第三十四話 天使たちの謀 其の四
俺は忘れることはないだろう。
自分の楽園が血みどろの戦いに傷つき、醜く汚れ、踏みにじられた事を。
絶えず戦いだけに支配しされて、疲れきった俺は、いつのまにか隣人を信じることもできなくなり、力がある者だけが生きることを許され、弱いものは涙を流すしかないのだと教え込まれた。
そして、俺は全て喜びと尊厳とを失い、全ての嘆きと屈辱に塗れた。
全てを破壊し、全てを元通りにするために、教えられたとおり、ただただ俺は力を求めた。
世界を恨み、全てを憎み、俺は狂ったように力を求め、そのためには、どんな犠牲も手段も厭わなかった。
そして、俺は世界を変えた。
俺は、俺から全てを奪ったものから全てを奪い返し、かつての楽園を再びこの手に戻した。
そして、二度と奪われないよう、永遠のものにするために、俺は未だに力を求め続け、戦い続けている。
そのためになら、どんな犠牲も手段も厭わない。
そんな強迫観念にも似た感情すら変わらないままに、俺は未だあり続けている。
第三十四話 天使たちの謀 其の四
俺は天近き城に戻ると、すぐに三大天使を城内の一室に集めた。
その理由は無論、世界の円卓で公爵に突きつけられた魔人の軍事採用について、白の議会に議案を出される前に、今後の対応を協議するためだ。
次の議会の開催は10日後。あまり時間があるとは言えなかった。
招集をかけた部屋は城内では比較的小さく、豪華でもなく、ただ落ちかけた西日が窓から差し込み赤く染まっていた。
俺はその赤い日を背にして窓際に立ち、盲目の天使サンタマリアは一脚しかない椅子に座り、赤髪の天使ラインディルトは俺の傍らに、そして最後の三大天使シェルシドラは部屋の真ん中に突っ立ていた。
俺も三大天使たちも、ずっと魔人の存在については反対をしてきたのだ。
俺が目にした魔人の話に、三人の天使が一様に表情を堅くしたのは、言うまでもなかった。
「まさか・・・。」
中でもラインディルトは、ありえないというように驚愕の表情を浮かべ、否定の言葉を口にした。
まあ、自分が監視をしていたはずの対象が、真実その監視を掻い潜っていたのだ。驚くのも無理はないだろう。
「あなたの責任ですよ、ラインディルト。どう責任を取るつもりですか?」
そのラインディルトに、きつい言葉を投げかけるのはサンタマリア。
だが、それを宥めるように長身の天使、三大天使が一人・蒼穹の天使シェルシドラが間に入る。
「まあ、そういうなよ、サンタマリア。何を言っても事実は変わらないんだし、今の俺たちができるのは、如何にして、魔人を使わせないかってことだろ、な。エヴァンシェッド?」
同意を求められ俺は一つだけ、頷いた。
三大天使の中では一番背が高く、ひょろりとして軟派な印象をもたれがちなシェルシドラは、青い翼に短かい金髪に碧眼を持つ美丈夫で、三大天使の中では一番目立つ容姿をしていたりする。
その実は大層真面目なのに、そんな容姿で損をすることが多いのが、この男。
また、俺たち神と契約せし天使の中では、一番明るく、単純で、三大天使という肩書きを持つ割には、誰にでも親しみを持たれる性格をしている。
そんなシェルシドラに宥められ、サンタマリアは些か納得していないようだったが、俺の同意もあってか、ラインディルトから視線を外した。
「・・・そうね。まあ、ここでラインディルトの監督責任を追及しても、何の問題の解決にはならないわね。」
棘のある言い方だが、まあ、彼女が言わなければ俺が言わなくてはならないことだろう。
ラインディルトを信用して任せたのだ。
そうである以上、この事態は確かに許されるはずのない、失態であるなのだ。
ラインディルトも、それは分かっているから、俺の横で酷く苦々しそうに表情を歪めている。
だが、今は過ぎ去ったことを後悔している場合ではない。
これ以上、状況を悪化させるわけにはいかないのだ。
「とりあえず、白の議会で否決してくれさえすればいいんだ。・・・となると、議員たちを、俺たちが説得をするしか方法はないよな。」
シェルシドラが、とりあえず提案を投げかけた。
白き議会の議員は、10年に一度、無差別に選んだ身分に関係ない天使たち50人で形成されている。
議会は臨時の場合は除き、一月に一度開かれ、その度に様々な議題を検討、承認する。
承認するには過半数の賛成が必要となる。(因みに、俺たちは議会に口を挟んだりすることはできるけど、賛成・反対する権利は有していない。)
「もちろん、そのつもりだ。ただ、議員たちを説得するにしても、改良された魔人の情報があまりに少ないのが問題だな。」
何の変哲もない、だがそれでいて、何か恐ろしいものを抱えている少年の姿を思い出した。
「実際、見てみて、どう感じたの?」
サンタマリアの問いに、俺は苦笑いを浮かべる。
「俺たちが長年恐れてきた、そのものの姿だった。強さは定かじゃないが、戦いに恐怖を抱かず、使い捨てがきいて、何より命令に背かない完璧な兵士だ。俺たちが問題にしてきた、精神面の不安定さも解消されたみたいだしな。何も知らなければ、あれほど素晴しい兵器もないだろうな。」
「では、何も知らない白の議会の議員たちが、改良された魔人を見れば・・・。」
ラインディルトの言葉を俺は、引き継ぐ。
「間違いなく、了承されるな。魔人の軍事採用が。」
俺の出した結論に、一同で重い息がついて出た。
「まあ、元々何も知らない議員たちは、今までの魔人だって、賛成している奴も少なくなかった。そこを何とか俺たちが説得してたくらいだもんな。・・・その説得の理由までなくなるっつーのは苦しいよなぁ。」
その理由というのは、例えば倫理的なものに訴えたり、その不安定さを指摘したりと論理的に理解できるものだった。
だが、改良された魔人に、倫理的という理由は依然としてあり続けるが、それも今の黒の一族や黒の雷の危機が迫っている今、魔人を完全否定する理由としては弱いであろう。
「いっそ、私たちが魔人を拒否する理由を話しては、どうでしょうか?」
「言えるわけないじゃない!何のために長年、秘密を守ってきたと思っているの?大体、あんな外道科学者、さっさと始末しておけばっ・・・。」
ラインディルトの提案を、サンタマリアが珍しく強い口調で切って捨てる。
『・・・。』
西日も消えつつある、薄暗い部屋に沈黙が落ちた。
ラインディルトの気持ちも分からないでもないが、サンタマリアの言うことのほうが、正しいだろう。
あの『秘密』を守るために、俺たちは長年魔人が公になるのを阻止してきたのだ。
そして、その『秘密』に近づきつつあるあの科学者を、どうしてもっと早く、尊き血の天使に目を付けられる前に、始末しなかったのかが悔やまれるのは当然といえば当然のことなのだ。
だが・・・。
「今からでも、遅くないわ。あの科学者を始末しましょう。」
サンタマリアが、高らかに宣言する。
「馬鹿な!それは、あの時しないと約束したではないですか!」
だがラインディルトが、それをすぐに否定した。
ラインディルトは、暗殺など汚い手が嫌いな潔癖症だ。
かつて、あのエンディミアンを暗殺しようという話が出たときも彼の反対により、それはなされることはなかった。
「でも、他に方法はないでしょ?!魔人であの『秘密』に近づいているのは、あの科学者だけよ!あいつさえ始末すれば、後はどうにでもなるわ!」
「落ち着け、サンタマリア!」
ラインディルトに食って掛かるように激昂するサンタマリア。
シェルシドラが、咄嗟に二人の間に割って入るも、険悪な雰囲気が漂う。
シェルシドラが困ったように、俺に視線を向ける。
俺はそれに小さく息を吐くと、もたれていた窓から背を離して、ラインディルトに視線を向けた。
「二人とも、そう感情的になるな。ラインディルト、サンタマリアの言うことも最もだ。綺麗事だけじゃ、一族を守れないことはお前も分かっているだろう?」
「それは・・・。」
俺の言っていることを、頭では分かっているラインディルトは言葉を濁した。
それから、目が見えない彼女には無用かもしれないが、サンタマリアにも向き合う。
「サンタマリアも、言っていることは正しいと思う。だがそれを実行できるかどうかは、また別問題だ。大体パルマドールを殺したところで、今となっては魔人研究をとめられる可能性は、さほど高くないと俺は踏んでいる。それより、お前がパルマドールを殺したいのは、個人的理由じゃないのか?」
ビクリ。
サンタマリアの肩が震えた。
・・・やはりな。
「気持ちは分かるが、それが理由なら、パルマドールを殺すのはやはり却下だ。世界の円卓も奴の周辺警備を厳重にしているのは目に見えている。それを俺たちの仕業と悟らせずに殺すのは、今の状況じゃ相当難しい。」
「・・・私たちの仕業と悟らせずに殺す。」
サンタマリアは俺の言葉に、呆然と一つ呟いた。
俺はそれを一瞬だけ目を細めてみて、それからすぐに話を変えた。
「ともかく、魔人については、シェルシドラが初めに言った通り、各議員を説得して回る方法でいく。まあ、時間と労力はかかるが、俺たち全員でかかれば不可能ではないだろう。いざとなれば、俺の力を使っても構わない。」
議員の数は50人。
正直その過半数を力を持っても支配するというのは、かなりの無茶だし、感情的にもしたくないとは思う。
だが、この件はそれに目をつぶっても、必ず阻止しないといけないことなのだ。
まあ、それとしても、少しでも負担は小さいほうがいい。
そのためにも、議員を説得して、支配する人数は少なくする必要がある。
皆、俺のその考えを理解してくれたらしい。
「了解しました。」
ラインディルトは、背筋を正した。
「おう。まかせとけ。」
シェルシドラは、俺に笑いかけた。
「・・・ええ。そうね。」
サンタマリアも、落ち着きを取り戻して同意を示す。
よし。
「では、以上で協議は終了だ。時間があるとはいえない状況だ。皆、頼んだぞ。」
俺が三人を見回して言うと、一同頷く。
俺たちは常に天使一族を守るために一丸となって、様々な問題に直面し、それを全て瓦解してきた。
今回も、4人で当たれば不可能な問題などないはずだ。
そうして解散を宣言し、それぞれの仕事に戻ろうという時、ふと気が付いたようにシェルシドラが俺を見た。
「あ、そういや、エヴァンシェッド。夜、大変だったらしいな。飼っていた黒の一族に逃げ出されたんだろ?」
「そういえば、貴方は大丈夫だったのですか?やはり、黒の一族などさっさと断罪の牢獄に入れておくべきだったのですよ。」
シェルシドラの楽しげな様子をぎらりと睨みつけて、ラインディルトが心配げな表情を浮かべる。
どうやら、二人ともヒロの脱走劇の話を聞いたらしい。
まあ、あれだけの大立ち回りだったのだ。
天近き城内で、隠すことは不可能だろう。
「騒がせて、すまないな。でも、あの黒の一族は天近き城層から落ちて、死んだという報告を受けた。もう心配はいらないさ。」
俺はにこやかに、ヒロの死を告げた。
「ええ?!そうなの?俺、黒の一族と手合わせしてみたかったのになぁ。」
「そうですか。それならいいのですが。」
俺の話に、あからさまに驚くシェルシドラと、ほっとしたような様子のラインディルト。
「ああ、それはサンタマリアのとこの、第一師団が確認を取ってくれた、なあ?」
俺が二人に頷いて、サンタマリアに話を振れば、椅子に座ったまま彼女は少し首を傾けた。
「ええ、報告はしたけど・・・、エヴァンシェッド、それでいいの?まだ調査させることはできるけど・・・?」
ヒロの死の報告を聞いたときの、俺の様子が可笑しかったことを知っている彼女は、そう言ってくれたが、俺は首を横に振った。
「でも・・・。」
まだ、何かいいたそうなサンタマリアの言葉を俺は遮る。
「ともかく、今は黒の一族よりも魔人の問題が先決だ。」
そう言ってヒロの話を断ち切ってしまうと、俺は率先して日がもう殆ど沈みかけて、暗闇に満たされた部屋を足早に出る。
その時、俺の横にいたラインディルトは何か考えこむように、堅い表情でうつむいた。
次に立ったまま通り過ぎたシェルシドラは俺にやけに挑戦的な表情を向けた。
そして、最後にシェルシドラの後ろに座ったままのサンタマリアは、俺に瞼を閉じたままの笑顔を向けた。
バタン。
「・・・ふう。」
扉を閉めて、彼らと別の場所にいると思うと思わず溜息が出た。
かつかつかつ。
天空騎士団が、所かしこに立っている廊下を、俺が歩けば皆が敬礼をした。
だが、今の俺には何も目に入らない。
俺はあの部屋で、いくつかの嘘をついた。
そして、その嘘には意味がある。
全ては、わが一族を守り抜くための嘘だ。
三大天使とて、そのための嘘ならば、きっと俺を責めたりしない。
だから、俺は嘘をつくことに躊躇いはなかった。
そんな俺を待つ二つの人影。
「エヴァンシェッド様、どうでしたか?」
一つはケイン。
「問題ない。」
俺の言葉に楽しそうに、ケインが微笑む。
「サンタマリアにばれませんでしかた?」
そして、もう一つは、
「それも問題ない。お前が言ったとおり、サンタマリアの心を乱したのが良かったのだろう。−−−−−。」
俺が名を呼べば、−−−−−もまた、俺にまたにこりと微笑んだ。
その微笑から目を逸らした先には、ただ夜の帳が下りた闇夜が広がる庭園が見えた。
日は、完全に落ちた。
色々混乱してまいりました。(ちゃんと上手く、その辺りを表現できているか不安ですが)
三大天使を騙してまで付かなくてはいけない嘘とは?
エヴァンシェッドの真意は?
ケインと、もう一つの影は何を考えているのか?
ちゃんと第二部で解明するつもりですの、分かりづらかったら、本当に申し訳ありません。こんなごちゃごちゃした話ですが、見捨てずにお付き合いいただけると幸いです。
そしてエヴァンシェッド視点のお話はここまで、次からはヒロ視点(一応、生きてます)にもどりますので、彼のぼやき物語(笑)に再びお付き合い下さい。