第150話 悪魔の封印 3-1
注意:この話には流血・暴力表現が含まれます。嫌悪感を抱かれる方は注意してください。
彼はどこにでもいる人間だった
無数に存在する人間の一人、彼の代わりなど何万何千といた
だが、彼は一人の子供を慈しんだことにより灰色の魔力を手に入れた
やがてその運命は大きく変わり、彼は永遠の命や大きな魔力を手に入れ、何処にでもいる人間ではなくなった
しかし、その代償に彼は何処にでもいる人間が得るはずの幸せを見失う
そして、千年前のあの日、彼は悪魔と呼ばれるようになる
天使の翼を切り落とし、悪魔は全てを封印した
災いも絶望も悲しみも、彼は自分の全てと引き換えに封印した
そして、彼はその時始めて『ある事』に気が付く
だが、全ては封印してしまった後…だから、彼は再び全ての封印を解き放つ
―――彼が失った全てを取り戻すために
【悪魔の封印 3】
走れ…そう行動しろと脳から体に命令を下した瞬間に私の視界は反転した。
次いで襲ってくる激痛に声のなき悲鳴を上げた。
何が起こったか分からなくて混乱する中、視界に真っ赤に染まった自分の足が一瞬目に入る。
足を切られた?そう思った瞬間に背中から打ちつけられた。
「がぁっ…!」
そして、ようやく気がつく、下半身を背後から切りつけられた私は勢い余ってくるりと前に一回転をして倒れこんだのだ。
切りつけられたのは熱と痛みから、両太ももであるとすぐに分かった。
後ろから動脈のあたりをバッサリ切られたらしく、すごい勢いで血が抜けていくのが視界でとらえなくても分かった。
「無駄だ。ただの人間のお前は俺から逃げることもできない。」
悪魔の声が上から聞こえた。
私は痛みのあまり立ち上がることのできない体で、何とか腕だけで這いずると、今度は腕を右肩から黒の剣で貫かれた。
「イッ!」
そのまま地面に崩れ落ち、例えないような痛みに唸った。
地面に崩れ落ちたと同時に剣が抜けた傷口からは、足から流れるのと同様に多くの血が抜ける。
ベチャベチャと私の周りはあっという間に血だまりができた。
それでもまだ動く左腕で私は這いずろうとする。
―――ヒロ
ふと聞こえてくる淡い声、その先にあるのはたった一つ、世界の理である。
確信はないが世界の理が私を呼んでいる、そんな感覚が倒れこんだ私の中に生まれた。
だが、もはや這いずることしかできない私の背中を悪魔が踏みつける。
「行かせる訳がないだろう。諦めろ。お前はここで何もできずに死ぬんだ。」
踏みつけられる力が強く、肺が潰れるような感覚に息が詰まった。
痛みは切りつけられた場所だけでなく、全ての場所に広がった。
全身が熱くなり、呼吸は浅く、汗が噴き出る。
悪魔の言葉は理解できた。私だってその通りだと理性は答えている。
でも…今の私は理性に従う訳にはいかないのだ。
だから、足を切りつけられようが、腕を貫かれようが、背中を踏みつけられようが、私は左腕をなおも伸ばす。
土に爪を立て、必死に這いずろうと体に力を込める。
そのために血が吹き出ても構わない。
世界の理に達することで私が何をできるかも定かではないが、何かができるはずだと思った。
何かをしたいと、聞こえてくる頭の中で呼ぶ声に強く思った。
理屈じゃない。本能がそうしろと私に命令を下した。
「ヒロちゃん!!もう、やめて、ヴォル!!」
そういってラーオディルが私を庇おうとしたが、悪魔はそれを無情に突き飛ばした。
強い力を持っているはずのラーオディルであるが、悪魔に対してその力を使う気がないのか、それとも悪魔の力が強いのか、その突き飛ばされたままに地面に倒れこむ。
「ラオ…お前は変わらない。力を持っているくせに、どうしてそんなに愚かなんだ?お前は小さなものばかりに今も昔も執着する。」
「僕は繋がりが欲しいだけだ!!」
「安い繋がりだ。俺じゃなければ、ヒロでもいいのか?お前は誰でも優しくされればそれでいいのか?」
世界に忌み嫌われた子供に対してそれはあまりに残酷な言葉であろう。
「なっ…?!」
ラーオディルも絶句したように言葉をなくす。
生き物は生まれた時から死に向かって、たった一人で歩み始める。
誰かと多く関わっていこうとも、ラーオディルが望むように誰かと一つになることはない。
だが、それが嫌だから、皆繋がりを求める。
それが家族とか友達とか仲間とか恋人とか、そういう名のつく繋がり。
その繋がりは私たちに様々なものを与えてくれる。
例えば喜びも悲しみも愛情も怒りも…全ては一人では持ちえない感情だと思う。
誰かがいることで成り立つ感情、誰かがいるからこそ湧き出る想い。
だが、世界に忌み嫌われた子供はそれから隔離された。
誰からも忌み嫌われた子供は、全てから疎まれ避けられた。
故に生きているものが持ちえる感情を彼は知ることはなく、ただそこには一人で生きていかなければならない孤独と絶望が横たわるだけ。
そんな人生、想像するだけでも恐ろしい。
その暗闇だけの人生にたった一つの繋がりを与えたであろう悪魔、その彼をラーオディルがどれほど渇望していたかは、私に対する態度でも想像がつく。
その悪魔に自分でなくてもいいのだろう…などと言われて、果てして子供は一体どんな思いを抱くのであろう?
そして、悪魔はどうして、どんな気持ちでそれを告げたのだろう?
そこまで考えて私はふと、とある推測に辿り着いた。
「なあ、悪魔。お前はどうして千年前に全てを終わらせなかった?」
声は痛みに、そして、辿り着いた推測に戦慄して震えていた。
「何を言い出した?」
その声は私のことを本当に馬鹿にした声だった。
だが、私の想像が正しければ、それは恐らく悪魔にとってもっとも知られたくないこと。そして、この先の世界の運命を大きく変える事実。
「だから、どうして千年前に異能者に干渉してローラレライを蘇らせなかった?あの当時、既にお前は灰色の魔力を持っていたんだろ?」
声を絞り出すだけで苦しく、息は続かない。
だが、私の問いかけにふと踏みつけられていた足の力が弱まるのを感じた。
「わざわざ私に隠れて転生をして、千年も待ち続けることに何の意味があった?」
ユイアやローラレライの話を聞いた時から違和感を感じていた。
そして、罪人の巡礼地での悪魔とこの場所で感じる悪魔の違いにも違和感を感じていた。
―――ヒロ、ソノ コタエ ハ ワタシ ガ シッテイマス
そんな私を後押しするように頭に声が届く。
声の正体はきっと世界の理に違いない。
だが、私の問いに悪魔が一瞬だけ戸惑う気配があったのに、次の瞬間には背中に更に強い圧力が加わることで私は地面に這いつくばざるをえないのだ。
「グッウ」
「黙れ。それを今更、お前が知ってどうする?ただ、この世から消えるだけのお前が知ったところで何の意味がある?」
顔を地面に押し付けられ、顔は見えないが近くに倒れているラーオディルの左手が目に入る。
そこにふと見覚えのあるものが目に入る。
そして、自分の血だまりでべっとりと濡れた掌を確認する。
私は先のことなど何も考えずにラーオディルの左手をはまっている指輪ごととると、しばらく唱えていなかった言葉を口にした。
「誘え、足跡の指輪!!」
瞬間に背中の圧迫感が消え何度も感じたことのある浮遊感と、次に重力に従って再び地面に倒れこむ。
普段なら大したことのない衝撃も、深手を負った現状には強い痛みと苦しみになる。
「大丈夫!?ヒロちゃん!!」
ともに異端の一族の遺産である足跡の指輪の魔法により瞬間移動をしたであろうラーオディルが悶える私に駆け寄る。
彼は私のことを呼び捨てにしていた気がするが、エヴァンシェッドを支配したことによりエヴァとの境目が薄くなっているのかもしれない。
ラーオディルの私を呼ぶ声は、エヴァとよく似ていた。
それにしても咄嗟でもエヴァを通じて万象の天使に足跡の指輪が嵌っていることに気が付けてよかった。
灰色の魔力を失っても、これは私の血に混じる魔力を使用するものだから使えるに違いないとあたりを付けていたが、成功したことに酷く安堵する。
「ヒロォオオ!!」
しかし、ほっとしているのもつかの間、悪魔の叫びがすぐに聞こえてくる。
大体、逃げるために足跡の指輪を使った訳ではなく、あくまで世界の理に近づくための手段として使ったのだ。
その距離は僅かに100メートルもない、そんな私の行動は悪魔の怒りに油を注いだらしい。
私の名を鬼の形相で叫びながら、悪魔はこちらに向かって突進してくる。
何をどうしていいかも分からないし、そもそも恐らく世界の理に施された悪魔による第三の封印は解かれていないのだろう。
世界の理には灰色の魔力の気配がぐるりと囲んでいる。(魔力を失っても、ずっと自分の身に飼っていた力だ気配くらいは感知できた)
―――とにもかくにも、とりあえず世界の理に触れてしまえ!
何が起こるか分からないし、人間となった私が触れたところで世界の理は何も答えてくれないかもしれない。
だが、それでも世界の理が私を呼んでいるような、触れさえすれば何かが変わるような、そんな予感が私を支配していた。
だから、何の考えもないまま、ただ状況を打開すべく私は淡い光を放つ球体に手を突っ込んだ。
ビリリと電流のようなものが私の体を走る感覚の先に、何かが捕まえられるような気がして私は更にもっと手を伸ばす。
「ヒロちゃん!!」
エヴァの声。
「ヒロ!!」
悪魔の声。
―――やっと会えた…愛しい魂を持つ貴方
そして、私は優しい優しい声を聞いた。
声は千年前の物語を私に紡ぎ、私は自分の推測が正しかったことをここに確信する。
それは愛より生まれし呪い、全て全て…悲しみに満ちた運命。
「どうして?どうして…人はすれ違うんだろう?」
気が付いた時、私の目からは涙があふれていた。