第157話 楽園の終焉に歓喜の声を上げろ! 1
神の傲慢、天使の復讐、人間の絶望によって歪められた楽園が崩れゆく
音を立てて終焉を迎え、死んだ者たちの屍を乗り越えて、生者たちは新しい世界目指すのだ
新しい世界を始めよう!……そう世界に歓喜の声を上げて
全て壊れてしまえばいいんだ!……そう世界に呪いの言葉を囁いて
さあ、新しき世界に喜びの歌を
さあ、朽ちゆく世界に別れの言葉を
声を上げろ!
その先に何が待っていようと、世界は最果てまでたどり着いたのだ
……もう後戻りはできない
【楽園の終焉に歓喜の声を上げろ!】
<時は少し遡り SEDEティア>
人間と天使の戦いは黄色の女神ディルアナの死、それすなわち神の子の死によってその形勢は果たして分からなくなった。
実際にディルアナの死を現実に見た訳じゃない。
それでも目の前で息すらしていないケルヴェロッカの死体が、それを教えてくれた。
その現実が私を完全に打ちのめした。
遠くで雄叫びを上げ獣のように天使をなぎ倒すアオイを見つめながら、私は小さな犬を抱きしめることしかできない。
「ティア、しっかりしろ!!お前っ、そんな腑抜けになってケルヴェロッカが喜ぶと思うのか!?」
イフリータが戦いの真っ最中で座り込む私を叱咤する。
分かっている。戦わなくちゃならない。戦場では戦わなければ、ただ死ぬだけ。
そんな事、ずっとずっと前から分かっている。だけど、体が動かないの。
「何でこんな苦しいのに、悲しいのに生きていなくちゃならないの?」
ついて出た言葉はどんなつらい時にだって我慢していた絶望の言葉。
それでも出てしまった言葉は私の中でしっくりとなじんだ。
そうだ。どうして苦しいのに、悲しいのに、生きていなくてはいけないの?
死んでしまえば何も感じなくなる。そうすれば解放される。
―――ガンッ!!
そうして完全に暗闇に支配されたと思った瞬間、横っ面に物凄い衝撃が走る。
「っ!?」
訳が分からなくて目を白黒させながら見上げた先にはキシンが、泣きながら怒りの表情で私を見下ろしていた。
普段感情を見せることのない仲間のその表情は、言葉より感情の全てを私に訴えていた。
―――キシンは神の子であった恋人スノウを失った
だけど、彼は戦っている。彼女の新しい世界で生きたいという想いを受け継いで。
死者は何も語ることはない。それを語れるのは生きている者だけ。
そして、その語るべき、なすべき想いは私にだって受け継がれているのだ。
―――そう、私はまだ生きている
「……ごめん。」
私は再び剣を握りしめて立ち上がる。
それから少し目を伏せて、肩で息をするキシンをぶん殴った。
まさか殴られるとは思っていなかったキシンは呆気にとられた顔でこちらを見返す。
その彼に思いっきり笑ってやる。
「だからって嫁入り前の女の顔を思いっきりぶん殴っちゃ駄目でしょ?」
「了解。」
キシンの顔にも力なくも苦笑が見えた。
私はそれに頷くと、気持ちを切り替えるべく頬をばちんと叩いた。
「さて!神の子の分まで私たちが一気に片付けるわよ。向こうは万象の天使も蒼穹の天使もいなくて、かなり動揺しているみたいだし―――って、何あれ?」
いいながらあたりを見回した所で最果ての渓谷の方角がぐらりと揺らぐのが見えた。
そして、封印越しに見えていた景色が一気に鮮明になり、その瞬間に感じたことのない湿った空気が、ものすごい勢いで私を突き抜けた。
不浄の大地の乾燥した風ではない。
それは間違いなく……西方の魔境の風っ!
「封印が解けた!!!」
誰かがそう叫ぶ。
途端に人間たちの間で歓声が上がる。天使たちの間では動揺が広がる。
一瞬だけそうして戦いの狭間に、確実なる間が生まれた。
―――そう、千年の間閉ざされていた世界の扉が今、開いたのだ!!
その先に私たちはずっと未来があると、平和があると信じて戦ってきた。
だから、その未来を平和を目に焼きつけたくて、私は砕け散った封印の先に目を凝らした。
連なる山とそれにかかる分厚い黒い雲からは瞬く雷と、恐らくやむことのない雨とその雨によって育ち続ける魔境と呼ばれる深い深い熱帯雨林。
西方の魔境、話にしか聞いてこなかった伝説の大地。
だが、深い渓谷の対岸にゆらゆらと揺れる大きな影が見えた。
「……?」
そして次の瞬間、音と言うよりは空気の塊と言った響きが不浄の大地に広がった。
そこにいたのは獣…神の本当の姿に戻ったアオイと同じくらいの獣、鼻と耳が以上に大きく太く長い四つの足でその巨体を支えている。
その獣がずらりと何匹かも数えられないほどに整然と最果ての渓谷の対岸、要するに西方の魔境側に並んでいるのだ。
「あれは何だ!?」
と、そこでイフリータが叫んだことで私ははっとした。
あまりのことに私は思考が止まっていらしい。
「そんなこと私が知る訳ないでしょ!?」
なんて、あまりに頭の悪い言葉を返すしかできない。
「……どうやら歓迎されているという訳ではないことは確かだな。あれを見ろ。」
がなり合う私とイフリータの間をキシンが冷静に指さした。
目をこらしてキシンの差す方向の先をみれば、巨大な獣の上に完全武装で戦う気満々の様子が窺える人影を発見する。
獣たちは一斉にまるで威嚇のように遠吠えを上げ、その上に存在する人々はその手にある武器を振り上げて雄たけびを上げた。
それはまさしく戦いの狼煙のようで、何が起こったのか分からない私たちは呆然とするしかない。
―――キーン
そんな呆然とするしかない私の耳に、どうにも痛い音が響く。
『あ・ああー只今、マイクのテスト中・テスト中。』
人間も天使も固唾をのむ中、どうにも呑気そうな若い子供のような声が響いた。
『東方の楽園の諸君、こちら西方の魔境の獣王グレイン・アッダだ。』
それは西方を治める王の名。
人間にも天使にも新たな動揺が走った。
封印が解ければ無論として西や南北などが何らかのアクションがあるものだろうと思っていた。
だが、いくらなんでも早すぎる。それも獣王が出張ってくるなんて出来すぎている。
まるで、世界の果ての封印が今日破れると知っていたかのようだ。
「アオイ!!」
私は獣の姿をとりながらも自我のしっかりしているアオイを呼んだ。
「私を獣王の所に連れて行って!」
「ティア!?」
イフリータが驚いたように声を上げた。
「確かめたいことがあるの。イフリータとキシンは動揺した軍をまとめて陣形を立て直していて。封印が解けてもそうは簡単に西にいかせてはもらえないらしいわ。」
こちらに頭を下げたアオイの首のあたりに飛び乗って私は二人に指示を出して、制止を振り切った。
『ティア、どうする気だ?』
「言った通り少し話を聞くだけよ。あんたは獣王と面識はあるの?」
『彼の前の獣王は知っているが、彼とは多分初対面だな。』
「……そう。それにしても入れ替わりの激しい獣王が千年以上変わらないなんて奇跡みたいなもんよね。」
ぐんぐんと近づいてくる巨大な魔物にしか見えないだろうアオイに向かって、獣族たちは様々な攻撃を仕掛けてくるが、手傷を負っていようが神であるアオイにとってそれはさしたる攻撃にはなりえない。
『彼は異能者と契約をした王だからな。』
「それはどういう?」
アオイの呟きに似た言葉に私は眉をひそめたけれど、それを遮るように再び獣王の声がこだました。
『打ち方やめ!!』
その声を発した人物を獣族軍の頭上を旋回するアオイの上から見下ろす。
獣族というものを実際には見たことがなかったが、私が想像したよりも人の割合が大きいみたいだ。
獣王は千年以上その座に君臨し続けるほどの豪傑でありながら、その姿はまるで年若い少年のようだ。
肌は黒く、薄い黄色の髪からは三角の大きな耳が生え、大きな瞳の横には赤い線やら見たことのない文様が顔だけではなく、体などに描かれているようだ。
その細い体を包む服装はさすがたに獣王に相応しい堂々とした感じだが、それでもこの少年が本当に王なのかと疑いたくなった。
だけど、その真偽を確かめるすべは私にはないのだから、彼を王として対するしかない。
私は大きく息を吸って、獣王グレイン・アッダに向かって声を張り上げた。