エピローグ 最先の最果て
<十年後 何処かで誰かたちの日常>
東方の楽園の封印が解けて10年という年月が流れた。
その後、不浄の大地はその名の通り相変わらず生きるのにも精一杯なほど過酷な世界でしかないが、天使と人間の関係は大きな変化を遂げていた。
相容れた訳じゃない、許し合った訳じゃない。それでも、今はまだ誰かを傷つけるよりも、自分たちが生きるために精一杯だったことが、両者をとりあえずの一定の距離を保っての均衡状態を保たせている。
獣族が間に入ったことも事態の好転につながったのかもしれない。
今もまだ反発しあう小競り合いは続いているが、それでも二つの種族は手を取り合うことはなくても、とりあえず同じ大地で生きる存在としてあることにしたのである。
また、解放されたことにより今まで不通であった他の大地とも関わることとなった。
東西南北、それぞれの大地で十年前の事件は大きな衝撃を持って存在し、あれ以来、姿を見せない白き神に不気味な気配を感じている。
十年という年月間で全ての傷がいえる訳でも、与えられた苦痛が和らぐこともなかったけれど、それでも生き残った者たちは苦しくても痛くても悲しくても生き続けた。
そんな大地で今この時も生死の狭間で叫びを上げる命がある。
「もおおおっ、なんだっていうのよぉぉぉぉぉお!!!!」
娘は全力疾走していた。
その背後には体長10メートルはあるかと思える巨大な豚が、娘を丸のみにせんとばかりに迫ってきている。
どこかで見たことのある場面。
それはこの世界ではありふれた情景。
それでも何故かとても懐かしいような、切なくなる既視感。
娘が後少しで豚に追いつかれようとする時に、銃声が一つ高く鳴り響く。豚は倒れ、娘はその死体に押しつぶされた。
「ぶぎゃっ」
年頃の娘にあるまじき声を上げた彼女に、人影が近づく。
「大丈夫か、クゥ?」
「これが大丈夫に見える訳?さっさと助けなさいよ、ルード!!!」
娘・クゥ…十年前に銀月の都にいた少女は、変わらぬ面影を残したままそれでも、あの頃よりも少しだけ大人びた様子で、見下ろす青年に噛みついた。
青年は年の頃ならばクゥと変わらないか、少し年下だろうか?
男性の割には長い黒髪を一つに縛って、長い前髪の奥には切れ長の瞳が涼しげな美青年だ。
ただ、クゥを見下ろす顔はとても意地悪そうである。
「それが人に助けを求める態度か?」
「大体、あんたが怪物豚を刺激したせいで!!!」
「それはお前がどんくさいのが悪いんだろ?俺はさっさと逃げれたのに?」
「なんですって!!!」
豚に潰されたままのクゥと、それを見下ろしたままのルードの一見するとくだらなさすぎる喧嘩は続くかと思われたが、それは新たに現れた声によって止められた。
「二人とも喧嘩はそれくらいにしろ。」
その声に二人は揃って振り返る。
『ヒロ!!!!』
そう呼ばれたのは、十年前にヒロと呼ばれた人間とは似ても似つかない…いやそもそも人間ですらない生き物の姿。
ふよふよと宙に浮くまるで空飛ぶ魚の様な姿で、体長は30センチほどだが体の全てを輝く鱗のようなもので覆われた姿は十年前に灰色の魔力と共に姿を消したあの怪物とよく似ていた。
二人はそれを戸惑いもなく『ヒロ』と呼んだ。
「ルードはさっさとクゥを助けてやれ。まったく、お前たちはいつまでたっても子供みたいに喧嘩ばかりで私は頭が痛いぞ。それと私の名前はヒロじゃないと何度言ったら理解する?」
鱗の色は光を反射する度に変わり、何色とも言えない色となる。
「もう!ヒロはヒロでしょ?」
クゥがルードに引っ張られながら頬を膨らませる。
「私の名前は『もう』【ヒロ】じゃない。【フィルアルエーネ】だ。」
「その名前が大そうすぎてクゥも俺もヒロって呼んでるんだろ?いいだろ?お前はヒロなんだ。ヒロと呼んで何が悪い。」
助け起こしたクゥを抱き寄せるルード。若い寄り添う二人は似合いの恋人同士だ…まあ、二人はそのあたりまだまだ無自覚だが。
ヒロ改めフィルアルエーネはその様子を目を細めて眩しそうに見守る。
「ヒロ…とは古い言葉で【何一つ持たない者】。両親がくれた名前だ。それは大切な名前だけど、その名前を持つ人間はもうこの世には何処にもいないさ。私は【フィルアルエーネ】…人でも天使でも何者でもない【新しい世界の鍵】だ。」
ヒロと呼ばれた人間はウァブーシュカと一つになり、新しい存在となった。
それは世界を壊すものでも、世界の楔でもない。本当の意味で世界の理から外れたこの世界とは相容れない存在。
それになった彼の、その声には後悔の気配が微塵も感じられない。
若い二人はその様子になんとも言えない表情を浮かべた。
「世界を変えるために…ヒ…フィルアルエーネは人ではなくなったの?世界とは相容れない者になって、それは貴方の幸せなの?辛くない?苦しくない?」
二人に向き合っていたフィルアルエーネはふいと背を向ける。
「…約束をしたからな。世界を変えるって」
ヒロとしての記憶の中で様々な人間が過る。
「さあ、行くぞ。世界を変えるためには私だけじゃダメなんだ。世界の記憶であるクゥと、新しき異能者たるルード…お前たちの力が必要だからな!!」
人間であった記憶を大切に胸にしまいこみながら、フィルアルエーネは不浄の大地をひた進む。
「あっ!待ってよ!!!」
「何処に行くんだよ?」
その後に娘と青年は続く。
「十年の間に東方の楽園を汚染していた灰色の魔力は大体浄化できたからな。次は南を目指す。」
ひゅと、宙をまるで水の中にいるように泳ぐ。
「あてのない旅はもう終わりだ。さあ、約束を果たすために世界を変えるぞ!!」
絶望と悲劇の連鎖は未だに断ち切れることなく、それは世界を未だに歪なままにしている。
一匹と二人はそれを変えるためにこれから世界を変える旅に出る。
それはまるでお伽噺の様な淡い幻想なのかもしれない。だが、彼らの前に立ちはだかるのは途方もないほどに辛い旅路であることは間違いない。
それでも世界の理から外れた彼らの未来は恐らく誰にも見通すことはできないであろう…そんな物語の第一歩がようやく始まる。
第五部 最先にて最果てなる世界 完
【東方の天使 西方の旅人】これにて完結です。かれこれ3年以上の連載期間の間に様々なことがあり、物語も混乱、作者も混乱…ここまでお付き合い頂いた読者の皆様には本当にご迷惑をおかけしたのではないでしょうか?本当に最後まで読んでいただいた皆様には感謝の言葉以外出てまいりません。ありがとうございました。
長くなるにつれて張り巡らせた伏線は作者の思うように動いてくれなかったり、回収できない部分も多数あったり、色々な方から指摘されている誤字脱字にしても本当に反省しきりです。それでも勢いだけで書き続けた拙すぎる作品ではありますが、こうして一応は最後を迎えることができ作者もほっとしております。これから多分、時間はかかりますが色々と修正を加えていくつもりです。
本当にここまでお付き合い頂いてありがとうございました。