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東方の天使 西方の旅人  作者: あしなが犬
第五部 最先にて最果てなる世界
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第154話 そして私は楔となる 2

 気が付けば私は荒れ果てた大地に蹲っていた。

 何も考えたくなくて、小さくなって身を屈めむせび泣く。

 カグヤが死んだことが悲しいのか、カグヤを殺したことが苦しいのかも分からない。

 だが、重苦しい感情に圧迫された心から絞り出された涙が止まることはなかった。


「ヒロ、貴方は世界の運命を大きく変えた。」


 降り注ぐ声に感情はなかった。

「異能者を殺す役目は本来貴方が負うべき役目ではなかった。いいえ、貴方という存在そのものがこの世に大した意味を持った存在ではなかった。」

 異能者カグヤを失ったことにより嵐は過ぎ去り、物音一つしない静けさの中で声は何処までも淡々と響いていく。

 その静けさは大地の礎を失った破滅の音。

「全ては千年前の役者たちで決着をつけられるべき物語だった。貴方は巻き込まれただけ。だけれど、貴方はその役目を彼から受け継いだ。そして、運命は大きく変わった。私が歌う詞も変化した。」

 破滅が迫る世界の中心で紡がれる、運命と予言の歌。

 涙は気が付けば枯れていた。

 聞こえてくる歌に顔を上げて飛び込んでくる視界は鮮やかだった。

 灰色の魔力に生命力を吸い取られ、美しく整えられていた庭は見る影もない。

 私が倒れこんでいたのは、私が今まで生きてきた不浄の大地ディス・エンガッドとよく似た大地。

 だが、先程まで美しかった世界を覆っていた灰色の魔力に彩られた、薄気味悪い空は消えていた。

 そこにあるのは目に痛いほどの、晴れすぎた青の空。

 この空が果たして東方の楽園サフィラ・アイリスと同じ空なのかは定かではない。

 そして、その青の中でヴィ・ヴィスターチャは歌う。



 白き光より堕ちた翼は 黒き寝台で眠る

 千の夜 千の朝の果て

 を白き光より 引き千切りし

 黒の血が 其を永き眠りから 目覚めさす

 目覚めし翼は 契約という名の楔を身に刺し

 白き光に還るのだ

 しかして 翼の永い旅は終わを告げ

 世界の胎動が 全ての始まりを告げる


 しかして 世界の胎動は 汚れた神の目覚めを促す

 全ての始まりは 破滅の階段を 転がり落つ

 翼の帰還

 其は 始りにして終わりを 告げるもの

 東方の楽園サフィラ・アイリスの 封印を解くもの


 しかして 始まりと終わり 再生と破滅を 決めるは

 目覚めし翼が 白き力に刺したる 契約という名の楔


『いいえ!楔は契約から解き放たれた!!

 楔は力ある悪魔から 名のなき人へと姿を変えた!

 悪魔は汚れた神と堕ちていく!堕ちていく!』


 世界の全てを 握りし鍵


『それは名もなき人間!

 異能者の血にまみれた 世界の楔!』


 世界は楔の存在に 全てをゆだね    

 楔は 全ての始りにして終わりなるものと 相成りなん


『悪魔ではない人間に世界の楔は重すぎる!』



 ヴィ・ヴィスターチャの声は細く高い。

 その歌声によって紡がれる神秘的な予言の狭間で折り重なって響く地の這うような恨みの歌声。

 それは世界の破滅を予言する言葉なのか?

「…そうさ。こんなの私には重すぎる。」

 歌声に頷いた私に、感情のないヴィ・ヴィスターチャが答えることは何もない。


『人間よ!お前は全てを終わらせるものなのか!』


 多分…と心の中で私は答えた。

 少なくともこのまま世界の理という人柱が不在のままでは、東方の楽園サフィラ・アイリスは想像もできないが消滅してしまうのだろう。


『人間よ!お前は全ての始まりとなるものなのか!』


 静けさの中で響く続く歌声。

 その力強い歌声の奥に私を呼ぶ声を聞く。

 私はその声のあり所を知っている。

「分かってる。お前を見届けてやるのは私の役目…だよな。」

 呼ばれる声に導かれ、続くヴィ・ヴィスターチャの運命と予言の歌に背を向けて私はふらりと立ち上がる。

 血は未だに流れ続け、今の私はまさしくゾンビか魔物のようであろうが、私はそのままふらふらと歩きだした。

 私を呼ぶ声に最後に答えるために。


『ああ、人間よ!我らを見捨てたもうな!!!』



<SIDE ラーオディル・オヴァラ>



 うっすらと浮上してきた意識が最初に感じ取ったものは、とても心地よい感触。

 もう何年もずっと感じてこなかったけど、かつては『僕』にも確かにあった温かくて優しい感触。

 次第に確かになってくる意識はそれが僕の髪を撫でる手であることを理解した。


―――ダレ?


 瞳を開けた先に僕を覗き込む優しい表情が飛び込んでくる。

「ヴォ…ル……?」

 そこには目を閉じても思い描くことができる人の顔があった。

 一瞬幻かと思ったけど、僕を撫でる手の感触はそれが現実であることを告げていた。

「大丈夫か?全くお前は昔から本当に無茶ばっかりだな。」

 もう何年も見ていない彼の保護下にあった時のようなその表情・声が涙が出るほどうれしくて、でも、ふと何かが僕の頬に落ちてきて、それを触ってみて驚く。

「!?」

 べっとりとついた目に痛いほど鮮やかな血の赤。

 ヴォルの胸に深々と刺さったままの全知の杓杖シェーバ・ミシェ、そこから滴り落ちるヴォルの血が僕にかかっていたのだ。

 そうだ!何もかもが現実だったというのに!!!

 その事実を思い出すのと同時に、意識を失う前のことが急速に蘇ってくる。

 確か僕はヴォルの胸を貫いて全てを終わらせようとした。

 僕のこと、ヴォルのこと、ローラレライのこと、ヒロのこと、白き神・黒き神…それこそあまりに多くの人の想いが複雑に重なり合って、僕はその全てを支配し利用していたはずなのに、気がついてみたら自分もその中に絡みとられて訳が分からなくなっていた。

 その結果、僕はあまりに短絡的すぎる手を使って全てを終わらせようとした。

 何故だか知らないが、妙に気分が落ち着いている今、先ほどまでの狂気じみた感情が嘘のような気がした。

 それはこうしてまるで夢のように、幼かったあの頃のように、ヴォルが僕を見て笑っていてくれるから…彼のこんな表情を見るのはそれこそ千年以上ぶりだと思う。

 なのに、それがこんな状況だなんて!!

「ヴォル!!」

 だけど、青ざめる僕にヴォルは笑って首を横に振った。

「いいんだ。これで。」

「どうして!?」

 叫ぶと同時に体を起して僕は驚く。

 先ほどまで不気味な空の色ではあったけど、きれいに整えられていたはずの世界の中心は今はまるで嵐が去った後のように荒れ果てている。

 いや、『よう』じゃない。先ほどまで間違いなく嵐がこの世界を襲っていたんだ。

 もっとも、気象の嵐じゃなくて灰色の魔力による嵐。

 僕は崩れ置いた世界の理、そして、その中身が空っぽであることに気がつく。

「異能者は…?」

「ヒロが殺した。」

 その言葉に全てがもうすでに終わった後なのだと悟った。

「じゃあ、ヒロちゃんは…」

「世界の楔になった。お前の想いがどうであれ、それはもう変わらない事実だ。」

 僕の中にある、いや、もう僕の一部と言ってもいいだろうエヴァの心が沈むのが分かった。

 そもそも僕とエヴァは同じだった。

 僕がラーオディルであるという事実を忘れた姿がエヴァなのだ。

 エヴァンシェッドとは違い、やはり彼と僕は同じなどだとこうして僕が表に出た時強く感じる。

 エヴァンシェッドという意志は未だに出てこようともがいているのを感じるが、エヴァという意識は僕を押しのけようともしていなし、僕もまたそれを退けようとは思わない。

 ただ、一緒にあるだけだ。

「お前は聞かないのか?どうしてお前という俺の主が俺の死を願ったというのに、俺が死んでいない事実を可笑しくは思わないのか?」

 ヴォルツィッタに魔力を与えて不老不死の存在にしたのは僕だ。

 だから、僕が彼の死を願えば彼の命は消える…それが真実のはずだった。

「ううん。もう、そんなこといいよ。ヴォルが何であったって僕にはいい。ヴォルが僕を見てくれている。それだけで僕は…」

 言葉は嗚咽で続かない。

 そうだ。そうだ…本当はそれだけでよかったんだ。

 大きなことなんて望んでなかった。

 世界なんていらなかった。


―――僕はただ僕を受け入れてくれる人さえいれば良かった


 だけど、気がつけば僕はここにいる。

 世界を壊すために世界の中心で…僕は何をしようとしていた?

「お前が正気に戻ってくれてうれしいよ。分かっていたさ。お前は本当は優しい子だ。」

 僕の姿はもう子供じゃない。

 万象の天使の体を乗っ取ったそれは大人のはずだけど、ヴォルにとってはいつまでも子供でいてもよかった。

 彼だけだった。僕にとって何処までもただ甘やかされたいと願う相手は…。

「ねえ、これからはずっと一緒だよ…ね?」

「…ああ。お前がそれを望むなら、ずっと一緒にいる。だが、これから俺が行くのはあまり幸せな場所じゃないかもしれないぞ?」

「いいよ…ヴォルがいるなら。ローラレライもいる?」

「…いやか?」

「ううん…僕も本当はきっと彼女のことも好きだよ。ただ、ずっと怖かった。ヴォルのことを取られちゃうみたいで。」

「そうか。」

「でも、もういいんだ。僕はただ一人になりたくなかっただけ。そう分かったから。」

 ずっとこんな会話をヴォルとしたかった。

 これだけでお互いに分かりあえた気がした。


―――ジャリ


 二人の世界に物音がしてふと顔を上げるとそこには彼がいた。

「あ。ヒロちゃんだぁ。」

 ずっと、盲目と妄執に取りつかれて大切なことを見失っていた中で、エヴァとしてヒロちゃんと過ごした2年間が今の僕を取り戻してくれたのだと今なら分かる。

 だから、その幸せな気持ちのまま僕は笑って彼の名を呼んだ。

「エヴァ…。」

 だけど、彼はとても血塗れの姿で今にも死んでしまいそうな姿でそこに立っていた。

 そうだ。ヒロちゃんは異能者を殺して世界の楔となった。

 だから、世界の運命という重責を彼は死ぬまで背負うことになり、そして、彼を守ってくれる人は誰もいない。

 そうだ。エヴァはヒロちゃんをまもりたかったのに…そんな思いでヒロちゃんの方へ手を伸ばそうとしたけど、体に力が入らない。

「ラオ。お前は俺と行くんだろう?」

 そして、ヴォルに後ろから抱きしめられ、優しく声をかけられれば力は更に入らなくなる。

「…うん。」

 あれ?僕は何をしようとしたんだっけ?

 同時に霞みゆく意識は僕に心地よく、眠たくなる瞼は次第に閉じられていく。

「さあ、ヒロに最後に挨拶をしなくちゃな?」

「ヒ…ろお?」

 呂律が回らない声。

 その名前が誰であったのか、瞬時に思い出せない。

「ああ、お前を愛してくれた人だよ。」


―――ボクヲ アイシテクレタ?


 そのことが本当にうれしくて顔が緩んだ。

「わあ…うれしー、あり…が―――」

 『ありがとう』と最後まで言えた気がしたけれど、あの人にはもしかしたら聞こえなかったかもしれない。

 だけど、きっと僕の心は届いているよね?

 僕は本当に満ち足りた気持ちで、僕よりも、ヴォルよりも、何よりも大きくて安らげるものの中に溶けていった。

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