第二十一話 天使が語るは嘘か真か 其の四
「黒き神が残した遺産?」
聞き返す私に、サンタマリアは微笑んだ。
黒き神。
聞き覚えのない言葉だった。
そもそもこの世界に神は一人しかいないはずだ。
人間に粛清を下すことを天使に命じた白き神・イヌス・ニルヴァーナ。それが、この東方の楽園にあるただ一つの神の名だ。
では、黒き神。
神の名を持つ、それは一体何者だというのだろう。
そう思った瞬間に、私が握る黒の剣がざわつくような感覚がした。
黒の剣、お前はその神の名を知っているのか?
第二十一話 天使が語るは嘘か真か 其の四
「そう。確かに東方の楽園には、白き神という唯一神しかいないわ。」
背中に悪寒が走った。
サンタマリアは私のぼんやりとした感情じゃないない、彼女はその思考まで正確に見通している。
『心の中を見る能力』、はったりかとも思ったが、どれほどのものかは定かではないが、これだけ正確に言い当てられては、認めざるを得ないであろう。
しかし、恐らく私がそんなことを考えていることなど百も承知だろうに、サンタマリアはそんなこと全く気が付かないように言葉を続けた。
「でも、はるか昔、一千年以上前には、白き神以外にも多くの神がこの世界にはいた。」
一千年以上前といえば、終焉の宣告が下される前、千年戦争が繰り返されていた神話の時代である。
しかし、永遠を生き続ける天使には、それも過去の話というわけである。
「そう、私はそんな神々が生きる時代も生きていたの。」
また心の中を見られた。
「では、どうして今は白き神しか世界にはいない。」
私は白き神すら見たこともないのが、サンタマリアの話では白き神はこの世界に確かにいるらしい。
しかし天使とて生き続ける時を、他の神が生き続けれない道理はないだろう。
「それはね単純な話よ。ヒロ。」
私の質問に答えるサンタマリアは、急に表情が明るくなり、楽しい内緒話をするように弾んだ声になった。
「白き神以外の神がみんな死んでしまったから。だから、この世界にはあの女神しかいないの。」
「し・・・んだ、神がか?」
「ええ。神だって生き者なの。私たちと同様、不老不死でも心臓を衝かれたり、首を絞められれば死ぬのよ。」
言っている言葉の意味が分からない私に、サンタマリアは酷くにこやかに言葉を続けた。
「だから、神がいないってことは、誰かが殺して回ったということ。その名は黒き神・ウ・ダイ。神殺し、同族殺しの神よ。」
黒き神ウ・ダイ。
その名を聞いた瞬間、黒の剣がそれに反応するように熱を持つのを感じた。
今まで、黒の剣が私に何かを訴えようとする不思議な感覚に捕らわれたことは、何度かあった。
でも、こんなに如実な反応は初めてだった。
「じゃあ、黒の武器というのは、貴女が言う神殺しの神の遺産・・・というわけか?どうしてそんな大それたものをアーシアンの私が持っている?天使がそんなものの力を、どうして欲する?」
手に焼けるように熱い黒の剣を感じながら、私はサンタマリアを睨みつけた。
そうして虚勢でも張っていないと、この羊の皮をかぶった化物の前で話すことすらできない気がした。
「まあまあ、話を急がないで、物事には順序と言うものがあるでしょ?」
私がどれほど虚勢を張っても、怯える私の心の中が見えているサンタマリアには何の意味もない。
彼女は変わらない調子のまま言葉を続けるだけだった。
「そもそも、どうして黒き神が神々を殺すという凶行に走ったかと言えば。それは本来、世界に対して干渉しないことを、暗黙の了解としていた神々の掟を破った黒き神が、人間にその力を与えたことがすべての始まりだった。その結果、神の力を手に入れた人間たちは、私利私欲のために、力によって世界を支配し、他の種族を侵略し、大きな戦争を始めた。それが千年戦争の始まり・・・といわれているわ。」
千年戦争の始まりは、人間たちの戦いだと伝えられてきた。
その裏に神の力が介在しているなど、誰しも想像したこともなかっただろう。
何故なら黒き神の存在など、人間たちの歴史には記されてはいなかったから。
そこまで考えて、ふいに違和感を覚えた。
それは、自然に忘れ去られたのか、それとも、誰かが故意にそうしたのか?
しかし、私の違和感に誰も答えることなく、サンタマリアの長い話は続いた。
「他の神々は黒き神のそんな所業を許すはずもなく、彼を封印して、人間たちからも与えられた力を取り上げることにしたの。殆どの人間たちからは、力を取り上げることに成功したわ。でも、まだ残っていた黒き神の力を有した7人の人間たちが、神々に刃向かい黒き神を助け出したのよ。自分を封印しようとした神々を恨んだ黒き神は、自分を助けた7人の人間たち、後に黒の一族と呼ばれる人間の一族と共に、神々に復讐することを誓ったの。」
そこまで言い終り、喉が渇いたのかサンタマリアは、もう湯気の立っていないお茶に口をつけた。
「黒き神たちの復讐は壮絶なものだった。神々だけではない、それは自分を認めようとしない世界全体に対する復讐だった。人間たちの狂気を煽り、下火になりかけていた千年戦争を再び焚きつけた。そしてその混乱に乗じ、神々を殺して回ったの。さて、そうして気が付けば残った神は、白き神だけになっていた。」
長い話はあまりに壮大すぎる物語で、私は全くリアリティを感じなかった。
聞いていても、いつの間にか寝物語でも聞いている気分になっている自分がいた。
「でも、困ったことに白き神と黒き神、二人は神の中でも二人だけの最高位の神だった。力は同等くらいだったけど、戦闘においてその力を強く発揮するのは、男神である黒き神なのは周知の事実。だから、白き神は自分を守る騎士を作ることにしたの。それが天使。白き神は私たち天使に、神の力を与え黒き神と黒の一族の討伐を命じたの。それが、最果ての渓谷の戦い。これは聞いたことくらいあるんじゃないかしら?」
「ああ。千年戦争の最後の戦い・・・、天使に対抗する力を持つ一族と人間を、天使たちが討伐に向かった戦い。」
私がそう答えると、よく答えましたと、サンタマリアが陽気に拍手をした。
「そう神話では、そう伝えられているけど、その実は天使が白き神を守るために、黒き神と黒の一族を殲滅するための戦いだった。私も戦ったわ。私たち天使は苦戦を強いられたわ、だって相手は神だもの。そして、私たちは最後の賭けに出た。」
「賭け?」
「そう、神の力ですら制御できない滅びの力、終焉の宣告。その力をもっても、神を殺すことは、神ではない天使は不可能だけれど、私たちは黒の神と黒の一族を捕らえ、白き神の御前に差し出すことができた。」
サンタマリアの話を聞く限り、終焉の宣告が、人間たちへの粛清ではなく、神々の戦いの末路であるように聞えた。
そう思った瞬間に、サンタマリアが口を挟んだ。
「まあ、実質的には神々の戦いが引き金だけど、黒き神に煽られたたとはいえ、千年戦争をしていたのは、人間だと言うのは確かよ。人間たちも、黒き神たち同様罰は受けなくてはならなかったのよ。」
その言葉に若干の言い訳の色を感じたのは、私の錯覚だったのだろうか。
「さあ、続きを話しましょう。」
そう言って話を逸らしたサンタマリアの言葉を、簡単に鵜呑みにしてしまって私はそれでいいのだろうかと思ったが、口は出さなかった。
言わずともサンタマリアは分かっているのだ。今何も言わないと言うことは、口にしたところで何も答えてくれまい。
「そして黒き神と黒の一族は、白き神にひれ伏した。私はきっと白き神が彼らを処刑すると思ってた。でも、白き神は慈悲の心を持って、彼らを殺すことはしなかった。そして黒き神をその力で永遠の苦しみの中に封印し、黒の一族を東方の楽園から追放したの。そして彼らからは、与えられてた神の力であった黒の武器を取り上げて・・・ね。」
私は自分の手の中にある熱を持ち続けている黒の剣を、まじまじと見つめた。
「そう、その剣は黒き神の力そのもの。天使は、その力を取り上げると二度と、その力が悪用されることのないように不浄の大地に封印したの。まあ、長い歳月を経て、その封印は解かれてしまったようだけどね。」
サンタマリアはそこで言葉を切った。
長々と話していた疲れは見えないが、小さく息を吐く音が聞えた。
その沈黙に乗じて、サンタマリアには駄々漏れであろうとも私は考えを纏めようとした。そうしないと落ち着かなかった。
人間たちが知らされることのなかった、神と天使と人間の戦い。
黒の武器の正体。
しかし、はたしてそれをそのまま信じていいものだろうか。
それにこんなに話を聞いても、サンタマリアが私に求めていることは分からないままだし、私の質問の答えにもなっていない。
「サンタマリア、さっき私を黒の一族の末裔・・・と言っていただろ?それって結局どういうことだ?確かに私は黒の武器をもっいるのかもしれないが、だからって、黒の一族は東方の楽園を追放されたんだろう?それに黒の武器の正体については理解したが、貴女がこの力を求める理由はまだ聞いていない。」
「分かっているわ。・・・リンズ。」
問いの答えを急ぐ私に対して、サンタマリアは余裕綽々で、お茶のお変わりを求めた。
リンズのお茶を用意する音だけが部屋に響く。
そういえばと、しばらくエンリッヒもシャオンも口を開いていなかったことに気が付いて、私は二人を見やった。
そこにはエンリッヒの実家にいたときに彼らではなく、三大天使の前で僅かに緊張した面持ちの二人がいた。
同じ天使でも、こうして本来ならば話しかけられなければ口を開くことも許されない相手に、どうしてアーシアンの私が口を利いているのだろうと、おかしくなって私は心の中だけで僅かに笑った。
「さて、どうして、あなたが黒の一族の末裔かという話だけど。それは簡単よ、貴方がその黒の武器を扱うことができるから。その武器はね、黒の神に忠誠を誓った黒の一族の血を引く者にしか使うことができない品物なの。」
「だったら、おかしいだろ?追放された、東方の楽園にいないはずの一族がどうして?」
「黒の一族を追いやったのは結界を挟んだ隣の世界・西方の魔境と言う名の大地だった。ヒロには分からないかもしれないけど、世界と言うものは東方の楽園だけが全てじゃない。同じような大地がいくつも折り重なって形成され、強い結界同士で、互いに干渉しないようになっているの。西方の魔境も、その一つだった。」
世界が一つでないと言うのは聞いたことがあった。
世界はそれぞれが、世界の果てによって区切られ、その先には別世界が広がっていると言う伝説があった。
「結界は簡単に通り抜けられるものではないけど、追放することができるのならば、きっと戻ることもできるはずだ。彼らはそう思ったんでしょうね。危険を冒してまで彼らは、故郷に帰るため、そして黒き神を解放するために東方の楽園に戻ったのよ。まあ、全員が戻ってこれたわけじゃないらしいけど。」
危険を冒してまで、彼らは故郷に帰って着たかったのだろうか。それとも、神や天使に復讐をしたかったのだろうか。
ふいに、彼らのことを想った。
「そして、東方の楽園の全てが白き神と天使によって、支配されているとわかると、黒の武器を失い、仲間とも散り散りになった自分たちだけでは、黒の神を解放できないと悟った彼らは、黒の武器を求めて不浄の大地を流離うようになったの。すなわち、それが貴方たち流離人の始まりというわけよ。」
ご先祖様が流離い求めたのは、黒の武器だというのであれば、黒の剣を手にした私はもう流離いの目的を達したと言うことなのだろうか。
では、未だにどこかに生きたい、何かを求め続けている私の心は・・・。
サンタマリアの言葉に、自分の存在意義さえ揺さぶられてた私は混乱したが、サンタマリアは話を続けた。
「そして、長い時間をかけ貴方のご先祖様は黒の武器を取り戻し、神の力をいつか黒の神を助けるときのために受け継がせた。でも、貴方の血統は、その力の意味を、その記憶もその想いと共に、忘れ去ってしまったようね。でも、忘れていない黒の一族の血統もいるのよ。」
サンタマリアの声が低くなった気がした。
「これでやっと本題には入れるわね。」
そういいながら、サンタマリアは改めて私に向き直った。
「貴方と同じ、でも先祖の記憶も想いも、そして黒の武器を取り戻した黒の一族の末裔が、今、天使に反旗を翻そうとしているの。その動きは東方の楽園だけではない、西方の魔境の血統たちも、長い年月をかけて結界を通り抜ける方法を編み出し、天使に、東方の楽園そのものに、牙を向こうとしているの。」
その先は心の中が見えなくても何となく分かった。
「私にそのほかの黒の一族と戦え、力を貸せと言うのか?」
そうでなくては、わざわざ三大天使が直々に私に物を頼むはずもない。
いや、神殺しの力を持つかもしれない私に対しては、三大天使くらいしか対峙しようという気が起きなかったのかもしれない。
だが、そんな御伽噺みたいなことが真実なのか。
それに、もう一つはっきりさせておきたい事があった。
「大体、長々と話はきいたが、黒の剣が本当にその黒の武器という確証があるのか?」
しかし、私の2つの問いにサンタマリアは笑顔を崩さなかった。
「さすが話が早くて助かるわ。はじめにも言ったでしょう?私は貴方に信用してもらい、そして私たちに協力して欲しいの。心配せずとも、その剣は間違いなく黒の武器よ。私は実際に当時の実物を見たことがあるし、その剣が放つその魔力を絶対に忘れないわ。」
サンタマリアは可笑しなくらいにはっきりと言い切った。
そして、私はその開かない瞼の下から強い視線を感じた。
「貴方もこの城の物々しさを感じるでしょう?最近、黒の一族による天使殺しが、いくつかあったの。それに恐れをなした私たちは、黒の一族が襲ってくるかもしれないから、最近警備を強化したのよ。私が言うことでもないけれど、黒の武器相手では、正直平和ボケした若い天使たちでは全く相手にならないわ。エンリッヒは運が良かったとしかいいようがないわね。」
「あははは。いやいや、これでもえらい目にあったんですよ?」
サンタマリアに笑って返すエンリッヒであるが、多分脳裏にはあの最後の黒の剣の異様な姿が思い出されているだろう。
「それに、万が一にも貴方をはじめ黒の一族が黒の武器を7つ揃えたりしたら、私たちは再び終焉の宣告を発動させなければならない。そうなれば、世界は今の不浄の大地どころじゃないくらい死の世界が待っている。」
今の不浄の大地より酷い世界・死の世界。
考えたくない世界だ。
「でも、それくらい、黒の一族と黒の武器は私たちにとっては脅威なのよ。だからこそ、私たちに対する恨みつらみを忘れた貴方に、私は協力を求めたいの。もう二度と終焉の宣告を発動させなにためにも、東方の楽園に生きる全てのものを守るためににも。」
「・・・。」
世界のためと言われても、話が大きすぎていまいち実感がわかない話である。
それにどんなに真面目に話を聞いた頃で、どこかあまりに現実味のない話に真剣に考えられない自分がいるのも確かだった。
それに、腑に落ちない点もある。
一方的にサンタマリアの話を聞くだけでは、あまりに私自身が持つ情報が少なすぎた。
「少し、考えさせてはもらえないだろうか。」
そんな私が言えた言葉はそれだけだった。
「それは考える余地があるということかしら?」
「・・・。」
それには答えなかったが、サンタマリアには私の心などお見通しであろう。
ただ、混乱する私の頭では今はまともなことは考えられないし、心を見るサンタマリアが言う場所ではおちおち考え事もできない。
サンタマリアは無表情のまま私の顔を閉じた瞼の奥からじっと見つめた後、笑顔を私に見せた。
「わかりました。では良いお返事をお待ちしてるわ。それにしても、長い話で体が固まってしまったわね。一緒に散歩でもしない?」
「・・・ええ。」
断る理由もなかったので、サンタマリアの提案に乗ったが、呆気なく引き下がったサンタマリアに私は少しだけ違和感を感じた。
そしてリンズがサンタマリアをエスコートする後に続き、開け放たれた扉から庭に出た私は、一瞬その眩しさに目がくらんだ。
そして、眩しいと考えて目を細めるより先に、私は熱い何かが自分を貫いたのを感じた。
「・・・ガッ。」
私は黒い槍に、腹部を深々と貫かれていた。
エンリッヒとシャオンの声が遠くで私の名を呼ぶのが聞えた。
そして、聖母のように微笑むサンタマリアを見た。
・・・まさか、今のはサンタマリア?
しかし、聞き覚えのない声がすぐ傍で聞えた。
「恨みを忘れた一族など、もはや黒の武器を持つ資格もない。」
私を槍で貫いていたのは黒いマントを身に纏った、若い男。顔はマントの影でよく見えなかった。
そして男は槍を私から無造作に抜く。私の体は重力にしたがって、グニャリと力もなく倒れた。
「弱いな。それでもわが同族か。」
同族?
ではこの男もまた、私と同じ黒の一族?
今までのサンタマリアとの話を聞いていた?
しかし、それ以上は何も考えられなくなった。
槍が抜けた傷から血があふれ出し、その身から命が消えていく感触が体を迫上がる。
ああ、この感触はいつも見た夢と同じだ。
ただ突然のことに痛みや、苦しさは感じず。
ただ、無性に体が熱かった。
しかし頭は霞がかったように何も考えられず、次第に意識が遠のいていくのを感じた。
第二十話・第二十一話、同時更新です。本当は一話でまとまる予定だったんですが、サンタマリアの長話を一気に書いていたら、まとまらず二話に分けることに・・・。
長い上に、分かりにくい説明ばかりになってしまい、ヒロ同様混乱している人がいましたら、大変申し訳ないばかりです。上手く文章に纏められず、私の不徳の致すばかりです。
そして、常に酷い目にあってばかりのヒロですが、今度こそ絶体絶命!しかも次からはヒロではなくエヴァ視点に物語りは切り替わったりします。こんな拙い文章を、楽しみにしてらっしゃる奇特な方がいましたら、気になるところで終ってしまい、すいません。