第17話 偶然は後に運命と呼ばれるのだ 1
ここにいることは偶然?
ここにいることは運命?
―――いいや、偶然と運命に本当は違いなどない
【偶然は後に運命と呼ばれるのだ】
突如として眼前に現われたエンリッヒ。
この場所が天使の領域内とはいえ、エンディミアンの人体実験場で、まさにこのタイミングで天使が・・・しかも、かつて私が相対した天使が助けに入るなど普通は偶然とは考えにくい。
「いやいや、偶然ですなぁ。こんなところで会うなんて。」
なのに、そんな白々しい言葉を吐かれるのだ。
いい加減にカチンとくる・・・だが、それがいけなかった。
そうしてエンリッヒばかりに意識が向いてしまい、いつもの私ならば気をつけるであろう周囲の様子が見えなくなった。そして、
「グェッ」
カエルの潰れたような情けない声が出たと思った瞬間には、エンリッヒではない誰かに背後から襲われ私は床にへばりつかされたいたのだ。
「くそ、仲間がいたのか。さすが天使さまは、自分たちの信望者の危機には駆けつけるってわけか?」
まあ、その信望者たるDr.は気絶したままのようだが
「あららぁ?なんか言葉に棘がありしまへんかぁ?」
その言葉にエンリッヒに対する怒りは勿論、Dr.パルマドールの首を切り落とすまで後一歩というところで、呆気なく天使に取り押さえられている自分が情けなくて仕方がなく口を閉ざす私。
だが、そんなこと気にも留めないエンリッヒは一ヶ月前と変わらない軽い様子で話を続ける。
「いやいやぁ、そう言えばあの時は応急処置をおおきに。本当にエライ目にあいましたわぁ。おかげでわい、ついこの間までベッドから起き上がれへん生活を余儀なくされましたんでっせ?」
―――こっちはおかげで一ヶ月間の拷問生活だったわ
「仕事はできまへんし、仲間たちにはアーシアン一人にボコボコにされたって、副師団長の面目丸つぶれですわ。なあ、シャオン?」
とそこで初めてエンリッヒは私の上に視線を向ける。
「そうだったわねぇ。だって、そんな強いアーシアンがいるなんて普通は信じられないわよ。」
答える明るい声は若い女のもの。
押さえつけられ背後を振り返ることすらままならない私は、その声ででやっと自分の背中を押さえつけているのが女であると理解する。
しかし、相手が女性でろうともこうがっちりと両手と背中を押さえられてしまうと、こちらは身動き一つ取れない。
「実際、見てみてどうや?わいのいっとることは本当やったろ?」
しかして、エンリッヒは女性に向けていた視線を、私から奪い取っていた黒の剣に移す。
「まあ、目の前で見せられちゃ嘘だとはいえないわよね。で?それが黒の武器なの?」
―――カシュケルノ
後に黒の武器であると知ることになるのだが、現在の私には音でしか理解できず何であるかも分からない。
ただ今の言葉のやり取りにくわえ、Dr.パルマドールも黒の剣に興味を示していたし、それに二人がDrに全く注意を払わないことから、Drを助けに来たのではなく、恐らく黒の剣が目的なのだろうと察しをつける。
「十中八九、間違いないやろ。」
「でも、その外道科学者はそうだとは思っていないようだったけど?」
エンリッヒは大鎌を脇に抱えると、黒く色を変えたままの黒の剣を軽く振ってみたりしていた。
「あら・・・やっぱり、わいが使っても何も起こりまへんな。」
「ちょっと!私の話を聞いているの?」
エンリッヒが黒の剣ばかりに気をとられ、言葉を無視されるとシャオンと呼ばれた女が気の強そうな声を上げる。
「ああ?すまん、すまん。まあ、この男の目が節穴なだけやろ。大体、あの慎重なラインディルト様が、わざわざ命を下して調べさせたんやで?まあ、解放させてみな、あの方も核心はなかったんやろが、この剣を見て大体検討はついておったと思うわ。」
しかし、折角エンリッヒが説明したのに、自分で聞いた割りに女はふーんと気のない返事を返すだけ。
そんなやり取りを黙ってみているしかない私は、知らず知らずのうちに黒の剣を持つエンリッヒを上目遣いに睨んでいたらしい。
不意に目が合ってしまうと、エンリッヒはニタリ・・・とあのいけ好かない笑みを浮かべる。
「やだわぁ、ヒロさん。そんな熱い視線を向けんといてください。恥ずかしいわぁ。」
そんな楽しげな声に、私は奥歯を噛み締めて屈辱に耐える。
しかし、次にその忌々しい口から出たのは思わぬ言葉だった。
「あのね?こんな状況じゃ信じられへんかもしれまへんけど。わいは別にヒロさんの邪魔をしたいっちゅーわけじゃないんですわ。むしろ、『魔人』なんて研究をしとるこんな外道は殺された方が世のためだと思うとるぐらいですわ。」
「?」
この状況の何をもってそんなことを言い出したのか、私には理解不能だった。
エンリッヒと女は私がこの狂った科学者を殺すのを止め、そして今も私を取り押さえているではないか。
―――アーシアンの魔の手から従順なるエンディミアンを守る天使
どこをどう考えても、今の現状はそんな当たり前の様子にしか見えないではないか。
なのに、どうしてその天使がそんなトチ狂ったこを言うのか?
Dr.を殺そうとしたあの衝動が再びせり上がってきて、私はエンリッヒを殺意を湛えた瞳で睨みつけた。
「この腐れ科学者は天使たちの承認を得て、研究を進めているといっていたが?」
しかし、私の殺意など受け流してエンリッヒはあの笑顔を顔に貼り付けたまま動かさない。
「確かにそういう天使がいるのも事実でっせ?でも、それが天使の総意というわけじゃありゃしません。」
そこでエンリッヒは言葉を一端切ると、床に磔にされたままの魔人に視線を向けたまま、次の言葉をつむいだ。
「少なくともわいは天使であろうがアーシアンだろうが、生きている者をあんな風にしてしまうんは許せへんことだと思うとりますわ。・・・あんな誰も制御できないような魔物」
瞬間、声と表情に張り付いた笑顔に影と憎しみが宿ったような気がした。
私はその意味を測るようにエンリッヒを見つめた。
「じゃあ、何で止めた?」
だが、私の当然の問いにエンリッヒが苦笑して黙り込み、代わりに私の上に乗っかっている女が口を出してきた。
「疑り深い男は嫌われるわよぉ。まあ、私はそういう男も好きだけどぉ?」
そういって女に背後から首筋を撫でられ色っぽい息を吹きかけられて、
「ぎゃあっ!」
思わぬ刺激に声を上げた私を女が面白そうに高い笑い声を上げる。
「きゃあっ!かわいい!」
「〜〜〜っ」
私は顔が熱くなって言葉にならない叫びを上げた。
話をそらされるは、女一人にいいようにあしらわれるはで、正直もう泣きそうだ。
しかして、そんな私の様子を見るともなしに見ていたエンリッヒが黙り込んでいた口を再び開く。
「ちょいちょいシャオンさん、シャオンさん。あんまり苛めとかんどいて下さいね?えっと、ヒロさんの質問はこの外道科学者を殺すのを止めたか・・・てことでしたっけ?」
どうやら女が逸らした問いに答えてくれる気になったらしい。
私は床に張り付いたまま、改めてエンリッヒを見上げた。
「実はこの科学者を殺すってことには、わいも異論はありゃしまへんのや。・・・ただ、ただですな?わいには、この外道を殺さしてあげたいお人がおるんですわ。」
―――『殺させてあげたい人』
『殺したい人』でも『殺されたい人』でもない、エンリッヒは誰かにこのDr.パルマドールを『殺させてあげたい』と言った。
私はその言い回しが気になた。
そして、エンリッヒにはいつものあの笑顔が張り付いてはいるが、目はぞっとするほど殺気に満ちて冷たい色が宿っている。
―――本当は自分で殺したいんじゃないのか?
私はエンリッヒが何をいいたいのか、何をしたいのか、分からなくて眉を顰めた。
「こっからは単なる独り言だと思うてください。」
エンリッヒははじめにそう前置きをした。
何となく拒否できる雰囲気でもなかったので私が頷くと、エンリッヒは笑みを深めて話し始めた。
「ヒロさんはずっと旅を続けてはるんですよね?エヴァさん以外には、家族とか大切な人は今いらっしゃりますか?」
そう言われて思い出すことは楽しい思い出ばかりではない。
「・・・今となってはエヴァしかいないな。」
「変なこと聞いてしもうて、すんまへん。実はお恥ずかしながら、わいには大切と言える他人はおらんのですが、誰よりも大切な家族がおります。」
エンリッヒの話の意図は全く見えてこない。
「ただ・・・こんな誰かを傷つけたりする職業だと、酷く簡単に天使だろうが人間だろうが目の前で死んでいきます。殺してしまいます。・・・ふと、考えることがあるのですわ。例えばもし自分が殺したように、家族が誰かに呆気なく殺されてしもうたりしたら・・・」
いいながら想像したのかエンリッヒはその笑顔を泣きそうに歪めた。
一ヶ月前も思ったのだが、この天使はある部分だけとても甘い所があるようだ。
「変でっしゃろ?そんなこと考えても何の意味もありゃしまへんのに。でも、もしそんなことになったら、わいはその相手を殺したいほど、いや、殺しても足りんくらい、苦しめてやりたいと思うんやろなぁ・・・と思うわけですわ。もしヒロさんだったら、どうでっか?」
長い独り言の果てにエンリッヒが最後に私に問うた。
その言葉には私に何か語りかえるような響きがあった。
だが、私はその問いには答えず、彼の真意を測るように逆に問い返した。
「要はお前の言う『殺させてあげたい人』というのは、この外道科学者に誰か大切な人を殺された人物で。だから、私にこの外道を殺すのを、その人に譲ってくれないか・・・てことか?」
すると表情を変えないまま小さく小首をかしげるエンリッヒ・・・何とも微妙な反応である。
恐らく私の言っていることはあっているのだと思うのだが、たったこれだけの事を伝えるために、エンリッヒは妙に遠まわしな方法を使い、しかもこんな風に答えを濁されるのは何となく気持ち悪くい。
するとエンリッヒは私のそんな感情を察したのか、最後に付け足すように言った。
「あの人ねぇ、誰かに同情されたりとか嫌いなんです。もし、誰かに同情されて自分の仇を譲られたらなんて知られたら、わいは一生あの人に口をきいてもらえんくなります。わいもそれは嫌なんや。どんなに酷いお人だとしても、あの人はわいの大切な人やからね。」
「エンリッヒ?」
そう言っておどけたように笑うエンリッヒに、私だけではなく私を抑えつける女の方も訝しげな声を発した。
要は大切な人を殺された可哀相な人に私が同情してDr.パルマドールを殺す役割を譲ったのではなく、エンリッヒの独り言を聞いて何となく殺すのを取りやめたという形をとらなければ、その人のプライドを傷つけてしまう・・・というのことのようだ。
聞いているだけで何となく呆れてしまうような理由だが、気持が分からないでもない。
Dr.パルマドールを殺してやりたいという怒りの感情が決して消えたわけではないが、エンリッヒの話に動かされた自分がいた。
エヴァが聞いたら、自分の感情まで殺して馬鹿だなぁと笑われそうであるが、まあ、どうせこの状況ではしたくでもできないのだ。
それにもし、自分だったら、大切な人を殺した仇を、自分でない誰かが殺したとしたら。
それは結果としては『仇の死』という同じ結果だとしても、やっぱり嫌だと思うだろうから。
でも、そう納得する前に、一つ聞いておきたくて私はエンリッヒに問いかけた。
「だが、その人にはDr.パルマドールを殺すことができる算段はあるのか?」
それがないなら、ここで殺してしまったほうが世のためだ。
「まあ、それはわいもばっちり手伝ってあげとりますから。お任せですわ。」
「・・・そうか」
それを聞いて安心して、私は今さっき用意した言葉を白々しく吐いた。
「お前ののんびりした独り言など聞いていたら、あんな男、殺す気もうせたなぁ。」
まあ、女一人に完全に拘束されている人間の言う言葉ではなかったが、エンリッヒはその言葉に満足そうに頷いた。
私が殺すのをやめたのはその人に同情にしたわけではない、ただの気紛れ・・・そういう事にしておいた。
そうして、開き直ったりエンリッヒの話を聞いたりして、いくらか気分が落ち着いてきた私は、いい加減、女の人の下敷きにされ続けている状況からは脱出したいと考えて、ようやく話を自分に戻した。
「で?お前たちも、私に用があるのか?Dr.パルマドールは私が用なしだったら三大天使さまに殺してもいいという、お達しを受けていたようだが」
だから、ハクアリティスのことも私から聞くのは諦めて、てっきり天使たちは私には用はないのだと考え、逃げ出せるものなら何とかして逃げ出してやろうと考えていた。
しかし、先ほどの二人の言動や様子からは、どうにもただDr.パルマドールを助けに来たとうだけには見えない。
「その話は後にしましょうよ。こんな辛気臭い所からはさっさと出たいわ。」
そうですなぁと、のんびりとエンリッヒがそれに答える。
しかし、二人は私の質問など聞く気がないように、そそくさと私を拘束したままこの場を去ろうと言い出したのだ。
思わず焦る。
「おい・・・この腐れ科学者は?魔人はどうする気だ?私を何処に連れて行こうというんだ?」
黙ってそれを容認することはできなくて、私は声を上げた。
「・・・まあ、今が好機と言えんこともないんですがね?まだ『その時』じゃないんですわ。」
エンリッヒは含み在る言葉で私を振り返る。
そして、床に押し付けていた私を立たせ、その両手を背後で締め上げて女が私の耳元で呟いた。
「そ・れ・に、この状況で私たちに逆らえると思っているのかしら、ヒーロ?」
その言葉が蓋し正しかったのと、耳元に吹きかけられた息がくすぐったかのとで、私は黙らざるを得ず、沈黙のまま私は地獄のような生態兵器研究所を何もせず、後にしなくてはならなかった。
ただ、エンリッヒの言葉どおり『その時』私は再びこの場所に舞い戻ることになるのだが、それはまた先の話である。
しばらく忙しくて進んでいなかったですが、また少しづつ進めていけたらいいと思います。
加筆・修正 08.8.10




