第162話 楽園の終焉に歓喜の声を上げろ! 6
「クゥ。私を信じられるか?」
何についてかと私はあえて告げなかった。
白き神の説得は未だ中途半端、新しい灰色の神を誕生させ、ウァブーシュカは今まさにここにやってこようとしている。
正直いって、何もかもが最悪の状況だ。
それでも不思議と私は諦めるという気持ちを抱かない。
それならば、それならばと次の手をすぐに思いついた。……いや、違うな。私はたぶん、何処かでこの最悪の状況を想定していた。
だからこそ、こんなにも静かな気持ちでいられる。
「……信じる?」
だからこそ、クゥの無垢な瞳を見返すことが出来る。
「この君の大切な人を私に預けて欲しい。必ず、君のもとに返すと約束する。みんなを助けるためにはこの赤子が必要なんだ。」
ウァブーシュカは間違いなくこの赤子を目指してこの場所にやってくる。
ウァブーシュカに全てを飲み込まれる前に、この赤子を連れて少しでも人のいる場所から離れなければならない。
「本当?絶対に?」
「ああ。約束するよ。」
クゥも言葉を重ねない私に言葉を要求しない。ただ一つ。
「契約じゃなくて?」
そう尋ねる少女に私は小さく笑ってやる。
「契約じゃなくて約束だ。私を信じられないか?」
「……ううん。信じられるよ。分かった。約束…ね?」
私は世にも恐ろしい姿をした赤子を抱えなおすと、ウァブーシュカを引きつけるべく行動を開始しようとする。
だが、その私の肩を誰かが掴む。
「その赤子は私のものよ!!!」
私の肩を掴んだのは、彼女自身の腕だと思われる細い手。
この世界の誰よりも強い力を有しながら、私を引きとめる力は何処にでもいる女性のものと何一つ大差ない。
私はその手を掴んで、なるべく優しく振りほどく。
「貴方が感情のない神で、役目だけの存在としてあったとして、世界は幸せだったんだろうか?」
「な…に?」
「さっきの話の続きだ。貴方は自分に感情がなければ良かったと言った。だけど、私は思うんだ。貴方に感情があったからこそ、今の世界がある。確かに今世界は最悪の状況に陥っているんどう。だけど、常にそうだった訳じゃない。幸せな時だってあった。少なくとも私はこの世界に生まれて幸せだったと何度かは思った事があったよ。貴方は?一度も幸せだと思ったことはなかっただろうか?」
新しき灰色の神を想うクゥに教えられた。
誰に不幸だと思われる境遇だろうが、誰か一人だけでも想ってくれる人がいる…多分、そんな小さなことで人は簡単に幸せになれる。
要はどんなにつらい状況であろうと、それを信じられるかどうか。
自分を襲う現実を変えるのは難しいけれど、自分の中の心の持ちようを変えるのはそれより簡単なはずだ。
「わ…たしだって…」
「そうだろう?感情のある貴方が守り育てた世界は決して楽園でなかったと思うけど、だけど地獄じゃない。まあ、今はその一歩手前だけれど、それでも今からまた始めればいいんだ。誰しもが幸せを感じられる世界……それは無理なことかもしれない。だけど、変えようと始めなければ何も変わりはしない。」
がらがらと遠くで何かが壊れる音が近づいてくる気配がする。
今は収まったとはいえあれだけ灰色の魔力が暴走していたのだ。いつ銀月の都が崩壊してもおかしくない。それに原動力であるオウェルがあの状態だ。
そこにウァブーシュカがとどめをさす前に、ここを離れなければなるまい。私の問いに雷に打たれたように固まった白き神に、私は今度こそ背を向けた。
「私だってっ、その方がいいに決まっている!!!」
それは多分、白き神の本当の声。
「でも、この世界ではそれが不可能なのよ!!!誰かが誰かの為に犠牲にならなければ、何かを得るためには何かを犠牲にしなくてはいけないの!!!世界は生まれる前からそう決まっていた!!!どんなに努力しても私は何も変えられない!」
彼女もこの世界が何かおかしいのは分かっていた。
だけれど、異能者によって造られたこの世界の理は神の頂点に立つ彼女も変えられなかった。だけど、
「だったら、私が世界を変える。」
もう一度、しっかりと白き神を振り向いて視線を合わせた。
「え?」
「いや…私がと言うのはおこがましいな。私が世界を変えられるように、世界に生きる全ての者に語りかけてみる。」
「何を言っているの?そんなの……」
「できないと決めるのは簡単だ。だけど、私だけじゃない、貴方だけじゃない、世界の全てがそう願えば不可能なことではないと私はそう思いたい。この世の中にはどうしても不可能なことがあるかもしれない。だけど、誰かがそれを証明した訳じゃない。徒の人間だった私が世界を左右する存在になるくらいのことが起こる世界なんだ。願えば、信じれば、もしかしたら叶わないかもしれないけど、何かがきっと変わるはずだ。」
私は白き神に向かって一歩近づいて手を伸ばす。
「だから、貴方ももう一人で思いつめるのはやめろ。貴方は気が付いていないだけで、どんな貴方だろうが想っている人を私は一人知っている。貴方の罪を私は、この世界は許しはしないだろう。だけど、世界に一人だけ貴方を許す者がいる。」
白き神は永遠に犯した罪に苦しむべきだと私は思う。
彼女に同情すべき余地があっても、彼女だけに罪がないとしても、彼女が自分のために世界を犠牲にしようとしたのは間違いなく、彼女のために死んでいった者、不幸になった者も数多存在する。
だから、もし、彼女を殺したいと願う誰かがいたとしても私は止める術も言葉も持たない。実際、止めようと思わないかもしれない。
だけど、彼女を想い、許し、助けようと誰かがいると知っていて、それすらも彼女から奪おうとは思わない。
矛盾している感覚だとは思うが、白き神にそういう誰かがいることに私はどこかでほっとしている。
「ほん…とう?」
だからこそ、まるで夢が覚めたばかりの幼子のように目を丸くしてこちらを見返す白き神に、私はそれを教えてやる。
「ああ、その方法も想いもあまりに歪んでいて、貴方以外はどうなってもいいと思っているけど、それでもそれだってきっと愛なんだよ。間違っていてもそれは感情だ。ほら……」
「イヌア様!!!!」
ばたばたと近づいてくる灰色の魔力の気配には、少し前から気が付いていた。
彼の存在が最後、白き神を目覚めさせるための起爆剤になればと思ったが、その想像に間違いはなかったようだ。
「エンシ・・・ダ?」
「ああ!!!良かった!!!!」
そのまま私や子供たちが見えていないかのようにエンシッダは、白き神に抱きついた。
いつもずる賢く、何を考えているかも分からない彼の様子からは考えられない行動であった。
白き神にしてもそうなのだろう。
目を白黒させて、彼女は茫然とエンシッダに抱きしめられたままだった。
「もっ申し訳ありません!!!私は何という不敬を!!!」
白き神より先に我に返ったエンシッダは、物凄い勢いでそのまま頭を下げる。
「白き神、彼が貴方を本当に思う者。その結果、彼が起こした行動を私は絶対に許すことはできない。貴方が世界に対してした罪も絶対に許せない。だけど、その大本にある感情は決して許されないことではないんだ。それだけは、感情と言うものだけは世界の誰しもに許された、たった一つの存在なのだから。」
「何を言っている?」
急にこの場に現れたエンシッダには何が何だか分からない話なのだろう。
相変わらず私の前では酷く渋い顔をしてこちらを睨みつけてくる。
そう、エンシッダにはずっと白き神だけだった。
二人の間に男女の愛が本当にあるのか、私に分かるものではないがそれは歪みまくった彼にとって多分唯一の温かい感情に違いない。
「だから、今は少しだけお休み白き神よ。」
私は茫然としたままの白き神に向かって世界の楔を突きつけると、その先端から灰色の魔力を吸いだした。
元々、黒き神との戦いでほとんど力を使い果たしていたのだろう。
白き神はそのまま崩れ落ちるように気を失う。
「イヌア様!!!ヒロ、貴様何をした!?」
「ただ、少し気を失ってもらっただけだ。……もう、ウァブーシュカがここに来る。これ以上は話している時間がなかったからな。」
「愚かな!!あの化物が来るというのなら、世界はもう終わりだ!!!オウェルとディルアナから生まれでた灰色の魔力は神に集約されたとはいえ、その名残はそこらじゅうに散らばっているんだ。これで…この人はやっと安らかな眠りに―――」
「だから、ウァブーシュカで白き神と心中か?そんなこと私が許すとでも思っているのか?そんなことには私が絶対にさせない。」
彼らの償いが死という形に最後はなろうとも、そんな楽に済まされてなるものか。いや、楽というのではない、彼らは自分が犯した罪の重さを知るべきなのだ。
それを知らずに全てを終わらせるなんて許されるはずがない。
だからこそ、私は最後の賭けに出る。