第149話 愛より出でし呪いは死の薫りがした 5
(それにしても私の人生、ここ数カ月で随分大変なことになったもんだ)
始まりはもっと前なのかもしれないが、それでも全てはハクアリティスを助けて天使に喧嘩を売ったあの時から始まったという思いが強い。
天使に拷問され、牢獄に投獄された。
変人科学者に実験体にされそうになり、助かったと持ったら天使の城に連れて行かれた。
三大天使との出会い、エヴァとの別れた。
天使から逃げ出した後は、人間軍の一員として罪人の巡礼地で天使と戦い、私は自分が悪魔の生まれ変わりであることを知った。
そして、灰色の魔力を得て、知りたいことも知りたくないことも知らされ、結果、私は戦うためにここにいる。
色々な物を少しずつ得た。
―――力・仲間・絆・友情・信頼
だけど、気が付けば何もかも失っている。
力は悪魔に全て奪われ、守りたい者は気が付けば手をすり抜け、心も枯れ果てた。
でも、それでも私はまだ生きて戦いたいと思っている。人生何があるか分からないものである。本当に。
私は地面に這いつくばりながら、呑気にそんな事を考えながら周囲の気配を探っていた。
元々髪を切るという習慣がなかったため長い髪を一つに括っていたが、新しくローラレライが作ったこの体は髪が短くなっていた。
とはいえ、前のより短いというだけで全体的に首くらいまで伸びている黒髪は、地を這いつくばっている私の視界を覆う。
それをうざったく払いながら慎重に進んでいた。
それにしてもどうして髪は短いのだろう?
顔はアラシが気付いたくらいだから前と変わらないようだが、ならば髪も同じでもいい気がする。
そこでハタと一つの考えにたどり着く。
(ひょっとして悪魔と区別するためか?)
乗っ取られた私の体を有する悪魔と全くの姿形が同じであれば、周りが区別できないだろう。
『なるほど!』と正直どうでもいいことに考えを巡らせていると(どうやら腹を決めるともうあたふたと焦ることもなくなるらしい)、新しい気配に気がつく。
そして、漏れ聞こえてくる会話に聞き耳をたてる。
「―――世界の理をどうするつもりなの?」
聞こえてきたのは万象の天使…いや、今は神に忌み嫌われた子供の声。
私は気付かれませんようにと祈る様に、そっと木々の間から顔を出して様子をうかがう。
私の視界に一番に目に付いたのは悪魔の背中…というか、これは私の元の体の背中。
見慣れた体格、長い黒髪、その右手には黒の剣がしっかりと握られている。
それに加えて圧倒的な魔力の気配。
アラシの言葉ではなかったが、もはや人間の気配ではない。
私の体は悪魔の魂を覚醒させたことにより、私が主人であった時よりも灰色の魔力の気配を更に濃くさせていた。
その悪魔に対峙するのが万象の天使の姿をした神に忌み嫌われた子供。
彼は長年追い続けてきた悪魔を前に、万象の天使であった時には見せることのなかった子供のように頼りない顔をしていた。
しかし、その背後に大きな球体のようなものを庇い、しっかりと全知の杓杖を構えている。
(あれが世界の理か?)
私はそれをよく見ようと静かに音をたてないように場所を移動する。
球体の大きさは一軒家くらいあろうか?
透明のガラスのようなものでできている球体はその中心を一つの棒で斜めに貫かれ、クルクルとゆっくりと回っている。
球体の表面は透明だが、淡い紫の色で様々な文字が浮かび上がり、その中心には胎児のように丸まった人影を認めた。
異能者…なのだと思う。
だが、微妙に距離があってその存在の詳細はここからでは分からない。
その代わり球体の真下で見慣れた人物がヒステリックに叫んでいるのを発見した。
「どうしてだ?!どうして俺では動かない?異能者よ!!!」
エンシッダ、そしてその横にはヴィスがいた。
エンシッダは緊張感あふれる悪魔と天使の対峙と、まるで違うシーンを演じるように叫び喚き嘆いていた。
「世界の理は灰色の魔力により干渉することができるはずなのに!!どうしてだ?ヴィス!俺では理を変えることができない!!!」
あの常に人を食ったような態度で飄々としているエンシッダの余裕のない様子に、私は面を喰らう。
何がここで起こっていて、どういった経緯でこの場面になっているのか、全然わからなくて私は一人で戸惑っていると、叫ぶエンシッダの横に佇んでいたヴィスがくるりと私の方を見る。
「ヒロがいる。」
(げえっ!)
すぐに木の陰に隠れてそう出てきそうになる声を飲み込んで見せたが、エンシッダだけではない悪魔も万象の天使も当然ながら、ヴィスの言葉に私のことに気が付く。
ヴィスは未来を見通す力を持っているのだ。
きっと、私が来ることなどお見通しだったということなのだろう。
これ以上は隠れていても意味がないだろうと、私は観念して木の影から一同に姿を露わにした。
「どうもお揃いで。」
何と言って声をかけるべきか判断しかねて、気の小さな私はとりあえず無難な挨拶をしてみる。
ヴィス以外がまるで幽霊でも見たかのような表情で私を見ていることは、どうにも気詰りで仕方ない。
「魔女!あれは本当にヒロなのか!?」
悪魔が私から目をそむけることなく叫んだ。
(『魔女』?)
女という性別をもつのはここではヴィスだけだ。
想像通りにヴィスが口を開く。
「彼はヒロ。貴方の魂から解放された本当の意味で『世界の楔』になる資格を持つ者。何一つ持たない者。」
『何一つ持たない者』、それは古い言葉で『ヒロ』という私の名を現す言葉。
そして、今の私を現す適切な言葉でもあろう。
だが、『世界の楔』になる資格とは何だ?
『世界の楔』とは何なのだ?それは悪魔のことじゃないのか?
「くそっ!どうしてだ?アイツを野放しにしないために俺はアイツを俺の中に取り込んだって言うのに!!」
ヴィスの言葉に悪態をつく悪魔。
「おい、ヴォル。どういうことだ?!ヒロはお前が完全に掌握したんだろ?どうして、お前の体に抑え込まれているはずのヒロが?!」
私の登場に一人芝居をしているかのようだったエンシッダが急にこちらに加わって叫ぶ。
そして、その言葉に心の中でうんうんと私は頷く。
私も今の状況を説明しろと言われても自信がない。
「エンシッダ、黙れ。あれは間違いなくヒロだ。俺はヒロを俺の魂から切り離し、封印された異端に封印した。だが、誰かがその封印を解き、ヒロの魂にに新しい体を与えた。俺とヒロはもはや完全に別人物という訳だ。誰だ?お前に体を与えのたのは?」
さすが悪魔、動揺していた状況からすぐに的確に分析を完了したようだ。
ゆらゆらと狂気に揺れる瞳に、白き神と違い理性が見える彼はまだ灰色の魔力に支配されてはいないようだ。
「ローラレライだ。」
「何?」
しかし、私はさらに揺さぶるように畳みかけた。
「聞こえているだろう?だから、ローラレライだよ。お前の恋人。その黒の武器の礎となった女。彼女が私に体をくれた。」
途端に自信に満ちた悪魔の顔(いや、顔は私と同じなのか)が崩れた。
「嘘だ!」
「嘘じゃない。」
どうやら、この方法で悪魔を責めるのは有効らしい。
私は何の根拠もないままに会話を続けた。
断言するが、まともに戦えば間違いなく私はあっという間にあの世行きである。(大体、力云々の前に私は現在丸腰だ)
悪魔だけじゃない、ここにいる全ての野郎どもが世界の理に触れないようにすることが、とりあえずの私の目的だ。
世界の理が壊れてしまえば、東方の楽園が消滅する。
捨てゆく世界とはいえど、ここにはまだたくさんの人間がいる。
それに第二の封印が解けたとはいえ、戦っている仲間たちがそのまま易々と西方の魔境に向かっているとも思えない。
ならば、私の役目は東方の楽園を守ること。
だが、私のなけなしの心理作戦は悪魔に対してさほどの威力を発揮しなかったようだ。
揺らいだのは一瞬だけ…悪魔はすぐに灰色の魔力に侵された黄色の瞳を光らせると、私を見てにやりと笑った。
「そうか…ふふははっ、ローラレライが!彼女がお前を…だったら、俺がすることはただ一つだ。ヒロ」
そして、私の名を呼んだかと思った瞬間に悪魔は私の視界から消えた。
「?…がぁあっ!!」
そして、次の瞬間に腹に強烈な横からの衝撃が襲う。
何だか分からないまま、衝撃に従って私は吹っ飛んだ。
不意の攻撃というか、私が構えることすらできない早い攻撃に木に激突した衝撃の後、私はそのまま地面に倒れ落ちた。
「げほっ…!」
体中が痛みを訴えた。
だが、その痛みに答える暇はない。
「ヒロ…お前は本当に愚かだ。折角、俺が施した封印から脱し、俺の干渉下にない体を手に入れたというのに、わざわざ自分から死にに来るなんて。分かっているだろう?全ての力は俺が持っているんだ…全ては元々俺の力なのだから。お前は俺が転生するためのより代にすぎない。」
一歩一歩近づいてくる悪魔の纏う魔力の濃さゆえか、彼の周りの空気が揺らいでいるのが見えた。
真っ赤に染まる空の色が、青に、黄色に、緑に、黒に、白に…ありとあらゆる色が混ざり合うように蠢くのが見えた。
私はそれを見て初めてそれまで自分が持っていた灰色の魔力という存在に大きな疑問を抱いた。
黒と白の混じり合った色が灰色だというのであれば、今私が悪魔の周りに見ている魔力は何だ?
全ての色を集約したかのように揺らめく魔力の気配…、自分の内にあった時には気がつかなかったその不気味さに私は鳥肌が立つのを覚えた。
「さあ…今度こそ息の根を止めてやろう。世界の楔…俺の目的の邪魔となる存在を許してやるほど今の俺は寛容じゃないんでな。ここまで連れてきてくれたことには感謝しているが、ヒロ…お前はこの世界に大きく関わりすぎたんだ。」
本能が強すぎる力に体を震わせているのが分かった。
振り上げられるかつての愛剣・黒の剣を咄嗟に転がることで避けて、その後に自分がいた場所が木の根っこごと抉り取られ、まるで蒸発したようになっていることにぞっとする。
せっかく、ここまで来たというのに呆気なく悪魔に殺されてたまるものかと、私は震える体を叱咤して駆けだした。