第161話 楽園に終焉に歓喜の声を上げろ! 5
私はその時初めて、自分の目の前にいるのが世界を統べる女神なのだと自覚した。
だが、同時に彼女が一人の女性であることも理解した。
「貴方に私の心の何が分かるというのですか?そもそも私たちを造ったのが異能者ならば、どうして同じ間違いを犯したのかしら?自分たちに感情があったから苦しかったはずなのに……感情なんてなければ世界はこんなことにならなかったはず。ねえ、そうは思いませんか?」
それは筋が通る論理であるように感じる。
『だけど』『しかし』と私は思ってしまうのだ。
「そうかもしれない。感情がなければ、少なくともこの事態はなかったと思うよ。だけど、貴方に感情がなかったら、きっと世界はもっと早くに破滅していたようにも私は思う。」
「……何を言っているの?役目を果たすだけの神がいれば、世界は勝手に幸せになったでしょう?」
白き神は私が何を言っているのだというように顔を顰める。
私はそれに応えるべく、次の言葉を紡ごうと息を吸った瞬間だった。
部屋を満たす空気が一瞬で変わる。
尽きることなく溢れ出てくる灰色の魔力が、まるで何事もなかったかのように消えたのだ。
それは灰色の魔力の暴走の終わりを告げるものでない。
私には分かる。それは正に大きな爆発の前の静けさ。
その静けさが静かであればあるほど、後からやってくる爆発は大きいのが直観的に理解できた。
『爆発』とはすなわち新たなる灰色の神の誕生である。
「まずいっ!」
それを理解した後にクーがオウェルの側にいたことを思い出し、私は白き神に背を向けて駆けだす。
白き神の説得に時間をかけすぎたということか、いや、それよりも想像以上に神の誕生が早いということか。
とにもかくにも何が起こるか全く分からない。
「ヒロ?」
私が急に叫んだことで僅かに首をかしげるクー。そのあどけない少女の表情が次の瞬間に灰色の影に隠される。
「クゥー!!!」
オウェルとディルアナを中心にして一瞬で消えたはずの灰色の魔力が一気に吐き出される。
それはまるで強烈な竜巻のように立ち上り、勢いそのままに銀月の都の天井を突き破る。
吹き荒れる風は正に嵐。
私はその場に踏ん張るだけで精一杯で先に進むことすらままならない。
「うわああ!!!」
「きゃあっ」
背後から僅かにオウェルとテレサらしき叫び声が聞こえた気がするが、それを振り返る余裕もない。
しかし、その嵐のような勢いも一瞬で立ち消える。
「な…なんなんだ?」
ばらばらと崩れ落ちてくる天井の破片。
見上げれば今の衝撃でこの場所は地下深いところにあったはずだが、天井をぶち抜いた穴からは空が見える。
先程まで灰色の魔力に満ちた世界は太陽すら覆い隠されていたはずだが、まるで何事もなかったかのように綺麗な青空だ。
あたりに溢れかえって人々を苦しめていた灰色の魔力の暴走の気配も消えた。
あるのは暴走していた魔力よりも遥かに強大で凝縮された気配。
「おぎゃあ・おぎゃあ」
それが本当の意味で産声を上げていた。
力尽きたように荒く息をしたまま倒れたオウェルの横で、目の前にはつい数秒前までと同じようにきょとんとした顔のクーが立っている。
少女が無事なことには安心したが、その腕に布に巻かれて抱かれている存在は恐らく赤子の顔をした新たなる神。
「あれ?ヒロ…私は……??」
クゥも何が何だか分からないのだろう。
夢から覚めたばかりのように眼をぱちぱちと瞬かせた後に、腕の中に突如として現れた重みに目を落とそうとする。
「待て、見るな!!」
頭をよぎる悪魔の記憶の中で何度もフラッシュバックする、恐ろしい目玉の化物。
それは恐らく灰色の神・神に忌み嫌われた子供の本性。
新たなる神と彼が同じ存在でないことは分かっているが、その本性は同じである可能性が非常に大きい。
少なくとも子供が見て愛らしいと感じるものではないはずだと、私はクゥを止めようとしたが既に遅し。
「……」
クゥは腕の中の存在に目を落として固まった。
それを見てともかくクゥから引き離さなければと、一歩踏み出そうとすると私はものすごい勢いで地面に引きずり倒される。
「ワブッ!!」
予想していなかったアクシデントに顔をもろに床にぶつけ、目の前に星が輝く。
「貴方はそのまましばらく床で寝ていなさい。あれは私の赤子です。」
その横をかつかつと白き神がクゥに向かって突き進んでいく。
「待てっ!何だ?!」
無論、それを止めようとする私だが、起き上がろうにも何かに足が引っ張られて起き上がることができない。
後ろを見れば私の足を床から生えた蔦みたいなものが絡め取っている。
無理に引っ張ってみるが、恐らく白き神の魔力によって蔦は構成されているのだろう、力づくではとても外れそうにない。
手の中にある世界の楔を使えば魔力を破壊できるだろうとそれを試そうとすると、思いもよらない歓声が上がった。
「やっと、会えたね!!」
その声に蔦に足を絡めとられたまま再び前を向くと、その異形な姿に恐怖し慄いているだろうクゥの表情は満面の笑み。
白き神もその反応に面を喰らっているのだろう。足がぴたりとクゥの前で止まっている。
しかし、次の瞬間にはものすごい勢いで少女から赤子を包んでいるだろう布をひったくった。
「きゃあっ!!」
だけど、彼女はそれを確認した瞬間に赤子をまるで汚いものでも触ったかのように手から落とす。
その一瞬に布の奥から一対のギョロっとした目が私を射抜く。
それは本当に一瞬のことだが、間違いなく悪魔の記憶の中で見た異形なる存在。
赤子というのは本当にその泣き声と大きさだけで、姿は人間のなりそこないのような醜く歪で正視に堪えない化物。
白き神の反応も分からないでもないが、それよりも驚いたのが白き神がその腕から落とした赤子をクゥが咄嗟にキャッチして大事そうに抱きなおしたことだ。
「何するの危ないじゃない!!……大丈夫?」
クゥには赤子の姿が普通の赤子のように見えているのだろうか?
まるで本当にかわいいものを、大切なものを見るかのようにクゥは赤子を覗きこむとにっこりと笑って見せるのだ。
「クゥ、君はその赤子が何なのか分かっているのか?」
「え?何って……この子は私の大切な人だよ。多分ね。」
呆然とつぶやいた私にクゥは笑って見せて、赤子を強く抱きしめる。きゃきゃっと、赤子が嬉しそうに笑い声を上げる。
「言ったでしょう?私は夢の中で何回も世界の記憶を見るって……その中で私は自分の前世の記憶も見たんだ。その中で私は誰よりも大切な人を見つけたよ。だけど、前世で私たちは離れ離れにならなくちゃいけなくなった。だから、来世では絶対にずーっと一緒にいようって誓い合ったんだ。その相手がこの子だよ。」
その確信はどこからくる?
その想いは異形な姿も、その子供が背負う運命も関係ないというのか?
私にはただクゥが何も知らないまま、灰色の魔力に付け込まれているとしか思えなくて、絡め取られた足を世界の楔を使って解放させると、まだ呆然としたままの白き神を追い抜いてクゥから赤子を奪い取った。
「何するの?!」
非難の声を上げるクゥを無視して赤子を見下ろす。
白き神のように取り落としたりはしないが、覚悟はしていてもその異形な姿は強烈で私は息を飲む。
赤子はクゥから引き離されて驚いているのか、血走った黄色い瞳をぎょろりと私の方に向ける。
その顔は黒色でシワシワの肌に頭は大きく膨らみ、目は飛び出て鼻は削がれ口は左右対象ではなく曲がっている。
布に包まれた体は確認できないが、恐らくその体も異形であろうことは想像に難くない。
だけど、腕の中の重みと発する体温。そして、
「おぎゃあおぎゃあ」
クゥを求めてなく声は普通の赤子と何ら変わりなかった。
でも、私は知っているのだ。
「この子は世界を破滅させる存在だ。」
「だから?!どうするの?」
「……お前はこの子が大切なのか?」
私を必死の形相で見上げるクゥは、その問いに大きく大きく頷いて見せる。
その姿は赤子が何であろうとも関係ないといった風だ。
夢だか前世だか知らないが、あったばかりの赤子に、それもこんな異形な赤子に大した思い入れだと感心する一方で、それは誰しもが持つ簡単でだけどとても難しい想いなのではないかと思う。
世界を破滅させる存在にだって、誰にも気にも止められないちっぽけな存在にだって、生きていて何処かで誰かが一人くらいはその存在を大切に思ってくれる人がいる。
当たり前のことかもしれないが、それを実感できることは幸せなことだ。
だからこそ、人は繋がりを求める。
誰かに大切に思われたいと思うから、誰かと繋がりたい思う。
その繋がりが強ければ強いほど安心できる。
だけど、その繋がりは目に見えないものだから、相手が大切であればある程、自分に自信がなければない程、不安が募る。
だから、その想いと不安が強くなりすぎて『ヒトツニナリタイ』…ラーオディルはそれを願った。
『ウオオオオオオオオ・・・・ン』
新たなる神にラーオディルという存在を重ねて考えに耽っていた私は、その遠吠えにはっとする。
空が覗く開いた天井から恐らく私にしか聞こえない獣の声が聞こえた。
それはウァブーシュカが新たなる異端の神の誕生に気が付いた証拠であった。