第159話 楽園の終焉に歓喜の声を上げろ! 3
<そして、最後にヒロへと物語は戻る>
チク・タク・チク・タク
遠くから少しずつ近づいてくる秒針を動かす歯車の音。
私はそれを少しでも遅らせようと心の中で強く念じる。
―――まだ駄目だ。後少し、もう少しだけ待ってくれ
その秒針が刻むのは楽園の終焉。
秒針が最後の時を告げた瞬間になくなってしまうんだ。
全部全部、最初からなかったことにされてしまうように、全て根こそぎ消滅する。
急げ急げ!
やり残したことがある。助けたい人がいる。伝えたい言葉がある。
だから、近づく音から逃げるように、私はただ我武者羅に走るのだ。
その音はいつの間にか時計の秒針ではなく、世界を食べてしまう怪物の雄たけびになっていた。
―――怪物の名前はウァブーシュカ……前文明の時代から生き続ける灰色の魔力を食べる姿なき怪物
世界の楔が繋がる存在。
異能者すら制御不能である、世界の終わりを呼ぶ怪物。
ああ、灰色の魔力がこれ以上溢れたら……奴がもうすぐやってくる。
「っはあ、はっ…があ!」
息が何度も詰まる。そして、足がもつれて倒れこんだ。
それをすぐに立ち上がって、また走り出す。
あらかじめ言っておくが、別に私は意味なく走っている訳じゃない。
ちなみにいつものように逃げ回っている訳でもない。
まあ、何かに追い詰められているという状況は変わらないので、心境的には逃げ回っているのと大して変りないのかもしれない。
『……嫌な予感がする。』
そもそもは万象の天使が去って行った白き神にそう呟いたことが私が走りだした原因だ。
『そんなことは百も承知だ。白き神が何をするつもりか心当たりはないのか?何処に行った?』
『あの人は異能者を新たに造ると言った。ラーオディルの代わりを造るつもりなんだ……そのために禁忌を犯す。例えば神同士を交わらさせる?いや、だけど神はほとんどが聖櫃の中で―――』
『まさか!!!』
万象の天使の思考に浸る独り言にはっとした。
頭をよぎる考えたくない状況、そう思ったとたんに走り出してた。
『ヒロ!!』
『白き神が行きそうな場所が一つ思い当たる!私はそこに行く!!』
迷っている余地はなかった。
『……分かった。白き神については君に任せるよ。俺は一緒にはいけないけど。』
『当然だ!!お前は天使について、いや、この東方の楽園全ての責任を負っているんだ。白き神は私がどうにかして見せる。だから、お前は天使と人間の戦いを終わらせろ。それができないなら、私はお前を許しはしない。』
白き神を任せろとは中々の大口を叩くものだと自分でも思ったが、そう言わなくては自分を奮い立たせることができなかった。
万象の天使を焚きつけることもできないと思った。
『人間を許せというのか?』
案の定、天使はこの状況だというのにそう喰ってかかってくる。
『少なくとももう生きている人間に天使を迫害した者はいない。むしろ、天使に迫害された人間しかこの大地にはいないだろうな。』
私たちは睨みあった。
元は同じ人間でも、人間と天使はあまりに長い間分かれすぎた。
それこそまるでラオ―ディルと万象の天使のように…今更相容れることはかなわない。
それでも、分かり合おうとすることはできる。
人間も天使もまだお互いに生きているんだから…その結末はまだ分からなくとも憎しみも悲しみも消えなくても一歩踏み出すことはできる…私はそう信じたい。
この戦いで全部がハッピーエンドで終わる訳がないとは理解していても、悲劇や憎悪の連鎖の終わりの始まり…そのきっかけくらいにはなってほしい。
私はこの時初めて万象の天使の瞳をたじろぐことなく見つめ返した。
『…ならば、俺と契約をしよう、ヒロ。』
返ってきた言葉に私は目を丸くする。
今更何を言い出すのかと憤りを感じたところで、万象の天使に畳みかけられた。
『俺は天使と人間、東方の楽園のためにこれから全てを捧げると約束する。だから、どうか頼む。ヒロ、東方の楽園を救ってくれ。生きて帰ってきてくれ。』
『寒いぞ…野郎にそんなこと言われても嬉しくない。』
言われた言葉を理解した途端に私は顔を歪めた。
言われるなら美醜は問わなくとも、女性に涙を浮かべて言われたい。
絶対に半笑いを浮かべた男になどには言われてくないセリフだ。
『キスした仲じゃないか。』
『ぶっ飛ばす』
更に思い出したくない事実を突き付けられたが、万象の天使がある種の覚悟を決めた私に冗談めかしてその言葉を言っているのは分かっていたので、仕方なく彼に一つ言葉を残した。
『まあ、いい。なら―――』
―――ブワッ!!
目の前に迫る生き物のように襲ってくる灰色の魔力を横っ跳び一つで避け、態勢を崩したまま避けても追いかけてくる実体化した魔力を切りつけて霧散させる。
蠢く灰色の魔力はまるで群がる蛇のように、執拗に私を追いかける。
とはいえ私が世界の楔である証、異能者を殺すことが出来る細く繊細な杖は、どんな巨大な灰色の魔力を前にしてもまるで魔力をガラスの破片のようにあっという間に破壊した。
さすが灰色の魔力を消滅させる存在、世界の楔という感じである。
どうして世界の楔にその能力があるのか、世界の楔と言う存在に何処までの力があるのか、説明がなくとも理解できた部分もあるが、分からないことも多い。
ただ、その力を今は分からないまま使うしかない。
―――ちなみにこの溢れんばかりの灰色の魔力…私が駆けずり回るこの場所は何処だと思うだろうか?
ここは世界の中心でも、世界の胎内でもない、銀月の都。
嫌な予感を胸にしたまま、万象の天使に私は魔法で一気にこの場所へと移動させてもらった。
そして、この地に降り立った瞬間にこの暴走する灰色の魔力を目の当たりにした。
予感が的中したことに舌打ちしたい気分だった。
その様は先日の罪人の巡礼地の灰色の魔力暴走の比ではない、逃げまどう人間たちが魔力に絡めとられ吸収されていく様子が目に焼きついた。
目に映る魔力は世界の楔によって消し飛ばしたが、消滅させても次の瞬間には元に戻ってしまう。
魔力の根源を止めない限りこの惨事は止められないことは確かであった。
私はただただその場所を、魔力の根源があるだろう場所を目指してひた走る。
灰色の魔力の暴走による被害だけじゃない。
このまま灰色の魔力が暴走を続ければ、アイツがこの場所に気が付いてしまう。いや、既に気が付いている可能性もある。
そうなれば……灰色の魔力の惨事どころではない。
私が世界の楔になって分かったことが一つ。
世界の楔とは、すなわち唯一ウァブーシュカと繋がっている存在。
灰色の魔力、すなわち生命の根源を食べつくすその存在は前文明時代より世界の終わりと呼ばれ恐れ続けられていたらしい。
その姿は普通の人間には見ることはできないが、灰色の魔力を持つ存在には空を飛ぶ巨大な怪物が見えることだろう。
鱗に包まれた平っぺたい体、呼吸をするたびに鱗がゆらゆらと揺れキラキラと様々な輝きを反射させる。
かつて、ウァブーシュカは灰色の魔力の暴走だけではない、魔力を持つ者すべてに反応し気が向くままに生きる者を全て消滅させてきた。
それに意味があるのかないのか、分かる者は誰もいない。
ただ前文明、そのまた前の文明、その前も、その前もきっとウァブーシュカは世界の終わりを下し、そして、その後にまた新しい文明が始まった。
それは長きにわたり天災に近い扱いをされてきた。
だが、前文明においてそれをある程度制御できる存在が誕生した…それが世界の楔だ。
その存在はウァブーシュカと意思の疎通ができ、完全ではないにしてもその行動を管理することができた。
ウァブーシュカによって、多発する天災のような世界食いはそれによって止まった。
そのため前文明は何処までも発展を続け、ついには異能者だけを残し世界を殺す所まで行きつくことができのだ。
だが、世界が死んでもウァブーシュカは死ななかったらしい。
それどころか、異能者の力を感じてこちらの世界にまで怪物は突き進んだ。
世界の楔が存在することで、本能のまま生きる者を食べつくすようなことはなかったが、それでも今回だけじゃない罪人の巡礼地でのような灰色の暴走にウァブーシュカは反応する。
ウァブーシュカが本能によって動きだしてしまったら、もう世界の楔の制止など何の意味もなくなる。
灰色の魔力がなくなるまで、その巨大な腹に全てをおさめる。
今回の灰色の魔力の暴走が果てして何処まで広がっているか、私には今確認するすべはないが、それでもここに集結している人間に天使の数を考えれば、あまりに甚大な被害が出ることは避けられない。
それどころかこの灰色の魔力の暴走を止められなければ、魔力は東方の楽園全てを埋め尽くす。
その結果、ウァブーシュカは大地全てを消滅されることだって考えに難しいことじゃない。
更に最悪なことに他の大地への封印を解かれてしまっていのだ。
―――下手をすれば、それこそこの世界全てが消滅する……!
少しだけティア視点の話を挟み、かくして物語はヒロによって最終ステージへと差しかかりました。(肝心な部分は次回からですが)
今まで何度か言葉としては登場してきた『ウァブーシュカ』、姿は空飛ぶジンベイザメみたいな感じでしょうか?罪人の巡礼地だけでなく、それは番外編でも実は登場しています。