第三十五話 再び流離人は牢獄へ 其の一
♪そこに、貴方はいるのでしょうか?
私には貴方が見えないのです。
貴方、道に倒れていないでしょうか?
貴方、誰かに傷つけれていないでしょうか?
貴方、未来を見失っていないでしょうか?
ああ、貴方のことを思うだけで心が引き裂かれそう。
私は貴方のことだけを思って、眠りにつきます。
せめて、貴方の夢を見れるように・・・。
誰もいない空間に私の下手な歌が響いた。
掠れた低い声に、女の恋歌なんて似合うはずもない。
昔、この歌を無意識に口ずさんでいた私に、エヴァが苦笑したことを、今でも昨日のことのように覚えている。
『なんて歌なの?』
無邪気なエヴァの質問。
『さあ、私も知らないな。』
『知らないのに歌ってるの?』
『別に名前なんかしらなくても、歌は歌えるだろう?』
しかし、私の答えが気に入らないのか、エヴァは子供っぽく頬を膨らませて不機嫌を表した。(全く男がそんな顔をするな)
『・・・本当に知らないんだ。私も知り合いが歌っているのを聞いて覚えただけだから。』
『ふーん。』
私がそう答えると、もともと大して興味もなかったのかエヴァは気のない返事をして、歌のことはすぐに忘れた。
しかし、私の中には、かつて私の傍でこの歌を歌っていた人影が、私に向かって何かを言った。
ああ、わかっている。
私は君を忘れてなどいない。
その影は、エヴァの前に私の心に刻み付けられた、醜くも美しき思い出の影。
第三十五話 再び流離人は牢獄へ 其の一
冷たくて、硬い床と、不浄の大地の荒地のごつごつした地べたとでは、果たしてどちらが寝心地がいいだろう?
ここ最近天近き城で、やたら柔らかい分不相応なベッドで寝かせて頂いていた私は、自分に慣れ親しんだ寝心地に戻ったからか、そんな下らないことに頭を巡らせた。
そして、そんなことを考えながらごろごろと寝転がる、私の視界映るのは、迫りくるような石の壁、自由を奪う手枷、行く手を阻む鉄格子。
さあ、私は今何処にいるのかと問われれば、
・・・お察しの通り、現在私は牢屋に捕らわれていたりするのだ。
ええ、ええ、どっかであったような状況ですよ。(それもつい最近。)
・・・うう、もう嫌だっ。
と、まあ、私のやっていられない気持ちの吐露などは、この際、置いておくとして(人間切り替えが肝心だ)、私は天近き城で天使たちから命からがら逃げ切ったはいいが、新たなる相手に、再び不浄の大地への帰路を阻まれたのだ。
その新たなる相手というのが、断罪の牢獄で噂を聞いた、アーシアンたちで構成されているという、アーシアンの解放を目的としたレジスタンス・黒の雷。
・・・まあ、同族のアーシアンに捕まったというのも、どうかと思うのだが、あれだけエヴァンシェッドに啖呵をきっておいて、あっさりと天使に連れ戻されるという状況よりは、はるかにマシだ。(それだけは死んでも嫌だ)
ただ、マシというだけで、今の現状に私が多大なる不快感を感じていることだけは、述べておきたいけどな。(はあ。←重い溜息)
そもそも広い不浄の大地でしか生きたことのなかった私に、こんな窮屈で何の自由もない生活が耐えられるはずはないのだ。
しかし、それにも関わらず断罪の牢獄での一ヶ月の囚人生活が、私をそれに適応させている感もまた否めなかったりするから、慣れというものは、ほとほと恐ろしい。
そうして、私は黒の雷による二度目の囚人生活(天近き城の生活も似たようなものだったから、三度目か?)を、不快感こそ多大に受けているものの、それでも何とか恙無く(?)送らせてもらっていた。
「・・・・はぁ。」
そもそもどうして、私が黒の雷に捕まったといえば、とりあえず、何とか、追いかける殺気溢れる天使たちから逃げ切ろうとして、天近き城の建つ高所から落っこちて、助かった所から始まる。
正直、エヴァンシェッドを気分よく沈めて、リリアナに別れを告げた後、私を明らかに殺そうと追ってくる天使たちから命からがら走り続けたこと、そして運悪く(結果としては幸運だったのかもしれないけど)天近き城から落ちたこと。
この二つの出来事を、私はあまり覚えていない。
今思い出そうとしても朧げで、断片的な記憶しか残ってはいないのだ。
ただ、『死にたくない』とか『不浄の大地に帰りたい』とか、そんな動物みたいな本能的な感情だけが鮮明で、私を突き動かし、支配していたことだけは確かで。
そんな本能だけで動いていた私が、落下し続けながらとった行動は黒の剣を手にすること。
このまま地面に打ち付けられれば死ぬしかない。しかも、眼下に広がるのは炎の海。
状況は最悪だったが、それでも私は黒の剣の力を解放すると、その力を剣に込めた。
多分、黒の剣の力を下方向にぶつけて、落下の衝撃とスピードを和らげようと考えたのだろう。(本当に本能的な行動だったので定かではないが)
無論、タイミングを間違えれば、このまま落下するのと同じ結末。
いや、寧ろ即死よりも、苦しむ羽目になるかもしれない。
だが、その時の私にはそれを躊躇する時間はなかった。
落下し続ける私は黒の剣を構えたまま、建物から舞い上がる炎が目の前に迫る。
熱いと感じたかどうかも、私は覚えていない。
ただ、炎で赤い視界だけが記憶に焼き付けられていた。
そして、燃えている建物にぶつかる前に、私は黒の剣を振りぬいた。
建物の破壊音と共に、舞い上がる風圧。
その熱風ともいって差し支えない風圧は凄まじいもので、私の体は垂直に落ちていた軌道から、ものすごい勢いで上空に弾き飛ばされた。
落下していたスピードは殺せた。
だが、とりあえず、落下スピードさえ落とせればと思っていた私は、その後のことは何も考えていなかった。
どこに落ちるかは『神のみぞ知る』である。
落ちどころが悪ければ、それもまた即死覚悟だ。
ドシャッ・・・!
それでも日ごろの行いが良いからか(神様に祈ったことなどないけど)、何とか燃え盛る建物の中ではなく、燃えていない何もない場所(多分、建物の庭だろう)に無事着地することができた。
私は、やわらかい草が絨毯代わりになって、それでも体に喰らった衝撃はかなりのものだったが、現在大した怪我もなく済ませることができた。
これは黒の剣の力云々ではなく、運によるところが大きい。
正に不幸中の幸い。
私は、ラッキーだったのだ。
ただ、その時の衝撃で気を失ったのがいけなかった。
記憶は助かったと思った瞬間で途切れたまま、目が覚めた私はこの牢屋に閉じ込められいたのだ。
どうやら、あの火事は聞くところによると黒の雷が天使を襲撃した現場だったらしく、空から落ちてきた私を、彼らは回収したらしい。
そのまま倒れたままだったら、天使たちに捕まっていたに違いない。
そういう意味では、黒の雷には感謝しなければならないだろう。
うん。そこは感謝している。
ただ、彼らとて単なる善意で、空から落ちてきたような怪しげな私を助けてくれたわけではないのだ。
私を助けたのには黒の雷の思惑があった。
私がここに、牢屋に捕らわれているということは、そういう意味なのだ。
その理由についても、ここに連れて来れられて一週間で概ね理解している。
牢につながれた私に訪れた3人の来客が、それを教えてくれた。
一人は私に請い。
一人は私に激昂し。
一人は私に問いかけた。
その三人の客人から導き出される私への要求は、叶えられるものもあれば、叶えられないものもある。
全部叶えてやりたいと思う気持ちもあるが、私は何でもできる超人でも神でもない、単なる一個人である。
一度に色々言われても、困るよなぁ。
そんな想いが、この状況を更に不快にする。
捕らわれているというだけでも不快極まりないというのに、私を捕まえる人々は、揃いも揃って皆が、私に無理難題を突きつける。
だが、それを無視し続けることも小心者の私にはできず、こうして牢屋につながれながらも、ただただ頭を悩ませているのだ。
「はあ・・・。」
そして、また私は溜息をつくのだ。
溜息をつけば、つくほど不快感が募ると知りながらも・・・。
ヒロの新たなる展開にあたる、プロローグっぽい感じです。色々考えているようで、結構本能で動くタイプの彼の行き当たりばったりな様子も見ていただけたのではないでしょうか(笑)
次からは最後に少し出てきた、牢に閉じ込められたヒロを訪ねる三人の客人との接触により物語が展開していきます。うち二人は既に出てきているあの人とあの人、そしてもう一人は新たなる登場人物の予定です。ヒロが予想だにしていない修羅場がある予定なので、お楽しみに(笑)