第三十六話 再び流離人は牢獄へ 其の二
牢屋での生活、一日目。
というか、私が見張りを睨みつけて今の状況を聞き出した頃、その男はやってきた。
男は見張りを下げさせ人払いをすると、私に向かって手を上げて挨拶をした。
「よう。うちの牢屋の寝心地はどうだ?」
「・・・。」
「?なんだ、怪我は大したことないって話しだったが、喋れねえほどに調子悪いのか?」
その男は一見して、身の丈2メートルはありそうだった。
更に筋肉は隆々、肌は色黒、顔には無精ひげのはえた、強面のおっさんは、見るからに恐ろしいことこの上ない。
しかし、私に向けた妙に人好きしそうな笑顔は、
まるで、熊。
こいつは熊男で決定だな。
そう一人で納得する私は、エヴァが同じことをこの男に対して思ったことは知らない。
第三十六話 再び流離人は牢獄へ 其の二
「俺の名前は、アラシ。」
熊男、改めアラシはそう名乗った。
その名には聞き覚えがあったので、私は全身が打ち身で痛む体を起こした。
「・・・黒の雷のリーダーか。わざわざ、私に挨拶に来るとは、レジスタンスというのは暇なのか?」
嫌味で言ったつもりだったが、アラシは動じることはなかった。
「いやいや、これでも意外と忙しいぞ?まあ、その忙しい体に無理をして、お前に会いに来た俺の気持ちを察しろよ。ヒロ。」
「どうして、私の名を知っている?」
私は瞳に殺気を込めた。
捕らわれた私と、捕らえたアラシ。
状況は私に一方的に不利だが、だからといってこの男に服従する謂れはない。
しかし、アラシはそれをあの妙に人懐っこい笑顔でさらりと流す。
「これだよ、この剣のおかげでおめえが誰かすぐに分かった。でなきゃ、空から落ちてきた奴なんか、襲撃中に助けるかよ。」
そう言って、鉄格子の向こうで彼が私に突きつけたのは黒の剣。
「おめえの顔は知らなかったが、黒の剣を持つものが、ヒロという黒の一族だというのは知っていた。エヴァから聞いてたからな。」
「エヴァを知っているのか?」
そういえば、ハクアリティスは恐らく黒の雷に捕まったかもしれないと、断罪の牢獄でミシアらに聞いていた。
ということは彼女と一緒に、まさか、エヴァもここに捕らわれていた?
でも、確かにエヴァはハクアリティスと共に、私が逃がした。
とりあえず、二人が一緒にいた可能性は高いだろう。
だが、そう仮定した時、何故にエヴァは天使の、エヴァンシェッドの元に連れられてきたのだろう、という疑問が発生する。
「ワハハ。そう怖い顔しなさんな。」
豪快に笑い声を上げながらも、その顔は笑っていないのが見て取れた。
どうやら、見た目通りの人のよさそうなだけの男というわけでもないようだ。
そう私が思った瞬間に、アラシの雰囲気ががらりと変わる。
ガシャンッ!
鉄格子が強く叩かれて、渇いた音が牢屋に響く、それを追ってアラシの鋭い声が私に向けられた。
「状況がわかってねぇ様だな。お前は質問ができる立場だと思っているのか?」
そう言って、鉄格子越しに見たアラシの顔は、体格に見合った恐ろしいものだったが、生憎私にはどうという効果は現れない。
さすがはレジスタンスの長だと、ぼんやりと関心してしまったくらいだ。
そんな私の様子を悟ったのか、アラシはその表情をすぐにもとの温和な表情に戻した。
相手に合わせて態度を変えてきたのか、はたまた何も考えていないだけか・・・、まあ、中々の変わり身である。
「まあ、エヴァの名を出したのは俺だしな。イエスかノーくらいは教えてやるわ。エヴァのことは知っているかと聞かれれば、イエスだな。奴はハクアリティス様と一緒にいたからな。同じく捕らえさせてもらってたんだよ。」
ハクアリティス『様』?
その言葉に違和感を感じたが、この時はさらりと流した。
それよりも、ハクアリティスと共にエヴァは黒の雷に捕まっていたということが、これではっきりした。
ならば、どうしてエヴァは天近き城にいた?
そもそも、あまり深く考えていなかったが、エヴァはどうやって天使の領域に入った?
まさか黒の雷のアジトが、天使の領域の中にあるわけもないだろう。
エヴァは自分からエヴァンシェッドのもとに還るために、自分の足で戻ったのか?
それとも・・・。
「・・・もう一つ聞かせてくれ。」
「何だ?」
「エヴァはどこにいる?」
エヴァがここに、いや、もう世界の何処にもいないことを、私は知っている。
だが、エヴァのことについて、アラシが何処まで知っているかで、私の今後の対応も変わってくる。
その問いに、渋るかと思ったアラシであるが、彼は案外簡単に言葉を続けた。
「もうここにはいないぜ?エヴァはあるお方に引き渡した。その相手については聞くなよ?何言われても話せねえからな。」
引き渡した?
エヴァはそいつから逃げ出して天使の元へ?
それとも、そいつがエヴァを天使の元へ?
だとしたら、そいつはエヴァのことを知っていた?
考えは色々浮かぶが、これ以上はアラシに聞いても答えそうもないし、知らないように見えた。
彼は単純な男のようだが、自分というものは確り持っていそうだ。
短時間の会話で、私はそういうアラシという熊男を感じた。
『あるお方』というのが、気になるがこれ以上は突っ込んでも無駄だろう。
「お前の質問はここまでだ。最初に言ったとおり、俺も忙しいんでな。用はさっさと済まさせてもらうぞ。俺が聞きてぇのは、ただ一つだ。」
どうやら、やっとこさ本題らしい。
アラシは黒の剣を手の中で遊ばせながら、私の顔を睨みつけた。
「黒の剣の使い方を教えてもらおうか?」
「使い方?剣の使い方なんて、私に聞くこともないだろう。」
シラを気って見せれば、アラシはギリリと怒りを露にする。
「そんなこと聞いてねぇのは分かってるだろう?俺が聞きたいのは黒の武器の使い方だ!」
激昂するアラシ、それに対しても私は冷静に考えをまとめていた。
とりあえず、黒の武器という単語に違和感を感じた。
その名を知るのは天使たちや、エンディミアンばかりだと思っていたが、アーシアンの間でもメジャーだということか?
「どこで、黒の武器のことを知った?それにどうして、私がそれをもっていると知っている?」
「これ以上、お前に質問はさせんぞ。」
睨まれても、全然怖くないからな。
「そんなもの、知ったものか。なんなら無理やり拷問でもしてみるか?言っておくが、何も知らないこの状況じゃ、死んでも私は何も話さんぞ。」
「・・・・うぐ。」
いくらか年下であろう私に、何も言い返せないアラシ。
悪いが、拷問については天使たちのおかげで耐性がついている。
ちょっとやそっとじゃ、口を割らない自信があった。
すると、アラシは簡単に白旗を揚げた。
「・・・とある天使に聞いた。お前が黒の武器を持っていると。」
「天使?」
アラシは天使と繋がりがあるのか?
どの程度私のことが天使の間で認知されていたかは定かではないが、天使ならば私のことを知っている可能性はあるだろう。
だが、天使たちの支配からアーシアンを解放しようという彼が、天使と繋がりがあるという事実に私は思わず眉を顰めた。
アラシは私のそんな感情など気が付かないように、更に私に募った。
「それよりも、黒の武器の使い方だ。俺には黒の武器が必要なんだ。さっさと教えろ!」
かなり焦っている様子だ。
だが、残念だな。
「言っとくけど、黒の武器は、黒の一族にしか使えない。」
誰が自分の武器を、黒の剣を見ず知らずの相手に渡すものか。
そう思いながら、これでこの話は私がアラシを手玉にとって終るはずだったが、アラシはそれには、さらりと答えを返した。
「心配しなくても、俺も黒の一族だ。」
思わず目が点になった。
アラシもまた、私と同じ黒の一族?
「・・・お前は西方の魔境から来たのか?」
殺されたとはいえ、黒い影も然り。
こんな形でまた同族に会うとは、世間が狭いのか、はたまた黒の一族というのは、今まで縁がなかっただけで、案外多いものなのか?
「いいや。俺は東方の楽園生まれだ。おめえとは違って流離うことは、やめちまった一族だがな。俺も西方の魔境から、脱出してきた黒の一族の末裔だ。ただ、お前と違って我が家系は色々過去のことは覚えていたが、黒の武器については何も覚えていないんだ。」
要は、黒の神のことは知っていても、黒の武器の使い方は知らんということか。私とは逆のパターンだ。
アラシは黒の剣を床に置くと、両手にはめられていたグローブを私に見せた。
それは何の変哲もない、極一般的なグローブだ。
「?」
私が何をしたいのだろうかと、首をかしげるとアラシはグローブを私に突きつけながら、更に私を驚かせた。
「これが俺の黒の武器。名前は黒の雷だ。」
話しによれば、世界に7つにしか存在しないといわれている黒の武器。
こんなにひょいひょい出てきていいものなのか。
驚いたのは一瞬、次の瞬間には何だか呆れたような、気が抜けた気分になった。
だから次に心に思い浮かんだのは、その名前について、レジスタンスの名前を黒の武器から取ったのかということ。
まあ、天使に一矢報いた黒の武器の名前は、レジスタンスにはぴったりかもしれないなあ。
と、のんきに考えた。
だが、その一方でアラシは真面目な話を続けいた。
「俺たちの一族も、お前たちと同じように黒の雷を代々受け継いできた。」
アラシの祖先も、サンタマリアの話が本当ならば、不浄の大地を放浪した末に、黒の雷を取り戻し、その後は目的もなく放浪することをやめ、定住を決めたのだろう。
そして、長い時の中でその使い方を忘れた。
「だが、使い方が分からないんじゃ、こんなものただのグローブだ!お前は知っているんだろう?これの使い方を!頼む!天使たちに対抗するために、どうしても黒の雷は必要なんだ!教えてくれ!!」
黒の武器などと恐れられようが、力を目覚めなければ、単なる普通の武器。
それは黒の剣とて同じことだ。
黒の武器の大きな力の話だけ伝え聞いていて、それが手元にあるのに使えないという状況は、今のレジンスタンスのリーダーとしてのアラシの立場ならば、もどかしい事この上ないだろう。
「頼む!」
土下座も厭わないといった勢いのアラシ。
「・・・。」
だが、そんな必死なアラシの様子を前に、私の心中は複雑だった。
私とて彼が本当に天使たちから、アーシアンの解放を願っているとしたら、そのために力が欲しいというならば、無論、力の解放の仕方を教えてやるのはやぶさかではない。
しかも、彼はどうやら黒の剣を私から奪って使うのではなく、黒の雷を使いたいということらしい。
それならば、教えてやりたいと思わないこともない。
だが、アラシは何も知らない。
黒の武器の力を得るためには、『代償』を払わないといけないことを。
『ヒロ、愛しているわ。』
脳裏に蘇る彼女の影。
私はぎゅっと瞼を閉じた。
「おい!聞いてるのか?!」
そんな私の様子に、アラシは焦れたように叫ぶ。
「・・・そんなに力が欲しいのか?」
「当たり前だろ!」
私の問いに間髪いれずに、アラシは答えた。
そんな彼に私は問うた。
「そのために、誰かを殺さなくてはいけなくてもか?」
「え?」
アラシは耳を疑うように、声を漏らした。
私は重ねていった。
「黒の武器の使い手になるためには、誰かの命を差し出さなければならない。それが、使い手にとって大切な命であればあるほど、黒の武器は大きな力を与えてくれる。・・・そんな力でもお前はーーーー。」
「嘘だ!お前は、俺に力を使わせたくないから、そんな出鱈目を言ってるんだ!」
私の言葉を遮るようにアラシが叫んだ。
まあ、受け入れがたい事実ではあるだろうな。
「そう思いたいなら、それでもいい。だが、お前が黒の武器にどんな風に考えていたかは知らないが、それが黒の武器の真実だ。」
「黙れっ!」
アラシは、自分のために誰も犠牲にしたくないんだろう。
誰だって、普通はそうだ。
だから、こうして激昂する。
私とて・・・とは、黒の武器の力を持つ私が思うことは許されないことだろうな。
そう自嘲しながら、私は更にアラシの神経を逆なですると分かっていても続けた。
「言っておくが、ただ殺すだけじゃ駄目だ。それにも方法があるんだが・・・、それはお前が力を欲するか、力を諦めるか、決めてから教えてやるよ。」
「そんなもの、知りたくない!!」
ガァ・・・ンッ!!!
アラシは足元の黒の剣を、鉄格子に思い切り投げつけた。
ビビビンと、鉄がなる音が余韻を残して響く。
「はあはあはあ・・・。」
私は身じろぎしないまま、肩で息をつくアラシを見守った。
もう、彼に私が告げる言葉はない。
私の問いに、後は彼が答えるだけなのだ。
力を欲するか。
力を諦めるか。
アラシとて『嘘』だと言っていようが分かってはいるのだと思う。
私が言っているのが真実だと。
そもそも、ここで私が『嘘』をいう理由もないからな。
だが、その事実を受け入れたくないから彼は『嘘』だと言うのだ。
「・・・。」
アラシは無言のまま投げて床に落ちた黒の剣を掴むと、私と目をあわせることなく、私に背を向けた。
「俺は、そんなことは絶対に信じないからな!」
最後にそれだけ叫ぶように言って、アラシは私の目の前から消えた。
大きい体のわりには、素早い動きだな。
そんなことをぼんやりと感じながら、私は近いうちにアラシが再び私の目の前にやってくるだろうという予感だけは、確かに感じていた。
一人目の客人はアラシです。彼がヒロに聞きたかったこととは、黒の武器の使い方だったんです。しかし、それが大切なものの犠牲の上に成り立つことは、まっすぐな彼の気性には合わないようですね。
それにしても、黒の武器が使えるということは、ヒロは誰かを犠牲にしている・・・ということになるんです。今は亡き黒い影がヒロに『何を賭けた』と聞いている場面があるんですが、それは要は『何を犠牲にした。』という意味なんです。彼もまた、何かを犠牲にしたんだと思います。ヒロが何を犠牲にしたかは、また後々のお話で出てくると思いますので、その時に詳しく。
さて、次の客人は誰か・・・、ちょっとだけ予想がついたりしませんかね?ヒロと修羅場を繰り広げるあの人が出てきますよ。