第四十七話 宣戦布告 其の一
Drパルマドールの広い実験室は、息が詰まるような重い空気で満ちていた。
低い天井や、無機質な人工物の壁と床には、よく見れば明らかに血痕らしき赤黒い汚れが飛び散っている。
ここでも、何人ものアーシアンが命を落としている。
いや、あの科学者に言わせれば、新しい存在として生まれ変わったのか。
どちらにしても、この実験室はあの聖櫃と同じだ。
天使やエンディミアンのために、いわれのない罪を被せられてアーシアンが犠牲になる。
同じアーシアンとして、許しまじきこの悪行が一つでもなくなるように私は、黒の雷はここに来た。
アーシアンたちの、血の涙を流して上げる慟哭を、天使たちが一欠けらでも気がつけばいい。
そんな思いで、私たちは今ここにいるのだ。
第四十七話 宣戦布告 其の一
「どういうことですか、サンタマリア様っ!!」
突如現れたエヴァンシェッドのことを、ちゃんと理解しているか分からないが、エヴァンシェッドの天空騎士団に囲まれているという言葉に、アラシが堪らずに声を上げた。
多分、アラシは状況が全く把握できていない。
それでも、声を上げずには、不安に押しつぶされそうなのだ。
私とてアラシと同じくらい混乱しているが、それでもエンリッヒが与えてくれたヒントのおかげで、エヴァンシェッドの言葉から、この状況の薄ぼんやりとした輪郭くらいは見えていた。
見えてきた状況の最悪さ加減に、思わず舌打ちをしたくなったけどな。
サンタマリアは黒の雷に力を貸してくれた天使。
だが、同時に黒の雷を利用した天使。
彼女は、Drパルマドールを殺すためにこの作戦を黒の雷に持ちかけた。
そして、最後は黒の雷を天使に捕らえさせる。
どうして、何のために、こんなまどろっこしい事をするのか、サンタマリアのように心を読める私に分かるはずもない。
ただ一つ確実なのは、サンタマリアが黒の雷に手を貸していたのは、贖罪の街の人々に同情したわけでも、天使の罪を悔いているからでもない。
ただ、この私の足の下で奇声を発し続けている、こんな最低のエンディミアンを一人殺すためだけに、黒の雷のアーシアンたち全てを利用して、そして使い捨てようというのだ。
こんなの、聖櫃や、この狂った科学者とやっていることは同じではいかっ!
こみ上げてくるような怒りとも分からない、強い感情で眩暈がした。
抑えられない感情で震える私に追い打ちをかけるように、私の肩に手を置いているエヴァンシェッドと会話をしていたサンタマリアがこちらに顔を向けた。
「そうよ、ヒロ。私はその男を殺すために全てを賭けているの。アーシアンなんて、どうでもいいのよ。さあ、その男を渡して頂戴。」
魔人の事実、聖櫃の事実。
それらを聞いた時と、同じくらい強い怒りと憤りと殺意が私を支配し、気がつけば、私はエヴァンシェッドを振り払って、一人サンタマリアに切りかかっていた。
「ヒロっ!」
誰が私の名を呼んだかは、分からない。
だが、名前を呼ばれた瞬間に体に強い衝撃が走る。
ガウンっ!
衝撃の次に、実験室に響く銃声が耳に届き、火薬のにおいが薬品の臭いに交る。
「・・・つっ。」
左足に強い痛みと、焼けるような熱さ。
立っていられずに、私は片膝をついた。
怒りに我を忘れた私の前に立ちはだかったていたのは、サンタマリアにつき従っていることさえも忘れていたリンズ。
彼女が煙が残る銃口を向けて、私を見下ろした。
その瞳は、引き込まれそうな闇。
その闇を見たことがあるような気がして、一瞬だけ怒りすらも忘れてその瞳を見つめると、リンズは再びサンタマリアの後ろに控える。
私も我に返った。
「ヒロ、大丈夫か?!」
アラシが、床に倒れた私に駆け寄る。
痛みに、やっと、周りが見えるようになった私は頭の血が下がるのを感じた。
どうやら、とんだ場違いな行動をしていたらしい。
サンタマリアと、影のように彼女に控えるリンズを中心に、それに対峙するエヴァンシェッド。
二人の間には、決して入り込めないような雰囲気があった。
その足元に、もう私という重しもないのに、立ち上がることもかなわずにジタバタと足掻いているDrパルマドールの顔は、滑稽なほどに恐怖に歪んでいる。
そして、少し離れた所で戸惑いがちにエヴァンシェッドにだけ視線を向けているハクアリティス。
きっと、久しぶりに会えた夫に近寄りたいが、視線すら向けてくれない夫に声をかけることもできないのだろう。
その横で、ただ静観を決め込んでいるティアは、私に視線を合わせると声には出さずに口だけで「馬鹿ね。」と呟いた。
・・・確かにこの状況は、私はお呼びじゃないな。
見つめあう天使に支配された空気の中、私もそこでやっとこの状況が私たちだけじゃなく、天使たちにとっても尋常なないことに気がついた。
天使たちが私に目もくれていない以上、今はこの状況を静観するしかないということだ。
だが、ただ静観してても仕方ないだろう。
「なんつー威力のある銃だよ。悪いが、肩を貸してくれ。」
「まじかよ?」
言いながら近寄ってきたアラシに肩を借りるふりをして、私はぼそりと周りに聞こえないように呟いた。
「アラシ、逃げるぞ。」
「え?」
「サンタマリアはやっぱり黒だ。彼女が作戦を天使にばらしたから、天空騎士団が待ち構えていたんだ。このままじゃ、私たちも捕まる。」
多分、他のチームはもう捕まっている。
「なっ・・・!」
「黙れ。私を連れていくふりをして、ゆっくり扉側の壁の方へ歩くんだ。」
サンタマリアにはバレているだろうが、それでも、今の彼女の意識はエヴァンシェッドとDrパルマドールに向けられているらしく、視線は一切はずれない。
逃げ出すなら、今がチャンスかもしれない。
サンタマリアを許すことはできないが、それも生きていればの話なのだ。
この怒りも憤りも殺意も、生きていなければ意味がないのだ。
しかし・・・、
「駄目ですよ、ヒロ。貴方には残って頂かないと、どうやら外は天空騎士団にに包囲されているらしいから、その傷で出ていったら今度こそ殺されてしまうわ。」
・・・やっぱり、駄目か。
サンタマリアがこちらを見ないまま呟いた言葉に、ちっと舌打ちをした。
「心配しなくても、この男さえ殺せば、すぐに私が天近き城に連れ帰って手当てしてあげるわ。貴方には、天空騎士団に捕まってもらうわけにはいかないの。」
サンタマリアは、こちらに体さえ向けいないが、こちらが逃げ出そうとすれば今は石のように動かないリンズが再び銃口を向けるのが予測できた。
アラシも同じなのか、私を抱えたまま壁際で固まる。
「そんなこと、俺がさせると思っているのか、サンタマリア。もう、やめるんだ。」
しかし、そんな私たちの動向など気にしようともしないのが、エヴァンシェッド。
どうやら、Drパルマドールをめぐって、二人は対立しているようだ。
「・・・まさか、エンシッダが私を裏切っていたなんて、心が読めるからと言って油断していました。でも、ここまで来て後には引けないわ。今なら、黒の雷とラインディルトに罪を着せて、この男を殺せるんです。エヴァンシェッド、お願い。」
ひい。
動物のような、人間のような、高く細い悲鳴が上がる。
「俺が今、どんな気持ちでいるか分かっているだろう。」
肩を抱かれているときは分からなかったが、エヴァンシェッドの美しさは相変わらずで、あの感情の読めない表情も変わらない。
「分かってる。エヴァンシェッドに心配をかけて、悪かったと思ってるわ。でも、貴方だって私の気持ちが分かるでしょ?この男を殺したくて仕方がないのっ!!」
いまいち会話の意味が分からない部分があるが、一方的に熱くなっているサンタマリアと、感情が見えないエヴァンシェッドに、私もアラシもハクアリティスも言いたいことはあるはずなのに、二人の天使の張りつめた雰囲気になにも言葉を発することができない、
「・・・子供をこの男に殺されたからか?」
子供?
ふいに、先日ここに連れられた時に話をしたエンリッヒの言葉が思い起こされた。
そういえば、エンリッヒがこの男を殺させてあげたい人、すなわちサンタアリアは、大切な人をDrパルマドールに殺されたと言っていた。
「そうよ!この男が作った魔人の暴走。そのせいで、私の、あの人が残したたった一人の宝物が永遠に失われたのよっ!!」
穏やかな印象が残るサンタマリアの上げた叫びは、甲高い、今にも切れてしまいそうな細く、それでいて痛々しかった。
「殺したって、殺したりないのに、尊き血の天使がそれをさせてくれなかった!!魔人も、それを造ったこのエンディミアンも、全てこの世から消えてしまえばいいのよっ!!!」
叫びからは断片的な情報しか分からない。
ただ、見えてくるのはサンタマリアの子供が、魔人によって殺され、彼女はその恨みを晴らすために、今この状況を作り出したということ。
「馬鹿言うなっ!!!」
しかし、そんなサンタマリアの叫び独壇場を壊したのは、思いもよらぬアラシの叫びだった。彼は私を肩に担いだまま、こちらを振り向かないサンタマリアに食ってかかった。
「あんた、何言っているんだよ?子供が殺されたから、俺達を騙して恨みを晴らそうって?」
先ほどの私と似た激情。
だが、私とアラシとではその重みは何倍も違う。
「あんたら天使は、俺達の家族を何人も奪っておきながら、何を言ってるんだよ!!たった子供一人の仇討のために、俺達を、アーシアンを何人犠牲にしようっているんだ!いい加減にしろよっ!」
アラシが震えているのが分かった。
天使に力を借りてまで、仲間のためにこんな所まで来たのに、その理由が天使の子供一人のため。
やりきれないのは、私も同じだ。
少なくとも、こんな思いをするために戦うことを決めたわけじゃない。
・・・本当に、私を、アーシアンを何だと思っているんだろうな、天使ってやつは。
だが、サンタマリアは無情に言い放つ。
「何よ、アーシアンなんて、生きていても、いつか私たちのために死んでいく存在。でも、あの子は違うの!輝かしい未来も、永久の命もあったのに!・・・それを下らない魔人のために!!」
憎悪むき出しの激昂、サンタマリアの翼から緑の光が迸り、言葉に言い返そうとした私たちの体を押し返した。
「サンタマリア。」
しかし、サンタマリアの暴走を止めたのは、エヴァンシェッドの一声だった。
「それ以上は、思っていても言うんじゃない。お前はハクアリティスの最期の言葉を忘れたのか?」
緑の光が萎むように小さくなり、代わりに身に覚えのあるエヴァンシェッドと対立した時のあの空気が実験室に垂れこめた。
「・・・・あ。」
サンタマリアが力の抜けたような、悪い夢から覚めたような虚ろな表情になる。
それはサンタマリアだけではない、他の一同も皆がエヴァンシェッドに吸い寄せられるように、あの美しく歪んだ異形の天使を見る。
ただ、私だけが一人痛みに顔をゆがませ、今のエヴァンシェッドの言葉を反芻していた。
『ハクアリティスの最後の言葉』?
そのハクアリティスを見てみるが、エヴァンシェッドの力にわなわなと震えているだけだし、また天使二人も彼女の名を出した割には、彼女には一瞥も視線をよこさない。
それどころか、辛そうに微笑むエヴァンシェッドと私の方が目があった。
「?」
その表情の意味が分からなくて、思わずその問いが口に出そうになった。
しかし、それはできなかった。
何故なら、突然の爆音と揺れが私たちを襲ったのだ。
エンリッヒの言葉とか、私も昔のことすぎて忘れてしいそうでした(笑)(第一部、第十七話『汝、隣人に殺意を与えたもう。』にあります。)
サンタマリアの子供の話とかは、本編ではヒロやエヴァンシェッド視点では触れる余裕もないので、第二部終了後、閑話として補完しようかと思っております。(予定です)