第4話 永遠なる牢獄 3
「別に理由を言いたくなければ、それでもいい。しかし、エンディミアンが不浄の大地に足を踏み入れるなど、ただ事とは思えないからな。偶然とはいえ私とエヴァは君を助けたのも、何かの縁だ。話を聞けば役に立てることもあるかと思っただけだ。」
あれだけ言いたい放題に訳の分からないことを言われて振り回されたのだ。私にもハクアリティスに対する憤りや不信感はある。
だが、それを忘れたように酷くいい人になってそう提案した私の心は、混乱をしつつもそれでも彼女、いや、エンディミアンという存在に対する純粋な好奇心に支配されていた。
『助けてあげるよ』なんて甘い言葉を言いながら本当はただの野次馬根性で、彼女がどうして不浄の大地に来たのか、そんな後から考えればどうしてそんな下らないことを聞きたいがために、このエンディミアンの事情に首を突っ込んだというような愚かなる私。
「あははっ!そんな真剣な顔で見つめられちゃうと、つい惚れちゃいそう!あんた、美男子ってわけじゃないけど、味がある顔してるわね。」
「・・・興味ない。茶化すな。」
しかして、そんな私の心を見透かすように今度は曖昧な微笑みから一転して、ハクアリティスは大きな口をあけて笑った。(女が大口をあけるなよ)
建前上は彼女のためにと思って申し出たのに、こう笑われてはこちらもどうしていいか分からない。
私は急に気恥ずかしくなって、彼女から視線をはずした。
「ごめん。ごめん。でも、なんか・・・嬉しくって。」
「?」
笑いが止まったかと思って、彼女に視線を戻すと彼女はもう笑顔ではなかった。
その表情はさっきまでの彼女からは想像もつかない程、切なくて、悲しいものだった。実際は一滴の涙もでていなのに、泣き叫んでいるように私には見えて驚いた。
どうして、急にそんな表情をするか分からなかった。
「こんな風に誰かに心配してもらうことなんて、だいぶなかったから。」
「どういう意味だ?」
いまいち意味が分からなかった。誰かを心配するということが、特別珍しいこととは思えない。他に意味があるのだろうか。
「そのままの意味よ。誰も私のことなんて心配してないのよ。」
それは、ひどく自虐的な言葉。
―――似合わない
そう思った。それでも吐き捨てるようにそう言った彼女は、先ほどまでの彼女とは全く違っていた。
傲慢や我儘って言うのも、正直勘弁して欲しいが今の彼女よりは我慢できる気がした。(基本的に、私はか弱い女性というのに弱い)
「心配が嬉しいか・・・、エヴァだったら同情するより食い物くれって喚きそうだがな。」
だから、少しでも明るくなって欲しくて軽口をたたく。
「それはエヴァには、ヒロがいるから。自分を思ってくれる、誰かがいるからよ。」
だが、返ってくるのは、なおもそんな弱気な言葉。
「ハクアリティスには、それがいないっていうのか?」
誰だって一人で生きていけるはずがないのだから、心配してくれる相手くらい一人はいるだろうと思ったが、それはどうやら違ったらしい。
そして、私の言葉は彼女を傷つけたようだった。
瞬間に変化した彼女の表情を見て、すぐ自分の失敗に気がつく。
それにしても、自分で先に同じようなことを言っておいて他人に同じことを言われると傷つくのだ。女性と言うものは難しいものである。
さて、どうしたものかと途方にくれると、今度はハクアリティスが謝ってきた。
「・・・ごめん。ヒロが悪いわけじゃないのに。そう、貴方の言うとおり私にはどんな我儘も何も言わずに聞いてくれる人はたくさんいたけど、心配をしてくれる人はだーれもいないのよ。」
苦笑する彼女。明るく言っているが言葉には覇気がない。空元気なのがすぐ分かった。
私にはやはり掛ける言葉も思いつかず、彼女の言葉を待つことしかできない。
ハクアリティスの言葉が途切れて、沈黙がおちる。痛いくらいの静寂だった。
そして、彼女は笑って言う。
「だから、逃げ出したの。」
彼女の表情はころころ変わった。その時の彼女の表情は悲しいとも、自信に満ち溢れたものでもなかった。
嬉しそうなのに悲しそうで。笑っているのに泣いている。その表情に何と名をつけていいか、私はその言葉を持たなかった。
ただ、無性に彼女が可哀想だと思った。そう、これは紛れもなく同情だったと思う。
罪を償い続けるアーシアンである私に、神に許されたエンディミアンであるハクアリティスが同情する・・・。
真面目に考えるとおかしな話のような気もするが、それでもやはり口にはできなかったが私が彼女に感じたのは、共鳴でも愛情でもなく同情に似た憐憫に違いなかった。
「逃げ出したって・・・。天使の領域から脱走したってことか?どうして?」
自分でも驚くくらい、不思議そうな声が出た。
「どうしてって、いったでしょう?辛かったのよ、誰にも何の関心ももたれない自分が・・・。」
アーシアンが聞いたら殺されそうな言葉であるが、妙に気落ちしている彼女は冗談で言っているわけでもないらしい。
「じゃあ、そういう人間を作ればいいじゃないか。」
「それができないから!」
「どうしてだよ?不浄の大地に来る度胸があれば、不可能なことはないと思うが・・・。」
エンディミアンが不浄の大地に来る。
この世界の成り立ちと、現在の状況を鑑みれば、それはあまりに愚かな決断であり、普通に考えてありえない話だろう。
だから、その気持ちがあればやってやれないことはないだろう・・・と思うのだ。
心配してくれる人を見つける。
ハクアリティスは我儘だし、性格は良いとは言えないだろうが、それとて私の主観であり、他人にはそれが良いという人もいるだろう。それに、加え彼女の美しさは私だけではなく万人に好かれるようなものだと思う。
そんな彼女ならば、その気になればすぐにそんな存在を見つけることは容易だろうと私でなくても思いつく。
まあ、もう脱走してしまった今となっては遅いだろうが、どうしてもっと他の方法を探そうとしなかったのだろう。
漠然とそう思ったが、彼女の心は私の想像より複雑らしい。
見返す彼女の頬は高潮し、私を睨みつけていた。
「簡単に言わないで!私が言ってるのはそういうことじゃないのよ!だって、心配してくれる人間がいないんじゃなくて、人間がいないのよ!!」
「は?」
それは、エンディミアンが絶滅したと言う意味であろうか。
「どういう意味だ?天使の領域には人間がいないのか?」
「違う!」
だんだん、ハクアリティスが興奮してきている。
声が大きくなる。エヴァは微動だにしないが、起きないかが心配だった。
「じゃあ、なんだよ?」
なるべくエヴァが起きないように私は音を抑えたが、ハクアリティスは気もとめていないようだった。
「私は天使の花嫁なの!」
さっき聞いた意味の分からない言葉だった。
でも、先までに聞いた事のない悲痛な叫びだった。
「私は天使の妻になるために、同じエンディミアンからも隔離された籠の中の鳥なのよっ!」
声と言うよりは叫び。エヴァもさすがに気がついたのか、視界の端にエヴァが動くのが見えた。
「ちょ・・・、落ち着けっ!」
ヒステリックに叫ぶハクアリティスは、明らかに冷静さを欠いていた。私は彼女を黙らせたい一心で彼女に抱きついた。
笑ったり、悲しんだり、怒ったりと、女性と言うのは本当に本当に扱いにこまる。私の対処する許容範囲を超えている。
「あ・・・、ヒロ。私・・・。」
しばらく抱きしめていると彼女が戸惑いながら声をあげた。
エヴァを慰めてやるときにとる方法だったが、どうやらハクアリティスにも有効だったらしい。
内心ほっとしながら、私は未だ呆然としている彼女を放した。
エヴァも寝返りをうっただけで、起きはしなかったようだ。正直、今起きられても説明に困るのが目に見えていたので助かった。
私は安堵の息をつく。
「・・・ごめん。会ったばかりのヒロにこんな、みっともないとこばっかり見せて・・・。馬鹿な女だと思ってるでしょ?」
「え、いや。別に。」
歯切れの悪い言葉である。ここで気の利いた台詞一ついえないのだ私は。
「ふふ。ありがとう。ヒロには何だかいつも意地ばっかり張ってる私が、素直になれる気がする。あのね、聞いてくれる?」
何が始まるか分からないが、彼女の話を黙って聞くことに了承の意を示して一つ頷いた。
私にはそれぐらいしか、彼女にしてやれることもないだろう。
私が頷くのと見ると、ハクアリティスは静かに話し始めた
「私はさして裕福でもない普通のエンディミアンの家庭で育った。アーシアンの人たちから見れば幸せすぎる境遇かもしれないけど、エンディミアンにとっての普通って言うのは、家族がいて、親がいて、友達がいて、ただ、神と天使の言うことさえ守れば、何の苦労をすることなく一生を終えられる。そのかわり、それを守らないと楽園を追放される。人々は、それに対して何の不満も不審も抱かないけど、それはね、たった一つの形しかない、決められた幸せでしかないの。」
幸せの形が一つしかない。
幸せを一つも持たないアーシアンにはうらやましいことなのかもしれないが、それはそれで辛いのかもしれない。
「でも、私はそれに対して何の疑問も抱いていなかったし、それが幸せだと思っていた。私も両親みたいに平凡だけど、そのたった一つしかない幸せな一生を送るものだと思ってたの、あの日、あの天使が私を迎えに来るまでは・・・。」
そう言った彼女の瞳は暗かった。
「私がね。さる天使の花嫁に選ばれたっていうのよ、その迎えは。どうして選ばれたか、なんて教えてもらえなかった。私の意思なんて関係ない。天使が嫁に来いといえば、私が嫌がろうが何だろうが、私は嫁に行かなきゃならなかった。そのとき初めて私は、自分が天使の人形だって思いしったの。」
「人形?」
「そう。逆らうことも、逃げ出すことも叶わない。天使の意のままに動く人形よ。花嫁になったところで違う幸せなんてどこにもなかった。天使の領域内は、天使と人間の住む場所は全く分けられているの。天使に嫁いだ私の周りは天使しかいなくなった。それでも表面上は天使も私に優しかったわ。でも所詮、天使なんてみんな心の中では人間を見下しているのよ。私はずっと見下されてきた。誰に頼ることもできなくて、もう気が狂いそうだった。それだけじゃない、あいつは私から全部奪った。夢も希望もたった一つの愛すらも・・・もう耐えられなかった。」
そう言って、ひどく重い息を吐いた彼女は、私とそう年頃は違わない若者であるはずだ。しかし、ひどく老成して見えた。
ハクアリティスは続けた。
「だから、私は逃げ出したのよ。ううん。あいつから奪われた全てを取り戻すために、私は何かしようと思いたったの。そのために、彼に言われたとおり不浄の大地に飛び出たところを・・・、あんたたちに助けられちゃって、結局、私一人じゃ何もできないってことかも知れないけど、それでも何かしたかった。自分幸せのために何かをしたかったの。」
だから逃げ出したのだと、彼女はもう一度言った。
そういった彼女はもう先ほどまでの激昂などなかったかのように、自信に満ち溢れた女に戻っていた。
先ほどまでの彼女が幻だったのか、それとも今の彼女が仮面をかぶっているのか。どちらかの判断は私にはつかなかったが、彼女の今の状況だけは理解できた。
「じゃあ、君は天使から逃げてきたってことなのか?大丈夫なのか?追いかけてくるんじゃないのか?」
「まさか!私の存在なんてゴマほども気にしなかった連中よ?きっといないことにも気がついてないわ。だいたい、天使たちが不浄の大地に来ること自体がありえないわ。彼らにとって、不浄の大地は神に禁じられた場所だもの。ここまでこれれば、もう私は自由なの!そう決まってるの!」
そうして、彼女は根拠もなく断言した。
エヴァと喧嘩していた彼女が戻ってきていた。私もたじたじである。
「な、なら、いいんだが。」
「ん、もう!ほんっとにヒロって喋りがかたいわよ?だいたいアーシアンっていったら、ならず者なんでしょ?もっと、男っぽく喋らないと雰囲気でないわよ?」
「これが地なんだ。ワザと男っぽくする必要はないだろう。多分、父親がこんなしゃべり方だったからな、移ったんだろ。大体ならず者って何だよ。」
エヴァにもよく言われる。私の一人称は「私」だし、言葉遣いも些かかたい、おっさん臭いと常々言われ、エヴァも矯正を試みたこともあったのだが、結局上手くいかなかったのだ。
その時のことを話すと、ハクアリティスは笑い出した。
「あはは!なんかその様子が思い浮かぶわね!」
ひとしきり彼女が笑った後、私は彼女の話を聞いて思ったことを、そのままに伝えた。
「私には君が何を抱えているかは知らないし、君の話を多分そんなに理解してはいない。」
「・・・そうよね。」
苦笑するハクアリティス。
「だが、君が自分の幸せのために何かをしようというのは、別にいいんじゃないかと思う。君の人生だ。思い通りに生きて何が悪い?」
ハクアリティスの顔が虚をつかれたようなものになる。
だが、彼女の自分の幸せを願うことにどうにも後ろめたさを感じているような、それにひどく気負っているような様子を見て、どうにも納得がいかないのだ。
アーシアンであれエンディミアンであれ、どんな人生を運命づけられているかは知らないが、例えそれが神や天使のための人生であってもたった一つの自分の生を生きているんだと私は思う。
だったら、それを少しでも自分の思うとおりに生きて、何が悪いというのだ?
現に私は神という存在こそ微塵も傍に感じていないが、それでも神に贖罪とされる生を全うしながらも、それでも自分が思うままに旅をして生きている。
なら神に許されたエンディミアンであるハクアリティスが、それをしていけない法はない。
だから、そう言った。
「・・・本当にそう思う?」
だから、その頼りなげなハクアリティスに頷いてやった。
ハクアリティスはとても嬉しそうに微笑んだ。私もその微笑みに、ぎこちなく笑い返した。
だけれど、私はそうした自分を後にひどく罵ることとなる。
ああ、彼女の望みを、その後の未来を知っていれば、私は死んだってこの言葉に頷きはしなかったのにと、未来の私はただただこの時の自分を罵り悔いることとなる。
―――まあ、それは大分先の話になるのだが・・・
とりあえず一段落。
自称「天使の花嫁」となのる謎の美女の登場が今後ヒロ達をどんな事件に巻き込んでいくか・・・次回からまた話が大きく動いていく予定です!
加筆・修正 08.4.12