第二十二話 死してなお君を守る 其の一
ヒロちゃん唯一の同行者こと、僕、エヴァは機嫌が悪かった。
熊男・アラシが僕とハクアリティスを拉致監禁し、ヒロちゃんを助けると安請け合いをしてから、一ヶ月以上の時が経った。
なのにあの熊野郎は、未だにヒロちゃんを連れてきてくれないし、僕をここから解放しようともしていない。
ただただ、僕を男だと思っていないのか、ハクアリティスと同じ部屋に僕を押し込めて、意味の無い気詰まりで窮屈な生活を、彼らは僕に強制し続けていたのだ。
第二十二話 死してなお君を守る 其の一
一ヶ月の間に、僕も手をこまねいているだけではなく、色々情報収集してみたんだ。
しかし、どうして僕を解放しないのか理由はわからないまま。
それにハクアリティスの正体(なんとこの女は、天使長である万象の天使の妻だった)と、僕らを監禁しているアーシアンが天使からの解放を望む集まりということは知ることができけど、それにも関わらずハクアリティスを使って何の行動もしている様子はない。
彼らの目的が見えてこなくて不安を感じないわけじゃないんだけど、それ以上を知るすべが僕にはないから仕方なかった。
まあ、暴力を受けるわけでも、食事を与えられないでもなく、至って普通、不浄の大地で暮らしているよりも、数段良い生活をさせてもらっていたりするのだから、ヒロちゃんが見たら贅沢を言うなとか怒られそうだけど、ヒロちゃんがいないという事実だけで、十二分に僕にとっては文句を言うに値するのだ。
そもそもこんなに長くヒロちゃんが傍にいなかったことなんてなかった。
きっと、だから、僕はこんなに不安に押しつぶされそうな気持ちになって、ここ最近、怖い夢まで見るようになったに違いない。
戻れ、戻れ、戻れ、戻れ、戻れ。
ヒロちゃんが僕の傍にいなくなってから、そんな声と白い手が、真っ暗な場所にいる僕を白い光の法へ連れて行こうとする悪夢を毎晩見るようになった。
普通なら真っ暗な場所にいるほうが悪夢で、白い光のほうへ、明るいほうへ行きたいと思うはずなのに、何故だか夢の中で僕はその白い光が怖くて仕方がなくて、ただ必死で逃げるのだ。
しかも日が経つにつれて、次第にその手の力が強くなっているのか、はたまた僕が弱くなっているのか、僕は少しずつ白い光のほう着実に近づいていた。
夢の声の主は、僕にどこに戻れというのだろうか。
もしかしたら、その先に僕が失った記憶とかが、あるかもしれないと思ったこともあったのだが、ただ本能的な直感で僕はあの白い光が怖いと思ったのだ。
まるで、自分が自分でなくなるような、あの光を感じると、夢の中で僕はそんな錯覚さえ覚えた。
まあ、僕の話はこれくらいにしておいて、ハクアリティスの様子も一応報告しておくと、あの女のふてぶてしさは、大したものだとムカつくを通り越して、僕は呆れるしかなかった。
監禁されている身の癖に、捕らえている人間たちが自分に対して逆らわない臭いを嗅ぎ付けると、食べ物はもちろん、室内の内装や服装までに文句をつけ、実際に実行させていた。
そんなありえない我儘にも、何故だかここの人間たちはが愛想良く答えるものだから、たちが悪い。
恐らく、ハクアリティスがここで、一番怖がっているのは、ずっと一緒にいるのに未だに殆ど彼女と口を利こうとしない、同じ捕らわれの立場である僕ではないかと思う。
最初は嫌な女とか、ムカつくとか、彼女に対して色々な感情を持っていた僕だけど、もう彼女に対しては、自分の感情を動かすことすら面倒になって、ハクアリティスに対してはいないものとして僕は監禁生活を送っていた。
でも、そんな監禁されているという事実以外は、いたって平和な毎日に終止符が打たれる時は、ある日突然やってきた。
僕はその日、あの悪夢であの白い光の中で、初めて『戻れ』とは違う言葉を聞いた。
『お帰り、俺のーーー。』
でも夢から覚めてみると、僕はあの冷たい声が発した言葉を確かに聞いたはずなのに、ついぞ思い出すことはできなかった。
そんな夢見がすっきりとしない日の(悪夢にこういう言い方をするのも、変な話だけど)午前、僕とハクアリティスが監禁されているとは名ばかりの場所に、見知らぬ来訪者が来たのだ。
「あっ。エンシッダ!やっときたのね!」
短いノックの後、部屋に入ってきたのは、アラシと見たとこのない男女二人だった。
ハクアリティスはその現れた見知らぬ男を認めて、今まで見たことのないくらい明るい顔で破顔した。
この男が来て当然とでも言いた気な、ハクアリティスの言葉に僕は目を細めた。
「もう!計画がめちゃくちゃよ!!どうしてあたしが不浄の大地に放り出されたとき、すぐに助けに、来てくれなかったのよ!おかげで天使に襲われたのよぉ!本当に、これで、あの方の心を取り戻すことができるんでしょうね?」
この女は、一体何を言っている?
ハクアリティスの言葉に、冷静になれと呟く自分を振り切って、頭の中が沸騰するような感覚が僕を支配しようとしていた。
「心配はございません、ハクアリティス様。しかし、貴女様が姿を消して、万象の天使は、それはそれは心配なさっている様子。もう少しだけご辛抱されれば、いなくなって初めて気が付いた貴女様の大切さに気が付いた万象の天使は、前より更に貴女様に夢中になられることでしょう。」
そう言って、ハクアリティスの前に跪くエンシッダといわれた男は、年の頃なら20代後半くらいに見える、白い歯がまぶしい笑顔の素敵な好青年という感じだった。
そのエンシッダの影のように控えているのは、まだ少女といっても過言ではない、あどけなさの残る美少女。
しかし、一点の表情すら見えないその様子は、さながら人形のように見えた。
そして、この二人を連れて来ただろうアラシが、目の前の状況を何の疑問もなく見つめている様子を見て、僕は我慢ができなくなって口を開いた。
「ハクアリティス、どういうことだ?」
僕はともかく、少なくともヒロちゃんは信じていた。
このハクアリティスの言っていることを、全て信じてた。
だからこそ、僕らを逃がし、一人で天使と戦うことを決めた。
なのに、今の会話から導き出された僕の想像が正しければ、この女は・・・。
今の僕は相当凶悪な顔をしているだろうなという自覚があった、ハクアリティスは一瞬僕に怯えるような表情こそ浮かべたが、すぐに自分の味方が現れたからか、いやに強気な顔で僕の顔を見返してきた。
そして、尊大にのたまったのだ。
「聞いた通りだけど?」
それは僕の想像が当たっているということ・・・、目の前が真っ赤になるのを感じた。
「聞いたとおり?僕には、お前が夫の興味を引くために、わざわざ不浄の大地に狂言家出でもしたみたいに聞えたけど?しかも、ここにいるやつらもグルで。」
怒りやら動揺やら、色々な感情で声が震えるのを感じた。
しかし、そういった感情を我慢していた僕の箍を、ハクアリティスは簡単にはずした。
「あら?よく分かってるじゃない。そうよ、本当はあたし天使の領域から直行でここに来る予定だったのよ。なのに、ちょっとした手違いがあって、あたしは一人不浄の大地に放り出された。でも、貴方とヒロのおかげで助かった上に、天使から逃げるっていうイベントまで発生したおかげで、あたしの脱走もさぞ信憑性のあるものになったことでしょう。そういう意味では、貴方たちには感謝しているわ。」
僕の座っていた椅子が、倒れる音が遠くで聞えた。
言葉の意味を理解する前に、僕は衝動のままにハクアリティスに殴りかかろうとした。
「はなせ!」
しかし、図体のわりに俊敏なアラシに背後から取り押さえられた。
「エヴァッ・・・!やめろ!」
「どうして、止める?!この女はっ!女はっ!」
手足をばたつかせて、力の限りアラシから逃れようと、僕は暴れた。
だって、こんな裏切りが許されるというのか?
僕はいいんだ。
でもヒロちゃんは、こんなあまりに身勝手で醜悪な我儘のために、命を張って天使と戦い、今も天使にどんな目にあわされているのか。
しかし、僕が力の限り暴れたところで、僕よりも、はるかに横にも縦にも大きなアラシに押さえ込まれては、ハクアリティスに手も足も出せないのは、当然のことだった。
そんな僕の様子をせせら笑うように、ハクアリティスは言った。
「ふんっ。アラシも、ここにいるアーシアンたちも、あたしには逆らえないのよ?あんた、一ヶ月間も、ここにあたしと一緒にいて、そんなこともわからなかったの?それに、あたしは助けてくれなんて、頼んじゃいないわ!ヒロが勝手にやって、勝手に天使に捕まっただけじゃない!それを、あたしのせいにするなんて逆恨みも、いいとこよ!」
「〜〜〜っ!」
僕は悔しさやら、怒りやら、もう何が何だか分からないほど感情がごちゃごちゃになって、それ以上言葉でず、ハクアリティスを睨みつけるしかなかった。
しかし、エンシッダのよく通る声が僕らの睨み合いの中に割って入った。
「ハクアリティス様。私が言ったことを、お守りにならなかったのですか?私はこの一ヶ月の間に、そのエヴァと仲良くしていただくようお願いしていたはずです。一体、何のために同じ部屋に監禁したと思っておいでですか?」
「?」
どう見ても、険悪な関係にしかみえない僕とハクアリティスを見て口を挟んだらしいが、どういう意味だ?
僕は沸騰する頭の中でも、頭の隅ではそんな風に冷静に考えていた。
この一ヶ月、僕とハクアリティスを同じ部屋に監禁していたことに。何か意味があるのか?
それは、ハクアリティスに意味があるのか、それとも僕に意味が・・・・?
「・・、それは、ごめん。だって、あの子、あたしがどんなに打ち解けようとしても、全然反応ないんだもん。」
とハクアリティスは、エンシッダに対して自分が如何に愛らしく、美しく見えるか、計算された表情と仕草で謝っているのか、いい訳をしているのか分からないようなことを言った。
「そうですか。それは仕方ありませんね。」
しかし、そんなハクアリティスの態度に、エンシッダは全く気を悪くした様子もなく、彼女に微笑みかけた。
ハクアリティスも、それに安心してエンシッダに甘えるようにしなだれかかる。
こんな状況を見せ付けられればハクアリティスが、この男を全面的に信頼していることは、馬鹿でも分かった。
ただハクアリティスには見えなかったろうが、じっと二人を睨みつけていた僕は見た。
エンシッダが一瞬だけ、酷く冷たい、底が見えない色の瞳でハクアリティスを見ているのを、
その表情にはハクアリティスに対する何の感情も見えなくて、僕は好青年然としている彼に違和感を覚えた。
しかし、エンシッダはすぐに好青年の彼に戻ると、ハクアリティスをやんわりと自分から引き剥がし、優しく彼女を諭すように呟いた。
「申し訳ありません。もう少しこちらにいたいのは、山々なのですが、僕は彼を迎えに着ただけなので、すぐに失礼しなくてはなりません。」
といって、僕のほうを見た。
「え〜?エヴァなんかに何の用があるのよ?」
しかして、僕を迎えに来たというエンシッダに不満げを上げるハクアリティス。
だが、エンシッダはその問いには答えなかった。
「ハクアリティス様には、もう少しだけこちらで我慢をして頂くことになりますが、その先には必ず貴女様の望む幸せが待っていますから。ね。」
ハクアリティスに囁かれた甘い言葉。まるで恋人にでも対するように甘い笑顔。
彼女はそんなエンシッダに、操られるように大人しく一つ頷いた。
我儘な彼女をこんな簡単に説き伏せるとは、大した手腕である。
そうして、エンシッダに促され、暴れたまま僕はアラシに取り押さえられ、ハクアリティスを睨みつけながら部屋を出された。
ただ、最後に僕たちを見送る心もとなそうなハクアリティスの表情を見て、ふいにもしヒロちゃんだったら、こんな状況でも彼女は単に強がっているだけなのだろうなんて、考えるんだろうなと想像できて、少し笑ったらエンシッダがそれを目ざとく見ていてた。
「何がそんなに楽しいのかな、エヴァ?」
一分の隙もない笑顔だった。
しかし、さっきの違和感を忘れられない僕は、その笑みに騙されないぞ。
「僕をどうするつもりだよ。似非笑顔。」
「似非・・・?」
僕のよく分からない罵りに、エンシッダはキョトンとした表情を浮かべ、僕を拘束したままのアラシは焦ったように僕の口を手でふさいだ。
「ば・・、お前、エンシッダ様に何を・・・イダ!」
すぐさまその手のひらに噛み付いてやる。
「何するんだよ。この熊男!大体、ヒロちゃんを助けてくれるとか、言ったくせに!僕を何処に連れてこうって言うんだ!」
人気のない廊下に僕の怒号が響く。
「う・・うるさい。状況が変わったんだよ。そ、それに、お前のことは俺だって・・・。」
気のいい男は嘘をつけない。
僕をどうするかは、彼の視線の先にいる、僕のことを面白そうに見ているエンシッダのみが知るというわけだ。
「中々威勢がいいなぁ。それにしても、似非笑顔なんて、中々的を得た言葉じゃないか、気に入ったよ。」
そう言ったエンシッダは、先ほどとは180度違う顔を持つ冷徹な表情を浮かべる、寒気さえ感じるくらい鋭い男に変わっていた。
ほら見ろ、やっぱり何か似非臭いと思ったんだ。
「全く、天使やエンディミアンも簡単に騙せる笑顔なのに・・・。だから、子供は嫌なんだ。」
そう言って、アラシに拘束されて、身動きが取れない僕の髪の毛を乱暴に掴んでエンシッダは僕の顔を覗き込んだ。
「ふーん。顔はあいつの面影は全くないんだな。まあ、気配は殆ど同じだから、間違いないと思うけど。」
「?」
「ああ、自分が何者か、やっぱり自覚はないんだな。そりゃそうか、もしあったら自力で戻ってきてるよな。」
エンシッダの言葉に、心臓がドクンと鳴った。
熱くなっていた体温が急速に冷めるのを感じた。
「おかげで、とんだ二度手間を踏む羽目になったけど、まあいいよ。君という存在が戻ることで、やっと全てが動き出すんだから。」
「・・・僕のこと知っているの?」
呆然と呟いた僕に、獲物を見つけた獣のようにエンシッダ瞳を光らせた。
エンシッダの瞳の奥にある深い闇が見えた。
深い、何処までも底のない深い・・・。
その闇に吸い込まれそうになりながら、僕の本能は『この男はいけない。』と警鐘を頭の中でならしていた。
でも・・・。
「ああ、よおく、知っているよ?君も自分のこと、知りたいだろう?教えてあげようか?」
そう耳元に息を吹き込まれるかのように呟かれた言葉が、まるで呪文のように僕の判断能力を奪っていく。
「う・・・ん。」
この男の言葉に頷いてはいけないと思っているのに、体がいうことをきいてくれず、エンシッダに魅入られたように力なく頷いたのだ。
確かに自分のことを、知りたいと思う気持ちはある。
でも、この男はいけない。
僕はあの夢の中の、白い光に覚える恐怖に似たものを彼に感じていた。
このままじゃ、僕が僕でなくなる。
そう思った瞬間に、先ほどまで思い出せなかった夢の中の言葉が頭の中で再び響いた。
『お帰り、僕の翼。』
声と共に、見たことのない情景が次々に頭の中に映し出された。
激しい羽音。
鳴り止まぬ剣戟の音。
世界を揺るがす雄たけびと、悲鳴。
断末魔の叫びのような、呪の言葉。
そして、孤独を嘆く女性のすすり泣く音・・・・。
ああ、そうだった。
僕は、全部思い出した。いや、思い出したというのはおかしいか、僕は気付いたんだ。
僕は、僕はあの人の翼。
そして、僕は戻らないと、還らないといけないのだ。
「全部、思い出したようだね。では、行こうかエヴァ。あの方の元へ。」
そう言って、エンシッダがアラシの拘束を解いて、僕に手を伸ばした。
そして、僕はその手をとった。
そのときの僕は、ハクアリティスへの怒りも、ヒロちゃんへの思慕も、感じていた恐怖も、全てを忘れて、ただ、あの人の元へ還ることしか頭になかった。
エヴァ視点でお送りしましたが、いきなり急展開となりました。
裏切りのハクアリティス、謎の男エンシッダ(ちなみにこの人の名前はヒロ視点のほうで、一度出てきます)、そして記憶を取り戻したエヴァ。
物語はエヴァを視点に、一部のクライマックスに近づきつつあります。果たしてエヴァの正体はいかに?次回もエヴァ視点で、少し長めでお送りします。