第147話 愛より出でし呪いは死の薫りがした 3
ローラレライの強い視線に私はたじろぎ、逸らされることのない緑の瞳に宿る感情に私は名を付けることはできなかった。
しかし、何だか私の言ったことを責めているような気がして、私はその瞳から目を逸らせなかった。
何しろ自分で大見栄をきった。
言ったそばからその言葉から逃げるようなことはしたくなかった。
「…」
互いに逸らすことのない瞳の間には火花のようなものが散る。
重く苦しい沈黙…そして、緊迫した空気を打ち破ったのはローラレライの方であった。
彼女は真面目くさった表情を緩めると、小さく微笑みを漏らした。
だが、それは先ほどまでの優しさに溢れたものではなく、悲しげな影がよぎる微笑みのように感じられた。
「やはり、貴方はあの人であって、あの人ではないのですね。ヴォルは優しいけれど自分のために足掻けない人でした。それがあの人の強さであり弱さ。そんなヴォルだから私は彼を愛しました。でも、私はきっと貴方を愛せないでしょう。」
別にローラレライに好かれたい訳ではないので後半部分については無視をする。
「どういう意味だ?私が悪魔でないのは当たり前だと思うが、生まれ変わりだからと言って人格まで同じな訳が…」
「そんなことがあるんです。この世界では―――詳しくは私も存じ上げませんが、死して新たに転生した魂のその全ては前世と同じ人格を有して生まれ出でくるということです。ただ、前世の記憶を忘れているだけで、だから、もし貴方がヴォルの生まれ変わりだというのであれば、そんなことを言うはずがないのです。魂とはその人の本質です。例え違う人生を歩み、違う経験を積んだとしても根本は変わらない。だから、本来なら貴方がヴォルと全く違う人格としてここに存在することはあり得ないことなのです。でも、貴方は間違いなくヴォルと同じ魂を持ちながら違う人格を有している…それが示すことはただ一つ。あの人は契約してしまったのですね。」
私は全く理解できていないが、ローラレライは全てを分かったように項垂れた。
私は悪魔の生まれ変わり、だが、私と悪魔は全く別の人格だ。
そのことが問題であり、そして、その事象は悪魔は何らかの『契約』を交わしたことにより発生した…それがローラレライにとっては大きな意味を持つ。
「では、私がすることはただ一つです。ヒロ…貴方を現実世界に戻しましょう。」
「本当か?!」
「ええ、それが私の願いのため…強いてはきっと世界のためになる。私は信じます。ですが、貴方の体はもはやヴォルツィッタに完全に掌握されています。その体に貴方を元に戻すことは、一つの体に二つの魂を入れること…それはあまりに危険な行為なのです。下手をすれば二人の魂が混じり合うか、消滅することだって考えられます。それに封印が解かれ灰色の魔力に満ちたあの場所では貴方より、灰色の魔力を支配する彼の力が勝ります。貴方の魂が消えてしまう方が確率としては高いと言わざるをえません。」
今までだって似たような状況であったが、乗っ取られた以上私はもはや自分の体すら自由にできないらしい。
思わず悪態をついた私の頬にローラレライはそっと触った。
その手はやはり彼女が死んでいるのだと自覚させるように、とても血の通った人間とは思えぬほど冷たかった。
「なので方法を変えます。貴方を元の体に戻すのではなく、貴方の魂から新しい体を造り出し現実世界に戻します。」
いや、元々ただの人間だけど…とは言える雰囲気ではなかった。
「乗っ取られた貴方の体は、ヴォルツィッタの魂を元に生まれ出でた普通の人間より灰色の魔力を有するに適した体。ですが、その体はもはやヴォルツィッタが完全に支配しています。そして、彼は貴方の魂から灰色の魔力に侵されている部分を完全に掌握し切り離した。そして、貴方という人格が残る人間としての魂の部分を封印された異端に封じた。今の貴方という魂は灰色の魔力に侵されていないただの人間の弱い魂。そして、私にできるのはその魂からただの弱い人間の体を作り出すことだけ。」
「魂の切り離し…そんなことができるのか?」
気軽にいってくれるが、魂なんて体よりも気軽に切り取ったりくっつけたりできるものだとは到底思えない。
「普通の魂ならできないでしょうが、恐らくヴォルが交わした契約がそれを可能にしている。ヴォルはもはや魂とは言えないのかもしれません…だからこそ、貴方の中にずっとい続けることができた。」
「さっぱり意味が分からないのだが…」
素直に言ってみると、ローラレライの方もお手上げというように首を横に振った。
「ごめんなさい。私もうまく説明できないみたいです。何となく理解はしているのですが、言葉にするのがとても難しい。」
「なら難しいことはもういい。ともかく、貴方は私を現実世界に戻せるんだな?」
重要なのはそこだ。
だいたい、私の元の体は悪魔に乗っ取られたから、新しい体を魂から造り上げるなんて普通はできるとは思わない。
しかし、ローラレライはその部分については妙に自信を持って頷く。
「私はもはや灰色の魔力だけでこの世にとどまっている人間ですよ?全ての理を無視した灰色の魔力そのものといっても過言ではありません。できることは少ないですが、体という魂の入れ物を造るくらいなら難しくはないと思います。」
まるで夢物語のような話ではあり、むろん罠の可能性もないわけではないが、今の私は藁をもつかむ気持である。
ローラレライの提案に否と言っている余裕はなかった。
「頼む。」
「ですが、現実に戻ったところで貴方は全ての力を失っているのですよ?悪魔を止める力も、人間を助ける力も、天使を倒す力もない。貴方はただの人間になるのです。」
「そうだな。貴方の言う通りなら灰色の魔力を持たなくなり、黒の武器も失った私には何の力もないのだろう。だけど、この命がある。それに私は元々ただの人間だよ。」
今まで生きていることが苦しかった。
罪滅ぼしの為に生き続けた。
だけど、今、私は自分の命がとても惜しいと思うのだ。
だからこそ、最後のその瞬間まで精一杯生きていたい。
でも、この灰色の世界の中では私は生きているとは言い難い…辛くても、苦しくても、悲しくても、私は私の現実の世界で生きていたいのだ。
夢の中や自分の殻の中に閉じこもっているんじゃない、現実の中でしか私は現実にありえないのだから。
「…分かりました。貴方を現実に戻しましょう。」
そして、ローラレライは私の頬にあてた両手を自分の顔の方に向けると、額と額を合わせた。
ローラレライから冷たい力が注ぎ込まれる。
目の前にある彼女の顔がだんだんと霞んでいく。
「最後に少しだけ私の戯言に付き合ってくれますか?」
もはやそれに答える意識もないのに、問いかけるローラレライが不思議だった。
そして、それが彼女も分かっているから、私の返事など聞かずに言葉を続ける。
「私はずっと貴方に会いたかった。ヴォルツィッタの魂を持つ貴方ならきっと私を助けてくれると、私を愛して私を幸せにしてくれると…そんな勝手なことをもう千年も思っていました。でも、それは私の勝手な思い込みだった。私はこの現実ではない世界でただ夢を見ていたのかもしれませんね。」
視界から消えていくローラレライの姿とは裏腹に、声はどこまでもはっきりと私の耳に届いた。
「貴方は彼とは違う…それは分かっていたはずなのに。でも、貴方はそれでいい。そして、ありがとうヒロ。貴方は私を救ってくれなかったけれど、私の目を覚まさせてくれました。」
私は何もしていない。
聞こえてくる声にそう答えたかったが、すでに私という実体は消えてしまったように、声を出そうとしても何一つ声は出て気すらしなかった。
「もう遅いかもしれないけれど…私も最後まで足掻いてみせます。もはや黒の武器の一部と化した私でも、私という心が残っている限り、心に従って諦めずに闘ってみせます。大切なヴォルツィッタのために…そして、わたしのためにっ!」
強い声が最後に私に届いた。
そして、私と悪魔に愛される女ローラレライの邂逅は終了した。
交わした言葉は少なくとも、その邂逅がこれから先の運命に大きく左右することになるとは、この時の私は知る由もない。
「う…」
自分の呻く声に意識が急速に戻っていくのを感じた。
閉じられた瞼が妙に重く、ゆっくりと開いた視界には寝起きには少々厳しいグロテスクな世界の胎内が広がっていた。
封印された異端といい、世界の胎内といい、なんとも気の滅入るような場所ばかりだと、私は息を吐く。
体は何となく重い感じがするが、横たわっているらしい体を起こすことは無理なくできた。
そして、自分の意思で動く体というものを認識して、私は改めて自分の体をチェックする。
メイドイン灰色の魔力の体だ。
ローラレライを疑う余地はありまくりである訳で、私はこの体がきちんと人間の形をなしているのか、異常がないのか確かめなければならない。
鏡がある訳ではないので全体像まではつかめないが、腕も足も胴も首もきちんと付いているようだし、ぺたぺたと触ってみると顔も全てのパーツが揃い、視界も聴力も問題ない。
指を動かした感じも、足を上げてみても違和感がない…うん、どうやらちゃんと人間の形をして誕生してくれたらしい自分の新しい体(どうにもその自覚は薄いが)に私は一つ頷く。
そして、有難いことに私はすっぽんぽんではなく、元のものではないが洋服を着ているようだった。
さすが無茶を具体化する灰色の魔力である。
「ヒ・ロ…?」
そんな風に体の点検をしている私の耳に、私の名を呼ぶ声が聞こえた。
そして、その人物と記憶の中のとある人物が重なって驚く。
「アラシッ!!!」
そこにいたのは酷くボロボロになって倒れるアラシの姿であった。