第四十三話 人間と天使は違う生き物だったのだ 其の四
「・・・アラシ。」
項垂れるアラシを、私は力なく呼んだ。
アラシは聖櫃にもたれ掛り放心した瞳で私を見返す。
「私はこの話を聞くまでは、正直、天使に本気で戦いを仕掛けるなんてバカなことだと、愚かなことだと思った。協力するといっても、作戦が成功するとも思わなかった。それは今とて同じ気持ちだ。」
どうして、こんな事を言ったのか自分でもわからない。
アラシの今の話からすれば、それは彼にぶん殴られても仕方ない無神経な言葉だと思う。
だが、アラシは怒り一つ表わさず、彼に似合わない自嘲するような表情を浮かべた。
「そりゃそうだよな。俺だって、いや、俺たちだって本当はそう思ってる。でも、あの人は俺達に言ってくれた、この作戦さえ、Drパルマドールを殺すことさえ成功すれば俺達、皆、助けてくれるって。」
第四十三話 人間と天使は違う生き物だったのだ 其の四
私とアラシは聖櫃という名が似合わない、アーシアンたちの処刑台を挟んで向かい合っていた。
「お前は天使に直談判するって言ってたじゃないか、その言葉じゃDrパルマドールを殺すほうがメインみたいだな。」
アラシが先ほど言っていた言葉とは違う所を見つけて、私は眉を顰めた。
「・・・嘘をついたのは謝る。でも、本気で協力する気がない奴に本当のことを言いたくなかったんだよ。」
「じゃあ、何か?その人っていうのが、誰かは知らんが、そいつがお前たちにDrパルマドールの殺害と引き換えに、この街から逃がしてくれるっていうのか?」
アラシはそれに頷いた。
「・・・それは信用できる話なのか?それに街からでることができているなら、いっそ脱出の作戦を立てたほうがいいんじゃないのか?」
アラシ達が信じたい気持ちは分かるが、そんなうまい話がそうそうあるものなのだろうか?
そもそも、そんなことが可能なのか?
アラシもそれは分かっているようで、苦々しい顔になる。
「この街から出れたりするのは、一重に天使の手引きがあるからだ。この街は四方に魔法の壁で囲まれ、天空騎士団に監視されているからな。脱出なんて少人数なら可能だろうが、街の皆なんて無理に決まっている。」
天使の領域を支える生贄たちを、天使たちも逃がすつもりはないということか・・・。
確かに、ここには老人や子供もいる。
全員で脱出するのは難しい。
「俺たちはもう限界なんだ。この地獄から、仲間の死を、自分の死を待つだけの人生から脱出できるなら、何でもやるさっ。」
その声を、言葉を聞いたら、何も言えるはずもなかった。
アラシは私が考えていることなど全部分かっていても、自分や一人や二人なら助かる方法もあるのに、皆で助かるための道を選ぼうというのだ。
作戦に参加する者たちは、それで助かるか分りもしないのに、自分の命を賭して・・・。
そう思うと胸が痛んだ。
泣き声が混じる声を出しながら、アラシは聖櫃に縋りつくように蹲まる。
彼らは一体、この箱の中に何人の同胞を死を見てきたのだろう。
その中には、もしかしたらアラシの大切な人がいたのかもしれない。
黒の武器を諦めた時の、誰かを犠牲にして力を得たくないと言った彼の様子が思い出された。
ああ、だから、誰かの犠牲をあれほどに厭うたのだ。
「・・・救われたいんだよっ!」
絞り出された言葉、むき出しの感情、アラシは何も隠そうとはしなかった。
だから、私は決めた。
黒の雷に私の全部の力で協力しようと、そして、その先にあるのが破滅でも、助けるという約束が偽りでも、死を待つしかなかった彼らには、戦おうとすることが、助かりたいと行動することが生きるということ、そして救いになるのだ。きっと。
だったら、私は一人でも多くのアーシアンをここから助けてやりたいと、救われるような何かをしてやりたい。
・・・いや、助けてやりたいなんて、それはきっと私の醜くて、汚いエゴでしかない。
それでも黒の剣しか持たぬ私が、作戦に参加することで彼らに何かできることがあるというなら・・・、私にできることは全部全部したいと思ったのだ。
ガァ・・・ン
ザッ
ドドドド・・・ン
深夜、静かな街中に不釣り合いに響く轟音、立ち上がる砂埃。
「蒼の風」
闇夜に光るエンリッヒの翼から繰り出される青い刃。
その上空からのエンリッヒの攻撃を、私は黒の剣の力で叩き落とし、そして、もう一度剣を振りぬいてエンリッヒに向かって黒い衝撃波を放った。
攻撃が速かったため避ける余裕がないエンリッヒは、翼を魔力でコーティングして、翼で身を包み攻撃を防ぐ。
攻撃は防がれた。
だが、上空で一瞬動きが止まる。。
それを見て私はぐっと足を踏みしめると、思いっきりジャンプをして二階建ての建物の屋上に、非常階段を踏み台にして上ると、エンリッヒに屋上から飛び降りて襲いかかった。
「でりゃぁっ!!」
エンリッヒは意表をつかれたが、ここはさすがに天空騎士団副師団長。
解いた翼のガードで黒の剣が襲いかかる前に再び身を包んだのだ。
だが、私はそんなこと頓着せず、黒の剣を握る手に力を込めた。
黒の剣、力を貸してくれ!!
そんな私の心の叫びに応えるように、黒の剣の刀身が鈍く光り、熱を放つのを感じた。
そして、私は頭上に振り上げ黒の剣をエンリッヒに切りかかる。
「いっけえぇぇっ!!」
ザンッ!
確かな手応えとともに地面に着地した私の後に、エンリッヒが地面に落下する気配がした。
すぐにこちらに掛ってくるかと思ったが、エンリッヒは倒れこんだまま動く様子もない。
どうやら、深手を負わせられたようだ。
「う・・・、くそぅっ。」
立ち上がろうとして、エンリッヒがぐらりと再びバランスを崩す。
私は倒れこんだエンリッヒに、黒の剣を突き付けた。
よく見るとエンリッヒの翼は、左翼が血に染まっている。
かなりの出血のようだ。
「まさか、わいの魔法防御を破ってまうとは・・・、さすがですなぁ。前より、強うなっとるんとちゃいまっか?」
エンリッヒは剣を突き付ける私に痛みをこらえた顔で、それでもいつもの調子でおどけてみせた。
「・・・そうかもな。」
あの時だって手を抜いて戦った気はない、だが、あの時とは明らかに戦う動機が、覚悟が全く違う。
だが、今はそんなことよりも、アラシ達に天使たちに作戦がバレている事を早く知らせなければならない。
私は倒れるエンリッヒを置いて、急いで踵を返した。
一刻も早く、アラシ達の所に、天使たちが待ち構えていることを知らせに行かなくてはと、気が急いだ。
「待ってぇな。」
だが、走りだそうとした私をエンリッヒが引き止めた。
立ち止まる義理はない。
でも、私の足は止まっていた。
「どうして、わいを殺さんのでっか?」
甘いだろうという、自覚はある。
私はエンリッヒの言葉を、振り返らずに聞いた。
「天使と本気で戦う覚悟があるんなら、あんさんは、わいを殺していかなあかんでしょ。」
エンリッヒに言われていたら世話はない。
でも、言っていることは正しい。
例えエンリッヒに個人的な情があろうとも、エンリッヒは天使。
この反吐が出るようなアーシアンの血に染まった楽園で、のうのうと生きてきた天使なのだ。
そして、事実を知った私は、誰であろうが天使を許さないと決めたはずなのだ。
だが、果たして私にエンリッヒを断罪する資格があるのだろうか。
本当のところ、エンリッヒを殺すことを躊躇わせているのは情よりも、頭に浮かんだそんな問いだった。
エンリッヒを振り向かないまま、私は手の中の黒の剣の存在を確かめた。
この黒の剣も、また、この楽園と同じように、彼女の犠牲の上に成り立つ力。
黒の剣が悪い訳じゃない。
誰に強制されて黒の剣に犠牲を捧げたわけじゃない。
それを、こんなに重く、醜く、悲しくしたのは、一重に私の罪。
全ては私が悪いのだ。
そんな罪を背負う私が、果たして天使に、アーシアンの正義を振りかざして殺すことが正しいことなのか、私には分からないのだ。
私とて、似た者じゃないのか?
そう思うと、剣先が鈍るのだ。だから、
「嫌だ。」
私の答えは、エンリッヒを殺さないというものだった。
「ヒロさん。」
エンリッヒに背を向けた私には彼の表情は見えないが、その声は意外そうだった。
「さっきも言っただろ?貴様を殺したくはないんだ。」
「でも・・・。」
こいつは私に殺されたいのか?
はっきりしないのは自分のほうなのに、八つ当たり気味な気持で苛々した。
「言っとくけど、お前だけ特別ってわけじゃないぞ。」
だから、私の声は若干棘棘しい、不機嫌な感じになった。(こういう所は、私もまだまだだと思う)
「はい?」
私の唐突な言葉にエンリッヒが声を上げる。
「・・・私は天使と戦う覚悟をした。でも、それはアーシアンたちのために使いたい覚悟だ。少なくとも私の邪魔をする天使の相手をする覚悟ってわけじゃない。」
「・・・・それって、屁理屈ちゃいまっか?」
言われなくても分かってる。
エンリッヒの苦笑する気配に、私は何も言えずにいる。
でも、とりあえず、これでいいのだ。
もし、ここに他のアーシアンがいて、その時エンリッヒが襲ってきたとしたら状況は変わるが、でも今は誰もいない。
私とエンリッヒだけなのに、わざわざ頭を悩ますのも馬鹿馬鹿しい。
・・・まあ、問題の先延ばしでしかないけど。
分かっていても、結局覚悟ができているといっても、私は色々なことをぐるぐる考えてしまうような、小さな人間なのだ。(こればっかりは、中々自分を変えられrない)
だから、これ以上エンリッヒと話していても、時間の無駄だと私は今度こそ生体兵器研究所に駈け出そうと、一歩踏み出した。だが・・・、
「そんな急がんくても、生体兵器研究所には天使は誰もおりゃしまへんよ。」
その声に思わず振り向いた。
「黒の雷の作戦は確かに、サンタマリア様がある人物の、天使を裏切ったお人の心を読んだことで、天使たちに筒抜けですわ。でも、サンタマリア様は黒の雷が生体兵器研究所を襲うことと、ヒロさんが黒の雷におることは、誰にも話しておりまへん。」
なるほど、作戦がバレたのは黒の雷と繋がっている天使の心をサンタマリアを見通したのか。(その天使については結局アラシは私に教えてくれなかった)
だが、どうして生体兵器研究所のことと私のことを話さない?
そもそも、Drパルマドールを殺すほうが作戦のメインで、他は皆陽動なのだ。
心を読めるサンタマリアが、その意図を知らないはずはない。
その意味が分からなくて、私は眉をひそめたが、エンリッヒははいつもの嫌味な笑みを浮かべているだけだ。
「ですけど、他の場所には天空騎士団が張り込んでまっせ?仲間に知らせるなら、早いほうがええんとちゃいますか?」
「どうして・・・。」
私の疑問についてはこれ以上する気はないらしい、エンリッヒは打ち切るように言った。
確かにエンリッヒが言う通り、一刻も早く皆に知らせに回らなければならないのは変わらない。
だが、どうして教えてくれたのか気になって私は最後に彼に尋ねた。
すると、やっぱりあの好きになれない笑みで、
「・・・さあ。どうしてでっかね?まあ、命を助けてくれたお礼ってことに、しといて下さい。」
そういってエンリッヒは私に手を振った。
私はそれに一つ苦笑すると、今度こそエンリッヒを置いて走り出した。
そして、二度とエンリッヒを振り向くことはなかった。
エンリッヒとの戦いは若干少なめになりましたが、今回でヒロが、黒の雷がどうして天使と戦うことを決めたか・・・という説明は終了って感じです。
次からは、エヴァンシェッド視点の話で残したままの謎やらを巻き込んで、生体兵器研究所を舞台に第二部も終焉に向かいだします。あと、4,5話ってことろです。拙い話ですが、お付き合いいただけると幸いです。