第165話 楽園の終焉に歓喜の声を上げろ! 9
―――約束しよう。必ずまた会うための約束を
<SIDE エヴァンシェッド>
ヒロと世界の中心で別れた後、東方の楽園に戻った俺が目にしたのは想像よりもはるかに悪い状況だった。
傷ついた天使。泣き叫ぶ人間。その全てが灰色の魔力の暴走に逃げまどい混乱していた。
俺の存在に気がついた天使が何人も助けてくれと泣いて縋り、分かっている助けるからと告げても、彼らは服の裾を放さず、俺から離れようとしない。
それを俺の気配を察知して現れたサンタマリアが有無を言わせない態度で引き離し、その後俺たちを囲むように屈強な天空騎士団が囲んだ。
「エヴァンシェッド、無事でよかった。」
「状況は?」
サンタマリアが短く尋ねた俺の言葉に表情を歪めた。
「…見ての通り芳しくないわ。」
三大天使のうちサンタマリアとラインディルトはいるが、シェルシドラがいないことが気にかかる。彼の弟もいない。だが、今はその詳細を聞く余裕はない。
「灰色の魔力は俺が何とかする。お前たちは天使と…人間たちの避難を急げ。獣族にも応援を頼め。多分、協力してくれるはずだ。」
その言葉に皆が息をのむ気配が伝わった。
「それは…!」
「今は議論している暇もない!俺を天使の長だと…東方の楽園の主だと認めるのであれば、俺の意に従え!!!」
言い放った言葉はある意味、俺が今まで言えない言葉であった。
俺という存在は全て偽りによって造り上げられた。それに対して気にしないふりをしていても、どこかに罪悪感があったから、自分がこの大地の王であると言いきることに躊躇いがあった。
だが、ヒロが言ったんだ。
『お前は天使について、いや、この東方の楽園全ての責任を負っているんだ。』
だから、人間を守れと言った。その代り、自分は必ず世界を救うとヒロは約束してくれた。
ヒロの言うことを全て真に受けた訳じゃない。それでも彼の言葉に自分の中で何かが変わったことを感じた。
サンタマリアもラインディルトも何か言いたそうな気配があったが、俺の気迫に口を挟みにくかったようだ。沈黙したまま恐らく俺の命令を遂行すべく、一同はその場から散った。
俺は状況を把握すべく、灰色の魔力の気配を探りながらあたりを見回す。
この近辺の魔力はあらかた片づけたが、その気配はまだまだ存在している。
ただ、銀月の都から湯水のように溢れていた気配はいつの間にか止まっている。
しかし、これまで放出され続けていた灰色の魔力はなくなることはなく、今も天使や人間の持つ魔力を吸収し増幅し続けようとしている。
このままでは源がなくなったとしても、増殖を続ける灰色の魔力はいつかこの世界を覆い尽くすだろう。
それを止めるのが俺のなすべきこと。この状況で少しでも被害を少なくすることが、俺にしかできないこと。
意を決して俺は少しでも人気がない場所に一人で移動する。
その後、大きく息を吸って全知の杓杖を大地に突き立てると、自分の中にあるありったけの魔力を放出した。
天を貫く柱のように魔力が立ち上る。
神に忌み嫌われた子供が俺の中から完全にいなくなり、俺の魔力はかなり減った。
それでも他の天使よりも数段強いはずの魔力は、魔力を求め吸収することを本能とする灰色の魔力の格好の標的になることは間違いない。
まるで魔物のように天使や人間を襲っていた灰色の魔力の気配が、一斉に俺に向かってくるのを感じた。
ばらばらになっていた灰色の魔力が俺にだんだんと近づくにつれて、大きくなっていく。
それは気が付けば空を覆うほどの大きな壁、まるで津波のように俺に向かってくる。
覚悟してこの場に臨んではみたが、みっともないことに体が震えるのを感じた。
杖を握る手にも、大地を踏ん張る足に力を込めても震えは止まらない。
笑ってしまう。これで大地の王だといえるだろうか?
そんな俺の脳裏に先程別れたヒロの言葉が蘇る。
『お前が東方の楽園の主だというのならば、お前が全てを守れ。』
ヒロの容赦ない言葉に苦笑が浮かぶ。不思議と震えが小さくなった気がした。
神に忌み嫌われた子供がこの身から完全にいなくなったはずなのに、なぜかヒロに対する慕わしさは消えない。
そのことを不思議だと思う一方で、当然とも思う。要は俺や子供の魂はどう転がっても、ヒロという個になついてしまうのだ。
まあ、こうなってしまった以上、彼にはこれからも俺のために側にいてもらおう。…そんなことをこの絶体絶命な状況で考える。
どうみてもあれだけの魔力の全てを俺一人で止められるわけがないのは分かっている。
それでも何かしない訳にはいかないのだ。俺の命を賭したとしても、それを絶対だ。だから、逃げ出しそうに震える足に力を込めた…とそこに人の気配がして俺ははっとした。
「よう。お前にだけいい格好はさせないぞ。」
「獣王!!」
そこにいたのは画面越しでしか会話したことはなかったが、西方の魔境の王である獣王グレイン・アッダ。
俺の要請に答えてこの戦いに軍を出してくれた人である。
彼はその名には相応しくない愛らしい姿のままで凶悪そうに笑った。
「俺は異能者と契約しているからな。お前ほどではないにしても、灰色の魔力を抑える力はある程度備わっている。協力するぞ。」
「これは私の役割です!!」
「だからってどう見てもお前一人にあの灰色の魔力が抑えられる訳がないだろう?あれの暴走が止められなければ、東方の楽園だけじゃない他の全ての大地も終わりだ。分かっているのか?」
そう言われては返す言葉もない。
押し黙った俺を見て、獣王はふんと俺から目をそらすと迫りくる灰色の魔力を見据えた。
その瞳に恐れは一切存在せず、むしろその表情には不敵な笑みすら浮かぶ。
獣族と言う種族が好戦的なことは知っていたが、この絶体絶命な場面ですらそれを楽しむ気配のある獣王に俺は尊敬を通り越して畏怖すら感じた。
「まあ、この状況、奇跡でもおこらん限り俺もお前も死んじまうのは目に見えているからな…それに俺たちの死はそのまま大地に生きる者全ての死だ。ならば、それを止める、少しでも遅らせるのが王の役目だ。それが俺たちに世界を残してくれた者たちへの恩返しだ!」
それが誰にしたいしての言葉なのか、俺が知る由もない。
しかし、この獣王の言葉に俺は大地の王としての矜持を感じて奮い立つ。
近づく灰色の魔力の気配に嵐の様な暴風が吹き荒れ、びりびりとした強い力が肌を切り裂く。
杖を持つ手に力を込め、それでも俺はしっかりと目を見開いてその力に立ち向かおうとした…その瞬間だった。
---カッ…!!と目がくらむほどの強い光が俺の視界を奪う。
「!?」
俺も獣王もなんの前兆もない事態に混乱する。
光は強かったが本当に一瞬のことで視界はすぐに戻る。だが、戻った視界に残る世界に俺は呆然とした。
「灰色の魔力が…ない?」
目前まで迫っていたはずの空を覆うほどの大きな魔力が一瞬にしてなくなっている。更にあたりの気配を探ってみるが、灰色の魔力の欠片も感じられない。
何が起こったのか全く分からず混乱していると、俺と同じ状況である獣王が叫んだ。
「おい!あれは??」
その言葉にはっとして獣王が指さす方を見ると、遠方の空にきらきらと輝く物体が見えた。
それを見てすぐに俺の中で本能が告げる。
「ウァブーシュカ!!」
姿を見たのは初めてだが間違いない。
あれは罪人の巡礼地で感じた巨大な気配、灰色の魔力の存在を許さない番人。
だが、先日は灰色の魔力だけではなく、魔力があった世界全てを飲み飲んだ。
「…ウァブーシュカ?世界の破滅を告げる怪物か!!!だが、どういうことだ?あいつは世界の破滅どころか、灰色の魔力を消して世界を救ったぞ?」
そうなのだ。罪人の巡礼地の時は容赦なく、灰色の魔力が存在する世界を切り取るかのようにその全てを飲み込んだウァブーシュカのはずだが、今は灰色の魔力だけを消しただけで大地だけじゃない天使も人間も全てが助かっている。
何が起きた?それともこれから何かが起こるのか?
混乱する思考の中で、何故だか頭の中に静かな声がよみがえった。
『約束をしよう。』
「ヒロ?」
予感がした。
それを感じた瞬間に体から力が抜ける。
「おい!!」
獣王が突然座り込んだ俺に駆け寄る。
「ヒロが…」
「ヒロ?ヴォルツィッタの生まれ変わりか?そいつがどうした!?」
咆哮を上げるウァブーシュカはまるで何かに苦しんでいるように空をのたうち回る。
その中に俺はどんな姿になろうとも慕わしさが失われない魂の気配が確かに存在する。
「ヒロが…ウァブーシュカの中にいる!!!」
彼がどうしてウァブーシュカの中にいるのかも。ウァブーシュカの中にいるのことで、あの怪物にどんな影響を与えているのかも分からない。
ただ、ヒロのおかげできっと世界は救われた…それは確信だった。
だけど、その代償に世界はヒロを失った。
「約束したのに!!!」
吐き出した言葉にヒロは多分永遠に応えてはくれない。
『約束?』
世界の中心でそう言ってヒロは頷いた。
『そう…私はもう誰とも契約はしない。契約は絶対だが、何を得るために必ず何かを失わないといけない。失った何かに絶望する人が必ず存在し、それは次第に世界を歪にした。だから、私はもう契約はしないって決めたんだ。契約の力じゃなく、私は自分の力で約束を果たす。』
『ヒロの力?』
『ああ、あんたは私が約束を果たせるか信じられるか?』
契約は絶対だ。
対価を支払う代わりに願った事は必ず叶う。
だが、ヒロの言う約束は違う。約束には絶対はなく、勿論叶うかもしれないし、叶わない可能性だってある。
ヒロが言うとおり、ヒロの力を信じるしかない。
『この世界には要は信じる力が足りないんだと私は思う。信じられないから、契約という絶対を求めたり、誰かと一つになって自分から離れられなくしたりしようとする。そうすれば確かに安心かもしれない…だけど、やっぱりそれはおかしいんだ。』
『でも、信じても裏切られたら?』
『裏切られることもあるだろう。それでも信じる強さを私は求めたい。だから、私はあんたと約束するよ。私は絶対にこの世界を大地を救ってみせる。だから、あんたも約束してくれ、天使だけじゃない。私の分まで人間を助けてくれるって。』
そこまで言われて、否と言えるはずがなかった。
『ああ、あとそれを返してくれ。』
そう言ってヒロが指さしたのは俺の右指にはまる指輪。
見ると何故だか血がべっとりとついていてぎょっとした。
『それはエヴァに貸してやっていたが、本当は私の親の形見なんだ。』
『だが、これは契約の証だからはずれないと思うが。』
この指輪は『ヒロを幸せにして』というエヴァとの契約の証であり、その契約を交わしてから外すことは叶わなかった。
『大丈夫だ。きっと外れるさ。』
半信半疑のまま言われたとおりに指輪に力を込めると、あっさりとそれは外れる。
その事実が意味することを考える前に、ヒロは俺の手から指輪を奪うと自分の指にそれを嵌めた。
『ありがとう。じゃあ、お互い健闘を祈る!』
そう言ってヒロは笑う。
それが俺が見たヒロの初めて笑顔。
そして、俺はそこまで回想してやっと気がつく。
ヒロは世界を救う約束をしてくれたが、生きて帰ってくるとは結局約束をしてくれなかった。
「ヒロォオオオ!!!!!」
名を呼んでも答えてくれないのは分かっている。
それでも灰色の魔力という脅威が消えた空に俺は叫ばずにはいられなかった。
俺の声に反応したのか定かではないが、上空で暴れていたウァブーシュカがこちらに向き直って大きな咆哮を一つ上げる。
声にならない音はあまりに大きく思わず耳を塞ぎ、発せられた息はまるで突風で俺は体が宙に浮いて吹っ飛ばされる。
それを何処にそんな力があるかは定かではないが、俺よりも小さくて細い獣王が掴んで引きとめた。
ウァブーシュカの咆哮はしばし続き、それが止むと怪物はそのまま上空へと飛んでいき、そのまま俺たちが感知できない世界に消えた。
…それが俺が最後に感じたヒロの気配だった。
やっと更新できました…後はエピローグを残すのみです。




