第158話 楽園の終焉に歓喜の声を上げろ! 2
獣王の命令でこちらを狙った攻撃がピタリと止まる。
獣族のことは大して知らないけど、戦闘好きの蛮族だという印象は少し違ったみたい。
少なくとも強者の前には命令を聞くということもできるらしい。
(だけど、その強者が『アレ』…とはね)
獣王、その強い響きとは裏腹に私の眼下に存在するのは華奢な少年の姿。
だけど、私を見上げるその瞳にはその名に相応しい強さと自信が滲み出ている。
果たしてあの愛らしい皮の下にどれだけの化物を隠していることか……それを見極めるように私は獣王を睨みつけ、揺さぶりをかける。
「獣王よ!どうしてこうもタイミング良く、ここにいる!?」
張り上げた声で戦いに傷付いた身体が悲鳴を上げるのを感じた。
それでも強大な相手を前にして弱味を見せる訳にはいかない、精々強く見えるようアオイの上でふんぞり返り私は有らん限り尊大に声を張り上げた……つもりだ。
だけど、獣王は私のそんな虚勢を見透かすかの様に薄く笑った。
『神を従えるとは中々の豪傑だ。はじめましてなりそこねた神のお嬢さん。』
一目で私の正体はばれているらしい。
獣王は手にした掌ほどの大きさの機械で声を大きくすることができるらしく、私のように声を張り上げる必要もないようだ。
ますます癪に思って、歯が軋むほどにかみしめた。
『ティア、焦りを顔に出さないで。』
「分かってる。」
私の焦りで獣族と全面戦争なんてことになったら、目も当てられない。
正直、今の疲弊している戦力じゃ、あっという間に全滅する。
新しい大地を前にそれだけは免れなくてはいけない。
さて、どうやって獣族の思惑を見定めるべきかと少しだけ言葉に迷っていると、獣王の方が先に口を開いた。
『まずは質問に答えよう。我々は天使の長、万象の天使エヴァンシェッドから封印が解ける可能性が高いという情報を得てここにいる。』
「!!!」
戦いの序盤でヒロと共に消えた万象の天使が、獣族に情報を流していた?
戦いの最中でそれが出来るとは思えない。
恐らく戦いの前に万象の天使は、獣族とコンタクトを取っていたということだ。
だったら、天使はここまでの展開を既に予想していたということ?
その情報を聞いて獣族は何の目的のために軍を出した?
単に千年も解けなかった封印が解かれるからという警戒から?それとも…私たちを捕まえるため?
揺さぶられているつもりが、獣王の言葉でこっちが一気に揺さぶれている。
その事実に気がついて心の中で舌打ちをするが、それでも思考はまだまだ揺さぶられてまま続いていく。
万象の天使が消えて結構な時間がたっているけど、一緒に消えたヒロはどうしている?
悪魔の第二の封印は解けたけど、第三の封印ってそもそも何を封印しているの?
エンシッダ様は私たちに肝心なことは何一つ教えてはくれなかった。
私たちも目的さえ果たされるのであればと、深く知ろうとしなかった。
そのことが急に怖くなった。
『まあ、とりあえずは最悪の状況にはまだ至っていないみたいだけど……どうやら万象の天使はここにはいないらしいね。』
「天使は獣族と連絡を取ることができたのね。」
東方の楽園が封印されて千年。
その間、全く外界との交流は断絶していると思っていたが、天使たちは別だったらしい。
動揺を知られる訳にはいかない。
とりあえず、そうして取り繕った会話を獣王と続けようと努める。
だけど、獣族が告げた『最悪の状況』という言葉が気になった。
エンシッダ様のことだ……この状況を予測していてもおかしくはない。
私たちにそれを教えていないということは、この状況は何もしなくても打破できるということ?
はたまた、エンシッダ様もこの状況は想像していなかった?
最悪なのは彼が私たちを見捨てているという可能性もない訳じゃない……。
だけど、今はそれを四の五の言っている状況ではない。
ともかく封印は間違いなく解かれたんだから、この先に進むことだけを考えなくては!
「それで?ここまで軍で出張ってきて貴方達は何をするつもりなの?」
『天使たちには本当に感謝している。彼らはこの灰色の魔力によって汚された大地を監視し続けてくれていたのだから。』
獣王は私の質問を見事にスルーした。
それにカチンときたけど、口喧嘩するのもバカバカしくて獣王の言葉に続く。
「監視?どういう意味よ。」
『白き神の凶行により灰色の魔力の暴走が起きた。それが終焉の宣告だ。悪魔ヴォルツィッタはそれを他の大地に影響が出ないようにするために東方の楽園を封印した。』
それは知っている。
悪魔は白き神と黒き神をその灰色の暴走ごと東方の楽園を封印した……それが悪魔の第二の封印のはずだ。
『千年という時は偉大だね。灰色の魔力によって大地は不毛のままのようだけど、灰色の魔力による汚染はほとんど感じられない。千年前は封印しきれなかった灰色の魔力のせいで、とてもじゃないけど生物が生きれる環境じゃなかった。』
それも知っている。
終焉の宣告直後の東方の楽園は地獄としか言いようがなかった。
不浄の大地が死の大地だと言われているけど、あの頃を思えば今の大地なんて楽園みたいなもの。
残された灰色の魔力は様々な生物を吸収し、私たちはそれから逃げまどうしかなかった。
『幸いに万象の天使には灰色の魔力を制御する能力があったからね、彼に東方の楽園を上げる代わりに、我々他の大地の王は彼に灰色の魔力の封印が解かれぬように監視することを約束させた。』
なるほど、そういうやり取りがあるから天使には他の大地と連絡する伝手があった訳か。
「勝手ね。そのせいで人間たちがどれほどの苦行を千年もの間課せられていたことか…他の種族は関係ないってことなの?」
『我々は自分の大地を守る事で精一杯だ。他の大地のことまでは悪いが知ったことではない。だから、封印が解けるという事態以外はこの大地に干渉してこなかっただろう?』
「では、私たちがこの先に行くことには干渉しないわね?」
胸糞の悪い話だけど、今はそれをどうこう言っている場合でもない。
ありったけの悪意を込めた顔で睨みつけてそう言い捨てたが、やはり話はそう上手くいくものでもないらしい。
『第二の封印が解かれた以上、万象の天使の力がなくては我々も灰色の魔力の脅威に晒されてしまうのでね……とりあえずは天使の味方をせざるを得ないんだよ。』
「まどろっこしいのよ!要は何な訳?」
アオイが私を諌める言葉をかけるが、そんなもの聞いている余裕はない。
言葉が汚いのは分かっているけど、私は獣王に剣の切っ先を向けながら叫んだ。
『あははっ!この俺にそんな言葉を吐く者はもう西にはいないから新鮮だなぁ。いいよ、はっきり言おう。我々、獣族は君たち人間を我らの大地に踏み入れさせる訳にはいかないってことさ。』
愛らしい顔が、妙に好戦的な光を湛えた。
「だったら、初めっからそう言えばいいでしょ!?悪いけど、はいそうですかって黙っているほど、獣族と違って私たちは物分かりが良くないわよ!!」
叫びながら体の中で魔力を一気に高めた。
『ティア!!様子を見るだけじゃなかったのか!!』
アオイが彼の首のあたりに捕まっている私を振り落とさんばかりに驚いて体を揺らす。
「仕方ないでしょ?!私とあんたで一気に西方の魔境への道を切り開くわよ!!」
そんな彼に一喝して、ともかく獣族の全てを相手にしている場合じゃないので人間が逃げ込める道を造ろうと手薄な場所に切り込もうとした瞬間だった。
―――ゴアアアアアッ
「?!」
突如として沸き起こった爆音に目の前の敵のことも忘れて、後ろを振り返った。
その音の原因はすぐに分かった。
「…銀月の都!?あれは灰色の魔力!!」
人間軍の後方で宙に浮かんでいた空中都市から、まるで噴火した火山のマグマのように灰色の魔力が勢いよく溢れだしているのが目で確認できた。
悪魔の封印は最果ての渓谷の奥にあると聞いていた。
渓谷の間から灰色の魔力が溢れだしてくるというのであれば理解できるが、どうしていきなり銀月の都から?
『ちっ!最悪の事態が起きたという訳か…だが、その源は違う?なりそこねた神よ!勝負は一時お預けだ。あれをこの大地より外に出す訳にはいかないのでね!!』
私に向かって敵意をむき出しにしていた獣王も突如の事態に目を見張ったが、すぐに自軍に何やら指示を出し始めている。
それは私も同じだ。
「アオイ、すぐに戻って!!あそこにはまだ何百人も非戦闘員がいるわ!!」
『分かっている!!シラユリ!!』
私の言葉の前に既に風を切る様にアオイはスピードを上げる。
そうだ、あそこには彼の愛娘のシラユリとているはずだ。少なくともさっきまでは一番安全だった場所なのだから。
戦いに参加しない女子供や老人は、そのほとんどが銀月の都にいる。
何が起こっているか全く分からないけど、あの灰色の魔力の勢いはただ事ではない。
私とアオイは目の前の新世界に背を向けて、一気に灰色の魔力が溢れだす銀月の都へと戻った。