第四十一話 人間と天使は違う生き物だったのだ 其の二
それは、私がまだ天近き城に軟禁されていた時のこと。(断じて『囲われて』いた訳じゃない)
毎日、毎日、毎日、何にもすることがなく、ただただ生きているのに、死んだような生活の中で、仕事はどうしたと聞きたいくらい、たった一人私にまとわりつく天使が一人。
「ヒロさん、御機嫌よう。」
「うちのお袋が焼いたケーキなんですが、一緒に食べまへんか?」
「あらあらぁ、ヒロさん。ひょっとして、その顔は欲求不満とちゃいますか?」
正直聞き捨てならないような言葉も多々あるのだが、何もすることのない私にエンリッヒは、彼が何の目的で私のそばにいたかは知らないが、とても良い話し相手であった。
短いような、長いような天使の領域の中での生活、天使たちとの関わり合いの中で、あんな別れ方をしたものの(まあ、あれはあんな下らないことを嬉々として言い出したエンリッヒが悪いのだが)、何人かの出会った天使たちの中でエンリッヒと過ごした時間が最も多く、最も私が気を許した天使といってよかった。(多少の難はあるが、話してみると意外に話の分かる天使だったのだ)
だから、こうして天使と戦おうという状況に直面して、唯一戦いたくないなぁと頭に浮かんだのはエンリッヒの顔だったりする。
それは、無論かつて彼と戦った時の強さを思い出したのもあるが、やっぱり長い間一緒にいたことで多少の情がエンリッヒに移ったということなんだろう。(これでも、結構私は情に厚い人間だ)
そうはいっても、この作戦の中においては、例え誰が私の前に立ちはだかろうとも戦わない訳にはいかないのだ。
だから、先ほど天空騎士団の天使たちと対峙した時に、エンリッヒだけは出てきてくれるなと心の隅で思った。
しかし、人生というのは、期せずして自分が嫌だと思ったことばかり起こりうるものなのである。(・・・そう割り切ってはいるものの、最近、どうにも単に自分が不幸体質なだけではなかろうかと疑っている)
第四十一話 人間と天使は違う生き物だったのだ 其の二
「あらぁ、ほんまに生きとったんですか。よかったですわ。」
それはあと一歩で、生体兵器研究所というところだった。
聞き覚えのある妙に軽い声、それでいて、何だか底冷えがするような感情のこもらない声が、アラシ達の元へと急ぐ私を引き止めた。
声を聞いた瞬間に思ったのは、出てくるなバカ野郎!というやり投げな感情。
次に、どうして、という疑問が浮かんだ。
だが、私の口をついて出たのは、そのどちらでもない言葉。
「生きてたら、悪いんかい。」
それは、エンリッヒの言葉の揚げ足を取るような悪態。(自分でも無意識の言葉だった)
その言葉に、殴って気絶させて逃げ出した時と、変わらない様子のエンリッヒはにこやかな表情を浮かべた。
「あはは。いやぁ、そういう訳じゃないんですが、だって、ヒロさん、天近き城から落ちたんでっしゃろ?ふつー死にますわぁ。」
そう言われて、気がついた。
「・・・、何だ、天使たちの間じゃ、私は死んだことにでもなってるのか?」
「ええ、ええ。そういうことになっとりますよ。」
エンリッヒはそう言って笑ったが、私にとっては益々笑い事じゃ済まされない。
「じゃあ、どうして貴様がここにいる?」
死んだはずの私をこれほどにピンポイントで待っていられる、その意味に表情が厳しくなるのを感じた。
それは、それはすなわち、黒の雷の作戦を知っているということに他ならない。
それも、天使のエンリッヒが・・・だ。
ということは、この作戦は天使に筒抜けということなのか?
私は嫌な汗が背中を伝うのを感じた。(私を襲った女は、とりあえず天使じゃなかったので、天使にばれているとは思っていなかった。)
だが、エンリッヒは私のその真偽を確かめる問いに、にへらと笑みを浮かべた。
いくらエンリッヒと話が合おうとも、どうにも、私が好きになれないあの笑みだ。(多分、あの笑顔だけは死ぬまで好きになれないと思う)
「さあ、それは企業秘密ですわ。」
私は、おどけたように口元に一本指を立てるエンリッヒを睨みつけた。
あはは、怖い。と笑うエンリッヒ。
だが、それから一瞬で表情を一変させた。
瞬時に放たれる殺気。
それは不浄の大地で剣を交えた時と同じように、本物の殺気。(実際は、剣と大鎌だが)
「まあ、わいがただ、一つ言えることはですなぁ。ここは大人しく、わいと天近き城に帰ってくださいってことですわ。黒の雷の作戦は失敗します。」
ぴりぴりと痛い空気が、エンリッヒの本気を伝えている。
エンリッヒがどうして、私がここにいるか知ったかは分からないが、どうやら彼は作戦が本格的に始まる前に、私を連れ戻しに来たらしい。
多分、その後ろにいるのはエヴァンシェッドか、サンタマリアか。
厄介な天使様たちに対する恐怖が思い起こされて、心が震えた。
だが、どんなに心が恐れをなそうとも、今のこの状況で、はい、戻ります。と大人しく天使たちの元に戻れるはずもない。
「んなもん、聞き入れるわけないだろう!何のために、あんな高いところから命がけのバンジーしたと思ってる!」
私は威嚇のつもりで、黒の剣をエンリッヒに向かって構えた。
天使にこちらの作戦が知られているというならば、一刻の猶予もない。
早く皆に、そのことを知らせなければ、取り返しがつなくなる。
だが、隙のないエンリッヒを先ほどの天使たちと同じように、簡単にかわせるとは思えない。
そんな、かなり切羽詰まったような私の様子に、エンリッヒが片方の眉をあげるような、意外そうなものを見る目で私を見た。
「あらぁ?もしかしてヒロさんは、アーシアンたちに真剣に味方してはるんでっか?」
エンリッヒの小馬鹿にしたような声が、揺らぐ。
多分、私が本気で黒の雷に協力しているとは思っていなかったのだろう。
「だったら、どうした?」
天近き城では、エンリッヒは一番私と共にいた天使だったろう。
『ばあ様』が人間好きか知らないが、アーシアンの私にもあまり気にした態度のエンリッヒは付き合いやすかった。(まあ、腹の中では何を考えているか分からないが)
実際、人間と天使という枠すらも取っ払った関係になりつつあったのかもしれない。
だが、やっぱり違うのだ。
一応、私はエンリッヒという個人が嫌いな訳じゃない。
気に食わない部分も多大にある奴であるが、それでも剣を交え、言葉を交わすことで分かり合えた部分もたくさんあったのだ。
ただ、私はこの話題では、アーシアンをめぐる話においては、天使のエンリッヒとは死んでも相互理解が得られるはずもないと思った。
そして、その事が私とエンリッヒを決定的に別つのだ。
しかし、それが分からないエンリッヒは私を引き留めようと、更に言い募る。
「まあ、いくらアーシアンが騒いだところで、どうしようもないのはヒロさんだって、わかってらっしゃるんでっしゃろ?まあ、今回の黒の雷の作戦は、少しは被害がでるかもしれまへん。でも、大打撃を受けるほどのことは、絶対にありゃしまへん。ヒロさんは、馬鹿なアーシアンたちとは違って、そこの所は、骨身にしみてますやろ?」
ああ、天使の強さは、よく分かっているさ。
言葉にはせず、心の中で苦々しい思いで私はエンリッヒに答えた。
エンリッヒと戦ったことは勿論、断罪の牢獄で拷問されたことや、天近き城で天使たちに追い回されたことを思い出した。
答えいない私の問いを待つことなく、エンリッヒは言葉を重ねる。
その顔には、あの笑みが浮かんでいるが、表情がわずかに強張っているように見えた。
「一緒に戻りましょうや、ヒロさん。サンタマリア様は、あんさんのことを高う評価しとります。サンタマリア様が言うていた通り、世界のためにもわいらに力を貸すんが、あんさんにとっても良いことだと、わいは思いますわ。少なくとも、こんな馬鹿げた作戦に手を貸すよーーーーーー。」
それ以上は聞いていられなかった。
別に私のことを、悪く言われた訳じゃない。
むしろ、私については勿体ないほどに高く評価してもらったようで悪いが、だから『違う』のだ。
ガンッ!
気がつけば、私は問答無用でエンリッヒに切りかかっていた。
エンリッヒは動じずに、その一撃を大鎌でうけている。
しかし、その顔に浮かぶ笑顔の瞳は真剣だった。
その剣が黒く染まっていることで、エンリッヒには私の本気が伝わっているのだろう。
「わい、今話の途中じゃないでっか?」
こちらの真剣さが伝わっているにもかかわらず、軽い言葉がエンリッヒの口からは出てくる。
「話の意味がない。交渉は決裂だ。エンリッヒ。」
話を長引かせよとするエンリッヒと、そんな時間はないと強硬手段に出た私。
剣と大鎌を挟む会話に、不浄の大地で戦ったあの映像がダブる。
だが、ここに決定的にあの時とは違うことが私の中に一つある。
「あんさん・・・、本気で天使と戦う気なんですな。」
はじめて戦った時は、ハクアリティスという存在を挟んで天使と戦っていた。(個人的にエンリッヒが気に入らないというのもあったけど)
でも、今の私とエンリッヒ、いや天使の間には何もない。
エンリッヒは感じたのだ。
私はエンリッヒと戦おうとしてるんじゃない、ハクアリティスを襲う奴と戦おうとしているんじゃない。
不浄の大地に生きる『アーシアン』として、天使の領域の『天使』を戦おうとしているのだ。
そこに、私とエンリッヒという個人はない。
これは、人間と天使という二つの種族の戦いなのだ。
そして、私はその戦いに参加する覚悟を決めた。
私はエンリッヒの問いに一つ頷くと、剣で大鎌をはじき、後ろに飛んで彼から一つ距離をとり、再び黒の剣を構えた。
対峙するは人間と天使か、それとも私とエンリッヒなのだろうか。
「どうしてでっか?!わいら、気がおうとりましたやろ?」
「だから、何んだ?」
「この楽園で暮らしたほうが、幸せですわ!」
「それは私が決めることだ。」
「ヒロさんに、この作戦、何の義理があるっていうんです?」
「義理はない。でも、戦うことに意味は感じた。」
「ヒロさんを連れて帰らんと、サンタマリア様にわいは殺されます!!」
「・・・そんなもん、知るか。」
はあはあ。
互いに睨み合いながらも訳のわからない押し問答。(特にサンタマリアの下りのエンリッヒは必死の形相だった)
天使たちと人間たちの衝突が始まるまでの、時間稼ぎだと分かっている私は、そのすべてをバッサリと切り捨てる。
「・・・。」
「・・・。」
しばしの沈黙、そして嘆息してエンリッヒは最後に一つぽつりと言葉を漏らす。
「・・・わいはヒロさんを殺しとう、ありません。」
「私もだ。」
エンリッヒが、はっとしたように私を見た。
その瞳が、驚きからその私の答えに縋るような瞳をした。
「だ、だったら・・・。」
だが、そんなエンリッヒらしからぬ様子も私は突き放す。
私は首を横に振った。
「エンリッヒを私も殺したくはないと思う。だが、『天使』とは戦わなくてはいけないんだ。」
「・・・どういうことでっか?」
私は再び黒の剣をしっかりと構えた。
エンリッヒの表情は定まらないまま、彼もまた鎌を構える。
エンリッヒが私と戦いたくないというのは、私と同様に情があるのか、はたまたサンタマリアなどの命令なのだろうか、私には分からない。
だが、戦うことを生業にする者として、向かってくる相手に無条件でやられるわけにはいないだろう。(私だって、そんなのは御免だ)
そんなエンリッヒに私が言えることは、ただ一つ。
「私が人間で、貴様が天使、そして人間と天使は違う生き物だった・・・て話だ。」
その言葉をエンリッヒが、どうとらえたかは分からない。
ただ、私にはそれだけで十分だった。
アラシから聞いたあの話が、人間と天使が違う生き物であることを教えてれた。
そして、それが今の私を突き動かす理由なのだ。
私は戸惑うエンリッヒに構わず、生体兵器研究所への道をこじ開けようと黒の剣を構えたまま駈け出す。
しかして、それを止めなければならないエンリッヒは、瞬時に私の目の前に現れる。
ガンッ!
再び合わさる剣と大鎌の金属音が、まだ静寂を保つ白き神の御許に響いた。
エンリッヒ再登場です。ヒロとエンリッヒはまさに突っ込みとボケで会話もぽんぽんと弾む感じで、物語の中では出てこなかったですが、天近き城でも仲が良かったんです。(決してエンリッヒが動かしやすいから、私が故意に登場回数を増やしているわけじゃありません(笑))
そんな中、改めて言うまでもない人間と天使は違う種族という事実がクローズアップされます。正直、その事実をヒロはあまり気にしている風でもなかったはずなのですが、今のヒロはその種族の差を非常に気にしていますね。彼のそんなスタンスを変えたアラシの話とは?次回で明らかになります。