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東方の天使 西方の旅人  作者: あしなが犬
第二部 血塗られた楽園
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第三十七話 再び流離人は牢獄へ 其の三

アラシが私に背を向けて、数十分後のことだった。

私は鉄格子越しに胸倉をつかまれ、体を揺らされながら、ぎこちない笑みで固まっていた。

何故って?それは、


「ちょっと!!!エヴァンシェッド様の『男の愛人』て、どういうことよ?!」


なんて、今となっては屈辱くつじょくすぎて抹消したい過去の話を、今さら声も高らかに叫ばれたら、もう笑うしかないだろ?

しかして、そんな私の目の前で怒りに震えるのは、かつて私が不浄の大地ディス・エンガッドで助けた天使の花嫁・ハクアリティス。

彼女は、別れたままの美しくも激しい様子で私に向かって叫んだ。


「エヴァンシェッド様に変なことしたら、ただじゃ置かないわよ?!」


しかし、頭が真っ白になって、そんな彼女に何一つ言い返せない私は、心の中ではものすごい勢いで首を横に振っていた。

いやいや、奥さん。

私のほうが、変なことされそうでしたけど?

噂は確かにあったけど、だったらどうして私はここで捕まってるか、考えてみてくださいよ?

どこを、どう考えたら、私がエヴァンシェッドの愛人やると思うんです?


思わず口調まで変わってしまうほどに、混乱している私。

しかし、私がいくら呆気にとられて茫然ぼうぜんとしていようが、彼女の瞳に私は夫を取られた憎き愛人にしか見えないらしく、嫉妬の炎がめらめらと燃えている。

大抵の化け物にも恐れを抱かない自信はあったけど、嫉妬に燃え盛るハクアリティスを前に、愛人と呼ばれた衝撃とともに、なんともいない恐怖を感じている私がいた。


・・・女の嫉妬は、怖い。



第三十七話 再び流離人さすらいびとは牢獄へ 其の三



彼女はものすごい勢いで牢屋部屋に入ってくると、牢屋の見張りの男に張り倒すような勢いで詰め寄った。

「ヒロに会わせなさい!!」

「し・・・しかし、危な・・・。」

その時は、一体誰が来たか分からなかった私だったが、

「このヘタレ男に、あたしをどうこうするような甲斐性かいしょうはないわよ!」

そう何気に酷いことを言いながら、ギリギリと見張りを締め上げる美しい顔を、鬼のような形相に歪めている彼女の顔を見て、それが誰だか理解した。


「・・・ハクアリティス?」


あれ?捕まってるんじゃないのか?

しかし、私がその質問を口にする前に、彼女は見張りを押しやって鉄格子越てつごうしごしに、私の目の前に来ると力の限りに叫んだ。


「こんの泥棒猫!」


一瞬何を言われたかわからなかった私である。

そのまま頭が真っ白になってハクアリティスに罵倒ばとうされ続けること数十分、私があまりの衝撃に回復するのに要した時間だ。

その後、私がハクアリティスの誤解を解くのに更に数十分。

苦痛だったが、私はもう忘れたいと思っていたあの噂について、ハクアリティスにこと細かく説明する羽目になったのだ。(さもないと、鉄格子てつごうしを挟んでいるのに殺さそうな気がした)


・・・本気で疲れた。



「噂はでまかせだっていうことよねっ!」

しかして、ハクアリティスが何を怒り狂っているか理解した私は(大体どうして、その噂のことを知っているんだか)、とりあえず何とか彼女の誤解を解くことに成功した。

黒の一族のこととか、色々細かいことは、どうも理解していないような気配がしたけど、私の必死の言葉に、何とか嫉妬の炎は鎮火ちんかしてくれたようだ。

私は安心のあまり、息を吐き、ひたいの汗をぬぐった。

その私の肩を叩いて笑うハクアリティス。


うーん、我儘わがままっぷりと言うか、この自分勝手さはかわらんなぁ(というか、それに拍車がかかっている気がしてならない)と思いながら、私は曖昧あいまいに笑うしかない。

「そうよねぇ、まさかあのエヴァンシェッド様が、『男の愛人』なんてつくるわけないわよねぇ?『女の愛人』だっていないのにぃ。」

「・・・。」

いやいや、山ほどいたけど・・・とは、無論口にしない私である。

機嫌のよくなったハクアリティス(それでも結局私に謝罪の言葉はなかった)を、わざわざまた不機嫌にすることもないだろうし、彼女とエヴァンシェッドの夫婦関係がどうなっているか知ったことではない。

うーん、ただここまで浮気を隠せる方法は、少し知りたいかも。


まあ今はそれよりも、ハクアリティスだ。

私は聞きたいこともあり、私と違い牢屋という場所が似合いようもないハクアリティスと向き合いながら、彼女に何気なく質問を投げかけた。


「それより、驚いた。何で君がこんな所にいるんだ?」


自分でも、白々しいなぁ、とは思った。

何せアラシの言葉から、ハクアリティスが黒の雷オルヴァラに捕まっていることは察していたから、本当のところは聞く必要もないことではある。

だが、こんな風に偉そうというか、見張り相手に自分勝手できる環境とは知らなかった。(見張りがハクアリティスの背後から、ハラハラしながらこちらをうかがっている)

その理由には、少し興味があった。


答えないか?と内心は半信半疑だったが、ハクアリティスはカラカラと笑いながら、機嫌よく答えてくれた。

「ああ、本当はね。天使の領域フィリアラ・ディアスから脱出したら、不浄の大地ディス・エンガッドじゃなくて、黒の雷ここに匿ってもらう予定だったのよ。心配しなくても、捕虜とかにされているわけじゃないの。」

「どういうことだ?」

そうそう、その辺が聞きたいんだ。


「だから、不浄の大地ディス・エンガッドに逃げ込んだのは、あたしにとっては不測ふそくの事態だったのよ。天使たちの追手に想像より早く見つかっちゃって、黒の雷オルヴァラの迎えが来るよりも、先に天使があたしを追いかけてきたの。だから、必死で逃げてたら、ヒロたちに助けられたってわけよ。」

違う違う。それはどうでもいい。


さて、私が知りたいことを聞き出すには、何と聞いたものかと、頭をひねって出た質問は更に白々しい言葉だった。

「・・・私と離れた後はどうしたんだ?エヴァは一緒にいるのか?」

エヴァがいなことは百も承知だ。

だが、変に勘繰かんぐった聞き方をして、彼女の口が閉じてしまうのは避けたかった。

なるべく、何気なく、何気なく言葉を選んだ。

「ああ、えっとぉ。」

そんな私の考えなど知ったことではないかのように、ハクアリティスはのんびりと答えを探す。

「なんか、気がついたらあたしとエヴァは懺悔ざんげの街にいたのよ。」

懺悔ざんげの街といえば、天使の領域フィリアラディアスのすぐ側の街のはずだ。


確かエンリッヒから二人を逃がした時、私はエヴァにサヴィラ街に行くよう指示をした記憶がある。

しかし、今の話からすれば二人はサヴィラ街ではなく、懺悔ざんげの街に移動したということだ。

足跡の指輪エンダー・ケルトが誤作動を起こしたのか、はたまた、エヴァが自分で意図して懺悔ざんげの街に移動したのか?

「で、エヴァがヒロと合流するために移動手段を見つけようとして、街に入ったところを黒の雷オルヴァラに保護されたってわけ。」

その言葉からすれば、エヴァは自分で意図していたわけではないだろう。

だが、あの足跡の指輪エンダー・ケルトが誤作動というのも考えにくい・・・、そもそもエヴァが肌身離さず持っていたあの指輪は、今どうなっているのだ?

ふいに気になったが、今はそれより目の前の問題から片付けないのとな。


「それじゃ、エヴァもここにいるのか?」

言っていて、むなしいことこの上ない。

だが、ハクアリティスはエヴァンシェッドの妻なのだ。

エヴァのことを、どこまで知っているか気になった。

もしかしたら、エヴァがエヴァンシェッドの翼ということを知っていて、私たちに近づいてきたとしたら、それはそれで問題が変わってくる。


しかし、ハクアリティスの言葉かあっけらかんとしたものだった。

「エヴァならいないわよ?よく分らないけど、エンシッダが用があるらしくて、連れて行ったけど?」

あまりに自然体なハクアリティスの言葉には、嘘はないように見え、アラシと同じことを言っていることも、信憑性しんぴょうせいを高めた。

そして、アラシは話すことのなかった『エンシッダ』という人物。


私はあせらないように言い聞かせながら、更に突っ込んだ質問をした。

「エヴァに会いたいんだが、エンシッダという人を訪ねたりはできないのか?」

まあ、牢屋に閉じ込められて何を言うんだという感じだが、ハクアリティスは気にならなかったようだ。

「エンシッダはエンディミアンの長だし忙しいみたいだから、それは聞いてみないとわからないわね。」

「エンディミアンの長?」

てっきり天使かと思っていたが、エンディミアンなのか。

「うん。連絡は黒の雷オルヴァラにいるから難しいけど、今度会ったときにでもエヴァのこと聞いておくわね。」

彼女はエヴァがもういないことを知らないらしい。

彼女に安請け合いに、私は嘘の笑顔を浮かべた。


その笑顔につられるように、ハクアリティスはさらに情報を口にする。

「あ、エンシッダとエヴァと言えば、あたしエンシッダに変なことを頼まれたわ。」

「変なこと?」

どうにもに落ちないのか、表情が固い。

「うん。黒の雷オルヴァラにいる間、エヴァと仲良くしろって言われていたのよ。」


『エンシッダ』・・・・か。


「ヒロ?」

「いや、何でもないさ、ありがとう。」

黙り込んだ私を見つめるハクアリティスに頭を下げると、彼女は少しだけ表情を何か言いたげなものにした。


「どうかしたか?」

「・・・ヒロはあたしのこと何も聞かないし、怒らないのね。エヴァはあたしが黒の雷オルヴァラに元々来るはずだったって事を知ったら、あたしを問い詰めて、すごい怒ったのに・・・。」

と、急にしゅんとしたハクアリティスの態度。

自分勝手極まりない彼女であるが、どうしてか妙にしおらしい一面も見せる。

これを計算でやっているなら、大したものだと思う。


『ヒロちゃんは、本当に美人に弱いんだから!』


そんなエヴァの声が聞こえてきそうだったが、今の冷静な私は別にそういうんじゃないんだ。

「まあ、私も気にならない訳じゃないけどな。大体さっきの剣幕けんまくからして、万象の天使が嫌で逃げ出したわけじゃないんだろ?」

私が言えば、ハクアリティスは力の限り頷いた。

「ええ!あたしはエヴァンシェッド様を、誰よりも愛しているわ。今回の脱出は、あの方の気持ちをより確かにするためのものだったのよ?最近忙しくて相手をしてくださらないんだもの。エヴァンシェッド様、あたしのことを心配していたでしょ?」

「そうだな。」

その言葉に相槌を打ってやりながら思った。


エヴァ、私とてそこまでのお人好しじゃない。


黙ってハクアリティスの言葉を聞きながら、反面その細く白い首を締めあげてやりたいと思う感情が首をもたげているんだ。

当然だ。

そもそも彼女のせいで、私とエヴァは巻き込まれた。

あの時、天使と関わるようなことさえなければ・・・と思ったことだって、エヴァを失った直後は一度や二度ではないのだ。

なのに私もエヴァも命を張ったというのに、たかが男の気を引きたいというくだらない理由で、こんなことに巻き込まれるなんて・・・。

こんな自分勝手な女のせいで、と思えばその感情とて一入ひとしおだ。


・・・エヴァも、恐らく今の私に似た感情を、彼女に抱いたのだろうか。


ハクアリティスが、エヴァを奪ったわけではないのは分かっているが、こんな身勝手な理由で私もエヴァも大きく運命を変えた。

やりきれなくて、拳を強く握った。


そんな私に気がつかないハクアリティスは、更にうるさく言葉を続けていた。

「うふ!あとはいかに感動的にエヴァンシェッド様のもとに戻るかよね?!アーシアンたちの権利と引き換えに帰るつもりなの!アーシアンたちのためにもなって、あたしもエヴァンシェッド様との愛を確かめられて一石二鳥じゃない?!」

こちらを期待一杯で見上げるハクアリティスに、あの色ぼけ天使には愛人が山ほどいたと、君の話など一度とて出たこともない、と言ってやればいくらかこの感情が落ち着くのだろうか?

そんな残忍ざんにんな感情が、笑う私の中にひょっこりと顔を出す。


だが、それでも今の私は、怒りや憎悪という感情よりも、ひどく冷静な自分だけが先だっているのだ。

その理由も、ちゃんと自分の中でわかっている。


何故ならもう、全部終わったことだからだ。


ハクアリティス、一人に怒りや憎しみをぶつけたところで、エヴァは帰ってこない。

だから、きっとこのままハクアリティスに怒りを露にして、きっとすっきりとする部分もあるのだろう。

だが、結局はひどくむなしい気分だけが残るのだ。

女相手に、こんな自分勝手な人間相手に、そんなみっともないマネをするのは、御免だった。

だから、私はハクアリティスを許したわけじゃない、エヴァンシェッドと同様に、ただ、彼女のことは、どうでもいいだけなのだ。


それよりも、今の私の心を占めているのは『エンシッダ』、その人のこと。

恐らく、そいつがアラシの言っていた『あるお方』に違いない。

そして、多分『エンシッダ』はエヴァが、エヴァンシェッドの翼であることを知っていたのだ。

だから、エヴァを黒の雷ここから連れ出した。

何の根拠があるわけでもないが、私の直感がそうささやいていた。


問題は、それまで天使たちにも気がつかれることがなかったエヴァの正体を、『エンシッダ』がどこで知ったか。

それが、偶然か、はたまた必然か・・・。

それを知ったところで、何が変わるわけじゃないことは、ハクアリティスに怒りをぶつけるのと同じだ。


でも、何故だか私はそれを知りたいと思った。

知らなければならないと思った。

本当に何故だろう?


・・・エヴァ、これはお前のお導きか?


ハクアリティスの言葉を右から左に聞き流しながら、私はそっとエヴァに話しかけた。

二人目の客人は、エヴァンシェッドの妻でもあったハクアリティスでした。修羅場っていうほど、修羅場じゃなかったかもしれないですね。期待されていた方がいらしゃったら、すいません。ただ『泥棒猫』って呼ばせてみたかったんです(笑)

そして今回のお話、ハクアリティスがべらべらしゃべってくれたおかげで、ヒロもいろいろな謎に一歩近づいた感じです。

次は、新しい登場人物が客人として登場します。

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