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東方の天使 西方の旅人  作者: あしなが犬
第一部 流離う翼
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第19話 偶然は後に運命と呼ばれるのだ 3

 『逃げちゃうぞ』なんて言ってしまったものの、こんな天使だらけの場所で下手に動くこともはばかられ、かといって廊下につっ立っているままというのも微妙な気がして、私はとりあえず廊下に面している中庭らしき場所に目をやり、足を向けることにした。

 城内にあるにしては広い中庭で、緑が青々と生い茂り、天に近い城内では白き神の御許イア・ルマンヌの大部分を照らしているまやかしの光ではなく、本当の日の光が眩しく中庭を照らしている。

 その日の光を仰ぎ見れば本当に届きそうなところに空があって、私はその天の近さに目を奪われた。

「・・・」

 そうして、私は何も考えずに手を大きく空に向かって伸した。


―――それは昔、エヴァと出会う前に私がよくしていた所作


 不浄の大地ディス・エンガッドではただ永遠に広がるかのような空は、私にはあまりに大きな存在で空を見上げるたびに自分の小ささを感じ、そして、そんな広い世界にたった一人で存在する自分の孤独を呪った。

 あの当時、大切な人たちとの別れからエヴァと出会うまで一人だった私は、色々なものが崩れかけ何処かバランスを傾けていた。

 そして、気がつけばこんな風に空に手をかざして、空に焦がれた。

 空に手が届けば大切な人たちに届くような、あの中に彼らがいるような気がしてならなかった。

 今となってはそんな事をどうして考えたのか、その理由は自分でもよく分からない。

 それが例え馬鹿らしい幻想だとしても、頭のおかしくなった妄想だとしても、あの当時の自分を繋ぎとめるたった一つの手段だったのだろうと今の私にはそれしか分からない。

 ただ、あの中に自分の溶けてしまえたら、消えてしまえたらと、何度も何度も思い続けていたことだけは覚えている。


―――エヴァに会うまでは


 そして、それをしてエヴァと出会ってから彼とこんなに長く離れている時間が初めてだと、ふと気がつく。(天使に捕まってからというもの、こんな風に一人で一息つけた試しがなかったからな)

 しかし、そんな風に過去の自分を思い出すように、あの時を懐かしみながらもエヴァを心配する心が混じったままに、力いっぱい天高く腕を伸ばしていた私の耳に、くすくすと鈴を転がしたような笑い声が聞えて私は我に返った。

「あ」

 そこには私を面白そうに見る天使がいた。

「すまないな、邪魔をしただろうか?」

 低く響く美声に笑みを浮かべたその天使は、いろんな意味で言葉では言い表せない天使だった。

 言葉で言い表せないと私が評したその姿は、この世のものとは思えぬほど美しく、絶世の美男子というものがいるとしたら、正に彼のためにある言葉だと誰もが言うだろう。

 長くきらめく銀の髪を肩に流し、宝石のような紫の瞳は何もかもを見通すかのように透き通っている。

 そして、表情の細部に渡るまで、まるで神が丹精込めて作りこんだように、一分の隙もなく整っており、体格も美しくも女性とは見えないように華奢ではなく、程よく逞しく均整の取れた体つき。

 ただ、そんなこの世の美を集約したような天使だからこそ、一つだけ欠けている部分が異様に目に付いた。


―――背に羽ばたく大きな翼、その純白の翼が片方欠けていた


 その姿に私は胸が騒ぐのを感じた。

 理由は分からない。

 ただ、その天使の美しさに対する動揺ではない何かが私の中を駆け巡ったのだ。


―――だが、それは何だ?


「いきなり声をかけて驚かせてしまったかな?」

 しかして、呆然と天使を見ていた私に苦笑した天使は小首をかしげ、私はそれで我に返る。

「あ・・はいっ。すいません。ぼうっとしていていたものですから。」

 私は慌てながらも自分の正体がばれないように自分で出していて気持ち悪いくらいの高い声を発する。(それでも女性にしては低い声だろうとは思うが)

「そうみたいだね。私が近づいても全く気が付かなかったからね。そんなに集中して何をしていたんだい?」

 ばれないかどうか心臓ばくばくものだったが、どうやら彼に怪しまれた節はなさそうだ。

 しかし、油断は禁物だと私は下ろした長い髪で顔を隠すように俯く。

「い、いえ、その・・ちょ、ちょっと、空に手が届かないかな・・・と、試してみてたんだが。」

 確かにエンリッヒ、シャオンだって綺麗な天使だが、この天使の美しさはその比ではない。

 理由の分からない胸騒ぎやアーシアンであることがバレるかもしれない不安、それにこの次元が違う美しさも相まって、私は未曾有のパニックを起こし、適当な嘘も思いつかず明らかに馬鹿な事を口にした。

 なんて馬鹿馬鹿しいことを言っているという自覚はあったが、まさか誰かが見ているとは思わなかったのだ。

 さぞ笑われるか、変な顔でもされるかと思ったが、その美しい天使の反応はそのどちらでもなかった。


「空に手は届かない。どんなに手を伸ばしてもね。」


「え?」

 思わず顔を上げた先には青い空を見上げる天使がいた。

 その瞳は何かを求めているような、焦がれているような、憂いているような、何だかいろんな感情が見えるような気がして、私はその美しさに見入った。

「まあ、例え手が届かないとわかっても、手を伸ばしてしまうのが、生き続ける者のさがかもしれないけどな。」

 何だか妙に実感のこもっている言葉だった。

 こんなきれいな天使様だったら、手に入れれないものなんてなさそうなものだが、やっぱり誰にだってそうやって焦がれ続ける存在というものはあるものなのだ。

 あまりにきれいすぎて恐れ戦いていた私は、そんな彼に何だか妙な親近感を抱き、気がつけば自分の言葉で彼に言葉を返していた。

「・・・そう、ですね。そうかもしれない。でも、そうやって求め続ける存在があるから、私は生きてこられた。それがなくちゃ、きっと誰もが生きている意味なんて・・・ない・・んだと思う。」

 求めるモノ、焦がれるモノがもし私の中に何もなければ、あの時の私はきっと壊れていたに違いない。


―――彼らが生きろと言ってくれたその言葉こそが、私が焦がれ続け、求め続けるモノ


 彼の言葉を聞いて、私も空を見上げて半分独り言のように呟いていたら顔に視線を感じた。

 そして、天使のほうに視線を向ければ、こちらをじっと見ている彼がいた。

「あ・・・の」

 調子こいて色々しゃべってしまったが、もしかして天使じゃないのがばれたとか?

 そう思い至って私は顔を青ざめて顔を逸らせようとしたら、天使の手が頬を添えられてた。

「う」

 恐る恐る少しだけ私より高い天使を見上げた顔は、思っていたより遥かに近い。

「い・あう」

 ばれたかもしれないという焦りと、美しい顔にじっと見つめられた居心地の悪さで、訳の分からない言葉を漏らす私に天使の顔は、何故だか無意味にどんどん接近してくる。

「君はおもしろいな。この俺の近くにいてこんなに平然としていられるなんて・・・君が初めてだよ。」

 何だか妙に甘い声が吐息と共に私の顔に吹きかけられ、私はもうパニックで天使の言葉の意味など何一つ理解していなかった。

「!?」

「ふふ、そうして焦った顔もいいな。なあ、名前を教えてくれないか?そして、俺の―――」

 そして、美しい顔の全体を確認できないほどに近づいた天使の瞳が、妙に意地悪げに細められた瞬間


「ここにいたんですかっ!」


 中庭に響く大きな女の声が聞えたかと思うとごく自然な動作で天使が離れ、何事もなかったかのように声の主を振り返った。

 そこには女装した私など足元にも及ばない、美しい天使の女性が婀娜あだっぽい笑みを浮かべて、少しはなれたところに立っていた。

 何が起こったかよく分からないが、どうやら助かったらしい。

 私はいろんな意味でバクバクとなる心臓を抑え、安堵の息を大きく吐いた。

 しかし、女が次に発した言葉を認めると私の思考は停止した。

「まったく、エヴァンシェッド様はすぐにふらふらと女性にちょっかいをかけられるんですからっ!ラインディルト様が探しておいででしたよ?何でも急ぎお見せしたいものがあるとか。」

「ああ、そうか。」

 なにやら睦言むつごとでも呟きあうように寄り添う二人を見送りながら、私はやり過ごせた安心感など忘れ去って、いいようのない大きな衝撃に身を震わせていた。


―――彼女は今、何と言った?


「エヴァンシェッド・・・・?」

 その名を聞いた瞬間に、私の中であの記憶が呼び覚まされた。


 乾いた大地に横たわる引き千切られた片翼

 血に染まる純白の羽

 ニタリと笑う、禍々しい口元

 何かに貫かれた私の体

 私からほとばしる大きな力、暴走する黒き剣ローラレライ


―――そして、父親に幼い頃に聞かされたお伽噺


 全てがフラッシュバックされて、記憶の渦となって私を襲う。

 そして、私は動かない頭でただ思った。


―――ああ、終わりが近いのだ・・・と


 私はもう一度空を見上げた。

 青い空があまりに眩しくて瞳を覆った手の平が、目からこぼれる水で濡れた。

加筆・修正 08.10.13

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