第3話 永遠なる牢獄 2
私の生きる東方の楽園は死の世界だ・・・という話はしたと思う。
その理由としては、食べ物はあまりとれないし怪物豚を始めとした凶暴な生物が幅を利かせている弱肉強食の世界故だからというわけだが、それでも、それで人類すべてが絶滅するほどに厳しい世界というわけでもない。
この世界は決して人間を全て殺す訳じゃないが、決して人間を幸せにはしないただただ苦しめるだけの牢獄・・・私はそんな印象を持っている。
どうしてそんな中途半端に世界が人間に厳しいか?その理由は簡単だ。
―――それはこの世界に生きることそのものが、人間たちの贖罪だから
しかして、その贖罪の意味を辿ると人類誕生までに話を戻さないとならない。
二人の神が降り立ち世界には四つの大地に四つの種族が生まれた。そして、そんな世界の均衡を崩すように誕生した第五の種族である人間たち。
まあ、別に生きている分には問題なかったのだ。
神や他の種族だって、人間の生きる権利までは奪おうとはしなかった。
人間たちは他の種族の大地で肩身は狭かったかも知れないが、それはそれで恐らく今よりは幸福な生活を送っていたに違いない。
―――だが、人間たちはそれ以上の幸福を願ってしまった
そう、自分たちにも大地が欲しいと他の種族に戦いをしかけ、力づくで大地を奪おうとしたのだ。
しかし、五つの種族の中で唯一魔力も持たぬ、他の種族に比べ数が多いだけの非力な人間が神を始めとする四つの種族に敵うはずもない。
ただ、数が多いために人間すべてを粛清するのには時間と労力がかかるため、神は忠実なる僕として第六の種族・天使を生み出して人間たちと戦わせることにした。
そして、神の思惑どおり天使たちの活躍で人間たちは弱体化をしながら東方の楽園に追い詰められ、最後に神に逆らった罰として粛清を下されることとなる。
―――粛清の名は、終焉の宣告
神の名代たる天使の長・万象の天使によって発動されたそれは、美しかった東方の楽園を死の大地の覆う人間たちの牢獄へと変え、人間たちに未来永劫この生きているだけで苦しくて辛い、幸せになることのできない世界で生きることを強いられることとなった。
故に、ここで生きることは人間たちの神々への贖罪なのだ。
人間はいつ許されるとも知らず、この不浄の大地で苦しむことで永遠に神々に許しを請い続けている。
眩しい月が夜空の天辺に昇るのを、固い荒地の上で寝っ転がりながら私は何をするともなしに見ていた。
エヴァが怒りながら不貞寝をするのを宥め、野宿をするのを頑なに拒否するハクアリティスを説得しなければならなかった私は酷く疲れているはずなのだが、どうにも眠る気にならない。
そして、することもなくぼんやりと私は夜空を眺めていたのだが、野宿を説得したはずのハクアリティスが起き出した気配がしたので面倒だと思いながらも声をかけた。
「ハクアリティス。」
「何?」
「何って・・・、いや、急に起き出したから、どうしたかと思って。」
高圧的というか、明らかに私よりも上目線でいるハクアリティスと話すことに、私が違和感を感じるのは可笑しいことだろうか?
「別にどうもしないわ。野宿なんかしたことないから寝れないだけよ。エヴァはよくこんな固い地面の上で寝れるわね。私だったら、ありえない。」
そう言ってエヴァを見下ろす彼女の容姿は綺麗だと思うが、好感を持てそうもないと私は思った。
「それは申し訳なかったな。だが、こんな不浄の大地のど真ん中でベッドがあると思っている方が、私には『ありえない』けどな。」
女性相手だと思って彼女に対しては下手に出ていたつもりだったが、だからって彼女にこんな風に蔑まれる覚えもない。私は言葉に、明らかな皮肉を交えた。
「まあ、そうよね。そんなことは、言われなくても分かっているつもり。あれはわざとよ。わざと。」
「はあっ!?」
返ってきた悪びれない言葉に思わず、声が上がる。
「ほら、何?私の我儘相手にあなた達がどんな反応をするかで、この人たちに付いていくべきか、どうか決めようと思って。私って、綺麗じゃない?変な人に付いて行って、変なことでもされたら困るもの。」
「・・・。」
では、何か?この女は自分がいかに無茶なことを言っているか自覚したうえで、私たちが彼女に変なことをしない相手かどうか見極めるために、私たちの神経を逆なでするようなことを言ったと?
「・・・それで、君が今ここにいるってことは、私たちは君のお眼鏡に適ったということか?」
心底うんざりした声を出したと思ったが、ハクアリティスの方は気にした風でもなく、にこにこと私に笑いかける。
「ええ!私がどんなに無理難題言っても怒ってたみたいだけど、私を放りだしたり、暴力をふるったりはしなさそうだったもの。ヒロたちなら、きっと私を安全な場所まで連れてってくれるだろうなって思ったの。」
こんなことなら、女性一人で危ないからと怒りまくるエヴァを宥めて、彼女を次の街までは連れ行ってやろうなどと言わなければ良かった・・・、いや、まあ、そう思った所で、結局気の小さな私にはそんなことできやしないか。
しかして、妙な疲れた私の心を無視してハクアリティスは、何故だか私たちのことを聞きたがった。
「それより貴方達はずっと不浄の大地を旅しているっていってたけど、流離人ってやつなの?」
私と言えば声を出すにも何となく面倒で適当に頷いたのだが、それにたいしてテンションの高い声が上がる。
「嘘っ?本当に?こんな危ない場所を旅している人がいるなんて聞いてはいたけど、本当にいるのねぇ!!」
実際、私も既に亡くなっている私の家族しか同じ流離人を知らないが、だからってこんな珍獣みたいに言われるのは嬉しくない。
・・・無神経な女。彼女に対する認識が一つ追加された。
「私を珍しがっているみたいだが、私から見れば君の方がよほど珍しいと思うがな。」
私が流離人だというのに、異様に興奮している彼女を訝しみながら、私はそれに居心地の悪さを感じて話題を逸らせるために、億劫だが彼女に話しかけた。
そんな私をキョトンとした瞳で見返すハクアリティス。
「ベッドやデザートなんて言葉が出るくらいだ。君は『エンディミアン』だろ?」
私の言葉にぴくりと肩が動くのが分かった。
・・・やはりな
「ならば、むしろ色々聞きたいのは私の方だな。どうして、楽園の中で生きる権利を持つエンディミアンである君が、私たちアーシアンの世界である不浄の大地にいるんだ?」
私の言葉にハクアリティスは沈黙。しばし火が燃える音だけが静寂に響いた。
バレていなかったとでも、まさか思っていた訳ではあるまい。少なくとも私は、彼女を一目見た時から気が付いていたさ。
何せ、彼女はこの不浄の大地に生きるものにしては美しすぎた。
彼女は手入れの行き届いた亜麻色の長い髪に、澄んだ青い瞳は、伸びっぱなしの髪、荒れ果てた肌、生きるだけで精一杯の瞳という私とは同じ生き物とは思えなかった。(まあ、女性の彼女と男の私を比べるのもおかしな話だが)
何にしろ、不浄の大地に生きる人間の苦しさも、辛さも、悲しみも彼女からは感じられないのだ。
それに、彼女は『天使』という単語を口にしたのだ。『天使』と関わり合いのある人間は、この世界でエンディミアンだけ。
これで彼女がエンディミアンであると分からないのは、呑気で子供なエヴァくらいだろう。
そして、どれくらい、私と彼女は沈黙していたのだろう。それを破ったのは、彼女の微笑だった。
「やっぱり、ばれちゃうわよね。」
彼女が認めた瞬間に、私の心労は更にかさんだ。
理由はない。何となく、この事実を知ってしまったことで、色々と巻き込まれていくような予感がしたのだ。
そもそも、私が先ほどから何度も言っている『エンディミアン』とは何かと言えば、
―――それは神に許された人間
天使の粛清から逃れ得た人間の種類の呼称とでも言えば簡単だろうか?
過去に人間たちに下された神の怒り・終焉の宣告、それは楽園を不浄の大地へと変えた。
そして、同時にそれだけでなく神の意に従わなかった人間にも神は直接、罰を与えたのだ。
人間の内、半数は地獄の業火に焼かれて断末魔の叫びを上げて死に、残りの半数は地獄の苦しみを生涯その身に受け続け、生き続けた。 彼らは死にそうなほどの苦しみを受けながらも、自ら死ぬことも許されなかったという。
そして、そののちはこの不浄の大地という永遠の牢獄で、その子孫たちは今も神に贖罪をし続けている。
すなわち、そんな罪人である私たちのことを神は、永遠の罪人という意味のある『アーシアン』と呼んだ。
一方、実は人間全てが四つの種族に反旗を翻したわけではなく、たくさんの人間の中には神々に恐れをなして、すぐにその足元にひれ伏した人間たちもいた。
そして、無益な殺生を好まない神はそんな人間たちだけはアーシアンと同じようにはせず、 その人間たちを自分たちの配下とし、彼らには罪を問うことはしなかった。
更に彼らだけは神の僕たる天使とともに、この東方の楽園で唯一、終焉の宣告による不浄に犯されず、生命が息吹き続ける神が住まう都・天使の領域に暮らすことを許されたのだ。
アーシアンの私がその都のこと、そこに住まう人々のことを無論詳しく知るわけではないのだが、噂というか神話に近い話によると、都で人間たちは神の定めた法に従い神に懺悔と祈りを捧げ続けているという。
一度あることは二度あると、人間とは神を裏切るものだと思った神が、もう二度と過ちを犯さないために、人間たちに贖罪し続けることを強いたというのだ。
そして、彼らが贖罪をし続ける限り、神は彼らを許し続けるという。
なんだ、結局、神に従おうが従うまいが、人間とは神に許しを乞い続けなければならないのだと、私はそれを知って思ったことを今でも覚えている。
だが、死と隣り合わせの不浄の大地と、神の威光輝く、最後の楽園である天使の領域とでは、きっと地獄と天国ほどに違うに違いない。
そして、その楽園に暮らすのが、神に許された人間という意味の言葉である『エンディミアン』という名の、人間の種類という訳だ。
だが、お気づきだろうか、故に普通に考えて、二種類の人間は合間見えるはずがないのだ。
何せ、どう考えてみても、そんな楽園に住まう資格を与えられた人間が、わざわざこんな死の世界に足を踏み入れるわけがない。(ちなみに、その逆は色々あって不可能。それについては、また後ほど)
私も長いこと不浄の大地を旅してきたが、かつてエンディミアンという人種には出会ったことはないし、会ったことがあるというアーシアンに会ったこともない。
むしろ、ハクアリティスにこうして会うまでは、そんな楽園の住人なんて存在はあまりに現実味がなく、想像上の生き物と変わりなかった。
だって、私たちアーシアンから見れば、神に許されている人間なんて、どんな人間なんだろうと想像もつかないんだ。
だが、出会ってみれば、自分たちとは同じ姿形をしているのに、やはり一目で自分とは違うと感じることができるその存在。
ああ、やはりエンディミアンというのは、私たちアーシアンとは違うんだ。
そんな前から分かり切ったことを、このハクアリティスと向き合ってみて改めて感じてみたりして、だが、そこまで考えてやっぱり彼女がここにいる理由が私には全く分からない。
考えれば考えるほど、目の前のハクアリティスという存在に疑問と違和感ばかりが浮かんでいくのだ。
アーシアンは一生不浄の大地から出ることは叶わないし、エンディミアンもまた天使の領域で神に許され続けるために、祈りと懺悔をささげ続けなければならないのに、・・・どうして?
同じ人間なのにアーシアンの悲壮さも醜さも持たずして曖昧に微笑むこの別の生き物を前にして、私はただただ混乱の中にあった。
加筆・修正 08.4.12