第三十九話 再び流離人は牢獄へ 其の五
断罪の牢獄から出てからしばらく見ていなかった、あの悪夢を見た。
夢の中で私は日の光の届かない暗くて冷たい部屋にいて、鎖で両手両足を壁に縛り付けられる。
そして、そのまま身動き一つできないままいると、部屋にただ一つある鉄の扉が、錆ついてるような音を立てて重々しく開き、誰かが部屋に入ってきた。
その手元が眩しく光り、その手には美しい純白の剣が握られているのがわかった。
そして、徐にその白い剣を振り上げられる。
「あなたに邪魔はさせません。」
冷たい言葉が聞えたと思った瞬間に、胸に燃えるように熱い衝撃。
私の左胸に白い剣が深々と突き刺さる。
血が大量に流れ出ていく感じがした。
だが、私には何もできない。
そして、そのままいくらか時間が経つと、私はふと気が付くのだ。
どうして心臓を一突きされているのに、私は死なないのだろうと?
そう思った瞬間に、いつも目が覚める。
・・・だが、今回はなぜだか違った。
何もできずに茫然としていると、私を刺したのは男のはずなのに、気がつけば私を見下ろしているのは女に変わっていた。
その女には見覚えがある。
「き・・・きみはーーーーー、どうして、ここに?」
しかして、女は口元に赤い笑みを浮かべて顔を私に近づけると、そっと囁くのだ。
「ヒロ、愛しているわ。だからーーーー」
私はその先の言葉を聞きたくなくて、叫びをあげた。
第三十九話 再び流離人は牢獄へ 其の五
私が牢屋に入れられて七日目の朝。
自分の悲鳴で目が覚めるなんて最悪だ。
「何なんだよっ。」
私は手で顔を覆うと、思わず口の中で吐き捨てた。
・・・どうして、今さら彼女が出てくる?
どくどくと、ありえなほど動悸がうるさい。
体は嫌な汗で、ぐっしょり濡れていて気持ち悪い。
あの夢の中の女性の顔が、こびりついて離れない。
そんな風に朝から混乱し、頭を抱え、体を小さくした私は、近づいてくる気配に気がつかなかった。
「おい、ヒロ。大丈夫か?」
呼ばれて、初めてアラシがそこにいることを知った。
気がつけば、見張りは人払いされている。
どうやら、ほとほと取り乱しているらしい、私は自嘲した。
「アラシ。・・・大丈夫だ。何でもない。」
私が首を横に振れば、
「話がある。」
そう言って、アラシは牢屋のカギを開けると、でかい体を小さくして中に入ってくる。
何をしたいのかは分からないが、こちらを見るアラシの目には何かを決めた強い光がある。
それを見て私は理解した。
ああ、アラシは決めたのだ。
だから、あんな夢を見た。
あの時のことを、私に忘れさせないために、彼女は私の前に再び現れたのだ。
「ああ、聞こう。」
私はアラシの後ろに彼女がいるのを見つけて、一つ笑った。
アラシが決断を迫られているのは、力を欲するか、諦めるか。
そのどちらか。
求める力の名は、黒の武器。
それは、親から受け継いだ私が持つ力でもある。
しかして、その黒の武器とは、黒き神ウ・ダイに選ばれし黒の一族にしか扱えない、天使に対抗できる唯一の武器。
そのあまりの力の強大さに、天使たちはそれを不浄の大地に封印し、黒の一族はその力を取り返すために不浄の大地を流離った。
だが、取り戻したところで、その本来の力を解放するために、武器の主は黒の武器に代償を支払わなければならない。
それがなくては、黒の武器は、なんの力ももたない武器にすぎず、その代償が大きければ、大きいほど黒の武器の力は強きくなる。
しかして、その代償とは『人間の命』。
さて、アーシアンを解放したいと願うアラシよ。
お前はどうする?
アーシアンを解放するために、力は力と割り切って、その強き力を欲するか?
それとも、人間としての尊厳を守り、人の命を喰う力などいらぬと、それを諦めるか?
私が言えることはただ一つ。
力のために、誰かの命を掛けるなど、家畜以下の外道のすることだ。
・・・まあ、その力を当たり前のように使っている外道の私が言うことなど、聞く耳は持たないかもしれないがな。
私は神妙に私に向かい合うアラシを前に、そんなことを心の中で思っていた。
だが、私の心配など、やはりアラシには無用だった。
「俺は黒の雷の力はいならない。」
彼は開口一番、力強く穢れた黒の武器の力を拒否した。
それでいい。
私は何も言わなかったが、アラシの第一声を聞いて、内心ほっとした。
「誰かの犠牲を払ってまで、俺は力がほしいとは思わない。綺麗ごとと言われてもしかないと思うがよ。それでも・・・俺は嫌なんだ。」
普通の人間が、そう思うのは当たり前だ。
そんな苦しそうな顔をするな。
いくつも浮かんでくる、項垂れるアラシへの慰めの言葉。
しかし、私は何一つそれを口にはしない。
何故なら力を持つ私が行っても、何一つ説得力がないのが分かっているからだ。
言われたところで、アラシも嫌味にしか聞こえないに違いない。
だから、アラシを前に私は黙って見守っていたが、しばらくの沈黙の後、彼は顔を上げ、私に視線を合わせると、何やら言いにくそうに言葉をもごもごさせた。
「・・・だからってわけじゃない・・・ってことはないんだが。」
「?」
何が言いたいか分からなくて、私は首を傾げた。
「・・・。」
「・・・。」
牢屋の中で、座り込み、互いに見つめあう私とアラシ。
こんなむさくるしい熊男と見つめあってても、正直虚しいだけ。
しかし、アラシが何も言わない以上、今の私に言うことはないもない。
そうして、私に何を期待していたのかしらないが、私が何も彼に言わないのを悟るとアラシは意を決したように、きっと私を見た。そして、
「俺に力を貸してくれ、ヒロ!」
そう言って、アラシはいきなり土下座をした。
「調子がいいのは分かっている!でも天使たちを相手にするにはどうしても、黒の武器の力が必要なんだ!」
叫ぶようにアラシは言い切った。
大きな男に勢いよく土下座されて、私は戸惑った。
アラシの言うことは、わからないでもない。だが、
「・・・どうして、黒の武器の力をそんなに欲しがる?今までだって、力がなくともやってきたんだろう?」
黒の武器の力を否定しながらも、その力を欲するなんて、そんな矛盾を、アラシのような気性の男が許せるようには見えない。
その証拠にアラシの表情は固く、何かを我慢しているようだ。
「そうだ、今まではそれでも何とかなっていたんだ。だけどよ、もうすぐ大きな作戦がある。」
どきり、心臓が鳴った。
私を殺しに来たという女の言葉が甦る。
正直、あれから何のアクションもなかったし、寝ぼけてでもいたのだろうかと思っていた。
でも、やはりあれは夢じゃなかった?
アラシの言葉に、いやな汗が背中を伝った。
「それは、どういう作戦なんだ?」
まだ、女が言っていたことが正解というわけではない。
私は、アラシにさらに突っ込んだ話を求めた。
「天使の領域を強襲して、直接天使たちに、天使の領域の解放を直談判するんだ。何千年前の罪をどうこう言われたって、俺達には関係ない。俺達にだって、あの楽園に生きる権利はあるはずだろう?」
アーシアンなら一度は夢見るだろう。
東方の楽園、最後の楽園に生きる自分の姿。
それを実現しようというのか、アラシは・・・。
「どうやるんだ?」
しかし、そんな夢のようなことを、果たしてどうやって実現しようというのだ。
私の問いに、アラシはすこしだけ瞳を揺らす。
「ハクアリティス様を使う。」
「万象の天使を人質にするつもりか?」
「そううことだな。」
アラシの提案に、断罪の牢獄でミシアに聞いた、エヴァンシェッドとハクアリティスの関係についての話を思い出した。
ハクアリティスは、エヴァンシェッドの妻というだけでなく、『契約者』という存在らしい。
そして、『契約者』は、その契約した天使と命を共有することができるのだ。
すなわち、ハクアリティスの命=エヴァンシェッドの命という方式が成り立つ。
天使一族の長であるエヴァンシェッドの命を盾にすれば、天使たちも楽園を解放するかもしれないとことだろうが、どうにも不確定要素が多すぎる作戦だ。
「それだけか?ほかに何か・・・。」
「今はそれ以上言えねぇよ。あとは、お前の返事を聞いてからだ!どうするんだよ?!協力してくれるのか?!くれねぇのか!?」
私がそれ以上を聞こうとすると、アラシが声を荒らげた。
全く、それでは何かあると言っているようなものである。ほとほと、嘘がつけない体質らしい。
「・・・。」
さて、どうしたものかと思う。
このまま、アラシに力を貸してやるのは簡単なことだが、あの女の言う通りになるのが嫌だし、何よりこれ以上天使に関わるのもどうかと思う。
「と・・・ともかく、力を貸してくれよ!そしたら、ここから出してやるし!!黒の剣も返してやる!」
黙り込む私にアラシは猶も言いつのる。
まあ、確かに牢屋から出ないことには、不浄の大地にも帰れないし、女の言う通りになるのは癪に障るが、しかし、私を殺そうとする相手とその理由を知らなくては、おちおち寝てもいられないと思う私もいる。(実際ここ四日ほどは、眠りが浅く寝た気がしない毎日だった)。
それに・・・、と考えるのは先日のハクアリティスとの会話。
エヴァを連れていったというエンディミアンの長のことも気になってはいるのだ。
さすれば、『エンシッダ』というエンディミアンに会うためには、アラシに恩を売っておくのも悪くはないだろう。
まあ、あの女がわざわざ来いというのだから、罠の一つでもありそうな気はしたが、とりあえず進んでみないことには、何も始まらない。
私の意志は固まった。
「・・・ああ、わかった。力を貸してやる。」
「本当か?!」
アラシは飛び起きて、私の手を取った。
むさくるしい男に喜ばれても微妙だが、私を見るアラシの顔を見るとなんだか温かい気持ちになれた。
だが、そんなことはおくびにも出さず私はぶっきらぼうに言った。
「言っとくけど、貸し一つだからな。」
うんうんと無言で言葉なくうなずくアラシに、私は苦笑する。
しかして、不浄の大地を流離っていた私は、天使に捕まり断罪の牢獄から何と天使の居城天近き城にまで行き、三大天使や、天使長にまで見え、そして今は天使たちと相対するために黒の雷に協力しようとしている。
そう考えると、ここ最近の私は本当に波乱万丈というか、苦労山積というか・・・、ともかく、静かに旅をしていた時は明らかに違う生活を送っている。
そんな生活は正直私の性には合うはずもなく、早く元の生活に戻りたいとただ願うだけなのだが、しかし、その一方でこのときの私はなんとなく、もう自分が後戻りができないところまできているような気がしていたのだ。
・・・認めたくはないけどな。
アラシは結局、黒の武器を使うことを諦めてしまいました。案外潔癖症なのかもしれないですね。でも、ヒロはそれでいいと思っていますし、普通の感覚を持っている人ならば、それが正解だと思います。(ならなんでヒロは黒の武器を使うのかというのは、後々分かるので突っ込まないでくださいね。)
さてさて、アラシが黒の武器を拒否したことにより、その役割をヒロが担うこととなりました。アラシもヒロも、互いを利用し合おうというわけです。
さて、アーシアンの天使に対する作戦は成功するのか?次回はその作戦の全貌が明らかになる予定です。