第三十一話 天使たちの謀 其の一
背中に二対の翼がある。
それは天使にとっては、あって当たり前の存在。
あまりに当たり前すぎて、その存在の大切さを忘れてしまうほどに、その存在がなくなることなど、想像もつかないほどに・・・。
だが、俺は千年前の最果ての渓谷の戦いで、あの黒の一族に左翼を切り落とされ、その存在を失った。
まるで、自分の半身をなくす事に似た喪失感。
翼を失った俺には、同時にその心の中で、何かを失った。
その何かは、千年経った今でも分からない。
ただそれ以来、俺は何かに渇き続け、飢え続ける、空虚な燃えカスのようなものを、自分の中にもてあまし続けている。
しかし、もう二度と手に入ることなどないと思っていた、諦めていた翼が、偶然か運命か再び自分の元に戻ってきた。
俺は完全なる自分を、あの時の自分を、取り戻す機会を得たのだ。
ああ、これで心の中にある、飢え、渇き、空虚で、燃えカスみたいなものを消し去ることができる。
そう、思った。
・・・だが、それは違った。
翼が戻ったところで、俺の中の『それ』は何も変わりはしなかった。
変わらず、飢え、渇き、空虚で、燃えカスみたいな『それ』は、俺の中で燻り続けている。
翼さえ戻れば、全てが元通りになると思っていた俺は笑うしかなかった。
そして俺は自分の右手の人差し指に鈍く光る、玩具のように安っぽい指輪を見た。
こんなことなら、契約という危険を冒し、あんな下らない願いまで聞いてやって、翼を取り戻すことなどなかったのかもしれない。
『僕の願いは、唯一つ。僕の代わりに、ヒロちゃんを守って欲しい・・・それだけだ。』
それはあまりに稚拙で、醜くて、愚かなエゴの塊のような願い。
その願いを聞いただけで不快感で、虫唾がはしり、吐き気がして、鳥肌が立った。
・・・ただ、同時に飢え、渇き、空虚で、燃えカスみたいな『それ』に、一滴の水が落ちる水音が聞えたのだ。
ただ、それが俺には、永遠に砂漠を流離う旅人に与えられた、一滴の水にすら思われた。
第三十一話 天使たちの謀 其の一
俺は永遠とも思える長き時間を生きる、天使一族の長・万象の天使。
飛べない翼の天使という名が罷り通っているものの、本当の名前は別にある。
本来、片翼を失った俺を揶揄って、俺のことを気に入らない奴らが付けた通り名であったが、その名を気に入った俺が自分でそう名乗るようになり、気が付いたら本名みたいになっていた。
だから、片翼が戻ったこれからも、今更、名前を改める気はない。
・・・と、冷静なモノローグで始めてみたけど、飛べない翼の天使こと、俺は今非常に機嫌が悪かったりする。
「どうして、ここに呼ばれたか、分かっているか?」
その機嫌は顔には出していなかったけど、それは自分の声が酷く低くて、冷たいことが如実に示していた。
そして、俺がその声でもって話しかけているのは、深く頭を垂れる天空騎士団第零師団小団長・テルシー・ミルデスト。
天空騎士団は、第零から第五師団まで大きく分かれおり、それぞれの師団を支配している存在は別々で、同じ天空騎士団といえど、師団ごとに、それぞれは全く独立した存在である。
テルシー属する第零師団は、万象の天使、要するに俺が支配する師団であり、テルシーは俺が使役することができる天使だ。
その屈強で、がたいのいい天空騎士団第零師団に属するテルシーが、俺の声に体を小さくし、小刻みに震えてまでいるという状況は、俺の支配下にある天使とはいえ、あまりに珍妙で滑稽だった。
「・・・・いえ。」
その搾り出されるような声に、俺は片眉を上げた。
「いえ?」
聞き返す声にテルシーの体がびくりと震えるのに、俺は更に機嫌が悪くなるのを感じた。
「君は、私の自宮の法を知っているかな?」
我が自宮は、噂好きの天使たちには、俺がとっかえひっかえ愛人を連れ込んでいるのを揶揄って、『後宮』なんて呼ばれているようだが、特に名はない俺の唯一のプライベートな場所である。
天近き城内、いや、天使の領域内には、万象の天使である俺を知らない者など存在せず、それは等しく俺にはプライベートなどないことを示している。
だから俺は、自分が一人になれる、誰の視線にも晒されない場所の確保には力を入れた。
故に『法』というには仰々しいけど、天近き城において、不文律ともいえるルールーを俺は定めていた。
しかして、俺は今その自宮のリビングのソファに深く腰掛け、その正面に項垂れながら突っ立っているテルシーに、その不文律を問うていた。
「・・・。」
その問いにテルシーは、脂汗をかきながらも答えない。
しかし、城内の警護を任されている天空騎士団であり、ましてや俺の直属である第零師団に所属するテルシーが、その不文律を知らないはずもない。
「黙っていては分からない。知っているのか、それとも知らないのか?」
「・・・。」
なのに、なおもテルシーは俺の問いには答えない。
・・・いや、答えられないというのが正しいだろう。
テルシーは、それに答えれば自分の立場が、とても悪くなることを知っている。
だから、俺の問いには答えない。
だが、それが更に俺の機嫌と、状況を悪くしていることまでは気が回っていないらしい。
力を使って言うことを聞かせてもいいが、それでは俺の気がすみそうもないので、俺は質問ではなく、断定に言葉を変えた。
「『我が自宮には何人たりとも、私の許可なくば、入ることを禁ずる。』それが唯一にして、絶対のルールであることを、まさか我が第零師団の君が知らないわけはない。」
許可を与えているのは、俺の腹心である三大天使の面々と、ここの唯一の使用人として管理を任せているリリアナ、そして最近ではヒロとエンリッヒだけだ。(ヒロに関しては、許可もくそもないのだが)
「そして、俺は君に許可を与えた覚えはない。君はそのルールを破ったことになるな。ルールを破ったものには罰を与えなければならない。だから、私は君をここに呼んだのだよ。」
だが、その俺の言葉に、初めてテルシーが顔を上げた。
「し・・・しかし、それはエヴァンシェッド様を、あの黒の一族からお守りするためでした!」
「理由は問題ではない。」
縋りつく様なテルシーの言葉を、俺は一言で切って捨てた。
「私は君たちには、この宮の外の警備のみを命令したはずだ。にもかかわらず、君はこの宮に無許可で立ち入り、しかも、私が何があっても『守れ』、『逃がすな』と命令したヒロを殺そうとし、とり逃がした。この宮に入るなというルールを破っただけではない。君は三つも命令違反を犯したことになる。命令違反は厳罰に処するのが慣例だ。知っているだろう?」
天空騎士団は、それぞれの師団のその支配者である者、第零師団の場合は、すなわち俺が法。
誰も否とは言えないのだ。
そうして顔を真っ青にするテルシーに最後通告を突きつけ、彼を打ちのめし甚振ってやりながら、それでも色々なことを思い出し俺は忌々しい思いで一杯だった。
時間にすれば、数時間前。
今はもう夜が明けているが、真夜中といってもいい時刻。
情けないことに俺は、翼と交わした契約を履行するために、全ての不幸から守るために、この自宮に囲っていた黒の一族に昏倒させられた。
『囲っていた』という言い方は誤解を招くかもしれないが(実際に噂もされたようだが)、決して指一本触れておらず、本当にただこの宮で、不浄の大地では考えられない素晴しい生活をさせてやっていた。
しかしその相手に、とんだしっぺ返しを喰らったのだ。
全く、あの黒の一族・ヒロには面倒ばかりかけられる。
元はといえば、翼とあんな契約をした俺が愚かだった。
しかし、いくら後悔しても『契約』とは、違えることはできない絶対の約束。
違えれば、神の裁きを受けることとなる。
それは、たとえ万象の天使である俺とて、避けられるものではない。
だから、初め俺は手っ取り早く力を使い、ヒロを支配することにした。
ここでいう力とは、相手を支配する力、その行動も、思考も、感情も、全てを支配する力。
だから、その力によってヒロを支配さえしてしまえば、ヒロの元の感情など関係なく、永遠の幸せを与えてやることなど、簡単だと思ったのだ。
しかし、それはこの契約の証である指輪によって阻まれた。
すなわち、支配による幸せは契約違反ということだろう。
俺は面倒な仕事が増えたと思ったが、相手は不浄の大地で生きてきたアーシアン。
苦労と不幸だらけの人生であったことは、容易に想像できたので、本当にヒロを幸せだけに浸らせることなど、造作もないと楽観していた。
だから、ヒロが望むのがただ不浄の大地に帰ることだけだと言放った時は正直参った。
だって、わざわざ苦労と不幸しかない場所へ、どうして帰りたいと思う?
そんなこと許して、ヒロが苦労と不幸を背負ったりしたら、契約違反で俺は神の裁きを受けなければならない。
それはご免だった。
だから、エンリッヒに命じてヒロがここから逃げ出さぬよう監視を命じた。
ここでしばらく天国みたいな生活をしていれば、ヒロの気も変わるだろうと思ったし、何よりヒロを手元から逃がすわけにはいかなかったのだ。
何故なら、翼との契約により、ヒロは俺に神の裁きを下すことのできる存在になった訳である。
それは転じて、ヒロが俺の弱点ともなりえる存在になったといっても過言ではなかった。
現時点では契約の話は、契約を交わしたあの場にいたラインディルトしか知らない。
これでも、結構俺の周りには敵が多い。
その存在を多くに知らせるわけにはいかなかった。
故に監視は厳重に厳重を重ねることとし、それにあたり、エンリッヒはヒロと顔見知りだったようなので、サンタマリアの直属である第一師団の副師団長ではあるが、話し相手も兼ねるようにして宮に入ることも許可した。
だが、それ以外の天空騎士団は、通常通り宮の外での見張りしか許さなかったし、それで本来は十分だったのだ。
俺の油断でヒロに倒されるようなことさえなければ・・・。
あの地味で、無愛想で、堅物な黒の一族が、俺の求める完璧な『ーーー』でさえなければ、俺があんなに興奮して、隙を付かれることもなかった。
そこまで回想し終って俺は現実に自分を戻し、俺の前で土下座をせんばかりに平謝りするテルシーに意識を向けた。
「お許しください!黒の一族を逃がしたことは、ともかく!他は、決して私が命令したわけではないのです!『御宮へ入ること』も『黒の一族の殺害命令』も私の命令ではないんです!!!」
自分の言い訳のときばかり、口達者になるテルシーは、あまりにみっともない。
「私の命令ではない?あの時の責任者であるお前以外に、一体誰が命令を下すというんだ?」
「そ・・・それは・・・。」
俺の詰問にテルシーは言葉を濁す。
しかし、意を決したように再び口を開いた。
「で、でも、本当に私じゃないんです!だって、あの時私は持ち場を離れて、夜食をとっていました!」
「・・・何?」
しかし、目を覚ました俺にヒロを逃がし、庭園の森で見失ったと報告をしてきた団員の話では、それらの指示は全てテルシーが下していると聞いている。
「う、嘘じゃありません!確かに俺はあの時は持ち場を離れていました!!」
「下手ないい訳だ。もういい、下がれ。沙汰はおって知らせる。」
これ以上うっとうしい言葉を聞きたくなくて、俺はテルシーを下がらせようとしたが・・・
「エヴァンシェッド様。」
静かで、落ち着いた女の声が、俺を呼んぶ。
「サンタマリア。」
振り返った俺の視界に現れたのは我が腹心、三大天使の一人、明海の天使・サンタマリア。
数少ない自宮に入ることを許可した存在だ。
「おはようございます。今、少しだけよろしいでしょうか?」
俺がその姿を認めるとサンタマリアは俺に挨拶をしながらも、その永遠に開くことのない盲目の瞳でテルシーを見る。
しかし、それも一瞬で、すぐに彼女は瞼を閉じたまま笑みを浮かべた。
それに頷くと、俺は有無を言わせずに、何か言いたげなテルシーを宮から下げさせた。
サンタマリアは、神と契約せし天使の紅一点だが、どうにも華のない容姿をしている。
しかし、それを補って余りあるほどの能力・人の心を見抜く力を彼女は持っているのだ。
彼女にかかれば、テルシーの嘘など一目瞭然なーーー、
「華のない容姿で、すいませんね。」
・・・しかし、その力は俺とて例外ではないけどな。
俺はそれに苦笑したが、彼女はすぐに俺の欲しい情報を口にした。
「彼は嘘を言っていません。」
「そうか。」
俺が如何にテルシーを疑おうとも、彼女の見た真実に敵うはずもない。
テルシーが嘘をいっていない。
すなわち、昨日ヒロが逃げたときに、この場にいないというのが真実であるならば、
「そうなると、テルシーに成りすました誰かがこの宮に無断で入り、『ヒロを殺そうとした』ことになるな。」
宮の警護を任せてある第零師団には、『何があっても、ヒロを絶対に殺すな』と俺が命令をしていたのだ。
俺の命令がある以上、恐らくテルシーに成りすました者の命令がなければ、団員たちはヒロを殺そうなどとはしなかったに違いない。
「そうね。ヒロを殺そうとする相手に、心当たりはないの?」
サンタマリアは俺のエスコートに従って、ソファに収まり俺を見上げた。
その表情には俺の心を探ろうとする色が見えた。
彼女がヒロの、黒の一族の力を欲していたらしいことはエンリッヒから聞き出していたし、サンタマリア自身からも、ヒロを引き渡すように何度か言われていた。
しかし、契約のこともあり俺がヒロを渡すはずもなく、また、サンタマリアも俺にヒロを欲する理由を話そうとはしなかった。
俺は心を読まれないように、すぐに別のことを考えた。
サンタマリアの能力とて万能ではないらしい。
心の声を聞くにしても、やはり一番大きく聞えるは、記憶や深層心理下の部分ではなく、その人が意識して考えている、思考する表面層の部分なのだ。
だから、別のことを意識的に考えることで、サンタマリアに知られたくないことを、一時的だが隠すことはできるのだ。
「今のところは、全くない。」
俺が首を振ると、サンタマリアは俺が心を隠そうとしたことを察したのか、こちらを窺うような色を消して、悪戯っぽい表情を浮かべた。
「例えば貴方を恋偲ぶ誰かが、貴方の『男の愛人』を殺そうとしたのではくて?」
「まさか。」
くすくすと笑うサンタマリアに、俺もにこやかに微笑んだ。
正直、笑えない冗談だ。
「それより、ヒロの足取りはつかめたのかな?」
俺は話を変えた。
逃げたヒロを殺す勢いで追いかけたまではいいが、第零師団の団員たちは庭園の森の暗闇でヒロを見失った。
その追跡を情報収集能力では、右に出るものはいないといわれる第一師団副師団長にお願いしたのだ。
「あのいざって時に、役に立たないお宅の副師団長さんは?」
「おほほほほ。ほんっとに、役に立たない子で申し訳なかったわ。まさか、ヒロが逃げ出したときに、暢気に寝てるなんて!」
渇いた笑い声を上げる俺とサンタマリア。
そうなのだ。ヒロが逃げ出したあの時、こういう時のためにわざわざサンタマリアに頭を下げて貸してもらったエンリッヒであるが(まあ、サンタマリア側としてもヒロの様子を見るために、願ったり叶ったりの申し出だっただろうが)、奴はヒロに殴られて気を失ったまま部屋でのびていたのだ。
どいつも、こいつも本当に使えない。
「まあ、私が後でしっかり叱っておくから、許してあげてよ。」
そう言って笑うサンタマリアの後ろに黒い何かが見えた。
一見すると、無害そうな姿をしているサンタマリア。
ところがどっこい、本当はその羊の皮の下に、狼どころか、とてつもない怪物を隠していることを知っているのは、限られた人物だけだ。
エンリッヒがこの後どんな目にあうか、想像するだけで恐ろしいところだ。
「エヴァンシェッド。」
・・・、と俺もこれ以上の詮索はよしたほうがよさそうだ。
公では、俺の腹心として仕えてくれている彼女だが、その実は俺たち関係は絶対的な主従関係というよりは、互いに互いを利用しあう関係といったほうが、しっくりくる。
故に互いに隠し事や、互いに疚しい部分もないとは言わない。
まあ、俺もサンタマリアも天使一族の未来のためという、共通の目的がある以上は、互いに信頼はしていないが、信用はしている。
だから、ヒロの脱走で混乱する第零師団にかわり、サンタマリアとエンリッヒにヒロの行方を捜させることにも躊躇いはなかった。
「どうも、ヒロは落っこちたみたいよ。」
サンタマリアは簡潔に言った。
その言葉の意味するところを察して、俺は自分の表情が固くなるのを感じた。
「落ちた?まさか、天近き城層から?」
間違っていて欲しいと思ったが、サンタマリアは呆気なくそれに頷く。
「ええ。森の中でヒロの足跡を辿ったところ、森の外に向かってヒロの足跡が点々と残って、それから先は消えていたらしいわ。」
森の外は断崖絶壁、この下の層・喜ぶ天使の街層との高低差はおよそ1キロメートル。
翼の有る天使ならともかく、飛ぶことのできない人間のヒロには、絶対に助からない高さだ。
「まさか・・・。」
俺は無意識に契約の指輪を触った。
「ええ。ヒロは恐らく死んだ・・・というのが、エンリッヒの出した結論よ。私もそう思うわ。人間があの高さから落ちて生きているわけがないもの。念のため第一師団総出で城内を捜させたけど、ヒロは見付からなかったし、城から出た痕跡も見付からなかったわ。」
ヒロが死んだ・・・。
その可能性は、サンタマリアの報告を聞く限り、間違いないように思えた。
だが、それに素直に頷きたくない俺がいる。
「死体は、見付かったのか?」
一キロメートルの高さから人一人落ちたのだ。
真夜中とはいえ、騒ぎになっているはずだし、ヒロが死んだというのであれば、死体もすぐに見付かるだろう。
だが、その問いにサンタマリアは首を振った。
「どういうことだ?」
「それが、昨日の夜、ヒロが落ちたと思われる辺りで大きな火事があったのよ。」
「火事だと?」
「ええ、火事を見ていた野次馬から、何かが上空から落ちてきたという目撃証言は、エンリッヒが聞いてきているのだけれど、ヒロは炎の中に落ちたらしくて、焼け跡からは何の痕跡も見つけれなかったらしいわ。」
要するに死体も何もかもヒロという存在全てが、炎の中で燃えてしまったということか。
「・・・報告ご苦労だったな。」
出た声は、思いのほか沈んでいた。
「エヴァンシェッド?」
「今日はもう下がってくれ。夜はあまり寝れなかったんだ。今から一眠りする。」
サンタマリアは俺の様子に何かを感じ取ったようだが、これ以上は彼女に、心の中を見られたくなくて、俺はそう言うと立ち上がり、サンタマリアに背を向けると、リビングを出てすぐの寝室に逃げ込んだ。
ドアの外にサンタマリアの気配を感じたが、しばらくすると静かに立ち去った。
サンタマリアの気配を見送って、俺はずるずると扉にもたれかかった。
「ヒロ。」
名を呼んでも虚しいだけだったが、折角今から捕まえようとしていた相手が、呆気なく死んだと聞かせれれば、誰だって拍子抜けするだろう。
「折角見つけた『−−−』だったのにな。」
一人ごちながら、俺は右手の指輪を触った。
ヒロが死んだ以上、翼の契約も無効だな。
神の裁きが下らないところをみると、不幸と感じるまもなくヒロは死んだらしい。
不幸中の幸いだな。
そんなことを思いながら苦笑して、俺はふと違和感を感じた。
そうだ。
ヒロが死んだのであれば、契約は無効のはずだ。
俺は触っていた指輪を掴んで、指から外してみようと試みた。
いくら力をこめても、指輪は外れない。
その事実が示す意味は、契約が続行中であるということ、そして、それはすなわち・・・、
「ヒロは生きている。」
サンタマリアやエンリッヒの報告が足らないわけじゃない。
これはもう彼女らの常識よりも、ヒロのゴキブリ並の生命力のほうが一枚上手だということだろう。
思わず笑みが浮かんだ。
そうと分かれば、至急天使の領域にヒロがいるうちに見つけ出さなければ、不浄の大地に出られてからでは捜すのが面倒だ。
それと同時に、ヒロを殺そうとした犯人も見つけなければならない。
やることは山ほどある。
一眠りしている暇はない。
そう思い、急ぎ寝室を出たところ、リリアナと鉢合わせした。
「あ、エヴァンシェッド様。今ちょうどお呼びしようと思っていたんです。」
「どうかしたのか?」
リリアナの表情が固い。
何かあったようだ。
「今知らせの者が参りまして、今日の午後世界の円卓より、天使長様に提案したいことがあるので、お越し願いたい・・・と。」
リリアナの言葉に俺は瞳を細めた。
面倒が、また一つ増えたようだ。
エヴァンシェッド視点による、ヒロが逃走した後の様子です。
エヴァとの契約のことや、サンタマリアとのやり取りなど、ヒロ視点では分かりにくいところも彼の視点だと描きやすかったです。天使たちの間の陰謀が、少しは垣間見えたかと・・・。
しばらくは、エヴァンシェッド視点でお送りできたらと考えておりますので、よろしくお願いします。
あと、よく分からない用語が多いこの物語ですが、一応出るたびに説明を加えているつもりです。
しかしながら、繰り返し出てくる用語とか、忘れてしまったりするものも多いかもと、第一部まであらすじのところに用語の説明も加わりました。もし、分からないものがあったら参考にしてみてください。