第163話 楽園の終焉に歓喜の声を上げろ! 7
私の目の前に倒れるのは、瀕死の神獣。
細く干からびたような体から羽は抜け落ち、開かれたままの口から吐き出される息は荒い。
神の生命力がどれほどか私の預かり知る所ではないが、普通の生物だったらこのままのたれ死ぬのが目に見えている。
私はその存在を見下ろして、酷く冷たい声で語りかける。
「おい、オウェル。お前はこのまま死んでいいのか?」
自責の念により千年間、呪いの中で生き続け、灰色の魔力に縛られ続けた銀色の神。
「お前は自分の子供が死んでしまってもいいのか?」
ぴくりと一瞬だけ体が動く。どうやら、完全に意識が飛んでいる訳ではないらしい。
私は腰をおろし、彼の目の前に生まれたばかりの赤子を突きつける。
「どうだ?醜いだろう?お前とディルアナの交わりによって生まれた禁忌の神。だが、お前の子供であることに間違いはない。」
ゆらりと閉じられた瞼が開き、その姿を目にして怯えの色が瞳に浮かんだ。
「これが自分の子供だと信じたくない?だが、残念だな。こいつは間違いなくお前が生み出した存在だ。ここに私を含め、何人も証人がいる。……だから、お前は責任をとらないといけない。このまま楽に死ねると思うなよ?」
私はそれだけいうと立ち上がり、世界の楔をオウェルに向かって突きつけた。
灰色の魔力によって縛られたオウェルを解放すると、彼自身の銀色の魔力が弱弱しくも鼓動を始める。
すると生気を失っていた瞳が僅かに意志を持って私を見上げた。
『俺に…何をさせるつもりだ?』
「私と赤子を連れてウァブーシュカから逃げるための足になってもらう。ウァブーシュカを大人しくさせるためには、この場所では何かと都合が悪いからな。」
ぐらりとよろめきながら、もはや神の威厳など微塵もない体を起こすオウェル。
『何年振りだろうな。これほど意識がはっきりする感覚……灰色の魔力の呪縛をお前が解いてくれたのか。』
「そういうことだ。とはいっても私にできるのはそれだけで、お前の体を回復したりはできない。私ができるのはあくまで灰色の魔力の消滅だけだ。」
『どおりで頭はクリアでも、体は今にも死にそうだ。……だが、その役目は今この場で可能なのは俺だけのようだ。いいだろう。背に乗れ。』
「当然だ。」
『それにしても<これ>が俺の子供か。』
その声には嫌悪感が滲む。
「なら、お前も白き神のように子供を美しい物と醜い物に分けるか?」
試すように問いかける。
『いや。その赤子は俺の子供かもしれないが、それでも俺の所有物じゃない。俺の一存で在り様を変えることはあまりに傲慢だ。』
「優等生な解答だな。だが、果たしてお前はこの赤子を抱えたまま、永遠にその答えを貫き通せるのかな?」
それが出来ないから、白き神は赤子を二つに分けた。
『それは……』
「まあいい。それもこれもとりあえず世界の危機を救ってからだ。いくぞ。」
さらりと出た言葉の重さは考えず、私はさっさとオウェルの背によじ登る。
私は確かに世界の楔を受け継いだことで世界を救えるし、神を試すような資格を得たのかもしれない。
だけど、それは本当の私であって私じゃない。
それでも、私は私でなくなってもこれを成し遂げないといけない。いや、私はそれを成し遂げたい!
オウェルの背に跨り、神獣は灰色の魔力が銀月の都を貫いた穴を急上昇する。
「ヒロ!!!!!」
私の名を呼ぶ誰かの声は、風を切る強い音に遠くに聞こえた。
ほぼ90度の角度で駆けあがるオウェルの背に私は赤子を片手に必死でしがみつくほかない。
歯を食いしばり、瞼も風圧で開けられない。
しばし後、風圧は消え去り、体が軽くなる。
銀月の都を抜け、私は神の背中の上で何処までも続く浮上の大地の空と大地を見た。
私が生きてきた死の世界。だが、たくさんの生き物が生きている世界。
何処までも続く青い空と赤い大地の先に、きらきらと輝く光が瞬く……あれは間違いなくウァブーシュカ。
『ど…どこににげ…る?』
少しの飛行で息が上がるオウェル。
オウェルしか頼れる存在がいなかったとはいえ、オウェルの体力がそう長くはもたないのかもしれない。
私はいくつか浮かんだ逃走プランを忙しなく頭の中で組み立てながら、ふと眼下に広がる東西を分かつ大きな大地の裂け目に視線を落とした。
「最果ての渓谷は何処まで続いているんだ?」
ここがそのどのあたりなのか定かではないが、その果ては上空からでも確認できない。
『最果ての渓谷は現実の谷とは違う。東西南北に分かれる4つの大地を空間的に裂いている存在だ。だからこそ、厳密にはその果てというものはない。あるとすれば果てとは、正に世界の果てであり、全ての大地に繋がる世界の中心だけ。』
「世界の中心か……なら、そこに向かって飛んでくれ。」
『言っておくがそこに向かって進んだとしても、世界の中心には辿りつかないぞ。世界の中心は―――』
「知っている。ともかく早く!!」
そうやり取りしている間にも、陽光に反射する光が少しずつ大きくなってきている。
オウェルもそれを分かっているからだろう、それ以上の問答はなく翼を大きくはためかせ一気にスピードに乗ってオウェルは飛び立つ。
「オギャ・・・っオギャー!!!」
その勢いに驚いたからか、はたまたやっとクゥ―と引き離されたことに気がついたのか、それまで大人しかった赤子が泣き出す。
その声は赤子のそれより低く、声までも不気味としか言いようがなかったが、更にそ泣き声は灰色の魔力を狩ることを生存意義とされたウァブーシュカに届いたらしい。
それまで悠然と空に浮かんでいるかのような佇まいだったウァブーシュカに、瞬間的に殺気に似たプレッシャーが宿ったのが分かった。
『ウウウウウウウゥゥゥァアアアアアア』
発音として成り立たないウァブーシュカの叫びが、果てしない空を大地を揺らす。
今はまだその巨体が手の平程度の大きさしかないはずなのに、太陽の光に反射する輝きが鋭さ含み、ぎらぎらとした視線を感じた。
振り返るのも恐ろしいほどのプレッシャーに、赤子の泣き声がより一層大きくなる。
その泣き声に呼応するように赤子から灰色の魔力が立ち上る。
(赤子でも神は神か……その魔力を利用させてもらうぞ。)
私は風圧で動くのも億劫な中で、赤子に世界の楔を近づけると灰色の魔力を吸い取り、楔の中にそれが消える前に逃げる方向とは別の方向に魔力を飛ばした。
灰色の神から発生する高濃度の魔力にウァブーシュカは僅かに進行方向を変えて、目の前の魔力に喰いつく。
あの化物の知能がどれほどあるかは私の預かり知らぬ部分ではあったが、どうやら想像通り灰色の魔力を全て消滅させることだけを本能とする獣に近いものらしい。
オウェルがどれほど急いでもそのスピード差は歴然であるように思えたので、これで少しでも時間が稼げればいい。
私は泣き続け魔力を放出し続ける赤子から、次々にあらぬ方向にそれを飛ばしていく。
その度、微妙に進行方向を変えてジグザグに空を進むウァブーシュカ。
オウェルの頑張りもあり、次第に距離が開いてくる。
このままいけば、一気に人気のない所まで行きつける。
そう確信した瞬間だった……急にがくんと体が急降下するのを感じた。
「オウェル???」
『す…まな…もう限界・だ』
「なあ!???もう少し踏ん張れ!!!」
何の兆候もなくいきなりエネルギー切れしたオウェルに逆上してみせる私だが、オウェルはそのまま力尽きたように大地にめがけて落ちていく。
「うわああああ!!」
その高度はかなり高く、私はオウェルに振り落とされぬようにしがみつくしかなかった。