第四十二話 人間と天使は違う生き物だったのだ 其の三
【警告】
この話にはストーリー上、残酷な表現があります。そういった表現を苦手な方、嫌悪される方はご注意下さい。
アラシの話を聞くまで、私は人間と天使が違う生き物だと分かっていたが、それは本当の意味では分かっていなかった。
私が分かっていた『違う』とは、例えばその外見であり、その力であり、生れながらの待遇の違いであった。
無論、それも大きな違いであろう。
でも、それは全て私にはどうしようもないことで、全てがこの世界では当たり前で、決まりきったことであると思っていた。
だから、天使たちと関わるようになるまで、その事に何の不思議もなかったし、だから、きっと黒の雷のアーシアンたちのように天使に恨みを抱いたり、攻撃を仕掛けようなんて、これっぽちも思ったことはなかった。
天使と関わることもなかった私は、人間は天使に従わされているものだと思っていたし、逆らおうなどと、ハクアリティスやエヴァのことさえなければ、今でも思わなかったに違いない。
でも、本当は違ったのだ。
私が知らないだけで、人間と天使は、私が思うよりも、もっともっと本質的な意味で違ったのだ。
そして、その『違い』は、私が思っていたような、当たり前で、世界の摂理みたいなものじゃなく、天使たちによって、押しつけられた理不尽だった。
私はアラシの話をと聞きながら、出会ったばかりのエヴァが不思議そうに私を見上げている顔が、ふいに脳裏に浮かんだ。
それは、何も記憶がなかったエヴァに世界の成り立ちのことを教えてやった時、不浄の大地で生きることがアーシアンの償いなのだと話してやると、ぽかんと私を見上げたエヴァの表情だった。
「何でヒロちゃんが、天使に罪を償わないといけないの?」
そう言って心底、不思議そうに首を傾げるあいつに、私はそう決まっているんだと気のない返事を返したはずだ。
どうして、あの時エヴァの質問に答えてやれないことに違和感を感じなかったのだろう。
その違和感こそが、正しい人間の感覚だったのに。
第四十二話 人間と天使は違う生き物だったのだ 其の三
「色々詳しく説明する前に、ヒロに見てもらいてぇものがある。」
黒の雷に協力することを了承し牢屋から出ることができた私に、アラシはまずそう言った。
「ああ。」
私は薄くて着心地の良い天近き城で着せられていた寝巻きみたいなものから、アラシから手渡された着なれたごわごわしていて、生地の厚いボロ着に袖を通しながら(どうにも天使たちの服装は薄くてペラペラで、頼りない感じがして好かない)、それに頷いた。
とりあえず、協力するといった以上、アラシの言うことに逆らうつもりはなかった。
そうして、私の汚い牢獄生活からの脱却が済むと、私はアラシに連れられて黒の雷のアジト内を案内された。
荒い石レンガ造りのアジトは、天使の住まう建物とは雲泥の差があるほどボロく、ところどころレンガが欠けていて隙間風や、雨漏りがしている跡が見えた。
すれ違う人々も、皆が私と同じような色のないボロ服を纏い、その姿は薄汚れ、疲れた表情が見える。
普通ならば天使たちの美しい世界の後に、この現実を見たらがっかりしたり、逃げ出すんじゃなかったと後悔の一つでもするのかもしれない。
でも、何故だか私はそれを見て、安心する気持ちが大きかった。
やはり、小心者の私には天使の世界は恐れ多すぎたのだ。(やはり、住み慣れた世界が一番ということだ)
「黒の雷っていうのは、実際どれくらいの人数がいるんだ?」
そんなことを考えながらアラシの後に続いていた私は、ふと思いついたことを尋ねた。
気になったのは、すれ違う人々の中に、子供や年寄り、どうみても戦闘員には見えない人々が多々いることだった。
そういえば、断罪の牢獄で出会った黒の雷のアーシアンも、ミシアやアルムも戦闘員とは言い難い。(まあ、私が女性の牢屋に放り込まれたというのも、あるかもしれないが)
そんな戦いの役に立たないアーシアンまでレジスタンスに所属しているとなると、大きな作戦を実施するという割には、よほど人員が足りないのだろうか。
「・・・。」
だが、アラシは私を無視した。
「アラシ?」
聞こえなかったのかと、名を呼んでみるが
「いんや。さあ、何人だったかな?」
と、曖昧にはぐらかされる。
そんな聞きにくいことを聞いただろうか。
それ以上は何となくアラシに言葉をかけずらくなって、私は黙ったままアラシの後に続き、そしてアラシは私をアジトの外へと誘った。
ザァ・・・。
外から建物の中に懐かしい、不浄の大地の乾いた砂混じりの風が通り抜ける。
だが、その風に僅かに違和感を感じた。
しかし、外は私も見慣れた不浄の大地の寂れた集落で、特に特筆すべき様子もない。
「?」
私は気のせいかと、あたりを見回し観察した。
建物がたくさん並び集落の規模は大きそうだと思ったが、人々にはアジト内と同じように生気がなく、皆が俯きがちに視線をさまよわせている。
ただその割に、人々の血色は悪くなく、食糧不足で飢え死にしそうという悲壮感が見受けられないのと、目の前に聳える白い空だけが、私が知る不浄の大地の集落との相違点といったところだろうか。
「・・・・守護天使の白壁。」
あまりの近さに、青い空が見えず、太陽の光も遮った人間と天使を分かつ壁のせいで集落は、より一層陰気に暗くなっている。
それにしても、中側から見た時も高い壁だと思っていたが、外から見たほうが存在感があるなと、その壁を大口を開けて見上げているとアラシに声をかけられた。
「おい、こっちだ。」
「ああ。なあ、アラシ。」
アラシは、あとに続く私を振り返った。
「こんな天使の領域に近いところに、アジトがあって大丈夫なのか?天使にばれたりしないのか?」
あまりの近さに思わずそう聞くと、アラシの顔が苦々しく歪む。
「天使にばれる・・・な。まあ、絶対ないな。ていうか、ありえねぇ。」
「はあ?」
そのあまりの自信満々さに、私は眉を顰める。
「俺達、楽園の贄は絶対にこの贖罪の街から出られないことになっているし、完全に天使たちに管理されていることになっているからな。」
「言っている言葉の意味が、私には分からないのだが。」
「・・・。とりあえず、場所を移動しようぜ。ほら、俺が見せたかったのはあれだ。」
私の問いには答えずアラシは顎をしゃくって何かを示した。
それは、何やら人気のない広場のようなにポツンと一つある影。
・・・・あれは、箱か?
近寄って見てみると、人一人が入れるくらいの、アーシアンの集落には似合わないような白い石で造られた、装飾美しい箱が鎮座している。
その様子に、ただならぬ異様さを感じ、同時に、外に出た瞬間に感じた違和感が私を襲った。
何かおかしいというのは本能が察している、だがその正体が分からない。
それが、心底気持ち悪かった。
「これは何なんだ?いい加減、もったいぶるのはやめろ。」
そんな気持ちが先立つのか、出た声は自分でも思わぬほどに苛ついたものだった。
その声に、アラシが決まりが悪そうに笑ってみせる。
「あは、すまん。話すとか言ってるくせに、俺ってば、話したくないから、どうにも歯切れ悪くなっちゃって。」
『ちゃって』など熊男が使っていい言葉じゃないだろう、と瞬間突っ込んだが、話が進まない気がして口には出さなかった。(エヴァとの会話は、いつもそんなやり取りで色々有耶無耶になった覚えがある)
「・・・言いたくないなら、別に言わなくてもいいんだぞ。」
気持ち悪いが、無理に聞きだそうとは思っていない。
協力をするつもりはあるが、黒の雷にすごい共感しているわけでもないので、その全てを知りたいという訳じゃないのだ。
しかし、私の言葉にアラシは首を横に振った。
「いんや。ヒロに話したくないとか、そういうんじゃないんだ。ただ、口にするのも嫌なだけで・・・、でも、作戦に参加してくれるヒロには知っていて欲しい・・・ことなんだ。」
アラシは、そう言いつつも辛そうだ。
石造りの箱に、手を乗せるとその上で拳をぎゅっと握りしめ、私を見ようとはしない。
その顔には、寒気がするほどの憎悪と、痛々しいくらいの切なさが合わさっているような、複雑な表情が浮かぶ。
拳は握り締めすぎて、血が滲んでいる。
その瞬間に、感じていた違和感が濃くなるのを感じて、私は初めて気がついた。
ああ、血の匂いだ。
私が感じていたこの集落への違和感の一つは、集落全体に血の匂いが僅かに香っていたことだったのだ。
不浄の大地は確かに死の世界だと言われているし、生きていくのは辛く苦しい、旅をしているだけで行き倒れた人間の屍を何人も見るような場所だ。
だが、こんな風に全体に血の匂いが混じっているというような集落は、今までお目にかかったことはない。
最初は風に交る微かな匂いだけだったので、よく分からなかったが、今になって思えば、この箱に近づくにつ入れて、だんだんと濃くなっていく血の匂いが、気配がしていたのだ。
嫌だな。
そう気がつくと、ここにいることが急に嫌になるのは、私が臆病者だからなのか。
私の中の本能が、急速にこの場所を嫌悪しているのを感じ、私は無意識のうちに一歩、箱から離れていた。
「どうかしたか?」
「あ・・・。」
そんな私を見て、アラシは笑った。
いや、顔は笑っていたが、その表情はまるで泣きそうに歪んでいる。
「これはな、聖櫃っつう、天使達が、いや、あの悪魔達が、俺達に用意した、処刑台なんだよ。」
血の匂いが、急に濃くなったような気がした。
「ヒロはおかしいと思ったことはないか?どうして、東方の楽園のほとんどが、不浄の大地になって死んでいる様なものなのに、天使の領域だけ楽園みたいに、どうして豊かなままなのか、変だと思ったことはないか?」
そう言って、忌々しそうに守護天使の白壁を睨むアラシ。
だが、私はそんなこと思ったことなどない。
天使が住まうところは楽園というのは、元々そうだと決まっていることだから、そう思ってきたから、それ以外のことなんて想像したこともなかった。
私は言葉も出さずに、横に首を振った。
「そうだよな。何も知らねぇアーシアンは、あの楽園が当たり前だと思ってるもんだ。天使たちはアーシアンに罪人根性を植え付けて、神に選ばれた自分たちは楽園に住むのが当たり前だと思いこませた。あの楽園の全てが嘘っぱちなのにっ!」
ガンッ!
アラシが激情のまま箱を強く叩く。
その様子を茫然と見つめながら、私は急展開に頭がついていけていないのを感じていた。
つい最近まで私がいた、楽園としか言えない場所が『嘘っぱち』?
それは、どういう意味なのだ?
「あの楽園は、本当はここと同じように不浄の大地と同じはずなんだよっ。それを天使たちが、アーシアンたちの生命力を糧にして無理やり捻じ曲げてるんだ!!この中に生きたアーシアンを入れて生命力を、その血を絞り出すことによってな!」
アラシが叫びながら聖櫃の蓋を地面に落す。
瞬間に目に飛び込んだのは、赤黒い血の汚れ。
それが、美しい外見とは裏腹に、聖櫃の中を埋め尽くしていた。
目に入った蓋の裏側には、血の手形が付いている。
きっと、聖櫃の外に出ようと中のアーシアンがもがいたのだ。
同時にむせかえるような血の匂いが空気に充満する。
この中でアーシアンが血まみれで殺されたということを理解した瞬間、吐き気がせり上がってくるのを感じて、私は口元を押さえた。
天使の領域は、本当はあんな楽園のような美しさも、豊かさもない、不浄の大地と同じ死の荒地で、それをあの姿にするために、天使たちはアーシアンを生贄にする。
全てを理解するにつれて、吐き気が強くなる。
きっとこの贖罪の街は、その生贄を逃がさないための街であり、そして、そのために天使たちはこの箱の中でアーシアンを殺すのだ。
それがどういう理屈なのかは分からない。
ただ、ここでアーシアンが血まみれで死んでいくことは確かだった。
「うっ・・・。」
私は堪らずに、ついに胃から何もかもを吐き出す。
血に慣れている私が、血の匂いに吐き気をもよおしたわけじゃない。
それよりも最近まで自分がそのアーシアンの命の上に立っていて、それを美しいと感じていた自分に、そして、アーシアンの命の上に立っていると知りながら、あれほどに楽しげに、何の罪悪感もなく生きている天使たちの姿に吐き気がしたのだ。
濃い血の匂いが、ここに集められたアーシアンの人数が、天使の領域に捧げられたアーシアンの命が少ないことを示している。
それを思うと、怒り、憎悪、悲しみ、やるせなさ、後悔、悲嘆、もう何もかもが分からなくなるくらいの感情が私の中でせり上がってくる。
『こんな世界はおかしいよ。』
エヴァの声が頭の中に響いた。
ああ、おかしいよ。
混乱する頭で、私は心の中だけで呟いた。
人間の罪だか、何だか知らないが、少なくともこんな誰かの犠牲の上に楽園を成り立たせようとする天使たちが、正しいなんて私には思えない。
そんなこと、黒の剣を使う私には資格がないかもしれないけど、神が許しても、それでも私は許すことが出来そうもない。
私はもう一度、恐る恐る聖櫃に視線を上げた。
そのアラシが力なく項垂れる横の聖櫃に、血まみれのアーシアンの頭を掴み上げる天使の幻影が見えた。
その時私はそこで初めて天使が自分とは、人間とは違う生き物なのだと唐突に理解した。
私は違う生き物だと分かっていながらも、心のどこかで人間と天使といえども、心を通わせることが出来さえすれば、分かり合えるのではないかと、天使の領域での生活から思っていたのだ。
でも、それは私の滑稽すぎる錯覚だった。
分かり合えるものならば、こんな物でも扱うようにアーシアンの命を犠牲にできるはずがあるものか。
違う生き物だと、天使たちにとってアーシアンが家畜のような存在だと思っているくらいの気持ちじゃないと、・・・・こんな非道ができるはずはないのだ。
ヒロが天使と戦う覚悟をした理由が、分かっていただけましたでしょうか。多分、第二部一番の衝撃場面かもしれないです。
個人的には、もちろん誰かの命を犠牲にして幸せを得るなんてことは許せない行為だと、私は思っています。でも、こういった表現が嫌いだという方がいて、私の下手な文章で不愉快な思いをされたりしたら、申し訳ありません。