第四十五話 嫌がらせの君 其の一
俺が現れたことに驚く顔は、皆、非常に滑稽で見ていて愉快だった。
サンタマリアとリンズ以外は知らない顔。
多分、黒の雷のアーシアンの皆さんだろう。
ああ、もちろんヒロも知っている顔だ。
でも、彼の顔は背後から手を回している俺には見えない。
あ・・・、後、ヒロの足元にあのパルマドールとかいうエンディミアンもいたか。(ヒロに踏みつけられて、もごもごもがいている。)
でも顔を見なくても、ヒロの気配から驚いているのは、ちゃんと分かる。
ただ、皆と違うのはその驚いている気配の中に、僅かに漂ってくる物騒な気配。(多分気のせいじゃない、何を考えているんだか)
ふふふと、心の中で笑った。
まさか、こんな所で再会できると思わなかった偶然と、ああ、やっぱり、ヒロは俺の『−−−』だという確信が相まった高揚した気分が背中を駆け上がる。
それでも俺は何でもない顔をして、ヒロの手に置いた手に力を入れながら、こちらを見て、いつもまにか驚きから立ち直って開かない瞳で、俺を睨みつけているサンタマリアに微笑んでやった。
第四十五話 嫌がらせの君 其の一
時間は戻り、10日ほど前。
世界の円卓から解放されて、ケインが俺に天使の裏切り者の名を告げるその瞬間。
「私たち天使を裏切っているのは、・・・・」
ケインは重大なことを言っているはずなのに、どことなく楽しげな様子だった。
まるで、子供が仲良しの友達だけに内緒話をするような、そんな気軽なようで、それでいて何だか粘着質な感じが受け付けないと感じられた。
だが、わざわざ知りたいことを教えてくれるというのに、下手なことを言ってへそを曲げられるのも面倒なので、俺は黙って言葉を待った。
幾人か、裏切っていそうな天使たちの顔がよぎる。
しかし、ケインの発した天使の名は、その誰でもなかった。
「ラインディルト様です。」
瞬間に思ったのは、『ありえない』につきた。
だが、ケインがこんな嘘をつく理由も思いつかない。
心中に相容れぬ感情と理性。
故に俺は、ラインディルトが裏切り者か、そうではないか、判断が瞬時につかず、答えを先伸ばすと同時に、情報を収集するために言葉を濁した。
「・・・まさか、それは本当ですか?申し訳ないが私には信じられない。」
作った表情に、冷静の挟間に戸惑いと悲しみを混ぜた。
ケインは、そんな俺の演技に優しげな笑みを浮かべて、慰めるような言葉を重ねた。(多分、万象の天使である俺よりも、上の位置に自分がいるのだと錯覚をしているのだ)
「ええ、そうでしょう。私もヤナウス殿から話を聞いた時、まさかと思いましたよ。天使の中でも貴方に最も忠義を尽くしているはずの三大天使の一人・・・ですからね。」
そう言われて気がつく。
そういえば、そのヤナウスという貴族が、黒の雷のテロ現場でラインディルトを見たと言っているだけで、後は、裏切り者とケインが囃したてているだけで、その決定的な証拠はないではないか。
そんなことに気がつかないなんて、余程動揺しているか、ケインのペースに嵌っていたな。
ラインディルトが裏切り者ではないと確信しているわけではないが、とりあえず、そう思った俺の天秤はラインディルトが裏切り者ではない方へ傾いた。
ただ、ケインとて嘘を言っているとは思えないのも事実で、恐らくラインディルトがヤナウスの襲撃された屋敷にいたというのは本当だろう。
ラインディルトが俺を裏切っているとは考えたくないが、その場にいた理由については問いつめる必要がありそうだ。
そこまで考えて自分のラインディルトは俺を裏切っていないだろうというスタンスを決めると、俺は改めて言葉を続けていたケインに向きなおった。
「しかし、考えてみてください。貴方は私たちが元貴族であるというだけで、私たちを遠ざけようとしますよね。」
正確には特権意識を持っている貴方たちが相容れようとしないってだけだと思うんだが、まあ、確かに俺達の方にもそういった先入観はあるかもしれない。
それにしても、こいつは何を言い出した?
「それは仕方のないことだと思います。私は当時生まれていなかったですが、王国解体前の貴族たちの悪行は聞くに堪えかねないものがありますから。」
俺は思い出しただけで、反吐が出そうだよ。
でも、どうしてそんなことを言い出したかと思ったが、そこまで聞いて彼が言わんとすることが分かった。
「ですが、そういう意味ではラインディルト様も私たちと同じではないでしょうか?だって、あのお方は、本来なら尊き血の天使の筆頭である、天使一族のたった一人の王族の生き残りなのですから。」
想像通りのケインの発言に、俺は彼には分からないように、ぎりりと歯を噛みしめた。
脳裏によぎったのは、初めてラインディルトと出会った時のこと。
かつてあった荘厳な天使の城、俺達が王国を解体するために押し入った瓦解しかけた城の中で、俺とラインディルトは出会った。
美しい面影も残らない廃墟にも似た城の中、ラインディルトは俺の前に跪く。
そして、俺とラインディルトは破られることのない盟約を交わしたのだ。
だが、それをしらない外野は、いまだにこんな事を言い出すのだ。
何百年も王族という身分を捨て、俺に力を貸してくれている彼の過去を引っ張り出す。
「本来、貴族どころか王族最後の生き残りであるあのお方が、天使の王国再興を願う。それはある意味正しい考え方のような気もします。どうですか?」
道理は通っている。
だが、そこには俺とラインディルトの盟約の存在はないのだ。
「しかし、目撃証言だけで、ラインディルトを裏切り者扱いすることはできません。」
だが、俺のそんな言葉すら予想していたかのように、ケインは笑った。
「ええ、もちろん。それは分かっていますよ。だから、決定的な証拠もご用意しています。」
「決定的な証拠?」
「はい。ラインディルトの裏切りを証言する者を我々は見つけたのです。その者は、包み隠さず彼の裏切りを告白してくれました。」
まさかと思った。
だが、何の気負いも見えないケインの言葉に、ラインディルトを信じている俺も不安を感じずにはいられなかったのである。
そうして、楽しげなケインに案内されたのは彼の屋敷。
天近き城とは比較するまでもないのだが、尊き血の天使が住んでいそうな豪華で贅沢な作りの屋敷。
俺はその一室で、ラインディルトの裏切りを証言するという見知った人物と引き合わされた。
「君がラインディルトの裏切りを証言する・・・というのか?」
「・・・エヴァンシェッド様。」
そういって、顔を複雑な表情を浮かべて、既に泣き声の入り混じった声で俺の名を呼ぶのは、エンディミアンの長にして、エンディミアンの監視を任せてあるラインディルトの右腕でもあるエンシッダ。
彼をエンディミアンの長にと任命したのは俺であるので、人間とて俺も無論よく知っている人物であった。
固まってしまった俺と、俺を前にしてそれ以上の言葉を発っせられず震えてしまったエンシッダを見て、ケインがエンシッダの肩を抱いて話を促した。
「彼が全てを告白してくれました。彼は天使の王国復興を目論むラインディルト様の手伝いをさせられたらしいですが、自分をエンディミアンの長として取り立てて下さった貴方や天使に対して、罪の意識に苛まれ、ヤナウス様の目撃証言を聞いてラインディルト様のことを探っていた私に自ら進んでその罪を告白してくれたのです。」
だから、彼を責めないで下さいとケインは言葉を閉じ、可哀想なくらいに体を震わすエンシッダを慰めるように肩を叩いた。
すると、エンシッダが大げさとも思えるほど目に涙を溜めて、俺の前に土下座をした。
「申し訳ありませんっ!!この罪はどんなもので受ける所存です・・・っ!」
「・・・。」
俺は黙って、土下座をして表情が見えないエンシッダを見下ろした。
何も言えないことが俺の答えだと言わんばかりに、ケインは嬉々として話を先に進めようとする。
「それでですね。エヴァンシェッド様、これでラインディルト様の罪状も明らか。私は彼の三大天使の剥奪を要求しますよ。そして、裏切り者を発見した功績をもって、その暁には何卒私を次の三大天使にーーーーー。」
・・・なるほどこれがケインが、俺に情報を売った理由か。
しかし、こうも易々と話を進めさせるわけにはいかない。
俺は停止していた思考を再び動かすと、閉じるということを知らないらしいケインの口にそっと指をあててやると、にっこりと最上級の微笑みを浮かべてやった。(未だかつて、この微笑みの前に目を奪われなかった者はいないという俺の必殺技だ)
「ええ、わかっていますよ、ケイン。」
俺の術中にはまったケインは、子供っぽい溌剌とした表情がトロンとしたものに変わる。
「しかし、私も突然のことにまだ感情が追い付いていないのです。少しお待ちいただけないでしょうか?」
彼は俺の言葉に動かされるように、ぼんやりと首を縦に振った。
「・・・はい。」
そういうのを確認して、俺は話を詳しく聞きたいとエンシッダを連れてケインの屋敷を後にして、今度はエンシッダと馬車を共にした。
馬車に揺られる俺の表情は、ケインがいたときとは時比べ物にならないくらい、冷たいものに変化していた。それも、これは演技じゃない。
そして、俺以上にその様子が変わっているのが目の前にいるエンシッダだ。
先ほどまでは俺を前に、恐怖に怯え、自分の罪に苛まれ涙まで流していた男が今は、俺を面白そうに見ているのだから。
「どういうことだ?」
「何が?」
俺の物言いを楽しむかのようなエンシッダの表情が忌々しかった。
「ふざけるな。」
俺が語気を強めれば、おお怖いと、わざとらしく両手を上げてみせる。
・・・くそ、こいつのペースに飲まれたら終わりだ。
ここは冷静にならなくては、エンシッダの思う壺だ。
俺は苛立ちを押さえて、エンシッダを見据えた。
「どうして、お前がラインディルトの裏切りを告発するようなことをする?」
「だから、ケイン様も言ってたでしょ?ラインディルト様の命令で嫌々、天使を裏切ってはいたものの、俺を拾ってくれた天使様たちに対する良心の呵責に耐えられなくなったんです。か・しゃ・く。」
まるで感情がこもらない、おどけた口調にこめかみがぴくぴくと痙攣する。
「馬鹿を言うな。お前が天使の命令を聞くことや、天使に良心の呵責を感じるなんて、死んでもあり得ない。ラインディルトを利用して、何を企んでいる?ことによっては、俺はお前を・・・・。」
「あんたが俺をどうするって?」
冷静にと思ったにもかかわらず、感情のままに言葉を発した俺を、ぴしゃりとエンシッダの妙に乾いた言葉が遮った。
その声に、我に返る俺。
・・・駄目だ。こいつ、相手になると、どうにも感情が制御できない。
自分のそんな不甲斐無さに、汗をかいた手のひらを握りしめ俯き、俺は謝罪を口にした。
「・・・いや、何でもない。」
「ふーん。ま、いいけど。でも、さすがエヴァンシェッド様は俺のことをよくご存じだ。長い付き合いなだけあるよね?」
そんな俺の上から、エンシッダの強い声が降ってくる。
「その通りだよ。俺が天使の命令を聞くはずも、ましてや、良心の呵責なんて感じるわけがない。俺が動くのは自分のためと、そして我が白き神イヌス・ニルヴァーナ様のためだけだ。」
そう、だからこそ、ケインが言っていたこの男がラインディルトの命令を聞いていただの、俺に罪の意識を感じていたことなど、絶対にあり得ないのだ。
むしろ、この男は俺を嫌って、いや、憎んでいると言ったほうが正しい。
故に、エンシッダが現れるまでは件を楽観視していた俺も、急に不安に襲われたのだ。
「だから、そのお前がどうしてラインディルトを陥れようなどとっ!」
「あれ、あの王子殿が本当に自分を裏切っているとは考えないのか?」
「お前が絡んでいるなら、例え本当に天使を裏切るような行為をラインディルトがしたとしても、全部お前のせいだ!お前が俺に嫌がらせをしたいだけだろう?!」
そう、自分のためと、自分の主のためにしか動こうとしないエンシッダは、憎い俺に嫌がらせをしたいだけなのだ。
今までだって、何度もあったことだ。
それでも、これまで三大天使を利用しようということはなかったが、こいつなら俺が嫌がるのであれば彼らとて利用しようとするだろう。
エンシッダは俺への嫌がらせを楽しみにしている、俺の『嫌がらせの君』なのだから。
だから、ラインディルトが天使を裏切るような行動をしていようとも、それはエンシッダに誑かされたか、騙されているにすぎないと俺は断言できる。
エンシッダはそういうことにつけては、天才的な才能があるのだ。
そうと分かれば、事が公になる前に全て隠蔽をしなければ、騙されたと分かればラインディルトも、エンシッダの戯言から解放され、自分の行いを悔い改めることだろう。
幸いにケインはしばらくは俺以外にこのことを話さないと約束させた。
ケインとヤナウスという貴族の口を塞ぐだけなら、簡単なものだ。
後は、いつもどおりのラインディルトが俺の元に残るだけだ。
「おお、おお。物騒なことを考えている面だな。エヴァンシェッド。ケインをやっちまおうって腹か?相変わらず、身内のこととなると見境がなくなる奴だ。」
「黙れっ!お前の好きなようにはさせない。」
熱くなっているという自覚はあるが、エンシッダ相手には冷静になろうとしてもなれない俺がいる。
ラインディルトをエンシッダから解放するためにも、ともかく、彼が何を企んでいるかを知らなければならないのに、こんな熱くなってはそれも不可能だ。
力づくで聞きだそうにも、それはこのエンシッダにはしたくてもできないのだ。
八方塞の状態に、俺は焦りを感じた。
だが、そんな俺を嘲笑うかのようにエンシッダはあっけらかんと、自分の手の内を話し始めたのだ。
「そう怒らなくても、今からちゃんと説明してあげるよ。考えても見てよ、今回の俺わざわざ自分からケインの所に自首したのよ?その意味がわかるぅ?」
「意味?」
確かに用意周到なこの男が、不用意にケインに捕まるはずもない。
ケインに捕まったことも、俺にこうして問い詰められていることもエンシッダの嫌がらせの内ということだ。
「そう、要するにね、俺の目的はラインディルトに君を裏切らせて陥れることが目的じゃないの。だって、もし三大天使が揺らぐようなことがあっちゃ、天使の領域が駄目になっちゃうでしょ?別に俺、あんたに嫌がらせをしたいだけで。この楽園は気に入っているんだ。」
そうだ。こいつはこういう男なのだ。
では、何をしたいというんだ?
「だからね、俺はあんたが一番信頼している三大天使たちの間をグチャグチャにしてやって、裏切られた傷心の君が、それを取り繕うために奔走する見たいの。大丈夫、頑張れば、皆元に戻るようにしているから、ただ・・・、少しでも手を抜いたら・・・・。」
この言葉の節々に、嫌な予感を感じた。
「皆・・・ていうのは、どういう意味だ?」
「あれ、わかってるでしょ?エヴァンシェッドは、頭いいんだから。」
口の中が乾くのを感じた。
「お前の罠に嵌っているのは、ラインディルトだけじゃないということか?」
ラインディルトが裏切っているかもしれないというだけで、心がぐらぐらと崩れそうになっているというのに、これ以上俺を揺さぶるようなことはやめてくれ。
しかし、その懇願はエンシッダの前にはあっさりと切り捨てられた。
「ピンポーン。案外簡単なものだよね、あんたが信頼している三大天使って言っても、所詮はそんなものなのよ。さあ、それを教えてあげるね。せいぜい、彼らを更生させるために頑張ってよ。」
信頼している者たちに、騙されているとは言え裏切られるという事実は、俺を否応なしに傷付ける。
だって、それはどんな理由にしても、彼らの中に俺を裏切りたいという気持ちがなくては、いくらエンシッダに騙されたといえ、そいうった行為につながるはずもないのだ。
その事実と、今から直接その事実と対峙しないといけないのだ。
・・・今までの中で、確かに一番の嫌がらせだな。
そう思いながらも、彼を断罪できないのは俺の罪。
嫌だと逃げたくても、天使一族のためにそれをなさければならないのは俺の責務。
そして、誰にも相談できず、一人で立ち向かわなければならないのは、俺の・・・。
エヴァンシェッドとエンシッダのお話ですね。(いや、ケインもいるんですが)
エンシッダは、名前は何回か出てきているのですが、第二部でちゃんとした登場は初めてですね。結構、重要人物な予定です。演技が上手ですね。ある意味、エヴァンシェッドとはそういうところが似ているところがあるので、仲が悪いのかもしれません。
今回だけでは、天使たちの陰謀が全部分かってないですよね。次でちゃんと話をつなげるように致しますので見捨てずにお付き合いください。