第四十四話 錯綜せし事局
生体兵器研究所はもうすぐそこだ。
エンリッヒの話を信じるなら研究所には天使はいない。
だが、アラシが持つ通信機を使って他のチームに連絡をとったほうが、私が街を走って回るより恐らく早い。
私はともかくアラシ達と合流すべく、静けさに包まれた白き神の御許を何も考えずに走るのである。
第四十四話 錯綜せし事局
かつて、Drパルマドールに車に乗せられ連れられた時は、この生体兵器研究所の薄気味悪さに怖気づいたものだった。
しかし、真夜中の暗さに、その気味悪さがパワーアップしているにもかかわらず、今の私にはそんなもの気にもならなかった。(多分、その余裕が今の私にはないのだろう)
ともかく、生体兵器研究所に天使がいないのであれば、こちらの作戦は続行も可能だろうが、他の陽動チームはすぐに撤退だ。
奇襲だからこそ天使たちと戦うことも有効なのであって、待ち伏せなどされた暁には100パーセント勝ち目はない。
幸いにまだ陽動作戦が始まっている気配はない。(陽動は大々的にやる予定だったはずなので、もし始まったら街がこれほど静かなはずはないだろう)
だが、陽動を開始する前に天使に捕まっているという可能性も捨てきれない。
・・・まだ、どのチームも天使たちと交戦していないと願いたい。
そう思いながら走り、ぐんぐんと近くなってくる生体兵器研究所、しかしあと一息で入口・・・という所で私は走る足にブレーキをかけ、もの影に隠れる羽目になる。
「・・・・あれは天空騎士団?」
エンリッヒの話ではいないはずの天使が、生体兵器研究所の入り口の前に何人も立ちはだかっていたのだ。
エンリッヒに嘘をつかれた?(あのいけ好かない笑顔が浮かんだので、頭の中でぶん殴ってやった)
だが、あんな場面でエンリッヒが嘘をついても意味はないし、そうではないと信じたい。
そもそも、妙に小賢しいところで頭の回るあの男が、こんなすぐに分かる嘘をつくとは思えない。
それよりも、問題は天使たちの足元にある物影。
「おいおい、全くこのアーシアンたちのせいで、こんな夜に俺たち仕事だぜ?」
「ほんと、タダでさえ、ここ最近仕事がキツイっていうのによぉ。」
・・・間違いない。
暗がりで判断に苦しむところだが、今の話声から恐らくあの物影達は私が先に行かせた黒の雷のアーシアンたちだと見当がつく。
やはり、天使たちに待ち構えられ、彼は倒されたのだ。
うめき声や、かすかに動いている様子は確認できるから、まだ殺されてはいない。
エンリッヒの言っていたことを、うんぬんと考えるより先に私は飛び出していた。
「まだ、残りがいたぞっ!」
すぐに私に気が付いて、わらわらと集まってくる天使、4,5・・・8人。
私は天使たちに向かいながら天使の人数と位置を確認すると、作戦も何もなく、ただ向かってくる者、目の前にいる者、その全てを切って捨てた。(アーシアンたちが倒れているから、大技は使えない)
そして、あらかた研究所の外にいた天使たちを切り伏せると、私はまだ意識がありそうなアーシアンの一人を抱き起こした。
「おい、大丈夫か!」
「・・・う、て・・・天使たち・・に、ま・・ちぶせを。」
途切れ途切れに、苦しそうな声。
「あ・・・アラシが、う・・・、天使たちに連れて・・・。さ・・・作戦を・・・頼む。」
そう言って、震える腕を上げ彼が示したのは生体兵器研究所の中。
「分かった。心配するな。」
私がそういうと、ほっとしたような顔をしてそのまま意識を失う。
安心したのだろう。
私はそっとアーシアンを地面に横たえると、不気味に私を見下ろす生体兵器研究所を睨みつけた。
「・・・すぐ、戻るからな。」
とりあえず、外の天使は一掃したし、すぐにこの場に応援が来るということはないと思われるし、ここに彼らを置いておいても大丈夫だろう。
多分、アラシもまたここで倒されたはずなのに、彼だけここにいないというのが気になった。
しかも、連れて行かれたのはこの生体兵器研究所の中。
一か月前の、自分の記憶が甦る。
・・・嫌な予感がした。
生体兵器研究所とて、これだけの天使がいたのだ。
他も同じような状況だろうと予想がつく。(通信機がないから確認のしようもないが)
それでも、こうなった以上、私一人でも作戦を実行することが、彼らの想いに答えるということなのだろうと思う。
私は気を引き締めると、研究所内に入るために立ち上がろうとした。
・・・と、ひやりとした空気が、私の頬をなでた。
「動くな。」
眼だけで顔の横を見れば、背後から偽物の月に鈍く光る剣の光が突きつけられていた。
天使がまだ残っていのか?
黒の剣は手の内にあるが状況は打開できそうもない。
このまま天使にやられる訳にかない・・・と、ぎりりと歯を噛みしめていると、くすくすと華やかな笑い声。
「・・・なんちゃって。こんばんわ、ヒロ。」
聞き覚えのある女の声。
そして、剣はあっさりと引かれて、私はさっと女を振り返る。
「あんた・・・。」
肩くらいの黒髪に、血の色に似た赤い瞳、今日は黒いワンピースに白いカーディガンを羽織っている。
牢屋に現れた私を襲った女だ。
「あんたじゃないわ、私の名前はティア。よろしく。」
私を殺すと言った時の殺気どころか、友好的な笑みを浮かべて彼女は自己紹介をする。
「・・・どういう風の吹きまわしだ?どうして、ここにいる?」
「あら?私はここに来る言って言ってたでしょ?そんな警戒しなくても、アーシアンに味方する貴方を殺そうとは思ってないわ。」
言いながら彼女は女性が持つにしては大きすぎる剣を鞘におさめた。
細身だが、恐らく彼女の身の丈ほどはある。
「・・・どういう意味だ?」
「私が貴方を襲ったのは、天使に力を貸す黒の一族の抹殺を命令されていたから。今のあなたは、黒の雷に本気で協力している。殺す理由がなくなったって訳。」
聞き捨てならない言葉だった。
「天使に力を貸す気など、私はない。」
それが嫌で天使たちから逃げ出したのだし、アラシの話を聞いてからそんなことを言われては、ひどく気分が悪かった。
それが声にも多分、表情にも出ていたのだろう、ティアは苦笑して言った。
「ふふ、ごめんなさい。でも、まあ、色々あるのよ。何せ貴方はあの万象の天使のそばにずっといたのだもの。天使の回し者じゃないかって疑ちゃってたのよ。」
「・・・それで、今は信用されているというわけか?」
そばにいただけで疑われる理由は知らないが、とりあえず、天使の間者として私は疑われていたらしい。
「それより、あんたこそ何者なんだ?私からすれば、あんたのほうが余程疑わしい気がするんだが。」
数日前に殺されそうになったばかりなのだ。
そうそう、信用できたものではない。
だが、ティアの方はあっけらかんとしたもので、
「だから、あんたじゃなくてティア!心配しなくても、とりあえず私は天使の敵よ。それより、いいの?アラシを助けに行くのでしょう?彼、今すごいやばい状態よ?」
と、笑いながら言い放った。
「な・・・!」
「さ、案内するわ。」
かくして、そう言われてさっさと研究所の中に入っていかれては、それ以上追及することもできず。
私は釈然としないまま、彼女の後を追うこととなった。(うーん、どうにもこういう押しの強い女は苦手だ)
研究所の中は、以前に私が来た時同様、静かで暗くて寒い。
てっきり、まだ黒の雷を待ち受けている天使がいるだろうと思っていた私は拍子抜けした。
「あの天使たちは、黒の雷を待ち伏せしてたんじゃないの。この研究所をもともと警備していた天使よ。」
あたりを見回す私の思考を読んだのかのようにティアが言った。
「・・・一か月前はそんな天使いなかったはずだ。」
警備どころか、助手一人しか魔人以外はいなかった。
「一か月前と状況が変わったの。今、この研究所は天使たちの台風の目だもの。」
「どういう意味だ?」
「色々よ。色々。」
そればっかりだ。
私はどうにも、知らないことが多すぎるこの事態に気味の悪さを感じていた。
ティアに限ることではない、アラシだって私に肝心のことは話さない。
戦いの中心にいながらも、知らないことばかりが私を取り巻いていることで、戦う目的こそはっきりしているが、私は本当にそのために戦っているのか、それすら不安に思えてくる。
・・・誰かに、踊らされているような。
普段、こんな不透明な中で戦うことのなかった私には(いつもは襲ってくる相手を叩き伏せるだけだ)、この状況はあまりに歯がゆかった。
何の根拠もなかったが、私の直感がそう囁いていた。
だからって、今さら引き返すこともできないんだが。
そんな思いを抱えたまま、ワンピース姿の女が長剣片手に前方と走る女の背中を見た。
走るティアに迷いはない。
研究所の無機質な廊下を右に曲がり、階段を上り、広場を横切る、今度は右、そして左に曲がって、長い渡り廊下を突っ切った先に一つの大きな扉が目に入る。
それを、何の躊躇いもなくティアはその扉を蹴り破る。(女がスカートでそんなことをするなよ)
「いひゃひゃひゃっ!なななな、何ですか、ちみたち、何ですか!!!!」
飛び込んできたのは、一度見たら忘れられない珍妙な科学者が、メスを片手に私とティアを見て人間らしからぬ声を上げた。
そして、その科学者の実験に今にもされてしまいそうな、実験台の上に磔にされているアラシとハクアリティス。
『ヒロっ!!』
アラシはともかく、ハクアリティスまで実験されそうになっているとは驚いた。
私を見て声を上げる二人、そして同じく私を認めてこちらを指さして目を見開く外道科学者。(お決まりのリアクションだ)
「あ、あー!あの時の、愚かな、愚かな黒の一族っ!」
「よお。」
私はそんな彼に視線を合わせて、一つ笑ってやりながら彼に近づくと、
「ひぎゃっ!」
Drパルマドールを床に叩き付けた。
そのまま取り押さえてやると変な鳴き声を出してもがくが、大した力はない。
そうして、とりあえず、Drパルマドールが目に入ったから捕まえてみたが、そういえば、部屋の中をきちんと確認していなかったと、周りを見回す。
他に天使たちでもいるかと思ったが、どうやら、Drとアラシ達以外は誰もいないらしい。
「大丈夫?二人とも。」
一方、私がうるさい男を取り押さえている横で、ティアが実験台みたいなものにくくりつけられている二人に声をかけていた。
「おう、悪いなティア。ヒロも助かった。」
ティアはアラシとは顔見知りらしい。
だから、作戦のことを知っていた?
うーん、しかし、さっきの物言いからは黒の雷の一員ってわけでもなさそうだ。
それに、牢屋に幽霊のように現れたり、消えたりする力・・・。
そんな風にDrを取り押さえながら悶々とする私の横で、拘束から逃れられたハクアリティスは大そうご立腹だった。
「さいあっく!もう、何で私まで?」
「まあまあ、そう怒らないでくださいよ。」
「だまらっしゃい、アラシッ!」
実験されそうだったわりには元気なハクアリティスが、アラシに食ってかかっている。
大きな熊男が、(一見)儚げな美女にやりこまれている様子は非常に滑稽だ。
だが、今はそんな二人を見て和んでいる場合でもない。
「・・・おい、今はコントをやっている暇はないぞ。すぐに他のチームに連絡を取って、撤退させろ。この作戦、天使にバレている。」
「本当かっ?!どうしてっ・・・。」
私の言葉に驚きの声を上げるアラシを、私は制した。
今はエンリッヒの話をしている暇はないだろう。
「詳しい話は後だ。Drパルマドールはこうして確保したんだ、すぐに連絡をーーーー。」
だが、言葉は全部言えなかった。
「その必要はないわ。」
何処にでもいるような、それでいて、何だか特別な雰囲気のある女の声が私とアラシの間に割って入ってきた。
Drパルマドールを押さえながらその人物を振り返って驚いた。
「サンタマリア様!!!」
これは私ではなく、アラシの声。
そう、突如として現れたのは三大天使が一人、深海の天使であるサンタマリアと、彼女をエスコートしている黒づくめの人間・リンズ。
アラシは驚きの声を上げると、すぐさまサンタマリアに頭を下げて、彼女に礼を尽くす。
それを見るだけで、一目瞭然だった。
「貴女が、黒の雷に手を貸していた天使だったのか。」
「ええ。お久しぶりですね、ヒロ。アラシから貴方を確保したと聞いた時は驚きました。てっきり、死んでしまったかと思っていましたから。」
優しげな声だが、どこか鋭利な感じがした。
それは彼女に心をのぞかれているという意識があるから、そう思うのか、はたまた、今の彼女に何か私に含むところがあるのか・・・。
そこで、私は一つ違和感を感じた。
確か、ついさっきエンリッヒは言っていなかったか?
『黒の雷の作戦は確かに、サンタマリア様がある人物の、天使を裏切ったお人の心を読んだことで、天使たちに筒抜けですわ。』
そうだ。
エンリッヒの話が本当なら、サンタマリアが天使を裏切った人物の心を読んで作戦が天使に知られることになったはずだ。
だが、その天使の裏切り者こそがサンタマリアだというのであれば・・・。
私ははっとして、サンタマリアを凝視した。
彼女はアラシにねぎらいの言葉をかけてやりながら、盲目で瞼が開かないままでも、聖母のような笑みを浮かべている。
そのサンタマリアが、彼女を見つめている私の方を振り返った。
そして、微笑んだ。
ぞくり・・・、背中を寒気が突き抜けた。
そして、その笑みを浮かべたまま彼女は私の方に近づいてくる。
それに従って、まるで、化け物にでも出会った時のような恐怖に身が縮こまるような感覚を私は覚える。
「さあ、ヒロ。その人間を私に・・・。」
私は何も言えないまま、状況を整理しようと回らない頭をフル回転させていた。
黒の雷に力を貸す天使の目的は、この外道科学者。
そういえば、エンリッヒはかつてこの研究所内で再会した時に言っていなかったか?
この私の下で震えて奇声を上げ続けている男を、『殺させてあげたい人』がいると・・・。
「そうよ。それが私です。それにしても、エンリッヒは全く役に立たないわね。何のために、あの子に貴方をここに近づけさせないよう言ったのかわからないわ。」
・・・心を読まれた。
でも、今の言葉で確信が持ててた。
サンタマリアは、この外道科学者を殺したい。
だが、それは何故だ?しかも、こんなまどろっこしい手を使って、黒の雷に抹殺を命令しながら、自分でこんなところまで来て。
それに、どうして作戦の一部をばらす?
それに誰の心を読んだというんだ?他に黒の雷に手を貸している天使が?
ああっ!こんな状況じゃ、全く考えがまとまらん!!
「くすっ。ヒロは本当に色々なことを考えているのね。でも、今はそんなこと考えなくてもいいの。さあ、余計なことは考えず、その男を私に。」
そう言って、混乱したままの私にサンタマリアは手を伸ばし・・・
「駄目だよ。」
その手は、鈴が鳴るような美声とともに叩き落とされ、視界に白い羽が舞った。
同時に私の背後から、誰かの手がポンと置かれた。
見なくても分かる、痛いほどに左胸を叩く心臓の鼓動、あふれ出る冷や汗、この感覚には覚えがある。
忘れたかったが、忘れられるはずもない・・・あの美しくも歪んだ異形の天使。
「え・・・エヴァンシェッド・・・・どうして?」
サンタマリアもその出現は予想外だったようだ。
私だけじゃない、この場にいる全ての者が驚きに硬直した。
そんな中、一人だけ悠々としているエヴァンシェッドの気配。
ふふふと、彼は私の耳元で笑う。
「さあ、どうしてかな?それはサンタマリアの方が、良く分かっていると思うけど?」
耳に息がかかってくすぐったいわ、相変わらずどうにもしゃきっとしないしゃべり方だわと、相変わらず私の神経を逆なでしてくれる男だ。
とりあえず、私から離れてくれねーかな?
・・・ぶん殴ってもいいかな?
色々考えていたはずだし、考えないといけないはずなのに、脳の許容範囲を超えた事態の発生に、私の頭に思い浮かぶのは、何故だかそんなことばかりだった。
私の追いついていかない所で、事態は急変しようとしていた。
今回の話は、登場人物がだんだんと増えていくし(後に出てくる人につれて濃い人が出てきてます)、ヒロ自体が状況についていけてないので、一人称が分かりにくくなっていないか不安です。その現れた人たちについて一言。
まず、ヒロを殺そうとした女性・ティアはまだまだ謎が残りますが、とりあえず敵ではなさそうですね。ヒロはハクアリティスも同様なんですが、押しの強い女性は苦手です・・・ていうか、この話はそんな女性が多い気がします。だから、ヒロはいつも女性にはタジタジです。
次、サンタマリア。天使を裏切り、黒の雷に手を貸していたのは、実は彼女だったわけですが、何だかただそれだけっていう感じはしないですよね。ヒロは動物的本能でその辺を嗅ぎとってますが、それは次回以降明らかになります。
で、最後はエヴァンシェッド(ちょっとしか出てないですけど)。実は次回からは彼視点の話で、ヒロが付いていけていない部分を補完するつもりです。