううん。気にしてないよ。・・・あのね、一つだけ聞いてもいい?」

 そして、エヴァは急に話を変えた。

「ずっと、ずっと側にいてくれるよね?」

 それは、唐突で脈絡りゃくらくのない言葉。急にそんなことを言われて私も一瞬呆気にとられた。

 エヴァは私より背が低い。

 私をわずかに見上げる形で、エヴァは確かめるようにそう言った。

 いつもは私を振り回してばかりだが、まだ幼いエヴァは私に依存するところが本当は多いのかもしれない。

 そう思って、私はエヴァを安心させてやろうと言葉を発した。

「当たり前だろ。」

 だけれど、疲れた私から出たのはそんな心情とは裏腹に酷く冷めた言葉で、すぐにまずいと感じた。

 それでも、エヴァは少しだけほっとしたように表情をゆるめたので、私はそれでとりあえずはいいだろうと判断してしまった。

 とりあえずエヴァのことは後で解決すればいいと楽観視して、全てを後回しにしてしまったのだ。


―――この時、エヴァのことをもっと気にかけてやれば、その後の悲劇を迎えることはなかったかもしれないのにっ!




 しかし、この時の私がそんなことを知るはずもなくエヴァの了承も得られたことで、私とエヴァはハクアリティスを加えた臨時パーティーで暢気に不浄の大地ディス・エンガッドを歩いていた。

 半日も歩けば大きくはないが小さくもない街につく予定になっていたが、しかして思ったほど距離が稼げていなかった。


「ちょっとぉ、待って!」


 私とエヴァの背後から、疲れた声がした。

「今度は何?」

 エヴァが不機嫌そのものと言った声で振り返る。

 朝からまだそれほど歩き詰めたというわけではないが、何度その言葉を聞いたことか・・・。私にはもう振り向く元気もなかった。

「だってぇ、私は天使の花嫁なのよ!」

 へなへなと乾いた大地に座り込んでハクアリティスは、あの台詞せりふを叫びながら肩で息をしている。しばらく休憩が必要そうだった。

「また、それ?僕らにそれが通用しないことくらい分かってるでしょ?大体どうして、そればっか言うの?」

「そういえば、そうだな。」

 我儘をいうにしても、そんな言葉じゃ伝わるものも伝わらないだろう。

 私も同じことを思っていたのでエヴァに同意して彼女を見ると、何とも言いにくそうにぼそりと呟いた。

「・・・口癖だったのよ。」

『は?』

 小さな声で聞えなくてエヴァと二人で聞き返すと、やけくそ気味にハクアリティスは吐き出した。

「だから!口癖だって言ってるでしょ?!」

 顔は真っ赤。言い切って彼女はうつむいて私たちの視線から逃れた。

「口癖って・・・。あんな言葉が普通、口癖になるか?」

 なんといっても、『私は天使の花嫁よ。』である。

 口癖というには変わっているという他ない。

「だって、人間の私が天使たちの居住区にいるじゃない?事あるごとにどうして人間がここにいるんだ。って天使たちに言われるし説明するのも面倒になって・・・。だったら、はじめから天使の花嫁って自己主張してしまえ・・・って。そうしたら、我儘も何でも聞いてくれるようになったのよ。」

「・・・」

 中々すごい理由である。

 要は天使たちに我儘を言うための魔法の言葉、と言うことだったのだろう。

 それが不浄の大地ディス・エンガッドでは通用しないことくらい、考えなくてもわかるだろうが、それでもつい口に出てしまうほど口癖になるということは相当言いなれていたに違いない。

 私は思わず苦笑した。


「ばっかじゃないの?!」

「なんですってぇ?」

 二人がにらみ合い噛み付き合う。(おいおい、こんなところで喧嘩を始める気か)

「喧嘩する元気があるなら先に進むぞ。時間が惜しい。」

「ええぇ〜?!」

 ハクアリティスが不満の声をあげるが知ったことではない。

 私は彼女を街まで連れて行く約束はしたが、我儘を聞いてやる約束をした覚えはない。

 無視してさっさと歩き出した。

「そうだね、ヒロちゃん!あんな馬鹿女置いて先行こう!もうすぐなのに、あいつに付き合ってたら日が暮れちゃうよぉ。」

 エヴァが同調して私の右に着く。いつになく猫なで声である。

「やだ!置いてかないでよ!冗談でしょ?!」

 と、ハクアリティスが走ってくる気配がして左側から私をのぞく。走る元気があるなら、初めから歩いて欲しいものである。

 私を挟んでぎゃあぎゃあとわめきだした二人のせいで頭痛がするような気がしたが、ふと前を見た視線の先に、岩と地平線以外のものが見えて私は少しだけ気分が軽くなるのを感じた。


「おい!二人とも見ろ!アルヴァーナの街が見えたぞ!!」

『え?!』

 二人ともののしり合いの途中だったが、私の言葉に目の前を凝視した。

 まだ距離としてはいくらかあるが、目標が見えているのと見えていないのでは大きく気分が違う。

 何もさえぎることのない地平線しかないので、街はよく見えた。

「本当だ!」

「建物が見える!!」

 二人が手を取り合って飛び上がって喜ぶ。

 これで喧嘩も止まったし、ハクアリティスも疲れたといって座り込むこともなくなるだろう。

 ハクアリティスもとりあえず街までたどり着ければ一安心といったところだ。

 彼女は自分のこれまでの人生を捨てて、死ぬ気でこの不浄の大地ディス・エンガッドに来たのだ。

 アルヴァーナの街は規模はさほど大きくなかったように記憶していたし、一人で生きていくことも簡単ではないだろうが、死ぬ気があればきっと不可能なことはないだろう。

 きっと彼女は新たな人生を歩めるはずだと、私は思った。


「早く行きましょう!」


 全く現金なもので街が見えた途端、満面の笑みで私たちの先を歩き出すハクアリティス。

 きっと彼女の頭の中には自由な人生が様々に思い描かれているのだろう。そう、思った瞬間だった。


―――何か音がした気がした


「?」

 私はあたりを見回したが、特に何も見当たらない。

 気のせいかと思って彼女のあとに続いた。

 しかし、私はハクアリティスの頭上に落ちる影があることに気がついて、彼女の上に視線を移した。


「ハクアリティスっ!」


 私は彼女の頭上を認めた後、彼女を抱きかかえてその場からどかせた。

 ヒュンと空気を切る音がして、ハクアリティスが先ほどまでいたところに何かが通り過ぎた。

「ひ・・・ろ?」

 彼女は突如のことに、何が起こったか理解できず私を見上げている。

 私は彼女を自分の後ろに追いやると、背中にさしている自分の剣をさやから取り出した。エヴァもライフルを構えていた。

 ヴァサヴァサと、耳に届く羽音。乾いた大地に柔らかな羽が舞い落ちる。


「あらら。失敗失敗。」


 続いて軽い感じの男の声が上から聞えた。

「ああっ・・・・」

 ハクアリティスが上を見上げて、叫びにならない叫びを上げる。


―――そこには天使がいた


 羽をはばたかせながら10メートルほど上空を飛んでいる天使がいた。

 全身黒ずくめという異様な井出たちの男はくすんだ青色の大きな翼を持って、にたりと歯をむき出しにして悪魔のような嫌な笑みを浮かべた。


「どうも花嫁さん?迎えに来たよ。」


 ハクアリティスの甲高い叫びが私の鼓膜を震わせた。

加筆修正 08・4・23

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