第160話 楽園の終焉に歓喜の声を上げろ! 4
その場所にたどり着いた私が目にしたものは、外界の壮絶な地獄絵図とは無縁で、世界の終焉などまるで感じさせない静寂。
だが、そこに横たわるのは背筋が凍るほどの恐怖・絶望・畏怖……なんと名前を付ければいいか分からない。
だけど、普通の人間が足を踏み入れてはいけない、言葉にできない何か。
「あら?来てしまったのですね、ヒロ。」
その中で白き神が私に悠然と声をかける。
そして、彼女は『それ』の傍らに立ち、愛おしそうに『それ』を見つめた。
その表情はまるで幼いわが子を見守る母のようでもあった。
だが、その表情に私はぞっとするような気分を抱きながら問いかける。
「……ここまで予想して準備していたのか?」
『それ』はまさしく世界の終焉を告げるモンスターの咆哮。
―――銀の神オウェル
巨大な体はやせ細り、体を覆っていた豊かな毛は抜け落ち、流す涙は血の色をし、咆哮を上げていると言ってもその鳴き声は私の耳に届くか届かないか程に掠れていた。
彼はその影で確認できないが、恐らくディルアナの死体のそばで天を仰いで泣き続けていたのだ。
白き神の横で叫び泣き続けるその声は、悲壮さと猛々しさで私の体と心を震わせる。
そして、その枯れ果てた嘆きはは今や世界の消滅を告げる産声になろうとしていた。
オウェルの口から目から体から灰色の魔力の濃い気配が立ち上るのが、はっきり見えた。
この場所が静かなのはオウェルのせいなのか、白き神の力の為なのか定かではないが、この部屋の外で暴れまくる灰色の魔力の根源がこのオウェルであることは間違いなかった。
「まさか、この手まで利用することになるとは思わなかったけれど。まあ、可能性の一つとしてエンシッダに命令しておいたの。ねえ、オウェル?」
そう囁きかける白き神の言葉は、化物…いや神の本性をむき出しにしたままのオウェルには聞こえていない。
じりじりと白き神との間合いを計るように場所を移動すれば、その傍らには見た子もない小さな小さな人間らしき影が見えた。
「見て、可愛いでしょ?これがディルアナの本性。まるで妖精のようで愛らしい姿……悲しいことにもう二度と目覚めることはないけれどね。」
「相手が死体でも神同士の本性が交わり合えば、禁忌ということか。」
万象の天使が示した可能性を聞いた瞬間に、自分が一度途切れた時の記憶がフラッシュバックした。
アラシによって殺されたハクアリティス。
そして、その引き金は黄色の神ディルアナの聖櫃からの解放…その場にはオウェルがいた。
その後は悪魔に乗っ取られ、この場所がどんな状況になったのか全く分からない。
だが、オウェルが絶命したディルアナを悲しみ、彼女の死体を抱きしめたとしても何の不思議もない。
私だってユイアを失った瞬間、その体を抱きしめずにはいられなかった。
命を亡くし、ただの入れ物になってしまった体だとしても、それは大切な人の亡骸。
その結果、それが禁忌だとしてもそんな事その時に気にしている余裕はない。
オウェルを責める気持ちはない。
彼は禁忌の中心で灰色の魔力の根源を生みだしている自覚すら、恐らくないのだろう。
だが、その感情すら利用しようとする存在がいたとしたら?
白き神の言葉を信じるならば、あの時、ハクアリティスにディルアナを解放させたのは、アラシの凶行を誘発さ私を悪魔に明け渡させるという役割だけではなく、万が一にラーオディルが使えなくなった時のために新たなる異端の神を造り出す……要するにオウェルとディルアナの本性を交わらさせる役割も担っていたということだ。
その結果、例えウァブーシュカが現れることになったとしても、白き神にとっては自分の目的を達成させるために灰色の魔力の根源は必要なのだろうが、
「二人はあんたの子供じゃないのか!?それをこんな形で利用してまで……っ!!!」
やりきれない感情を吐き捨てるように白き神にぶつけた。
神や人間に何処までも利用され続けた黄色の女神ディルアナ。
全てを裏切っても彼女への愛のために嘆き、懺悔をし続けた銀色の神オウェル。
幸せになるべき道を全て失った二人の愛ではあったが、こんな結末を、いや、結末すら利用されることを二人はしたのか?
「……分かっているのです。本当なら私は二人を何処までだって慈しまなくてはいけない。それだけではない。世界のために白き神として全てに正しくなてくては、全てを愛さなくてはならない。」
ぶつけた感情に返ってきた言葉が思いがけない言葉で私は目を見張る。
「だけれど、では、誰が私を慈しんでくれるのですか?愛してくれるのですか?」
そう私の目を見て問いかける白き神の黄色い瞳は、果たして本当に狂気に侵されていたのだろうか?
私がそれを確かめる前に甲高い子供の声が、両者の間に割って入った。
「ヒロ!!!」
その声の正体に驚く。
「お…お前たち!!」
そこにはアラシとともに、この部屋にいたはずのクーたちがいた。
家族が目の前で消えていき、混乱と恐怖でその様子は完全に無事だとは言い難いだろうが、とりあえず生きていてくれたことに安心する。
だが、次の瞬間にやばいと直感した。
「さて、ヒロ。この子供たちの命が惜しければ、しばらくそこで動かないことね。」
放心した状態であったテレサとその傍で彼女を慰めていただろうオーブを囲い込み、テレサの細い首筋に本来の自分の腕らしき手の先にある長い爪を突き付けた。
テレサには動く気配はなく、オーブもテレサに鋭い爪を突き付けられて動ける様子がない。
たまたま私の方に駆けだそうとしたクーだけが、その様子を振り返った姿勢から泣きそうな顔で私を見つめる。
私はそんな少女に少しだけ笑ってやると、彼女に近づいてそっと彼女を横へ押しやった。
「大丈夫だ。二人は私が必ずたすけてやる。お前は端っこで大人しくしていろ。な?」
その言葉に強張った顔のまま小さく頷いて、おずおずと移動するクー。
オウェル達が近いが、灰色の魔力の脅威もこの部屋ではなさそうだし問題ないだろう。
それを確認して、私は子供二人を人質に取る白き神に改めて向き合った。
恐らく男性の腕であろう太いそれでがっちりと二人の子供をホールドして、細い自分の腕から伸びる長い刃物のような爪を少女に突き付けている白き神。
やっている凶行とは裏腹に、その佇まいと表情は凛として何の暗い雰囲気すら感じさせない。
その様が今は痛々しかった。
だって、さっき私は聞いてしまったのだ。
あの呟きこそが白き神の本当の声だ。だから……
「もう、やめるんだ。」
確証はないが彼女は確かに灰色の魔力に侵されてはいるけれど、本当は正気なのではないだろうか?
私の中でそんな想像がむくむくとわき上がっていた。
だが、私のそんな想像を妖しい笑顔で白き神はさらりとかわす。
「心配しなくても、私の新しい子供が誕生して、貴方がラーオディルを殺してくれたら解放してあげる。」
「その前にウァブーシュカが来るに決まっているだろう!貴方だって世界を壊したくないだろう?!」
「私とウ・ダイの時は大丈夫だった。まだ、大丈夫よ。」
そういう問題ではないと私は大きく首を横に振った。
「これ以上、自分を追い詰めるな!!」
「ふふふ、何を言っているのかしら?」
灰色の魔力に侵された証である黄色に光る瞳を細めて、白き神は微笑む。
その姿を目の当たりにして、さっきまではその狂気に戦慄した。
だけれど、白き神の真実らしき片鱗を少し垣間見ただけで、その印象は一変した。
自分でも何て単純なのだろうと感心してしまうが、些細なことで他人の印象なんて呆気なく変わってしまう時など珍しいことじゃない。
しかし、そういう半面、人間の思い込みというやつは根深い。
「貴方は確かに神だ。私も今まで知らなかった。いや、知ろうともしなかった。神と言う存在があまりに偉大で、自分とかかわりがなさ過ぎて神は絶対なのだと思い込んでいたんだ。神は正しくて、力があって、人間を導いてくれる存在で、ただ頼ればいいと願えばさえすれば神が人間を助けるのが当然だって思っていた。」
神を信じていないと言いながら、私は今まで何度神に助けてくれと願ったことだろう?
だからと言って、そうそう都合よく神が私を助けてくれる訳もなく、神なんていないんだとその存在を恨んだ。
人間なんてあまりに傲慢なものだ。
神がどんなものなのかも知らず、ただ自分の都合のいい存在に祀り上げておいて、自分の思い通りにしてくれなければ失望する。
神に力があるのは本当で、世界に対して、生きる者に対して責任があるのだって本当だ。
だが、世界の願いを人間の願いを、全て叶えるほどの力と責任を神が有してるなんて誰が決めた?
その中に神の願いがあったとして、何か問題があるのだろうか?
白き神だけじゃない。私が何人か出会った神、オウェルもアオイもウ・ダイにもそれぞれにきっと願いがあった。
願いに込めた想いがあった……そう思った時に、神と同じ場所に立って話をして戦った時に、私はやっと神に感情があることを知った。
「だけど、違うんだと分かった。神にだって人間の様な感情があるって……他人の心が分からないように、貴方の心は分からない。だけど、感情がある以上、貴方にも弱さがあって当たり前だ。迷いがあっても当たり前だ。」
熱がこもる私の言葉に白き神の表情は動かない。
それでも構わなかった。
戦って勝てるとも分からないし、私に残された時間は限りなく少ない。
その中で白き神を力ではなく、彼女をあるべき姿に戻すことがきっと私の仕事だ。
灰色の魔力は確かに欲望で人を狂わす。
それでも欲望だって感情の一つに違いないのだから、その中で正気を保っている様子を見せる白き神に私は最後の希望を抱いていた。
「だが、人間は誰もそれに気が付かない。ただ、神に願うだけ、神はそれに応えるだけ。応えはきっと様々だったろう。全ての願いに答えた訳でもないだろう。その度に人間たちの失望や恨みは募っただろう。……正直、それが私だったらあっという間にその理不尽さに怒りが爆発していることだろう。自分勝手に今の貴方のように自分の思い通りになる世界を造ろうとしただろう。」
それでも神が人間の思うような完全で絶対な存在だったら、そんな思いに捕らわれることもなかったのかもしれない。
でも、私の世界の神には感情があった。
「千年前まで貴方はそんな思いを抱えて、それでも世界のために自分を殺してきたのだと思う。だけど、貴方にもやがて限界がきた。異能者にしてもそうだ。絶対であることを、完全であることを定められた以上、弱さも迷いも見せられない。だって、貴方は神の中の神。同じ神にも頼ることは許されない。だから、貴方は自分から狂ったんだろう?」
私はこれまで多弁に人に何かを語ったことがあるだろうか?
だけど、この一連の戦いの中で愚かな中でも私は一つ学んだ。
言葉を尽くさなくては、誰に何も伝わらない。
この世界の生き物は生まれて死ぬまで、誰かと完全に一つになることはない。
それは当たり前のことかもしれないが、だが、考えてみた。
私はこれまでの人生の中で、自分が悲しいと思うことは当然誰もが悲しくて、自分が嬉しいと思うことは誰しもが嬉しいという基準で生きてきた気がする。
それは多くにおいては当てはまることなのかもしれないが、その悲しさや嬉しさは私と誰かは全く同じじゃない。
似ていても違う感情。
この世界に生きる存在が一つ一つ違うように、それが抱く感情は全て違っていて当たり前なのだ。
だから、すれ違う。
他者と同じ感情を抱くことがないから、伝えようとしないと、必死で伝えないとその感情は想いは気が付くと違うものとして誰かに伝わっている。
―――そう、言葉・体・想い、全てで伝えないと何一つ私の想いは伝わらない
だから、私はもっともっとと言葉を身振りを想いを、私の全てを重ねる。
「貴方が辿った道は間違っていると思う…でも、貴方は決して灰色の魔力に侵されて間違った訳じゃない。貴方はただ楽になりたかった。生まれ初めて逃げたんだ。私なんて生まれて今まで、何度だって逃げた。なのに、貴方はたった一度逃げただけで、世界が壊れる。貴方の背負うものはあまりに重すぎる。投げ出したい気持ちも分かる。だが、どうか頼む!世界を、貴方を諦めないでくれ!!!」
「……貴方の物差しで測らないで。」
これだけ私という全てをぶつけて、返ってきた言葉は一つ。
だが、返ってきた言葉は確かに白き神の感情であった。
後半部分は『ヒロ、独り言を続ける』な話になってしまいました。
読みにくい、分かりにくい部分はあったと思います。申し訳ありません。
ですが、ヒロも語っているように彼も白き神を説得するために必死なのです。恐らく彼が一人でこんなに熱く語ることとは最初で最後だと思うので、広い心でお許し頂ければ幸いです。
加えて年内に終わらせたかったのですが、中々進んでいない状況で本当に申し訳ありません。でも、次で色々大きな山を越えるはず!来年の初めにはこの物語を完結できる目途は一応たっているので後少しだけお付き合いくださいませ。