第153話 そして私は楔となる 1
【警告】この話には殺人・残酷表現があります。そういった表情が苦手な方、嫌悪される方はご注意ください。また、殺人についてそれを許容するような表現がありますが、現実においては絶対に許される行為ではありません。
貴方は何一つ持っていない
その腕には家族も恋人も友人も抱くことはなく
その胸には喜びや希望、悲しみや憎しみが存在することはない
しかし、かつての貴方はその全てを持っていた
誰よりもその存在の大切さを知り、その感情の意味を知っていた
だけれど、貴方はその全てを手放した
手放して、何一つ持たなくなって…『世界の楔』になった
世界を繋ぐ存在であり、そして、世界を壊す存在になった
【そして私は楔となる】
『―――その人柱は』
カグヤの声はそこで唐突に消えた。
決して彼女が言葉をやめた訳じゃない。
封印の崩壊により溢れだした魔力は、まるで決壊したダムの水のごとく一瞬で全てを飲み込んだ。
私は溢れる魔力に流され、目の前にいた悪魔とラーオディルを見失う。
濃すぎる魔力の中に放り込まれて、肺で息を吸った瞬間にまるで本当に水の中で溺れているような息苦しさを感じた。
やばいと思って口と鼻を手で押さえた。
だが、濁流のように私を飲み込んだ灰色の魔力の勢いに、私はもやは自分がどこにいるのかも分からない。
ただ、その流れに身をませるほかなく、混乱と苦痛の渦に私は飲み込まれる。
かと思えば、また声が鮮明に聞こえてくる。
『いいの?このまま異能者という魔力の源が大地に溢れだしたら、全てが壊れてしまうわよ?』
頭に直接響くカグヤの声と、それに呼応するようない閉じた瞼の先に眩い光が現れた。
『さあさあこの光を手にして?貴方しかこの最悪の事態を止められる者はいないのよ?何もしないでこのまま魔力に踏み潰されるだけでいいの?それが貴方のユイアへの誓い?生き残る方法があるのにそれを無視するの?』
畳みこまれるように告げられる言葉。混乱と苦痛。絶体絶命の状況。
思考する暇すらなかった。
ただ生き残りたいという本能だけで、閉じられた視界に何故か輝く光に震えながら手を伸ばした。
『そう…それでいいのよ。何一つ持たない者。』
そして、触れた瞬間に輝く白い光に飲み込まれ、手にした光が次第に形となり長い棒状の物体が現れる。
途端に私の周りから灰色の魔力が遠のき、光に包まれて私の周りだけぽっかりと魔力が満たされない空間となった。
「ゲホゲッ―――イッテェエ!?」
呼吸がままならなかったこともあり、魔力の濁流から解放された瞬間に急激にむせるが、悪魔に負わされた傷がむせたことにより強烈に痛んだ。
特に痛む太ももあたりを触ると、見ているだけで気が遠くなるほどにべったりと赤い血がつく。
それをみて溜息をつきながら、今度は血がついた方ではない手に握られる恐らく『世界の楔』らしき物体に目をやる。
途端に結局手にしてしまった力に、それに下ってしまった自分に酷く腹が立った。
「私はっ…!!」
その感情のままにそれを叩きつけようとするが、たったそれだけの動作に体が痛んで私は崩れ落ちた。
あまりの自分の情けなさと不甲斐なさ、そして無力さに絶望する。
「くそっ!!」
自分の覚悟など自分の命の危機を前にすれば、あっという間に脆くも崩れ去ってしまう。
その現実を目の前に突き付けられた。
そのまま不貞腐れることができればいいのだろうが、私は恐らく『世界の楔』という力を手に入れた。
その力を見極めなければと、崩れ落ちたままに私は自分の視線を右手に握られた物体に向けた。
濃い緑と青を混ぜたような水晶から削りだされた長さにして私の身長半分くらいの棒?
丁寧に削り出されたのであろうそれは先に向かって鋭く尖っていて、そこかしこに丁寧な文様の細工が彫られている。
文様は見慣れない形状で文字なのか絵なのかも定かではない。
握っている部分は滑りにくいように、手になじむようなくぼみも存在する…とまあ、ここまで観察してみたものの、この先に自分が何をすればいいのか分からなくなって頭を抱える。
せめて世界の楔とやらになってしまえば、意識すらも乗っ取られて自分の意志の関係のないところで異能者を殺し世界の理としての義務とやらを全うしてくれれば楽なのに…世界は私に楽な道を選ばせてくれないらしい。
それが逃げだと分かっていても、例えそうなったら後悔と罪の意識で死にたくなると分かっていても、私はどんなに虚勢を張ったところで、覚悟を決めたところでやはり弱いんだ。
自分の命が大切で、自分の大切な人が大切で、何でも自分を中心にして考えてしまうあまりに利己的な弱すぎるちっぽけな男…私はただそれだけでしかない。
だから、こうして力を得て何もわからぬままに放り出されてしまえば、どうしていいか分からなくて不安で不安で仕方なくなる。
大体、力を得たと言っても体はどうやら人間のままだし、溢れくる魔力も感じない、ただ、こうして灰色の魔力からとりあえず身を守ることができるようになっただけというだけだ。
痛みと出血で思考はぼんやりとしたまま、私はとにもかくにもこの魔力の氾濫をどうにかしなくてはならないとあたりを見回した。
美しかったはずの庭園は灰色の魔力の濁流に破壊されつくしている。
まるで竜巻の真っただ中、その中心にいるような感覚。
地面から引き離された木やモニュメントがぐるぐると灰色の魔力の渦の中を回っている。
(白・黒の神やラーオディルたちもこの魔力の渦の中にいるのか?)
目を凝らして見るが回転が速く、私の動体視力ではそれを確認できない。
―――ミシミシ
そして、轟々という荒れ狂う魔力とは別に、何かがきしむ音に気が付く。
まさかとは思うがカグヤが言っていた通り、世界の中心からこの灰色の魔力が大地へと溢れだそうとしているのか?
(どうすればいい?私は…どうすれば―――あれは?!)
崩れ落ち俯いた視線の先に恐らく間違いなく魔力の中心であろう世界の理が目に入る。
魔力の勢いが強くて正確には確認できないが、あの大きな球体の影は間違いなく世界の理であろう。
どうやら私は世界の理の真上に浮いているような状態らしい。
カグヤが言うように確かに私ができることと言えば、もはやカグヤの世界の理としての生を終わりにすることくらいらしい。
どんなに足掻いたところで自分にできることと言えば、そんなことなのかと思うと苦しかった。
何も諦めたくなかったのに、絶望の連鎖を止めたくてここに来たというのに…誰かの死という絶望でしか私は世界を救えない。
それにカグヤを殺した後に続く事象にも想像が付く…『次の人柱』、アイツをそれにすることが本当に正しいことなのか?
全ての人がカグヤを殺すことや、誰かを人柱にするということを正しいと認めても、私は絶対にそれを認めなくなかった。
誰かの犠牲の上にしか成り立たない世界、どうしてそれを変えることができないのだろう?
だけど、それを変えられない今、その犠牲を払わなければ私は大地に生きる人々を犠牲にしなくてはいけない。
きっと、それも私にはできないんだ。
『そんな風に苦しむ貴方だから、きっと貴方は世界の楔なんだね。』
再び私に降り注ぐその声に泣きそうになる。
いっそ、誰かが私を操ってくれれば楽なのに…そんな弱い心が再び私を支配する。
だけど、誰もそれを私に許してはくれない。
私の意志で、私の決断で、私の手で、カグヤを殺し、世界を救えと…そういうことなのだと思う。
それを私が納得していないと知っていて尚、カグヤは私にそれを強要する。
(どうして私なんだ?)
そう思って重責から逃れようとする自分に吐き気がする。
『何を迷っているの?貴方は力を自分の手を伸ばして手に入れた。だったら、その力を行使するのが貴方の義務でしょ?』
「違う!私は…」
『別に貴方を責めている訳じゃない。貴方は自分が生きるために最善の手段を選択しただけ。それを責める人は誰もいない。だけど、その手段を選んだ以上、貴方はあたしを殺す義務ができた…それは事実だよ。』
あのまま苦しみの中で死に耐えれば、私はこの選択を迫られずに済んだのだろうか?
でも、私はもう選択してしまった。
選択をする前にはどうやったって戻れはしない。
「だが、それでも私は…もう誰も犠牲にしたくないんだ!!」
誰かが生きるために、誰かが犠牲になる。
力を得るために、何かを犠牲にする。
その繰り返しの果てがこの悲劇の連鎖だ。
そんなことはもう嫌だった。
だから、それを絶ち切りたくてここまで来た。
でも、結局、私は異能者カグヤを犠牲にして世界を、自分を救うのか?
『納得できないこと…そんなことは世界に溢れているよ。』
ぽつりとカグヤがそう小さく呟いた。
「え?」
その声に彼女の顔をまじまじと見た。
あどけない少女の顔は、まるで聖母のように暖かく静かで慈愛に満ちていた。
『納得できない理不尽なんて、この世の中には溢れかえっているじゃない。でも、皆それを仕方ないと言って諦めたりして折り合いをつけている。』
私だってそうだった。
生きている中で色々な出来事があって納得できないことだって少なくなかった、でも色々な理由を付けたり諦めたりして乗り越えたふりをして忘れた。
それを忘れたくなくてユイアのことについては、契約を使って自分の罪を永遠のものにした。
『この世の中、確かに仕方ないってことはあると思う。世界を自由にできるあたしだってそう思うんだもん。ただの人間のヒロには私以上にそんなことだらけでしょう?この世の全てに納得するなんて神様だってできないことなんだよ。』
でも、だからこそ人間は足掻くんだと思う。
納得できないことが多くても、一つでも納得できる何かを得たいから…だから、私は今ここにいる。
私のそんな思いを分かっているというようにカグヤは頷いて続ける。
『だから、納得しなくていい。貴方はあたしを殺したこと、あの人を人柱にすること、これから起こる全てのことに、永遠に苦しみ続ければいい。それを強いたあたしを恨んでくれてもいいよ。正しくないと分かっていても貴方は世界を救わなければいけないのだから。』
「な!?」
『それでもこれは必要なことだから。この世界を存続させるために…貴方だって自分のエゴ一つで世界を破滅させたくはないでしょう?』
決断を迫られていた。
躊躇っている時間はない。
カグヤを殺すか、世界を破滅させるか。
全ては私の決断にゆだねられた。
『さあ、世界の楔を握って。そして、あたしをそれで貫いて!!!』
カグヤは言葉で強制しても、決してその力を持って私を従わせようとはしなかった。
私の手で、私の考えで彼女を殺させようとする。
―――カグヤを殺す
私の掌の中にある世界の楔を見つめて握り締める。
ゆっくりと痛む体を起して、私の前にふわふわと浮かぶカグヤに向かって楔を構える。
―――誰かを何かを犠牲にして、それで本当にいいのか?
構えた腕がふるふると震える。
定まっていた視界がゆらゆら揺れた。
乱れる呼吸、不規則になる心臓、噴き出る汗。
(どうしたらいい?どうしたらいい?どうしたら!!?)
体も心も私は限界まで追い詰められ、ただただ疑問を投げかける言葉だけが頭を駆け巡る。
何が正しいのか考えても答えは出てこない。
(私は私は!!!どうすれば!!!!)
頭の中で絶叫を繰り返す。
『早く!もう、世界の中心がもたない!!!』
混乱しすぎた頭にカグヤの声が響く。
―――ミシ…ミシミシミシッ
世界の中心が軋む音が空間を大きく揺らした。
「うわああああああああ!!!!!」
心の絶叫は、腹の底からの絶叫となって私は両手で世界の楔を持ったままカグヤに突進した。
幻であったように頼りなかったはずのカグヤであるが、ズン…と何かを確かに貫いた衝撃が手から体に伝わる。
「…っく…ひっ」
あまりに多すぎる感情であふれ出る涙が苦しい。
そんな私にふわりと優しい風が撫でるような感覚が通り過ぎる。
『ありがとう、ヒロ。やっとあたしはこれでこの世界から解放された。それでも貴方はきっとあたしを殺した事実に苦しみ続けるんだと思う。あたしはそれ知っていて貴方にその役割を与えた。だから、あたしを恨んでいいんだからね?』
聞こえてくるカグヤの声に首をただただ横に振った。
『うん。貴方はそういう人。でもね…いつか忘れていいよ。』
その言葉にはっとして俯いていた顔を上げた。
だけれど、私の前にカグヤはもうこの世界から異能者として存在しなくなっていた。
「そんなこと言われて…忘れられる訳がっないだろう!!!」
私の吐き出した声にこたえるものは誰もいない。
どんな状況であり殺人は決して許されることではありません。
だからこそ、この物語では色々な人物が死んではいますが主人公であるヒロには直接的に誰かを殺すという行為をさせてきていませんでした。ですが、あえてヒロに絶対的な絶望を与えるという意味でカグヤを殺すことをヒロ自身の手と決断で行わせました。
ヒロは主人公でありながらこの物語において自分で行動を起こしてきたことが実は少ないのです。色々なことに流されたり巻き込まれたり、その結果に彼が右往左往することは多かったのですが、彼自身の決断や行動は実際にはなされないことや、成立しないことがほとんどでした。これは物語の主人公においてあまりに情けないことではありますが、実際の人生においてそれは当たり前のことだと思うです。特別な境遇ではありますが、それは普通の人間として定義しているヒロの特色でもあります。
今回はその最大の出来事として、ユイアやローラレライの言葉により全てに覚悟をしたはずのヒロに更なる絶望を与えるという出来事を与えました。
あえて物語の中だからこその表現であり、私自身『殺人』というものを軽く考えたり、それを許容するものではありません。本当は異能者というものをカグヤという人間に近い存在として表現することにも悩んだのですが、ヒロへの絶望を深くするという意味であえてカグヤを人間の姿をした存在としました。しかし、こういった表現を見てもし気分を害された方がいましたらこの場で謝罪させていただきます。申し訳ありません。
最後にこの話も本当に長くなり、お付き合いただいている方も長い方もいれば最近この物語を知ってくれた方もいらっしゃるかと思います。お見苦しい物語ではありますが、クライマックスも多分(?)後少しです。もう少しだけお付き合いいただければ幸いです。