第146話 愛より出でし呪いは死の薫りがした 2
「―――さて、これから私はどうすればいいんだ?」
ユイアを見送った余韻に少しだけ浸ってから、私はそんな独り言を漏らした。
言葉を発したところで誰も答える者がいないことは分かっているが、正直何の策もないまま、ユイアを安心させるためだけに大見栄を張った私は途方に暮れていたりする。
それでも、心はここ何年かないほどに軽かった。
ユイアに許されたとかではなく、彼女を失ってから自分の心を初めて外に出したことによる解放感とでもいようか…同時に初めて宙ぶらりんになったような戸惑いが私の中に発生した。
とはいうものの、ともかく今は一刻も早く悪魔から体を取り返さなくては、私のこの先の人生さえも危ういだろう。
悪魔の真意も分かっていないが、私の第六感が奴を野放しにしてはいけないと言っている。
しかし、見渡すばかりの濃淡のない灰色の世界は果てしなく歩く気すら起きない…と、そこで私はかつて黒き神によって誘われた罪人の処刑台でのことを思い出した。
あの時、私は黒き剣の気配をたどってユイアの場所を突き止めた。
ならば、今回も同じことが可能ではないだろうか?
黒き剣と契約を交わしたという悪魔の居場所もそれで分かるのではなかろうか?
居場所が分かったところで、どうやったら自分の体を取り返せるか見当もつかないが、やってみるしかないだろう。
私は自分を引き締めるために顔を一つパンと叩くと、目を閉じ黒の剣の気配を探るべく意識を集中させた。
するとこの場所がただ灰色の魔力に満たされているだけでなく、様々な気配が入り乱れていることを私は知ることができた。(5年前はそんなこと気がつきもしなかった)
その気配の全ては灰色の魔力に覆われて何となくでしか感じられず、どんなものなのかも検討がつかない。
だが、果てなどないようなこの灰色の世界の終着点を私は感じることができた。
いや、終着点とはっきりと言うことはできないかもしれない。
ただ、そこは灰色ではなく黒よりも深い闇が凝縮された気配。
闇よりも深い、一度入ってしまったら二度と出ることが叶わなさそうな厄介そうな場所のようだ。
あの先に黒の剣がいそうな気配はないし、とりあえず無視するかと意識を他に移そうとした瞬間に、その奥から誰かの意識が私に気がついたようだった。
『はじめまして、世界の楔の資格を持つ『何一つ持たない者』。ゆっくりお話したいところだけれど、今はまだ早いわ。』
そして、そんな声が頭の中に響いたと思ったら、その場所からすぐに意識を弾き飛ばされた。
「いった…」
その弾き飛ばされ方が荒々しく、私は思わず呻く。
誰かの意識に触れた以上、何かを知っているかもしれないと再び同じ闇を探そうとするが、今度はまるで迷宮にもぐりこんだように同じものは見つからない。
仕方ないかと、再び黒き剣を探そうとすると、今度はあっさりとそれが見つかる。
薄い気配ながらも慣れ親しんだ気配は間違いようがない。
「よっし!」
私はそれを頼りに、その場所に意識を集中させる。
すっと手を伸ばせば、かつてのように何もない空間にズボリと手が沈んだかと思うと、体ごと吸い込まれ、上下も左右もない空間からいきなりドサリと地面に倒れこむ。
そして、倒れこんだ私の上から声がかかる。
「ずっと、待っていました。ヒロ」
その声に私ははっとして顔を上げる。
馬鹿みたいに口をあけて見上げた先には、優しげな微笑みを浮かべた女性と、その背後には別次元が広がっていた。
澄んだ空気に包まれた森、鳥のさえずる声、かすかに薫る花の匂い、小川のせせらぎ、きらめく優しい光。
造りものではない、確かに息づいている自然がそこにあった。
そういえば、封印された異端の先には罪人の処刑台が広がっていたし、黒き神の言葉によれば封印された異端は全ての灰色の魔力の満ちた世界に繋がっているということだった。
…ということは、この場所もまたそんな禍々しい場所のはずだが、そんな気配は微塵もない。
そして、その中でまるで女神のように佇む女性は絶世の美女とは違うが、生命力に溢れる眩しい人。
長い亜麻色の髪に緑の瞳、肌は白く、声は女性にしては聊か低いようであったが聞き心地が良かった。
「?」
しかし、明らかに初対面なはずなのに私は彼女にふと何かの面影を見る。
「私の名前はローラレライ。」
「え?」
しかし、その面影は彼女の名を聞いたことで吹っ飛んだ。
それは私と共にずっとあった名前。
声が出ない私に変わり、ローラレライが言葉を続けた。
「ええ、そうです。貴方の黒の武器の名前は私から取られています。かつて、ヴォルツィッタのために命を捨てた異端の一族…それが私です。」
そうだ、私と黒の武器の間に立ったユイアがこの場に囚われていたというのであれば、形は違えど悪魔の代償である存在もこの場に囚われていて何も不思議はない。
「…生憎だがのんびりと挨拶を交わしている暇は今の私にはない。」
「分かっています。ですが、貴方は自分の体を取り戻したいのでしょう?それには私の手助けが必要だと思いますけど?申し訳ないですが、現状では貴方が自力で体を取り戻すのは不可能だと言わざるをえません。」
ローラレライは全ての状況を知っているらしく、私の痛いところを的確につく。
「その言い分を信じられるとでも?貴方は悪魔の味方だろう?その貴方が悪魔を止めたいと思っている私の手助けをするとは思えない。悪魔が何をしたいか私には分からないが碌なことじゃないと私の第六感が言っている。」
悪魔の真意は分からなくともそれは断言できた。
何よりもラーオディル・オヴァラの見せた過去の中に現れた悪魔の気配は、私を不安にさせるのに十二分であった。
私の体を乗っ取り第二の封印を解放し、そして、悪魔はその先にいる異能者に会うのだろう。
だが、そして悪魔は何を求めるのだろう?
「貴方の第六感は当たっています。ヴォルツィッタの願いはただ一つ…私を蘇らせること。」
私の心の中の問いをまるで見透かしたようなローラレライの声に、今度こそ目を大きく見開いた。
「異能者たる『世界の理』に定められた禁止事項を彼は灰色の魔力によって書き換えるつもりなのです。死者が蘇っても灰色の魔力が発生しない世界にするために…ですが、『理』の書き換えなど未だかつて行われたことのない未知の行為。」
「なっ!?そんな事が可能なのか?…っていうか、異能者が『世界の理』なのか??」
「あら、そこからお話しないといけないんですか?」
第二の封印の先に東方の楽園の礎である異能者と世界の理があるらしいことは、悪魔の過去の記憶を見たことで理解していたが、その二つが同じものであるとは思っていなかった。
「異能者の名はユーティリエティ。神すらも従わせる力を持つ4人の異能者は世界を定めし4つの人柱でもあるのです。東の『世界の理』は禁忌を定め、西の『運命の羅針盤』は時を管理し、北の『滅びの扉』は全ての死を、南の『生なる樹』は全ての生を司っています。」
そう言われればなるほどだ。
『世界の理』は神すらも従わせる効力を持つのだ。
それがこの世界を創造したという異能者であることに不自然さは感じられない。
だが、『世界の理』というのがどういうものか想像もできないが、少なくとも人ではないと思っていたので、その二つが繋がらなかっただけだ。
そもそも異能者という存在だって、前文明の生き残りというだけで私たちのように人の形をしているものかも定かではないのだ。
「なるほど、異能者が世界の理だということは理解した。だが、その世界を定める存在を書きかえるなんて、そんなことが可能なのか?」
「理論上は可能らしいです。ですが、世界の理は『理』であると同時にこの世界の全てのエネルギー源でもあります。そのバランスが少しでも崩れれば、瞬間にこの東方の楽園は消滅をするでしょう。そして、理の書き換えをすることで、そのバランスを崩す可能性はとても…高い。」
さらりとそんな恐ろしいことを言う。
「悪魔は東方の楽園全てよりも貴方の命を選んだ…訳か。だが、それならどうして千年前にそれをしなかったんだ?」
千年前にも悪魔は異能者に対面しているはずなのに、どうしてそれをしなかったんだろう?
ローラレライの話を聞いてふとそう思ったが、私のその問いはさらりと無視して、代わりに彼女は私に問い返した。
「貴方はヴォルツィッタのしようとしていることが愚かだと思いますか?間違っていると思いますか?」
「その問いに答えないといけないか?ていうか、私の質問には答えてくれないのか?」
「強制はしません。だけど、私は貴方の答えが知りたいのです。」
どうやら、ローラレライはどうあっても私の問いに答える気はないらしい。
私はもう自分の問いは諦めて、ローラレライの強要はしないと言う割にはどう見ても答えないと先に進まないだろう話を進めるべく言葉を紡いだ。
「…気持ちは理解できる。」
人間は誰しも聖人君主ではない。
自分の欲望の為に世界全てを敵に回してもいいと思う瞬間があるはずだ…ただ、本来ならそんな力を人は有していないから、また欲望に勝る理性や大切なものがあるから、普通ならば人はそれを実行しようとしないだけだ。
「もし、世界全てよりも叶えたい願いがあると仮定して…世界、自分に関係のないたくさんの命…それらを犠牲にすることの罪悪感は限りないだろうが、でも世界も他人も自分にとってそれほど大事な存在かと私はきっと私に問うんだろう。そして、結論は分かりきっている。世界が他人が私に何をしてくれるのだ…と。」
一人の人間に世界もその他大勢の人間もあまりに冷たいものだ。
人間に都合のいい神様なんか存在しない、どんな不幸や悲しみや苦しみを背負おうとも世界は優しくしてくれることなどない。
いや、むしろいつもと変わらない世界が幸せな時よりも、冷たく感じられるのだろう。
「それならば、世界よりもたった一人の大切な人がいればいい…ただそう私は思うかもしれない。」
人間はどんなに聖人君主を気取ったところで、結局は自分が一番大事なのだ。
だって、そうだろう?
他人の為を思い、他人の為に尽力できたとしても、その他人を想う心も、他人を想って行動したことも全ては自分というものが中心になって成り立っているのだ。
だからといって、別に誰かの為を思うことが偽善だと言っている訳じゃない。
そう思う心は尊いし素晴らしいことだ。
その思いがあるからこそ世界は優しさに溢れるのだと思う。
でも、どんな人間だって、きっと自分がかわいくない人間はいなし、自分に優しくできない人間はきっと他人にも優しくできないと思うのだ。
だからこそ…思う。
人は自分の一番大切なものと世界を天秤にかけた時、自分の欲望を捨てられるのか?
そして、その答えは私の中では未だに出ていない。
「貴方は素直な人ね…そうよ…ね?人間は―――」
ローラレライもまた私と似たような考えなのだろう。
私の答えに同調するように言葉を続けようとするが、私はそれを遮った。
「だが、私は大切な人を犠牲にすることも、世界を諦めることもしない。」
「え?」
虚をつかれたようにローラレライは目を見張る。
私もついさっきまでなら、ローラレライの言葉を遮ったらしなかったと思う。
「私はユイアに彼女に恥じない生き方をすると誓ったんだ。それは彼女を失った私の自己満足に過ぎないのかもしれない…だけど、私はもう何かを犠牲にする生き方はしたくない。例え結果として犠牲をだすことになったとしても、それを望む自分でいたくない。犠牲に目をそむけるだけではいたくないんだ。」
ユイアを失った事実に向き合ってみて、彼女の死を受け入れた。
それが自分のせいだとか、黒き神のせいだとか、そんなことは別として、さっき私は初めてユイアが死んだのだと本当の意味で理解できたのだと思う。
そして、そうした時に私はユイアがエヴァが生きろと言ったから生きるのではなく、彼女たちに恥じない生き方をしなくてはならないと思ったんだ。
彼女たちのせいにして生を生きるのは卑怯だから、私は私の生きる道を歩む。
「だから、私は世界も大切な人も助けたい!それが叶わなくても、そのために足掻きたいんだ!!」
こんな風に強い気持ちでいたことなんてユイアを失ってからなかった。
ローラレライはそんな私を張りついた微笑みを消して、酷くまじめな顔で見返していた。